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サイレント・ウィッチ(外伝)  作者: 依空 まつり
外伝after:貴女に捧ぐ花
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【終】貴女に捧ぐ花


 ブリジットがヴァルムベルク城に滞在し──そして、あの騒動の夜から十日が過ぎた日の午前。

 ブリジットはリヒャルト・ケーニッツの部屋を訪れていた。

 リヒャルトは、ヴァルムベルク城西の尖塔の五階の部屋に軟禁されている。

 当然だが部屋には見張りがおり、今も室内に入ったブリジットを守るように、ヴァルムベルクの兵二名が控えている。

 リヒャルトの部屋には、寝台が一つあるだけの寂しい部屋だった。窓には太い鉄格子がはめられているから元々罪人を閉じ込めるために作られた部屋なのだろう。

 寝台に腰掛けていたリヒャルトは、ブリジットが入室すると、ペコリと頭を下げる。

 リヒャルト・ケーニッツはまだ三十代半ばほどの男だったはずだが、今はすっかりくたびれ、十歳は老けて見えた。

 ブリジットは丁重な礼をし、口を開く。


「明日、ここを発つので、最後の挨拶に参りました」


 そうですか、と細い声で呟き、リヒャルトは弱々しく笑った。


「グレイアム書記官には……お世話になりました。本当に、ありがとうございます」


「恐縮です、リヒャルト殿下」


 ブリジットの言葉に、リヒャルトの顔がクシャリと歪んだ。

 泣きたいような、苦笑したいような……それら全てを押し隠そうとして失敗したような、そういう顔だ。


「……貴女は、まだ、私のことをそう呼んでくださるのですね」


「わたくしは、外交官ですから」


 リヒャルト殿下。その呼び方は、彼にとって重荷なのだろう。

 その呼び方は、彼の父である先帝の罪を、母の憎悪を証明することに他ならないからだ。

 それでも、ブリジットは徹底して、リヒャルトを王族として扱っている。リヒャルトを王子として扱うことで、相応の待遇を保証すると示したいからだ。

 現にシュトラウス将軍とその配下の者は、皆、地下牢に幽閉されている。


「グレイアム秘書官。私はここ数日の取り調べで、話すべきことは全て話しました」


「はい」


「ですので、今から私が口にすることは……ただの懺悔と思ってください」


 リヒャルトは寝台に座ったまま、腹の前で指を組む。

 そして、押し殺した声で言った。


「私が物心ついた時から……母も、叔父も、シュトラウス将軍も、私の周りにいた人々は、皆、私に愛情を注いでくれました。その愛情を疑うことはありません」


 リヒャルトの喉が震える。嗚咽を飲み込むように。


「……それでも、私は恐ろしかったのです。私を愛してくれる人々が」


 愛情と共に注がれた期待は、想像に難くない。


 ──旧ソルヤーグ王朝の希望。

 ──お前はいずれ王になる。

 ──そして、憎きクレヴィングに復讐を。


 注がれる愛情は、彼にとって呪いだ。


「私はいつも恐ろしかった。誰かが誰かを断罪する言葉が。たとえそれが正しいことでも……その正しさが、私を斬り捨てる日が怖かった」


 ソルヤーグ王家の人間は、クレヴィングの一族に根絶やしにされたと言われている。

 それについて真偽のほどは定かではないが、リヒャルトは恐ろしかっただろう。

 ただ、ソルヤーグ王家の血を引いているというだけで、お前は悪だと断罪されることが。


「ただ、後ろ指を指されないように生きるだけ……それだけのことが、どうしてこうも難しいのでしょうね……」


 呟くリヒャルトの声には、同量の自己愛と自己嫌悪が垣間見える。

 リヒャルト・ケーニッツはシュトラウス将軍の企みを知っていた。

 それでも、彼は何も言わなかった。動かなかった。戦わなかった。ただ怯えて震えていた。

 きっとこれから彼は、大勢の人間に責められるだろう。

 知りながら黙認したのなら罪だ、許されることではない。この臆病者、卑怯者と。

 ……それでもブリジットは思うのだ。

 同じ状況に立たされた時、立ち向かい、抗える者がどれだけいるのだろう。意思が弱いことは本当に罪なのだろうか、と。

 弱い人の、声なき叫びに気づける外交官でありたい。

 気づくことで増える葛藤も、きっとあるだろうけれど。


(それでもあたくしは、そうありたいのです…………殿下)


