【1】酸っぱい顔の魔女
その日、リディル王国七賢人が一人、〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレットは、王都にあるアウザーホーン宮殿のティールームに招待されていた。
宮殿の庭園がよく見える、日当たりの良いティールームでモニカを待っていたのは、銀の髪を美しく編んでまとめた、菫色のドレスの姫──第一王子ライオネルの婚約者である、ツェツィーリア姫だ。
「お久しぶりです、〈沈黙の魔女〉様」
「お久しぶりです、ツェツィーリア様。本日はお招きいただき、ありがとうございます」
モニカは身につけた水色のドレスを、ちょこんと摘んで、お辞儀をした。
前はこういった硬い挨拶が苦手だったけれども、最近は少し慣れてきた気がする。相手がツェツィーリアだから、というのも大きい。
ティールームには、使用人を除くとモニカとツェツィーリアの二人だけ。
今日は二人だけの、気楽なお茶会なのだ。
「お忙しい中、お越しくださり、ありがとうございます。どうぞ、今日はゆっくりとしていってくださいましね」
そう言って、ツェツィーリアは香りの良いお茶を勧めてくれた。
モニカは勧められた紅茶を一口飲み、ほぅっと息を吐く。
新七賢人就任式典が終わって一ヶ月。一度、サザンドールの自宅に戻ったモニカだったが、仕事の都合で昨日から王都に滞在していた。
王都での仕事もあるが、三日後には魔術師組合本部で会合もある。
普段、この手の会合には積極的に顔を出さないモニカだが、〈暴食のゾーイ〉の件で開発した影を剥がす術式等についての解説など、モニカにしかできないことも多いので、どうしても出席する必要があったのだ。
何かと慌ただしい日々だが、こうして合間に親しい人に会ったりという楽しみもある。
明日はアスカルド大図書館での仕事で、シリルに会えるし、その後はローズバーグ家でお泊まり会をする約束もしているのだ。
また、三日後の会合には、アイザックも弟子として同行することが決まっており、弟子のお披露目に、モニカは密かに張り切っている。
モニカは紅茶と茶菓子を楽しみながら、そういった日常を話せる範囲で、ツェツィーリアに話した。
モニカはあまり喋るのが上手ではないが、ツェツィーリアはニコニコしながら、楽しそうに話を聞いてくれる。
「まぁ、今回はお弟子さんがいらっしゃっているのですか?」
「はい! えっと、今は一緒じゃないんです、けど……明日、合流する約束になってて」
「会合で、お披露目なんですね」
「はい、お披露目です!」
モニカは少しだけ誇らしげに頷き、茶菓子のタルトレットを齧った。
一口サイズの小さなタルトレットには、黄色くポッテリとしたクリームがたっぷり詰まっている。サクリと一口齧ると、口いっぱいにレモンの香りが広がった。甘酸っぱくて爽やかな、初夏らしい菓子だ。
「このお菓子、わたしの弟子が作ってくれたのに、似てます」
もっとも、彼が焼いたのは、大きなタルト皿を使った物だったけれど。
エリン領ではレモンの栽培も行われているらしく、土産のレモンを使って作ってくれたのだ。
アイザックが作ったレモンのタルトは、キュッと酸味を効かせていて、渋みの少ない紅茶と相性が抜群に良かった。
レモンの酸味を紅茶がやわらげ、それでいてレモンと紅茶の爽やかな香りの余韻が残る。アイザックが作る菓子は、いつも紅茶との相性も計算されているのだ。
故に、紅茶と一緒に食べたモニカには美味しい酸っぱさだったけれど、紅茶を無視してタルトを大口で頬張ったネロは、「すっぺぇぇぇ」と口をすぼめて床を転げ回っていた。
その時のネロの表情があまりに面白くて、アイザックと顔を見合わせて笑ってしまったのを覚えている。
「お弟子さんは、お料理がお上手なんですね」
「はい。いろんなお料理を知ってて、すごいんです!」
モニカは嬉しくなって、二個目のタルトレットにも手を伸ばした。
モニカの弟子自慢は、ラナやシリルのように事情を知っている相手には、ちょっぴり複雑そうな顔をされてしまうので、なかなか話題にしづらいのだ。
ふとモニカは、くだんの弟子から聞いた話を思い出した。
「そういえば、ツェツィーリア様、結婚式の日程が決まったって、小耳に挟んだんですけど……」
「えぇ、今日はその報告をしようと思っていましたの。少し急ですけれど、次の秋の終わり頃に式を挙げる予定です」
今、リディル王国は大規模竜害や〈暴食のゾーイ〉に関わる騒動の後始末で、大忙しだ。
特に、城の一部は崩壊しているので、結婚式も延期するべきという意見もあったらしい。
それでも、ツェツィーリアがリディル王国に滞在して、既に四ヶ月が経つ。
