【8】ダフネ・オドラの木の前で
シリルの体で喚き散らすソフォクレスの左右を七賢人二人が固め、ズンズンと歩く。
まずはモニカが、歩きながら無詠唱で感知の魔術を使った。感知の範囲を広域に広げると、この世界の全体像が見えてくる。
「……把握しました。この世界、そんなに広くないです。円形で、広さはローズバーグ家所有の森と同じぐらい」
球体のガラス器を用意し、その三分の一ほどに土を注いで、木々を植えたら、この世界のようになるだろうか。
つまりは、行き止まりがあるのだ。
「周囲の木々全てに魔力反応がありますが、一際大きい反応が三つ。まずは、一番近くを目指します」
「お主……何を考えているであるか?」
モニカに右腕を掴まれたソフォクレスが、顔をひきつらせてモニカを見る。
モニカは真っ直ぐに前を見たまま、抑揚のない声で応じた。
「この世界は全部、魔術でできているんです、よね?」
「う、うむ」
「だったら、魔力反応と行き止まりになっている壁を全て確認。世界を構成する魔術式を読み解いて……」
薄茶の前髪の下で、丸い目がギラリと輝く。
「この世界を、解体します」
〈沈黙の魔女〉の解体宣言に、ソフォクレスの喉から、ヒョワ……と奇怪な声が漏れた。
「ふ、不可能である。これは旧時代の魔術であるぞ。現代の魔術師にどうこうできる代物では……」
「魔術式が読み取れるなら、法則を探して、理解すればいいだけです」
ソフォクレスが閉口したその時、前方の木々が風もないのにザワザワと揺れた。
木々の枝は不自然に伸び、その奥から植物の蔓が蛇のような動きで、スルスルと音もなくこちらに近づいてくる。
モニカは、いつになく凄みのある目で、植物の蔓を睨みつけた。
「ラウル様。あの植物が、わたし達を攻撃してくる理由はなんだと思いますか?」
「オレ達をこの庭園の異物として排除しようとしたか、もしくは、何らかの理由で捕捉しようとしたんじゃないかな。この世界が魔術でできてるなら、人間を糧にしててもおかしくないし」
「じゃあ、排除します」
「うん」
植物の蔓が、枝が、一斉に伸びてモニカ達に襲い掛かる。
モニカは右手を前に差し伸べ、無詠唱で風の刃を操り、植物の蔓を切断した。
不可視の刃に切断された蔓や枝は、それでも怯むことなく、次から次へと伸びてくる──キリがない。
モニカが風の刃で蔓や枝を牽制している隙に、ラウルが薔薇の種を地面に落とし、詠唱をする。
いつもはどことなく鼻歌じみた詠唱をするラウルだが、今の彼の声は低く、重く、恐ろしいことの始まりを予感させた。
彼の足元に落ちた種が発芽し、芽を伸ばす。
いつもなら、ラウルの薔薇は強靭な蔓や枝を伸ばし、鮮やかな花をつける。だが今は、ラウルの身長程度で成長を止めた。花の数も、二つ、三つと少ない。
「敵が植物なら、狙うはコッチだよな」
ラウルの薔薇の根本がボコボコと隆起する。
薔薇の蔓や枝ではなく、根の方に魔力を送り込んでいるのだ。
「土地に悪影響だから、普段はやんないんだけど……今は非常事態だもんな」
低い声でラウルが呟いたその瞬間、周囲の木々が不自然に傾き始めた。木の根本が不自然に盛り上がり、メキメキと音を立てて土から浮き上がる。
土中から、ラウルの薔薇の根が侵略し、木々の根を攻撃しているのだ。
三人の前で、木々が次々と倒れ、森が崩れていく。
ソフォクレスがガタガタと震えた。
「あば、あばばばば……」
目の前にある木々は、ラウルの薔薇よりもずっと太く立派な木がたくさんある。それらの根を掘り起こすのに、どれだけの力がいるかは、言わずもがな。
しかも、ただ根を掘り起こすだけでなく、ラウルは木が倒れる方向も調整していたらしい。真っ直ぐ進行方向にだけ、道ができた。
風を操り、蔓と枝をバッサバッサと無慈悲に切り裂くモニカ。
土中から根を蹂躙し、バキバキメキメキと豪快に木々を薙ぎ倒すラウル。
無表情の魔女二人は、ものの数分で森の四分の一を破壊したのだ。
「よし、行こうぜ」
「はい」
ラウルとモニカは短く言葉を交わし、またズンズンと歩きだす。
引きずられるソフォクレスは半泣きだが、二人は前だけを見ていた。
* * *
ラウルの薔薇の根が土中を暴れ回ったせいで、森の土はところどころ盛り上がっている。