 既に黒獅子皇には一報を入れ、今回の件は伝えてある。

 ヘンリックが言っていたダグエルの内乱は、既に鎮圧済みらしく、リヒャルト・ケーニッツ及び、シュトラウス将軍とその部下達は、遠い地に幽閉することで話がまとまっていた。

 ブリジットは胸元に手を添え、静かに告げる。


「どうぞこれからは、心穏やかにお過ごしくださいますよう」


 今のブリジットに言えるのは、ただそれだけだった。



 * * *



 リヒャルトの部屋を出たブリジットは、ヴァルムベルク城の廊下を一人歩く。

 あの夜、シュトラウス将軍の部下に襲われ、ヘンリックに助けられた廊下は、すっかり血の痕が綺麗になっていた。

 それでも、この場所を通る度に、あの夜の恐怖を思い出す。ヘンリックに斬り捨てられた兵士の血の色や、死に顔を。

 あの夜の死者は六名。全て、シュトラウス将軍の部下だ。

 ヘンリックが斬り捨てた者、広間へ突入するヴァルムベルク兵が斬り捨てた者、広間でヴァルムベルクの戦狼が斬り捨てた者。

 死者六名という数字は、ヘンリックに言わせると、「グレイアム殿のおかげで、少なく済みました」ということらしい。

 それでも、ブリジットはその六名という数字を重く受け止めている。これは、忘れてはいけない数字だ。

 ブリジットは地下牢に繋がる階段を降りる。

 少し開いた扉の前には見張りの老兵がいて、ブリジットを見ると困ったような顔をした。


「これは、リディル王国の……えぇと、少々お待ちください。今、坊ちゃ……城主が……」


 ブリジットが足を止めると、扉の奥から微かに声がした。ヘンリックの声だ。


「ラインマー、ヴィリー、コンラート、エグモント、フォルクハルト、そして……」


 一瞬言葉を途切らせ、ヘンリックは続ける。


「テオドール」


 それは、この件で死亡した、シュトラウス将軍の部下の名前だ。

 暗い地下牢の奥、微かに灯りが見える。

 ランタンを手にしたヘンリックの横顔は鋭く、険しく、そして確かに、死者を悼んでいた。

 鉄格子越しに、誰かが身じろぎをする。暗くてよく見えないが、あれはシュトラウス将軍か。


「……貴方は、そうでしたな。救った者のことは覚えていないのに、己が斬った敵を忘れない」


「普段は敵将ぐらいなんですけどね。今回は、貴方の首を奪っていないので、代わりに彼らの名前を、この胸に刻みます」


 それでは、と告げて地下牢を出たヘンリックは、ブリジットを見ると小さく会釈をした。


「これは、失礼。御用でしたか、グレイアム殿?」


「いいえ。もう済みました」


 死者への追悼は、ヘンリックの言葉で充分だ。

 そんなブリジットをヘンリックは不思議そうに見ていたが、ふと思い出したように上着のポケットをゴソゴソと漁り始めた。


「あぁ、そうだ。確か、明日ここを発たれるんですよね」


「えぇ」


 ブリジットが頷くと、ヘンリックはポケットから何かを取り出した。

 大きさはブリジットの手のひらより少し小さいぐらいの、薄くて赤いガラス片に見える。


「火竜の鱗です。残党狩りのついでに、ちょっと狩ってきました。どうぞ」


「…………」


 シュトラウス将軍が城の外に配置していた兵は、軒並み〈深淵の呪術師〉が呪ったが、それでも取りこぼしはある。

 故に騒動の後、ヘンリックは領民に命じて残党狩りをしていた。

 先ほど、シュトラウス将軍のもとを訪れたということは、それも一段落したのだろう。

 それはさておき、火竜の鱗である。ついでで狩るようなものではない。

 ブリジットが困惑していると、ヘンリックは申し訳なさそうに頭をかいた。


「グレイアム殿には、色々とご迷惑をおかけしましたから。何か、お詫びの品でもと思いまして」


「そういうことでしたら、受け取れません。わたくしは外交官。個人的な贈り物は、賄賂と受け取られかねません」


「あ、そっか。そうなっちゃうかー……」


 ヘンリックは困り顔で鱗を引っ込める。

 ブリジットは己の胸ポケットから、折りたたんだハンカチをヘンリックにも見えるように引っ張りだした。


「わたくしには、これで充分です」


 ヘルムフリート・コルヴィッツ作のエルフリーデは、製作者の強固な主張により、ブリジットに贈られることになった。

 エルフリーデは強力な防御結界を編み込んだ魔導具のレースだが、使用できるのは一度きり。既にこのハンカチに魔導具としての力はない。

