【5】とても長い十分
アスカルド大図書館の禁書室は、第一から第五までの禁書室と最深層禁書室の、合わせて六つの部屋で構成されている。
今、モニカ達がいる一番広い部屋が第一禁書室。入ってきた扉を背に立って、右手の扉が第二禁書室、左手の扉が第三禁書室に繋がっている。
そして、正面の扉の奥には地下に下る螺旋階段があり、それを下った先に、第四、第五、最深層禁書室があるのだ。
シリルは「読んで読んで」と騒ぐ禁書室の魔物達をなだめながら、モニカとラウルに言った。
「封印の確認作業だが、まずは最も重要度が高く、封印が複雑な、最深層禁書室から順番に行いたい」
最深層禁書室と聞いて、モニカは緊張に身を硬くした。
モニカは第一、第二、第三禁書室までしか足を踏み入れたことがないのだ。
第四以降の禁書室は、封じられたものの危険度も段違いだと聞く。
シリルは最深層禁書室から順番に、第五、第四、と禁書室の封印確認作業及び、清掃奉仕をするつもりらしい。
ラウルが箒を左右に倒して、手で受け止める遊びをしながら言った。
「最深層に行くってことは……もしかして、アレもやるのかい?」
「あぁ、前回の分を持ってきている」
キリッとした顔で答えるシリルの手元で、〈識守の鍵ソフォクレス〉がピカピカと点滅した。
『相変わらず、律儀であるなぁ……』
アレとは何だろう。ラウルもソフォクレスも知っているようだが、自分が訊いても良いものだろうか。
モニカはソワソワしている間に、シリルは掃除用具をテキパキとまとめて正面の扉を開ける。
「では、早速最深層に行くぞ!」
シリルが声をあげると、第一禁書室に漂っていた光の粒がフワフワと漂いながら、シリルの後を追いかけた。
シリルはランタンを手にしているが、ランタンがなくとも光の粒のおかげで、足元がボンヤリ見える程度には明るい。
シリルが前方にランタンを掲げたまま、モニカを振り返った。
「ここから先は、下りの階段になっている。足元に気をつけてくれ」
「は、はいっ!」
モニカは自分がまぁまぁ鈍臭いという自覚がある。下りの階段を転がり落ちたら大惨事なので、気合いを入れ直して慎重に階段を下りた。
螺旋階段は決して幅が広いものではないので、先頭をシリルが、その後ろをモニカ、ラウルの順で続く。
少し階段を下りたところで第四禁書室、更に下りたところで第五禁書室の扉があったが、そこは今は触れずに一行は最深層を目指した。
(……あれ?)
螺旋階段を下りながら、モニカは違和感に眉をひそめる。
モニカは空間把握能力が高いので、滅多に迷子になることはないし、多少入り組んだ構造の建物でも、自分の現在地を正確に把握できる。
だから、このアスカルド大図書館の地下禁書室に違和感を覚えた。
(部屋の配置が、おかしい?)
モニカは建築の専門家ではないが、それでも、建築物には造形や構造の美があることを知っている。
大きな建物ほど、緻密な計算に基づき造られているものだ。事実、アスカルド大図書館の地上階は、それはもう計算し尽くされた美しい造りをしていた。
(この禁書室は……螺旋階段を下りたところから、数字が歪んでいる)
グルグルと回りながら下りていく螺旋階段は、方角や、下りた距離が分かりにくくなる。
だから、シリルもラウルも、歴代の利用者達も、気づかなかったのだろう。この空間の歪みに。
そもそも今、モニカ達は相当な距離を下りている計算になるが、アスカルド大図書館が作られた時代に、これだけ深い地下室を作る技術があっただろうか?
(多分、この螺旋階段には、魔術的な仕掛けが施されているんだ)
歪んだ空間。その一例がネロだ。
ネロは竜の姿の時に、猪を丸ごと一頭平げた後で、猫の姿になれる。その際、腹の中の猪はどこに行ってしまうのか?
ネロに訊ねると、「知らね」という返事が返ってくるのだが、つまりは空間に干渉する魔術に似た力が、竜にはあるのだとモニカは考えている。
空間に干渉する魔術は、現代では再現不能と言われている技術だ。
つまりは、この禁書室そのものが古代魔導具に匹敵する、旧時代の技術の結晶でもあるのだろう。
モニカはこの歪んだ空間に、建築物における数学的美しさを感じることはできない。端的に言って気持ち悪い。
だが、この空間を構成する魔術式を理解できたら、そこに美しさを見出すことができるだろうか?
