【2】王子様の下心
その日、アイザック・ウォーカーは第二王子フェリクス・アーク・リディルとして登城していた。
今日、第二王子として各方面に顔を出したら、明日からは、アイザック・ウォーカーの時間だ。
今回はローズバーグ家でのお泊まり会や、魔術師組合の会合にモニカの弟子としてお供といった予定が控えているので、第二王子としての仕事は今日の内でキッチリ片付けておきたい。
宮中貴族達との茶会に参加したアイザックは、国内情勢について情報収集をしたり、自領が行っている船舶貸与契約について、協力者を募ったりと、やることが多かった。
ただ、この手の集まりで、必ずしも自分が欲しい情報だけが集まるとは限らない。
美貌の第二王子に、娘を嫁がせたがっている人間は、うんざりするほどいるのだ。
是非、茶会に来てほしい、夜会に来てほしい、娘と会ってほしい──そういった誘いを無難な言葉でかわし、キリの良いところで会場を抜け出したアイザックは、廊下を少し歩いたところで、中庭を挟んだ反対側の棟の廊下にモニカの姿を見つけた。
互いにいるのは四階の廊下だ。幸い、周囲に人の姿はない。
「ウィル」
上着のポケットをポンと叩くと、白いトカゲのウィルディアヌが顔を出す。
有能な契約精霊は、アイザックの僅かに弾む声で全てを察したらしい。
「……わたくしは最近学びました。マスターは時々、極めて真剣に、子どものような真似をされるのだと」
「何事も真剣な方が楽しいだろう?」
「そうなのですか?」
「じゃあ、一緒に試してみればいい」
ウィルディアヌの尻尾の先端が、ウニョニョニョと波打つ。
なんだか言いくるめられている気がする。だけど、結局断れない……という葛藤の表れだ。
「……どうぞ」
そう言って、ウィルディアヌはアイザックが人の目に映らなくなるよう幻影を展開し、同時に、アイザックのいる窓とモニカがいる棟の窓が繋がるよう、水で足場を作った。
アイザックは窓枠から外に飛び出し、水の足場を飛び移って、反対側の棟に渡る。
トン、トン、と身軽に飛び移る度に、豪奢な装飾を施した白い上着が、鳥の羽のように広がった。
足場を十五個ほど渡ったところで、反対側の窓につく。
アイザックはモニカの背後の窓から中に入り込み、何食わぬ顔で声をかけた。
「ご機嫌よう、レディ・エヴァレット」
「へあっ!? あっ、アイっ、でで、殿下っ!?」
アイザックはニコリと微笑み、ウィルディアヌを手の甲に乗せて、掲げてみせた。
それだけで、自分達の周囲に幻影があるとモニカは察してくれたらしい。驚きに強張っていた顔を、ホッと緩める。
そんな彼女に、アイザックは手を差し出した。
「お手をどうぞ、レディ」
「あ、はい、失礼します」
モニカは、以前はエスコートをされるとギクシャクしていたのだが、最近は少し慣れたような気がする。
特にアイザックが相手だと、気を許してくれているのが分かる。それが、アイザックには嬉しい。
今日のモニカは七賢人のローブではなく、水色のドレスを着ていた。露出の少ない、上品で可愛らしいドレスだ。きっと、ラナに見立ててもらったものだろう。髪にもドレスと同じ色のリボンを飾っている。
「アイクは、お仕事中ですか?」
「今、一段落したところだ。君は、ツェツィーリア姫とお茶会だっけ?」
「それは午前中に……えっと、明日はルイスさんがお休みだから、今日のうちに色々書類貰わないといけなくて……それが終わって、今は客室に戻るところです」
アイザックは素早く思案した。
モニカが現在地から客室に移動する間に、幾つかの集団と遭遇することが考えられる。
その中に、あまりモニカに会ってほしくない連中がいるのだ。
〈沈黙の魔女〉は三大邪竜を退治した、リディル王国の英雄だ。
そんな彼女を親族に迎えたいと考える人間が、サザンドールの黒竜事件を受けて、更に増えた。
モニカは平民出身なので、血筋にこだわる家の人間は心配しなくていい。
厄介なのは、血筋をあまり重要視しない新興貴族や、魔術・魔導具産業で成り上がった家、魔術の才能を重んじる家である。
そういう家の連中は、モニカの評判と才能が、喉から手が出るほど欲しいのだ。
その手の連中と、すれ違う可能性が少しでもあるのなら、モニカをこのまま一人で歩かせるわけにはいかない。
「途中まで一緒に行こう」
「はい」
モニカはアイザックの思惑を知らずに、ニコニコと頷く。
アイザックはウィルディアヌを肩に乗せて、モニカの横を歩いた。
念のためにウィルディアヌが幻影を展開してくれているし、今は人の姿もないので、のんびり会話もできる。
