【9】黒竜のおつかい/自称真っ当な魔女のため息
王都下町の石壁の上で、古風なローブを着た黒髪の青年が、猫のように手足を折り曲げてしゃがんでいた。
青年──人に化けたネロは、カラリと晴れた青空を見上げ、大きな欠伸をする。
「にゃっふぁーあぁー……」
軽く伸びをしたネロは、見上げた空から、ゆっくりと石壁の下に目を向けた。
王都の下町は高低差のある土地がある。石の階段を上った先にあるこの場所は、街を見下ろすのに丁度良い。
ネロは神秘的な金色の目で、眼下の光景を眺める。
「……で、声デカの肉屋は、どこにあんだ?」
かつて、リディル王国を震撼させた一級危険種、ウォーガンの黒竜は今、アイザックに頼まれて、おつかいをしている最中であった。
『このお金で、買えるだけ買ってくれて構わないよ。ダドリー君に頼めば、適当に見繕ってくれるだろうから』
と言われて、グレンの実家が営む精肉店に向かったのだが、地図をなくしたのである。
都合良く、グレンが飛行魔術で空を飛んでいたりしないだろうか。そうしたら、感知しやすいし、見つけるのも容易だ。
そんなことを考えながら、また空を仰いでいたネロはふと気がついた。下の方で、キャアキャアと甲高い少女達の声がする。
なんとなく目を向けると、建物と石階段の間にある狭い空間に一人の少女が挟まり、大騒ぎしていた。
「ベティー、あんただけじゃ、引っ張り上げるの無理だわさ! 誰か大人を呼んできて!」
「もうっ! 子どもみたいなことするからですよ、アナ!」
「ごめんってばー!」
隙間に落ちてしまった少女と、石階段の上にいる少女、どちらも年齢は十五、六歳ぐらいだろうか。
よく似た金茶色の髪で、お揃いのミントグリーンのリボンをつけている。顔の雰囲気も似ているし、きっと姉妹なのだろう。
隙間に落ちてしまったのが、髪を一つに束ねた吊り目の少女。
石階段の上から、それを助けようと奮闘しているのは、髪を二つに分けて結った、そばかす顔の少女だ。
二人の会話から察するに、吊り目の少女は石階段の手すりの上を歩き、足を滑らせて、石階段と隣接した建物の隙間に落っこちてしまったらしい。
隙間から出たいが、植木が邪魔をして這い出ることは難しい。とは言え、よじ登るには高さがあるし、とっかかりも少ない。
ネロはヒラリと跳躍して、石階段の手すりの上に着地した。
「引っ張り上げればいいのか?」
突然現れたネロに、二人の少女が驚いたように目を丸くする。
ネロは手すりの上にしゃがんで、下を覗き込んだ。
少女が腕を伸ばせば届く高さだが、こういう時、力技で引っ張り上げると、人間は腕や肩が痛くなるものらしい──冥府から引っ張り上げられた後輩の言である。
頑丈な後輩が、肩が外れるかと思った……などとぼやいていたのだ。子どもにやったら、腕がスポーンと取れてしまうかもしれない。
ネロは隙間に落ちた少女の横に飛び降りると、驚いている少女をヒョイと肩に担いだ。
「そこ、離れてろよ」
階段の方にいる少女に一声かけて、ネロは飛び上がり、片手で石階段の縁を掴む。そのまま、壁を爪先で蹴って飛び上がり、石階段の手すりの上に着地した。
人一人抱えているとは思えない身軽さに、少女二人はキャアッ! と声をあげる。
「えぇっ、嘘、嘘っ、今のどうやったの?」
「すごいです、すごいです! アナを担いでるのに、ピョーンって!」
無邪気な称賛にネロは気を良くした。
フフンと鼻を鳴らしながら、担いだ少女を下ろしてやると、少女二人はネロを囲ってキャアキャアとはしゃぎだす。
「お兄さん、ありがとう!」
「アナを助けてくれて、ありがとうございます。もしかして、魔術師の方なのです? ローブをお召しだし」
物珍しげにネロのローブを見ていた二つ結びの少女が、「あっ」と何かに気づいたような声をあげた。
「それじゃあ、さっきの跳躍は飛行魔術なのです?」
「違うわ。だって、詠唱してないもん!」
「でも、重いアナを抱えて、あんなに高くジャンプするなんて、グレン兄だってできませんことよ!」
「ちょっと、ベティ! 重いってなにさ!」
二人の会話を聞いていたネロは、ふと気がついた。
(グレンって、確か、声デカのことだよな?)
