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サイレント・ウィッチ(外伝)  作者: 依空 まつり
外伝3:愛されたがりの婚約譚
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【14】深淵より出ずる

 〈深淵の呪術師〉は、その身の奥に泉を持っていると言われている。

 泉は数多の呪いを溜め込んだ、底無し沼のように暗く深い泉だ。

 そして、泉に宿る呪いは──呪術師の感情の乱れに呼応して水面を揺らし、這い出てくる。


 例えば嫉妬。例えば憎悪。例えば……恐怖。


 強すぎる感情は、時に呪いとなって、レイの望まぬ形で顕現する。

 だからレイは普段から、自分の不平不満や欲求は、なるべく口に出すようにしていた。

 ──羨ましい、妬ましい、愛されたい、顔の良い男は呪われろ……

 不満を声に出して呟けば、自分の中に溜め込まれた負の感情が少しだけ吐き出せる。

 そうやって三代目〈深淵の呪術師〉レイ・オルブライトは己の感情を制御してきた。


 そして今、慣れぬパーティ会場、婚約者との遭遇による混乱、その兄にスコップを突きつけられるという状況に、レイの感情は乱れに乱れていた。

 なによりも決定打となったのが、ヘンリック・ブランケの放つ、本物の殺気だ。

 戦場で敵兵に向けるものと違わぬ強烈な殺気に、レイは死の恐怖を覚え……呪いを溜め込んだ泉の水面が、大きく揺れてしまった。

 レイの全身に黒い紋様が浮かび上がり、皮膚を這う。のみならず、紋様は皮膚から浮かび上がり、レイの元を離れようとしていた。

 周囲にいる他の人間を蝕むために。

「……あ、ああ……うあ……やめろ、やめろよぉ、出てくるなぁ……っ!」

 黒い紋様に全身を覆われて、のたうち回るレイを、フリーダとヘンリックは驚愕の目で見ている。

(あぁ、あぁ、やってしまった、絶対に嫌われた、気味悪がられた! 嫌われた嫌われた嫌われた!)

 その絶望が、更に呪いの暴走を加速させる。

 黒い紋様は音もなくレイの体から浮かび上がり、地を這おうとしていた。このままだと、この呪いはフリーダやヘンリックを蝕んでしまう。

 レイは地面を転げ回るようにして、二人から離れようとした。だが、足がもつれて上手く歩けない。

「やだ、いやだ、あぁ、いやだぁ……誰か、誰かぁ……っ!」

 このままだと、自分はその身に宿した呪いで、誰かを苦しめてしまう。そして、嫌われてしまう。

 レイの目から涙の雫が溢れ落ちた。その涙はタールのようにドロリと黒い。

 今のレイは涙すらも呪いと化しているのだ。

 ボタリと滴り落ちた黒い涙は足元の花を黒く染め上げ……次の瞬間、その花は大きく膨れ上がった。

 ボタリ、ボタリ、黒い涙が溢れる度に、レイの足元の草花が異形化する。

 まだらに黒く染まった木々や花々は肥大化し、そして意思を持つかのように蔓を、葉を震わせる。レイの周囲にいる者を絡めとり、呪うために。

 呪いの本分は苦しめること。

 呪いに触れてしまった者は、死にたいと思うほどの激痛に苛まれ、のたうち回り、そして発狂する。


「オルブライト卿」


 振り向くと、フリーダがこちらに近づいてくるのが見えた。

 彼女はそうするのが当たり前という顔で、異形の植物に囲まれたレイに手を差し伸べようとしている。

 だが、もうレイの呪いは止まらない。呪いと化した植物達が、フリーダを絡め取ろうと動きだす。

(あぁ、嫌だ、嫌だ、俺に手を差し伸べてくれた優しい子まで呪ってしまう、嫌なのに、こんなの嫌なのに!!)

 黒い涙をボタリ、ボタリと流しながら、レイは声も無く慟哭する。

(嫌だ、やめて、誰か、助けて)

 そんな願いもむなしく、黒く染まった蔦がフリーダを絡めとろうとし……


 バチン、と音を立てて、蔦はフリーダの手前で見えない壁に弾かれた。


(……これは、防御結界?)