 ならば、ブリジットに譲っても構わないだろうということで、満場一致でエルフリーデはブリジットに嫁ぐことが決まった。

 製作者が咽び泣いていたのは、言うまでもない。


「えーっと……確か、陛下に今回の件を報告するついでに、そのハンカチを貴女が貰う許可を取ったんですっけ? ハンカチ一つに律儀ですね?」


「コルヴィッツ・レースは、物によっては国宝たりえる代物ですから」


「えぇっ!? レースが!?」


 慄くヘンリックはおそらく、コルヴィッツ・レースの価値を知らないのだろう。

 ブリジットはハンカチを戻し、ヘンリックの上着を見る。縁に刺繍を施した上着は、もう随分と使い古した跡があった。


「そういうことですので、わたくしへの気遣いは結構です。寧ろこちらこそ、貴方の上着を弁償するべきところですわ」


「いえいえ、受け取る理由がありませんので。じゃあ、お互い様ってことで……うーん、でも、やっぱりこっちが迷惑かけてるから、気がひけるなぁ……大したおもてなしできてないし……」


 ヘンリックは腕組みをして、考え込んでいたが、ふと何かを思いついたようにパッと顔を上げた。


「そうだ。それなら、ちょっとここで待っていてください」


 そう言ってヘンリックは返事を待たずに、外に向かって走っていく。

 一体、何を考えているのだろう。火竜の鱗の次は、竜の角か牙でも持ってくるつもりだろうか。

 絶対にあり得ないと分かっているが、あの辺境伯なら、竜の亡骸を元気に引きずってくるぐらいするのでは、という考えがちらつく。

 ブリジットが不安に思っていると、ヘンリックは五分もせずに戻ってきた。竜を引きずってはいないし、返り血に塗れてもいない。


「お待たせしました。これをどうぞ」


 そう言って、ヘンリックは背中に隠していた右手を前に差し出す。

 その手には、小さな花が一輪握られていた。星に似た形の薄紫色の花だ。


「流石に、花の一輪ぐらいなら、賄賂扱いされることもないでしょう。これを我が戦友に、敬意と感謝を込めて」


「この花は……」


 呟くブリジットに、ヘンリックはニヤッと、少しだけ得意気に笑う。


「不毛の土地でも強く咲く、芋の花です」


 ブリジットは思わず口元を手で押さえた。

 その手の隙間から、堪えきれない笑みが零れ落ちる。

 それは、どこか少女らしい瑞々しさを残した笑い声だ。


「ふ、ふ、ふふ……っ、そうですか。では、いただきましょう」


 ブリジットは肩を震わせて笑いながら、そっと花を受け取り、制服のボタンホールに挿す。

 そうして、少しだけ胸を張ってみせた。


「いかがですか?」


「よくお似合いです」


 二人はまた、顔を見合わせて笑った。



 * * *



 ブリジットが部屋に戻ると、お茶をしていたアルバートとパトリックが、何故か驚いたような顔でブリジットを──その制服に飾った花を見た。


「ただいま戻りました」


 一礼をするブリジットに、アルバートは目を白黒させる。その口はモゴモゴと忙しなく動いていた。どうやら、焼き菓子を頬張ったばかりだったらしい。


「アルバート様〜。とりあえず、お口の中のもの、ゴックンしましょう」


「もうした!」


 パトリックに言い返してアルバートは紅茶をゴクゴクと飲み干し、フゥフゥと息を吐いて呼吸を整えた。

 そして、全くさりげなさを装えていない口調で訊ねる。


「ブリジット、そ、その花、は?」


 ブリジットは胸元の花に視線を落とした。

 かつて、ハンカチで作られた青い薔薇を思い出す。

 幼い手で差し出された優しさは、込み上げてきた愛しさは、ブリジットの宝物だ。


(思い出を、上書きしたわけじゃないわ)


 大切な思い出が、増えたのだ。

 きっとこれからも、こうしてブリジットを形作る思い出は増えていく。


 不毛の土地でも強く咲く花。

 民の命を繋ぐ花。

 ブリジットが守った土地の花。


「これは、あたくしの勲章ですわ、殿下」


 窓の外に見えるヴァルムベルクの大地には、来た時よりも多くの芋の花が咲いていて、鮮やかに初夏を彩っている。

 その景色を目に焼き付け、ブリジットは薄紫の花を誇らしげに撫でた。


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