「明日のお泊まり会、楽しみですね」
「うん」
明日と明後日の二日間、ローズバーグ家でのお泊まり会が企画されており、モニカとアイザック、それとシリルが招待されていた。
名目はお泊まり会だが、帝国に留学するラウルとの仕事の引き継ぎや、激励会も兼ねているらしい。
「そういえば、ネロは? 今回は、君と一緒に来ているんだろう?」
「はい、王都で食べ歩きするって、どこかに行っちゃいました」
「自由だなぁ」
のんびりと言葉を交わしながら、アイザックは考える。
モニカを親族にしたがっている、魔術の才能に重きを置く一族──その筆頭が、他でもないラウルの実家、ローズバーグ家である。
当主が七賢人である名家というと、〈茨の魔女〉のローズバーグ家と、〈深淵の呪術師〉のオルブライト家が挙げられるが、オルブライト家の方が革新的で、行動が早い傾向にある。
これは、先代当主アデライン・オルブライトの気質によるものだろう。
オルブライト家で呪術を独占して、莫大な利益を得る仕組みを確立したり、自分の後継ぎにまだ若い孫を指名したり、その孫の婚約者に隣国の辺境伯の家の人間を選んだり──古い家ではあまりできないようなことを、アデライン・オルブライトは躊躇なく実行する。
一方、ローズバーグ家は慣習を重んじるが故に行動が遅く、オルブライト家に追随する傾向がある。
三代目〈茨の魔女〉が逝去した後、老齢の姉妹や娘ではなく、曽孫のメリッサ・ローズバーグを当主に据えたのも、若いレイを当主にしたオルブライト家に影響されてのことらしい。
(そして、最近三代目〈深淵の呪術師〉レイ・オルブライトが婚約した……ローズバーグ家も自分達の当主に花嫁を、と焦りだす頃だろう)
ラウルにそのつもりがないことは分かっている。だが、彼は年がモニカと近く、しかも同じ七賢人で、共同研究もしている親しい間柄だ。
ローズバーグ家の魔女達は、モニカをローズバーグ家に引き込みたがっている、という噂をアイザックは何度か耳にしていた。
そんな状況下での、お泊まり会である。独身のモニカが異性の家に泊まった、と噂を広められては、たまったものじゃない。
故に、今回のお泊まり会において、〈沈黙の魔女〉は交流のある四代目〈茨の魔女〉メリッサ・ローズバーグを訪ねて、お泊まりをした……という体になるよう、アイザックはメリッサに頼み込んでいた。
『別にいいけどさぁ。モニモニは本邸の客室、あんたは離れの床で雑魚寝しなさいよ』
とは、メリッサの言である。外で寝ろ、と言わないだけの温情はあるらしい。
その時の苦労を思い出しつつ、アイザックは横目でモニカを見る。
モニカはよほど明日が楽しみなのだろう。唇の端が小さく持ち上がっている。
窓から風が吹いて、モニカの髪を彩るリボンがヒラヒラと揺れた。
それを幸せな気持ちで眺めて、アイザックは完璧な王子様の顔で美しく微笑む。
「今日のドレス、素敵だね。初夏の空によくはえる。リボンもドレスとお揃い? とても似合ってる。可愛いね」
モニカがパチンと瞬きをして、アイザックを見上げる。
昼下がりの廊下で、丸い目が緑がかって煌いた。
「アイクは……」
モニカは、一生懸命言葉を探すみたいに考えこみ、そして拙い口調で続ける。
「アイクは、いつも、いっぱい考えて、言葉をくれるんですね」
予想外の言葉に、アイザックは不意打ちの喜びを覚えた。
幼さの残る愛しい顔が、ふにゃりと微笑む。
「わたしの弟子は、優しいです」
(……そうでもないよ)
アイザックは小さく苦笑した。
(だって、可愛いって言いながら、僕を好きになって、って思ってる)
かつての彼にとって、甘い言葉や褒め言葉は、相手を意のままに動かすためのものだった。
そうやって、心無い言葉を囁き続けてきた男が、なんの捻りもない「可愛いね」の一言に、馬鹿みたいに祈りを込めている。
ウィルディアヌの幻影で姿を隠しているのに、エスコートをしているのだって、下心の表れだ。
(君のそばにいたいんだよ)
今は、この愛しいお師匠様が、自分と真剣に向き合ってくれている事実を喜ぼう。
『アイクは、いつも、いっぱい考えて、言葉をくれるんですね』
それは、モニカがアイザックと向き合い、一生懸命アイザックのことを考えて、紡いでくれた言葉なのだから。
オルブライト家に比べて、ローズバーグ家は封建的で、ちょっと窮屈な家です。メリッサとラウルが離れに入り浸っているのも、そのためです。
オルブライト家は割と自由なので、婚約者はのびのび料理したり、馬に乗ったりしています。