ひっくり返った木の根元、そこに白い破片を幾つか見つけ、モニカは足を止めた。
「ラウル様……あれって、もしかして」
「うん」
ラウルは緑色の目でクルリと周囲を一瞥し、あっさりとした口調で言う。
「骨だな。多分、人の」
土中に埋まっていた白い残骸は、最早原型を留めている物は少ない。
それでも、ラウルの声は確信に満ちていた。
ソフォクレスが疑わしげな黒い目を、ラウルに向ける。
「貴様は骨の識別ができるであるか?」
「ううん。でも、この手の植物の栄養源にするなら、人だろ」
「……随分あっさりと言うのであるな」
「旧時代の人なら、そうするだろ」
ラウルの声は何の感慨も含んでいない。淡々と過去の事実を語る口調だ。
モニカは無言で、白い骨の欠片を観察する。
例えば、割れた花瓶があったとして、モニカはその破片を幾つか見れば、元の形がある程度想像できる。
だが、骨の欠片はあまりに小さいので、モニカでも元の形は想像できなかった。
(ただ、あれは一人や二人じゃない……大人も子どもも混ざってる気がする)
おそらく、この骨は、『植物標本庭園』に閉じ込められた人々の末路なのだろう。
もし、この世界が植物を維持することだけを目的としていて、閉じ込められた人を餌と認識するのなら、簡単には逃げられないつくりになっている可能性が高い。
「この森……出口はあると思いますか?」
「オレは、あると思う」
モニカの疑問に、ラウルはキッパリと答える。
ラウルは、比較的破壊が少ない木々のあたりに目を向けた。
「この森、鑑賞用だからさ。鑑賞する奴か、管理する奴が出入りする道みたいなのは、きっとあると思うんだ」
「鑑賞用?」
呟き、モニカは辺りを見回した。
モニカには鑑賞用と、そうでない森との違いが分からないが、ラウルの目には一目瞭然らしい。
「ここって、自然の森をそのまま再現したんじゃなくて、人が木や花を見て周りながら歩くことを想定して作られてる感じがする」
なるほど、本のタイトルが『植物標本庭園』だったぐらいだし、この森は誰かの庭なのだろう。
そう考えると、出口がある可能性も見えてくる。
モニカは密かに思案した。
(世界を破壊する前に、まずは出口を見つけた方が効率的かもしれない)
勿論、世界を破壊した方が早いのなら、迷わずそうする。
今は一刻も早くここを脱出し、ソフォクレスからシリルを返してもらって、ぶつけた頭を医者に診てもらわなくては。
* * *
ラウルの森林破壊をギリギリ免れた地点に、一つ目の魔力反応の元があった。
それは、他の木々に比べて背の低い木だ。モニカの腰ぐらいの高さしかない。
濃い緑の葉っぱの合間に、白く小さな花がこんもりとかたまって咲いており、近づくと仄かに良い香りがした。清涼で、どこか儚く優しい香りだ。
「ダフネ・オドラかな? 珍しいや」
そう言ってラウルが、シリルの左腕を掴んだまま、少し屈んで花を観察する。
モニカも同じように屈んで、花を眺めた。
モニカは見たことも聞いたこともない花だ。リディル王国ではあまり一般的なものではないのだろう。
小さな白い花は根本のあたりが濃いピンク色で、白い花との対比が美しい。
「いい匂い、ですね」
「その花は毒があるのである。食すでないぞ、小娘よ」
「…………」
ソフォクレスの言葉に閉口しつつ、モニカはダフネ・オドラなる木を観察した。
見たところ、その木は魔力を強く帯びているだけで、襲いかかってくる様子はない。
(良い香りのする、魔力を帯びた花……まるで、何かの目印みたい)
「姉ちゃんが、これで魔力付与した香水作りたがってたんだよなぁ。でも、オレんち、薔薇以外への魔力付与はそんなに得意じゃないから、難しくてさ」
ラウルは得意じゃないなどと言うが、そもそもローズバーグ家の薔薇に対する魔力付与率が異常なのである。
薔薇以外の植物にも同じように干渉できたら、それこそ世界征服も容易いだろう。それぐらい、人は植物に依存して生きている。
「吾輩に言わせれば、香水に魔力付与というのがもう、とんでもない技術であるぞ。現代の魔術師でそれができるのは、リディル王国ではローズバーグ家ぐらいのものであろう」
ソフォクレスの呟きに、モニカはふと思い出す。