 だが、普通の防御結界では呪いを防ぐことはできない。専用の特殊な結界が必要なのだ。

 呪術は殆ど世に知られていない技術である。当然に、それを防ぐ防御結界も使い手は少ない。

 だが、そんな呪術を防ぐ防御結界を使える人間が、この場にいた。

 それは二年前、レーンブルグの呪竜を倒した小さな英雄……。


「……〈深淵の呪術師〉様は、まだ、誰も傷つけて、いません……わたしが、傷つけさせません」


 七賢人が一人、〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレット。



 * * *



 二年前、レーンブルグの呪竜と戦った時にモニカが編み出した防御結界は即興で作ったものだったので、綻びだらけで不完全なものだった。

 だからモニカはレイに呪術の構成を教わり、二年かけて、対呪い用防御結界の理論を再構築していたのだ。

 今、モニカはフリーダとヘンリックを守るように防御結界を展開している。

 モニカの結界は正しく起動し、レイの呪いに汚染された植物の攻撃を全て弾いていた。

 グレンが「すげーっす!」と感動の声をあげるが、モニカにその声に応える余裕は無い。


(二年前の呪竜の呪いより、全然力が強い……!)


 国内最高峰の呪術師である〈深淵の呪術師〉レイ・オルブライト。

 彼は本気を出せば、城一つを呪いで包めるだけの力の持ち主だ。

 それほどまでに巨大な呪いを防ぐには、モニカの結界だけでは到底足りない。


(それでも、わたしが、防がなきゃ……!)


 あの呪術が誰かを苦しめたら、きっとレイは自分を責めて、自分を呪うだろう。

 呪術師でなくとも、自分で自分を呪うのは簡単にできるということを、モニカは知っている。

 ──自分なんて。自分なんかが。

 そうやって、幼いモニカは自分の無力さを呪い続けてきた。

 このままだと、きっとレイもそうなってしまう。暗い目で自分を呪って、他者との関わりを切り捨てて、一人の部屋に閉じこもって……。

 モニカは、レイにそうなってほしくないのだ。


(ううっ、結界が持たない。一時解除、再構築……っ)


 モニカは壊れかけた結界を一度解除し、無詠唱ですぐに結界を張り直した。無詠唱魔術の使い手であるモニカだからこそできる荒技である。

 だが、この対呪い用の結界、実はかなりの魔力を消費するのだ。

 魔力の消費を抑える術式は、この高度すぎる結界には組み込めない。故に、一度使う度にモニカの魔力は、ごっそり削られていく。おそらく、あと三回も使えば魔力は底を尽きるだろう。

 防戦一方では勝てない。そう察したらしいグレンが、腕まくりをした。

「オレの火炎魔術で、あの黒い花を吹っ飛ばすっす!」

「炎の魔術で呪いをどうにかできるのか? ここはひとまず私の氷魔術で全て凍らせて……」

 そう言って詠唱を始めたシリルの肩をアイザックがトントンと叩く。

「その必要は無さそうだよ」

 場違いに穏やかなアイザックの声に、グレンとシリルが怪訝そうな顔をした。

 アイザックは柔らかく微笑み、二人の背後を指さす。


「おぅおぅ、随分と楽しそうなことしてんじゃねぇか」

「まったく、人様の家でこんな騒ぎを起こして……そこの馬鹿弟子。お前はあとで説教です」


 こちらに歩み寄ってくるのは、黒髪に黒髭の大男と、長い栗毛を三つ編みにした片眼鏡の美丈夫だった。

 モニカと同じ七賢人。〈砲弾の魔術師〉ブラッドフォード・ファイアストンと、〈結界の魔術師〉ルイス・ミラーだ。

 ラウルがパッと顔を輝かせて、二人に駆け寄った。

「二人とも、来てくれたのか!」

「おぅ、ここはドカンと任せとけや」

 ブラッドフォードが豪快に笑い、ルイスは防御結界を維持しているモニカを半眼で見据える。

「あぁ、まったく。なんと可愛げのない小娘でしょう。高難易度の対呪術用結界まで無詠唱で再現してみせるなんて……〈結界の魔術師〉である私の立場が無いではありませんか」

 皮肉っぽく言いながら、ルイスは片眼鏡を押さえて、レイの呪いを見据える。

 そして、必死で結界を維持しているモニカに訊ねた。

「同期殿、あとどれだけもちます?」

「さ、三十秒……っ」

「結構」

 ルイスが少し長めの詠唱をして、対呪術用の結界を編み上げた。

 モニカの結界よりもずっと強固な結界は、呪いに汚染された草花が暴れ狂っても、びくともしない。

(……すごい)