魔術と無縁の一般人は、咄嗟に飛行魔術なんて単語は出てこない。もしかして、この二人は日常的に飛行魔術を見ているのではないか。
ネロは少し考え、少女二人を交互に見た。
「グレン兄って、声がデカくて飛行魔術使うやつか? 最近は青いローブ着てて……あと、家が肉屋!」
「お兄さん、グレン兄のお友達?」
「オレ様、あいつに用事があるんだよ」
グレンには良い肉を見繕ってもらい、そして沢山オマケをしてもらうのだ──なお、オマケはネロの中では確定事項である。
ネロとしては肉の部位にこだわりはないが、人間は料理をする際、部位ごとに調理法を変えるらしい。
そして、アイザックがこだわった料理は、黒竜の舌を唸らせる馳走なのである。無論、生肉もそれはそれで悪くないが。
(後輩は、声デカに見繕ってもらえって言ってたし。きっと、その方が美味い飯が出るよな)
煮込んだ肉の味を思い出し、ネロが舌なめずりをしていると、姉妹二人は交互に言った。
「グレン兄なら、今日はお姫様とデートだわさ」
「しかも、行き先は劇場ですのよ! あのグレン兄が!」
「そんな面白いこと、尾行しなきゃ勿体な……じゃなかった。見守ってあげようと思って」
「それで、先回りするために近道をしたら、アナが調子に乗って落っこちたのです」
二人の話にネロは腕組みをし、眉根を寄せて唸った。
「んん? ……つまり、声デカは今、留守なのか? オレ様、あいつに美味い肉を見繕ってもらいてーんだけど」
「お肉を買いに来たのです?」
「じゃあじゃあ、アタシ達が見繕ってあげる!」
「グレン兄のお友達で、アナの恩人ですもの! いっぱいサービスしますわ!」
サービスをしてもらえるのなら、ネロとしても断る理由はない。
「じゃあ連れてけ」
ネロがそう言うと、少女二人は、こっちこっち! と歩きだす……が、数歩歩いたところで、一つ結びの少女が足を止めて、しゃがみ込んだ。
勝ち気そうな顔を歪めた少女は、右足を押さえている。どうやら、先ほど落ちた時に、怪我をしたらしい。
ネロは人間の怪我の手当の仕方なんて知らないので、少女を担ぎ、己の肩に座らせてやった。
「ひゃあっ! すごーい! 高ーい! お兄さん、大きいー!」
「そうだろう、そうだろう」
本当の姿だと、もっと大きいんだぜ! とネロが得意気に鼻を鳴らすと、もう一人の少女がモジモジしだした。
少女は羨ましそうに、肩の上の姉妹をチラチラ見ている。
ネロはニヤリと笑い、その場に屈んだ。
「オレ様、機嫌が良いから、特別にお前も乗せてやろう」
「い、いいのです? でも、二人は……流石に……」
「一人も二人も、そんなに変わんねーよ。ほら、早くしろって」
二つ結びの少女は少し恥ずかしそうにしながら、それでもスカートを押さえてネロの肩にちょこんと座る。
ネロが立ち上がると、少女はネロの頭にしがみついて、声をあげた。
「きゃあ! きゃあ! 高い、高い!」
「お兄さん、すごい! グレン兄より力持ちだわさ!」
「そうだろう、そうだろう、もっと褒めていいぞ。ふっふふーん」
機嫌良く鼻歌を歌いながら、ネロは両肩に少女を乗せて歩きだした。
* * *
ローズバーグ家本邸の一室に呼び出されたメリッサは、ゲンナリと歪みそうになる顔を取り繕い、ため息を押し殺した。
うんざりするほど古臭い家だ。色褪せた壁紙、一つ一つが手の込んだアンティークの家具──歴史を感じさせる趣きのある家、とでも言えば、聞こえは良いだろう。
だがメリッサには、壁紙にも家具にも、この家の背負う因縁と暗い歴史が、薬草臭と共にジットリと染み込んでいるように思えてならない。
メリッサの向かいに座る祖母は、この屋敷の在り方を体現するかのように古臭いドレスを着ている。
メリッサが子どもだった頃から変わらない、深緑色のドレス──毎年、有名店で流行りのドレスを仕立てる、アデライン・オルブライトとは、えらい違いだ。
「これは、ローズバーグ家の今後に関わる、重要なことです」
そう言って祖母は、メリッサの前に二つの瓶を置く。