メリッサが売り捌いていた薬は、殆どが飲むタイプの魔法薬だったはずだ。
「あのぅ、香水タイプの魔法薬って、需要はあるんです、か?」
「うん。飲むタイプの魔法薬より効き目は弱いけど、効果がじんわりと長く続くから、人気あるらしいぜ。姉ちゃんが趣味で色々作ってた」
モニカは〈紫煙の魔術師〉ギディオン・ラザフォードの魔術を思い出した。
煙草の煙に様々な効果を付与し、煙を吸った者に影響を与える魔術──魔力付与した香水は、それに近い効果があるのだろう。
「紫煙ほど指向性は持たせられないけど、皮膚や衣服に付着させることができたら、長時間の効果を見込める……なるほど……」
「そうそう。長く苦しめるのに便利だーって、姉ちゃんが言ってたぜ」
美しい花を前に、香水式魔法薬の有用性について、モニカとラウルが話していると、ソフォクレスがゲンナリした顔で呻いた。
「まったく、恐ろしい魔女どもである……恐ろしいだけで色気がない。はぁ、どうせ挟まれるなら、ボインボインの若い娘が良かった……」
モニカはムムムと唇を曲げ、ソフォクレスを睨んだ。
何故だか分からないが、胸の奥がざわついている……気がする。
「あの、シリル様の体でそういうこと言うの、やめて、ください」
モニカの小さな苛立ちを察したのか、ソフォクレスは殊更意地の悪い顔で鼻を鳴らして笑った。
「はんっ、色気のない子どもの僻みか? まったく、可愛くない小娘であるなぁ」
その一言に、モニカの思考が一瞬停止し、次の瞬間、ざわつきは最高潮となった。
(あ、れ……?)
ローレライの歌を美しいと褒めた声が、心底小馬鹿にした口調で、モニカのことを「可愛くない」と嘲笑う。
これはソフォクレスだ。シリルじゃない──そう分かっているのに、酷く傷ついた気持ちになるのは、先日のツェツィーリア姫とのお茶会を思い出したからだ。
好きな人に「可愛い」と言われて喜ぶツェツィーリアが、羨ましかった。
自分に「可愛い」なんて畏れ多いという気持ちはあるけれど、それでも、本当はどこか憧れていた。
好きな人に言われてみたいと、心のどこかで思っていた。
その好きな人の声で、「可愛くない」と言われ、モニカは自分でも驚くほどショックを受けていた。
忘れてしまいたいのに、シリルの声の「可愛くない」が、何度も何度もモニカの頭の中で再現される。
(……どうしよう、泣きそう)
モニカが黙り込んだことに気を良くしたのか、ソフォクレスはここぞとばかりに、シリルの顔でニヤニヤとねちっこく笑いだす。
「貧相」
「あう」
「チンチクリン」
「あうぅ」
「百点満点中の十五点」
「あううううう……」
「はー、まったく、こんな色気のない小娘に抱きつかれても、ちーっとも嬉しくないのである。精々、成人するまでにミルクでも飲んで、乳と背を育てるであるな!」
「わたし、次の誕生日で、成人ですぅぅぅぅぅ」
モニカの叫びに、ソフォクレスが黒い目を限界まで見開き、顔を強張らせる。
凄まじいショックを受けた顔だった。
「なん、だと……これで、十九歳? うっわ……」
侮蔑と憐憫にまみれた「うっわ……」の声が、更にモニカの心を抉る。
「う、わ、ぁああ……ひぃん……」
色々なものが限界を迎えたモニカは、洟をすすってベソベソと泣きだした。
泣かせた張本人のソフォクレスは、ギョッとした顔で騒ぎだす。
「えぇい、泣くでない! ほら、鼻をチーンとせんか! チーン!」
「ぶぇぇぇ……」
「うわ、小汚い顔であるなぁ……これで十九歳……」
ヒンヒン泣き出したモニカに、ソフォクレスは心底嫌そうな顔をする。
そんな彼の腕を、ラウルが力を込めて掴んだ。
「ソフォクレスさ」
「う、うむ?」
「もう、何も喋らない方がいいと思うんだ」
「お主、そんな辛辣なことを言う男だったか!?」
喚き散らすソフォクレスに、ラウルが真顔を寄せる。
思わず仰けぞるソフォクレスに、ズイズイと詰め寄り、ラウルは低い声で告げた。
「……姉ちゃんの前でそういうこと言ったら、すごいことになるからな? 魔力付与した香水で追い詰められるの、ほんっと怖いからな?」
珍しく真面目なラウルに気押され、ソフォクレスは不貞腐れたような顔で、「ふんだ」とそっぽを向いた。
次回は、お留守番組です。
どうぞのんびりお付き合いください。