 モニカ相手に「自分の立場がない」などと嘯いているが、やはり防御結界において、〈結界の魔術師〉ルイス・ミラーの右に出る者はいないのだ。

 ルイスの結界が呪いに汚染された草花を閉じ込めたのを確認し、〈砲弾の魔術師〉ブラッドフォード・ファイアストンは足元の石を拾い上げる。

「さぁて、こっからは俺の出番だな。おぅ、結界の。ドカンとやるから、屋敷を保護してくれや……そうだな、呪いごと焼き尽くすから『四重』だ」

「あの程度なら『三重』で十分でしょう?」

「若いモンに、ドカンと派手な花火を見せてやりてぇじゃねぇか。やっぱ『五重』」

「防御結界を張る、私の身にもなってもらえませんかねぇぇぇ?」

 ルイスがこめかみを引きつらせてブラッドフォードを睨んだ。が、既にブラッドフォードは詠唱を始めている。

 ルイスも諦め顔で詠唱を始めた。その間も呪いを閉じ込める結界は維持したままで。

 ブラッドフォードの低音の詠唱に、歌うようなルイスの詠唱が重なる。

 彼らと同じ七賢人のラウルは、シリルやグレンを見て、楽しそうに笑った。

「久しぶりにすごいもんが見られるぜ。キミ達、しっかり目に焼きつけとけよ!」

 まず先に詠唱を終えたルイスが、庭園一帯に防御結界を張る。対攻撃魔術用の非常に強固な結界だ。

 それを確認した上で、ブラッドフォードは握りしめた石を大きく振り上げた。

 ただの石に、ブラッドフォードは圧縮した火属性魔術を纏わせている。

 その石に込められた魔力は、グレンの火球と同程度。それだけでも充分に威力は高いが、ブラッドフォードはその火を更に圧縮しているのだ。

 のみならず、ブラッドフォードは全く同じ術式を五重に重ねている。

 多重強化術式は重ねる数が多いほど威力が増すが、それだけ制御も難しくなる。モニカでも四重が限界だ。

 ブラッドフォードが、大きな口でニヤリと笑った。


「いっくぜぇぇぇぇ、おらぁ、ドッカーーーーーーーーン!!」


 ブラッドフォードが大きく片足を振り上げて、握りしめた真っ赤な石を肥大化した花へ投げつけた。

 人間に出せる速度を超えた豪速で、赤い石は花を貫き、呪いごと焼き尽くす。

 ──轟音、閃光、そして巻き上がる土埃。

 魔力耐性の高い竜の胴体すら貫く凶悪な魔術は、レイの呪いを木っ端微塵に吹き飛ばした。

 国内で最も高威力の魔術を使う、ブラッドフォードの一撃。その破壊力は絶大……なのだが……。

「あ、あああああの、あの、あれって……〈深淵の呪術師〉様、生きて、ますか……?」

 モニカが恐る恐る訊ねると、ルイスがフンと鼻を鳴らした。

「そのために、私がいるのですよ」

 やがて土煙が晴れると、轟音と閃光にショックを受けて、ふらついているレイの姿が見えた。レイが爆発に巻き込まれぬよう、ルイスが防御結界を調整したのだ。

 閃光に目を焼かれたレイは、両手で顔を覆ってうずくまっている。

「さぁ、今ですぞ、〈茨の魔女〉殿」

「あぁ、ありがと、ルイスさん!」

 ラウルはバラの花を手にレイに近づくと、その手の中でバラをグシャリと握り潰した。

 強いバラの香りがレイの周囲に広がると、レイの腕からダラリと力が抜ける。

「ちょっと強めの鎮静成分を入れてみたんだ。落ち着いたかい、レイ?」

「あ、うぅ……オレ……オレは……」

 レイはふらついている上に、呂律が回っていない。

 ぐらりとよろめいたレイの体を、咄嗟に支えたのはフリーダだ。

 フリーダにもたれながら、レイは子どものように泣きじゃくる。

「あ、あぁ、う、あぁ、ごめん……ごめんなさい……オレ、オレ……うっ、あぁ、うぁあああ……」

 レイのピンク色の両眼から、ボタボタと涙がこぼれ落ちる。

 その涙はもう黒く濁ってはいない──透明な雫だった。


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