ボンヤリとそんなことを考えていると、階段の奥から微かに歌声が聞こえてきた。
シリルじゃない。若い娘の歌声だ。
「これ、は……?」
モニカが困惑の声をあげると、シリルが最深層禁書室の扉に触れながら言った。
「ローレライだ。前回の感想を提出するのが遅れたから、怒っているのかもしれない」
「……? 前回? 感想?」
ますます困惑するモニカの前で、シリルは〈識守の鍵ソフォクレス〉を使い、指先で魔術式を描く。
指先から放たれた光が扉に吸い込まれたのを確認し、シリルは片開きの鉄扉を押し開けた。
最深層禁書室は決して広くはない、円形の小部屋だ。
中央に書見台が設置されており、それを囲うように六つのガラスケースが設置されている。
歌声はそのガラスケースの一つから聞こえた。
──遅い。
拗ねるような若い娘の声だ。おそらく、禁書に封印された魔物の声なのだろう。
しかし、「遅い」とはどういう意味か。モニカはシリルの背後から、ひょっこりと頭だけを覗かせて、ガラスケースを観察する。
シリルはどこか困ったような声で、魔物に返した。
「そうは言われても、最深層禁書室まで下りる機会は、そうそうないんだ」
──遅い。
「だが……」
──お、そ、い。
「……今日は、封印結界の点検と清掃作業に来た。感想の読み上げはその後にしてくれ」
やっぱり訳が分からない。だが、話に割り込むのも気が引けて、モニカがソワソワしていると、ラウルがモニカに耳打ちした。
「前に調べ物で、禁書室に連日潜った時、ローレライの歌に感想を伝えるのがお約束みたいになってさ」
「魔物の歌に、感想を? シリル様が?」
目を丸くするモニカに、ラウルは得意気に胸を張って言う。
「オレも一回、シリルの真似して感想言ってみたら、口を利いてもらえなくなったぜ!」
「は、はぁ……」
モニカとラウルがコソコソと話をしている間に、ローレライは納得したらしい。
ガラスケースの本から、フゥッと物憂げな息が聞こえる。
──ここを綺麗にするのね。ならば、そこの下女に掃除をさせて、その間にお前は感想を読み上げるのよ。
下女の一言に、全員が閉口した。その言葉が誰を指しているかは言わずもがな。
モニカは、あうあうと唇を震わせた。
きっと、このままモニカが俯き黙っていたら、シリルかラウルがモニカのことを説明してくれるだろう。
だが、それでは駄目なのだ。
「ローレライ、彼女は……」
そう言いかけたシリルの背後から、モニカは勢いよく飛び出す。
そして、しっかりと杖を握りしめて胸を張り、めいっぱい強そうな顔を作って名乗った。
「わっ、わたしは、七賢人が一人、〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレットですっ。封印の確認に、来ましたっ」
──……七賢人? お前が?
モニカは、以前ルイスと禁書室に訪れた時のことを思い出した。
〈結界の魔術師〉ルイス・ミラー曰く。
『禁書室の魔物は、つまるところ人間に敗北した魔物です。だから、向こうが何を言ってこようが、所詮は負け犬の遠吠え……あんまりうるさいようなら、一発かましてやりなさい。こちらの力を見せつけてやれば大体黙ります』
モニカはガラスケースの土台部分に刻まれた魔術式に目を向ける。
封印結界に限らず、魔術式の読み取りは得意だ。モニカは五秒とかからず、読み取った結果を口にした。
「ガラスケースの封印に、僅かですが劣化が見られます。シリル様、室内全体の封印状態も確認するので、もう少し時間をください」
「分かった。ならば、その間に私は掃除をしている」
「オレは結界の修復作業について、勉強させてもらうな!」
シリルが手にしたバケツを床に置いて掃除を始め、ラウルはモニカの横に並んだ。
元々、今回の封印の確認作業は、この手のことに詳しいモニカかルイスのどちらかが受ける予定だった。
そこに、ラウルが自分も後学のために同行させてほしいと申し出たのだ。今まで、この手の仕事に興味を示さなかったラウルだが、最近は意識が変わったらしい。
封印状態の見極め方をラウルに解説しながら、モニカは劣化部分の修復作業を行う。
ガラスケースごとの確認を終え、部屋全体の封印結界の確認をしていると、背後で、シリルがローレライや〈識守の鍵ソフォクレス〉と言葉を交わしているのが聞こえた。
──感想はまだなの? 早くしなさい。
『まったく、難儀なことである。感想文など、掃除をしながらパパッと読めば良いではないか』
「掃除の片手間では、ローレライに失礼だろう」
ローレライのガラスケースから、フフッと笑う声が聞こえた。
──……そう、そうね。その通りだわ。
扉に施された魔術式をなぞっていたモニカの指が、ピクリと震える。
(……あ)
満足そうなローレライの声を聞いていたら、結界の強度に関する計算をどこまでしたか、分からなくなった。
横で作業を見ていたラウルが、瞬きをしてモニカを見る。
「モニカ? なんか、ボーッとしてた?」
「いえっ! 全然っ! すぐにっ、すぐに終わらせますからっ!」
本来なら封印の見極めにも、その修復にも、それなりに時間がかかるところだ。
だが、モニカは意識を集中して結界を読み取り、劣化具合を確認し、必要な箇所に修復を施していく。
それは本来なら、数時間から丸一日は必要となる作業だ。
だが、魔術式の読み取りが異常に速く、おまけに詠唱を必要としないモニカは、ものの十分ほどで、最深層禁書室の封印の確認、修復作業を終えてしまった。
十分。それは、結界術の扱いの難しさを知る人間にとって脅威の速さだが、モニカにとっては非常に長い、長い十分であった。
「封印の修復、終わり、ました」
モニカがそう宣言すると、ローレライやソフォクレスと会話をしながら床を磨いていたシリルが、モップを動かす手を止めて顔を上げた。
早かったな、と呟くシリルの手元で漆黒の指輪が、ピカァ……ピカァ……とゆっくり点滅する。その点滅に、モニカはジトリと湿った視線を感じた。
『小娘よ、お主、適当に作業をしたふりをしては、おるまいな?』
響く声は猜疑心に満ちている。
シリルが、封印結界の魔術式が刻まれた箇所に指先で触れた。
「ソフォクレス、どうだ?」
『ふん、十分かそこらで、封印の修復をするなど、できるはずが……』
点滅が止まり、指輪が沈黙する。
シリルが「ソフォクレス」と声をかけると、指輪は我に返ったようにピカピカ点滅した。
『お、終わってる……』
モニカとラウルは、それぞれ掃除用具を手に取り、シリルの掃除の続きを手伝った。