一つは飲み薬、一つは香水。どちらも魔女の惚れ薬──いわゆる催淫剤だ。
「〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレットは、リディル王国でも有数の才を持つ魔術師。我がローズバーグ家に相応しい人材です……必ずや、取り込みなさい」
ローズバーグ家現当主ラウル・ローズバーグは初代〈茨の魔女〉の再現とも言われる天才だ。
祖母達はそんなラウルを誇りに思っているが、一つ憂いていることがあった。それが後継の存在だ。
ラウルはもう成人しているが、婚約者はいない。
今まで、婚約者を決めることにラウルが積極的でなかったのも理由の一つだが、それ以上に、祖母のお眼鏡に叶う婚約者候補がいなかったのが大きな原因だ。
歴代の〈茨の魔女〉達は全て女性であり、基本的に婿をとるか、外で愛人を作り、子をなす。
そんな〈茨の魔女〉達が選ぶ相手は、土属性を得意とする、才能ある魔術師であった。
祖母達の代だと、土属性魔術の使い手で有名な〈岩窟の魔術師〉という人物がいて、かの魔術師をローズバーグ家に取り込もうと、祖母達は躍起になったという。
姉妹総出で口説き、脅し、誘惑し、それでも最終的に逃げられたらしいが。
(……にしても、まさか、あのおチビが、お祖母様に目をつけられるなんてねぇ)
祖母達は今、ラウルの婚約者候補として、モニカに目をつけている。
得意属性が土でなくても、パッとしない地味な容姿でも、それを上回る才能に祖母達は目をつけたらしい。
新しく開発した魔術式の数々、世界で唯一の無詠唱魔術、そして三大邪竜を倒した実績──この数年で、モニカはあまりにも活躍しすぎたのだ。
モニカを身内に取り込みたいと考える者達の噂は耳にしたことがあるが、まさか、こういう形で自分がとばっちりを受けるなんて、思いもしなかった。
(もうすぐラウルが留学しちゃうから、今のうちに既成事実だけでも作らせとこうって腹なんでしょうけど……なんでアタシが、愚弟とおチビに一服盛らなきゃなんないのよ……おぇっ)
それがどうでも良い他人なら、ニヤニヤ笑って楽しむところだが、身内にこの手の薬を盛るというのは、なんとも言い難い気持ち悪さがあるのだ。端的に言うと、自分が盛った薬で、身内がサカるところは見たくない。
だが祖母達は、初代様の血を絶やさぬためなら手段を選ばないのだ。
(あぁ、アタシってば、なんて真っ当なのかしら!)
胸の内でため息をつくメリッサに、祖母は厳かに告げる。
「よろしいですね、メリッサ」
幼い頃から、うんざりするほど言われてきた言葉だ。
そして、それに返す言葉は決まっている。
「はい、お祖母様」
この薬は適当に売り捌いて、小遣い稼ぎに使わせてもらおう。
祖母が作った魔女の惚れ薬。売り払えば、服と靴とバッグ、それにアクセサリー一式を買っても、お釣りがくる。
フラックス商会の新作ドレスに思いを馳せていると、祖母がジロリとメリッサを睨んだ。
「……なお、その薬はいつもと配合を変えています。通常の薬との差を記録につけて、後日提出なさい。使用量を記録し、残った薬は必ず瓶ごと返却するように」
「げ」
祖母の眼光が鋭さを増した。
「よろしいですね、メリッサ?」
「は、はぁい、お祖母様……」
* * *
祖母から受け取った薬瓶二つを手に、メリッサは離れを目指してダラダラ歩く。
特に用事があるわけではないが、こういう気分の時は、本邸ではなく離れでゴロゴロすると決めているのだ。
(あぁ、面倒ったらありゃしない……)
祖母は薬の配合を変えたと言っていたから、適当な報告を書いたらきっと見抜かれてしまうだろう。
どこかに都合良く、薬を試せる人間はいないだろうか。
できれば健康で、頑丈で、薬を盛ってもメリッサの心が痛まない人物がいい。
(でも、今から街に出たら、お祖母様に疑われる……街に出ないで薬を試せる、そんな都合の良い人間なんて……)
悲嘆に暮れていると、木々の向こう側に離れが見えてきた。
窓を開けているらしく、そこから果物を煮込む甘い匂いが漂ってくる。
「あ、いたわ」




