【13】やめて! 私のために争わないで!
「騎士の家に生まれた私が、決闘に応じましょう」
フリーダの勇ましい宣言に、レイは目を剥いた。
「な、な、なんでっ!? えっ? なんでっ? ま、まずは話し合いで説得を……」
オロオロと提案するレイに、フリーダは首を横に振ってきっぱりと言う。
「いいえ。一度決闘の宣言をした以上、兄上は引きはしないでしょう」
そう言ってフリーダが前に進み出る。
流石にこれは、兄のヘンリックが止めるだろうと思いきや、ヘンリックは庭に出しっぱなしになっていた大振りのスコップを手に取った。
「いいだろう。とは言え、この場に剣は私の持つ一振りのみ……」
ヘンリックは腰に下げた剣をフリーダの足元に放り投げる。
そして自身はスコップを剣の代わりに握りしめた。
「手加減をしてやろう。私の剣を使うがいい」
「では、お言葉に甘えましょう」
フリーダは兄の剣を拾い上げると、鞘から抜いて両手で構えた。
その一連の動作は淀みなく、それだけで彼女が剣に慣れていることがよく分かる。
(ひぃっ……あぁ、一体、なにがどうなってるんだ……いやほんと、なんだこれ、どういう状況なんだ……っ!?)
婚約者と語っていたら、突然その兄がやってきて決闘を申し込んできた。
断ろうとしたら、何故か婚約者がその決闘を受けた。
そして今、レイの目の前では兄がスコップを構え、妹が剣を構えて、睨み合っている。
控えめに言って、訳が分からない。
「フリーダよ。兄に剣を向けるということが、どういう意味かは分かっているのだな?」
「えぇ。私は私の幸福のために、全力を尽くすまでです。兄上がそれを邪魔するというのなら……容赦する理由は割とありません」
フリーダの強い口調にヘンリックは鋭い眼光を緩め、頼りない兄の顔を見せる。
「そこは容赦しよう?」
「駄目です」
「そうか……ならば、仕方ない」
ヘンリックはため息をつきながら目を伏せた。
そして次にその瞼が持ち上がった時、その目はもう頼りない優男の目ではなかった。
もしこの場に、五十年以上前の戦争を知る人間がいたら、震え上がってこう口にしていただろう。
──あれは、ヴァルムベルクの戦狼と同じ目だ、と。
握りしめているのは剣ではなくスコップだが、それでも全身から迸る殺気は本物だ。
「全力でかかって来るがいい! フリーダ・ブランケ!」
「それでは兄上……参ります」
フリーダは微塵の躊躇もなく兄との距離を詰め寄り、兄の肩目がけて突きを放った。
だが、ヘンリックはフリーダの切っ先をスコップの柄で器用に受け流し、そのまま剣を跳ね上げる。握力の弱い者だったら、今の一撃で剣を手放していただろう。
フリーダはギリギリのところで剣を手放さず、その場に踏みとどまり次の斬撃を放つ。
「せいっ!」
「ぬるいっ!」
フリーダの斬撃を、ヘンリックは一喝し、容易く受け止めた。スコップの柄は金属製だ。切断は難しい。
フリーダが一旦距離を取ろうとすると、ヘンリックがすかさず距離を詰め、スコップを振り下ろしながら叫ぶ。
「女の子なら誰でもいいなんて言う男、僕は認めないぞ!」
スコップの一撃をかわしながら、フリーダもまた声を張り上げた。
「安心してください兄上! 私もお金持ちなら誰でもいいと思っていました!」
「そこは歯にきぬ着せよう!?」
戦狼の顔が再び情けない兄の顔に戻る。だが、スコップを振るう手に躊躇いはなかった。
直撃すれば骨折必至の一撃をかわし、フリーダは剣を振るう。
「事実を偽って何になると言うのです!」
「体面は大事にしてくれよぅ! 一応、騎士の家なんだからさぁ!」
「正直は美徳と、兄上は常々言っていたではありませんか!」
「時と場合によって使い分けて!?」
なんとも緊張感の無い言葉のやりとりとは裏腹に、剣とスコップは的確に相手の急所を狙い続けていた。
俺はどうしたらいいんだ、と途方に暮れるレイの目の前で、兄妹の熾烈な口喧嘩と決闘は続く。
「とにかく一回帰ってきておくれよぅ! お祖父様も心配してるんだよ『呪術師は怖いんじゃぞー』って!」
「ご安心ください、兄上。呪術師は案外人間臭くて愉快な方々です。すぐ武力で解決しようとするお祖父様や兄上の方がよっぽど物騒です」
「身内に対して辛辣すぎない!?」
「現に! たった今! 貴方は武力で物事を解決しようとしているではありませんか、兄上!」
うぐぅ、と口籠るヘンリックに、フリーダが横薙ぎに剣を振るう。
それをヘンリックは軽やかに跳んでかわし、スコップを構え直した。
「とにかくっ、婚約破棄するなら早い方が良い。失われた時間は戻ってこないんだ……帰ってきておくれよ、フリーダ」
悲しげに言いながら、しっかりスコップを振り回す兄に、フリーダは無表情でボソリと呟く。
「農具、馬小屋、外壁修理……」
ヘンリックが痛いところを突かれたかのように、押し黙る。
そんな兄に剣を振り下ろしながら、フリーダは声も高々に告げた。
「失われた時間が戻らぬように……使った支度金もまた、戻ってこないのですよ、兄上!」
「僕はそんなお金返そうって言ったのに! 言ったのに! 勝手に全部買い替えて!」
「経済を回せば領民が潤う! 領主として喜ぶべきでしょう!」