彼女が祖父絡みの事情で国に帰れぬことを考えると、早めに式を挙げ、同盟を強化したいというのが、両国の本音だった。
「ドレスも、もう作り始めていて……白いドレスなんですよ」
モニカは少しだけ目を丸くした。
貴族の結婚式の場合、色の濃いドレスに宝石を縫いつけた、華やかな物が一般的だ。白は少し珍しい。
それでも、清楚で可憐なツェツィーリアには、これ以上ないほど似合う色だ。
ツェツィーリアは古代魔導具〈ベルンの鏡〉の契約者でありながら、鏡に拒絶された聖女だ。
それでも、帝国とリディル王国の両国の平和のために、聖女として振る舞うと決めている。
きっと、聖女の白は彼女にとって決意の色でもあるのだ。
(ラナが言ってたっけ……ツェツィーリア様が結婚式で着るドレスの色は、リディル王国の花嫁衣装の流行最先端になるって)
絶対に流行るわ! とラナが目を輝かせて力説していたことを思い出し、モニカが小さく笑っていると、ツェツィーリアがどこかソワソワとした様子で言った。
「それでですね、ドレスのデザイン案をライオネル様にも見ていただいたのですけれど……」
そこで言葉が途切れる。
モニカはタルトレットをモグモグと咀嚼しながら、続きを待った。
やがて、モニカがタルトレットを飲み込んだところで、ツェツィーリアがポソポソと小声で続ける。
「あ、あのっ、ライオネル様は、いつも、わたくしのドレスを褒めてくださるんですよ? 月明かりの下で可憐に咲く一輪の花のようだとか……春の妖精のようだとか……それなのに……」
段々と言葉が萎んでいく。
もしかして、深刻な話なのだろうか、とモニカは居住まいを正した。
ツェツィーリアは両手で頬を押さえて、俯きながら言う。
「それなのに……わたくしが一番素敵だと思ったドレス案を、お見せしたら……」
「お、お見せしたら?」
「ライオネル様は、ポツリと一言……『可愛い』と」
それはいつも言葉を尽くしてツェツィーリアを褒めてくれるライオネルにしては珍しい、素朴で、それでいて素直な称賛だ。
ライオネルは、キョトンとしているツェツィーリアに気づくと、顔を真っ赤にして早口でこう言ったのだという。
『す、すまぬ! 見た瞬間に思ったことが、そのまま口をついて出てしまったのだ。これを着た貴女は、とても可愛らしいだろう、と……』
よくよく見ると、ツェツィーリアの手の下で、白い頬はポッと赤く染まっていた。
「わたくし、それが、とても嬉しくて……」
恥じらいながら、それでも喜びを隠せずにいるツェツィーリアは、とても愛らしかった。
聖女として、帝国の姫君として、気品を求められる場では、きっと今のツェツィーリアは、はしたないと言われてしまうのだろう。
それでも、この場にいるのはモニカだけなのだ。
だから、モニカは大真面目にフスッと鼻を鳴らした。
「それは、すごく、すごいです」
「はい、すごくドキドキしました……今の話は、他の方には内緒にしてくださいましね?」
「はい!」
ブンブンと頷きながら、モニカは考える。
たとえばラナがモニカに化粧をしたり、服を選んだりして、「ほら、可愛いでしょ!」と言ってくれたら、その「可愛い」はモニカに自信をくれる。
新しい服を着て出かける時、アイザックが「可愛いね」と言ってくれると、以前は詩的な表現をしていた彼が、モニカにも分かる言い回しを選んでくれているのだと、その優しさに嬉しくなる。
可愛いは、嬉しくて素敵な言葉だ。
なら、それをもし、好きな人に言われたら?
「………………」
言われたことがないので、ちょっと上手く想像できなかった。
モニカはムムムと唸って、頭の中に好きな人の顔を思い浮かべる。
もし、好きな人が、優しく微笑みながら、モニカに「可愛い」と言ってくれたら?
(言って、もらったら……)
いつもキリッとしている眉毛が少し下がって、青い目が優しく細められて、一言、その言葉を口にしたら………………そこで、モニカの思考は停止した。
モニカはキュッと口を窄めて、己の頬を両手で押さえる。
(た、大変だぁ……)
モニカは恐ろしいことに気づいてしまった。
好きな人が口にする「可愛い」という言葉は、モニカの頼りない想像だけで、二重強化魔術相当の威力である。
大至急、防御結界を二重で展開しないと、心臓が破裂してしまう。
モニカが赤くなった頬を押さえてフゥフゥと息を吐いていると、ツェツィーリアが心配そうにモニカを見た。
「〈沈黙の魔女〉様、どうされたのですか? レモンが酸っぱかったですか?」
「……」
好きな人のことを考える自分の顔は、酸っぱさにのたうちまわるネロと同じなのだ。
その事実を、モニカは静かに噛み締めた。