どんどん暴露されていくヴァルムベルクの懐事情に、レイは涙目で震えながら叫んだ。
「や、やめて……やめてくれっ…………俺のために争わないでぇっ!!」
* * *
「この状況で、あの台詞が言えるレイって、やっぱ図太いと思うぜ」
そう言ってラウルは、次から次へと生えてくるバラの花を、園芸鋏でパチパチと切り落とす。
グレンが、その花びらをせっせとむしりながら訊ねた。
「結局、あの人達はなんで喧嘩してるんすか?」
「……貴様は、よくあれを喧嘩と言えるな。グレン・ダドリー」
グレンより丁寧な手つきで花びらを摘んでいるシリルが呆れ顔で言えば、グレンは当然のような口調で言った。
「師匠なら『喧嘩の範疇』って言うっすね」
〈結界の魔術師〉の過激な教育が垣間見える台詞である。
シリルが渋面で黙り込み、モニカが花びらを袋に集めながら口を挟んだ。
「あ、あのぅ……あの二人……止めなくて、良いのでしょうか……」
ブランケ兄妹の戦いは、どんどん苛烈さを増していく。
交わされる口論は非常にしょうもないのだが、その合間に響く剣とスコップがぶつかりあう音は本物だ。
アイザックは花を摘む手を止めて、ブランケ兄妹に目を向けた。
「止めた方が良いのだろうけど、簡単には止められないだろうね」
女性ながらに優れた身のこなしのフリーダも大したものだが、やはりそれ以上に恐ろしいのは兄のヘンリック・ブランケだ。
本来武器ではないスコップを、まるで己の手足の延長のように扱っている。
(あの動き……剣術だけでなく槍術も嗜んでるな)
もし、その手にあるのが本来の得物である剣だったら、きっとこの戦いはとっくに決着がついていただろう。それほどまでに、実力の差は歴然。
今も、ほぼ拮抗しているように見えて、少しずつフリーダが押され始めている。
(……しかし、噂で聞いていた以上に強いな。ヴァルムベルク辺境伯)
アイザックはヘンリックの動きを観察しながら思案する。
もしリディル王国と帝国が戦争になったら、真っ先にリディル王国が攻め入ることになるのが、ヴァルムベルク領だ。
かつて勇猛果敢で名を馳せたヴァルムベルクの戦狼は老いさらばえ、その孫は頼りない優男だと聞いていたが……どうやらその情報は修正する必要があるらしい。
(まぁ、戦争なんてする気はないけれど……寧ろ、竜害対策の名目で同盟を結べないかな)
ヴァルムベルクの懐事情が苦しいことは、この兄妹の口論からも明らか。裕福な土地ではないのなら、少しの支援で充分に恩を売れるだろう。
(隠居中の第二王子が表立って同盟を先導するのはまずいから、ブリジットに頼んでアルバート主導で話を進めてもらうのが妥当かな)
アイザックが花をむしりながらそんなことを考えていると、キィンと硬質な音が響き渡った。
フリーダの剣をヘンリックのスコップが叩き落としたのだ。
いよいよ花をむしっている場合ではないのだが、アイザックはしばし様子を見守ることにした。
* * *
地に落ちた剣にフリーダが手を伸ばすより早く、ヘンリックはフリーダの眉間にスコップを突きつけた。
「さぁ、ヴァルムベルクに戻ろう、フリーダ」
「いいえ、兄上。私はヴァルムベルクには戻りません」
「そうか……」
ヘンリックは少しだけ寂しそうに呟いたが、厳しい顔でフリーダを見下ろす。
「ならば、仕方あるまい……気絶させてでも、連れて帰る」
「ま、待って、待ってくれ……っ!」
レイは裏返った声で叫ぶと、血相を変えてフリーダの前に飛び出した。
ヘンリックの目が、ますます鋭くなる。
「退いてもらおうか、オルブライト卿。最早、貴殿の出る幕ではない」
「い、いやだ、やめてくれ、痛いのは、駄目だ……っ」
ヘンリックはフリーダを殴って気絶させてでも、連れて帰ろうとしている。
だから、レイは必死で震える両腕を伸ばして、フリーダを庇った。
暴力が苦手なレイは、ヘンリックのことが恐ろしくて仕方がない……が、それでも理不尽の権化のような〈結界の魔術師〉と戦闘狂の〈砲弾の魔術師〉よりはマシなはずだ……多分。
レイが震えながらヘンリックを見上げると、ヘンリックはスコップを手の中でくるりと回してみせた。
「貴殿のような軟弱者に、妹を嫁がせる気はない。フリーダが欲しいのなら、実力で私をねじ伏せてみせよ」
「…………っ、〜〜〜〜〜っ」
脂汗を滲ませて硬直するレイの喉元に、スコップの先端が突きつけられる。
ポタリと額から垂れた汗が目に入り、レイの視界が歪む。
(……怖い、怖い、怖い、怖い、怖い)
「反論一つできぬのか! この臆病者め!」
ヘンリックの鋭い一喝に、レイの恐怖は限界に達した。
ふつり、と頭の奥で何かが切れるような音がする。
そして──
「あ、ああ、あ…………あ…………」
レイの全身に刻まれた呪印が蠢き、音もなく皮膚を這う。レイの青白い頬に、黒く細い蛇のような呪印が浮かび上がる。
レイは震えながら己の顔を手で覆った。だが、呪印の侵食は止まらない。
──呪術は、感情に強い影響を受ける。
強すぎる恐怖が、レイのタガを外したのだ。
「ああ、あ、あ、ああああああああ!!」
そして〈深淵〉より、呪いは湧き出した。




