【15】窓の外の怪奇現象
リヒャルト・ケーニッツは降伏し、シュトラウス将軍の大義は失われた。
あとは、シュトラウス将軍とその部下が降伏したら、城を包囲している兵を引き上げさせて、黒獅子皇レオンハルトに引渡せばいい。
──というのが、ブリジットの狙いなのだが、ヘンリックはシュトラウス将軍達を斬り捨てるべきだと考えているらしい。
ここはヴァルムベルクで、ヘンリックはその領主だ。城を乗っ取ろうとした罪人を裁く権限がある。
そういう意味では、ヘンリックの行いは間違ってはいない。
(……だけど、それをさせるわけには、いかないのよ)
ブリジットはシュトラウス将軍の動向を気にしつつ、ヘンリックと向き合う。
「シュトラウス将軍の背後では、旧ソルヤーグ領の領主達が糸を引いています」
えぇ、とヘンリックは穏やかに相槌を打った。
「シュトラウス将軍がヴァルムベルク城の奪取に成功したら、自分達も反旗を翻そうという、腰抜けどもですよね。それがなんだというのです?」
ヘンリックにしてみれば、自ら先陣を切らず、シュトラウス将軍の陰に隠れている連中が、腹立たしいのだろう。
旧ソルヤーグ領の領主達は、シュトラウス将軍がヴァルムベルク城奪取に成功したら、それに便乗して、帝国への反旗を翻す予定だった。
なら、シュトラウス将軍が失敗したら? ……その時のことも、旧ソルヤーグ領の領主達は考えているはずなのだ。
「シュトラウス将軍は、帝国南部の英雄ですわ。恩義を感じている方も多い」
「えぇ、そうですね」
「では、旧ソルヤーグ領の方々が、『ヴァルムベルク辺境伯は、戦場で手柄を取られたことを逆恨みし、帝国の英雄たるシュトラウス将軍を殺害した』と吹聴したら、どうなるでしょう」
「デタラメじゃないですか。信じるものなんて、いませんよ」
ヘンリックはどこか呆れたような顔をしていた。
彼は純朴で、常に正しくあろうとする真面目な人だ。
だからこそ、政治的駆け引きに向いていない。
「ブランケ様。戦を始めるきっかけに、信じる、信じないは重要ではないのです」
旧ソルヤーグ領の領主達は、独立のための口実を欲している。
シュトラウス将軍がヴァルムベルク城奪取に成功したら、それに続けばいい。
もし、失敗して、シュトラウス将軍がヘンリックに斬り捨てられたら……それを口実に、ヴァルムベルクに攻め入れば良い。
「貴方がこの場で、シュトラウス将軍を討つことは、戦を始める大義名分になりえるのです」
だから、ここは捕えるだけに留め、処遇は皇帝に委ねるべきだ。
そう訴えるブリジットに、ヘンリックはヘラリと頼りなさげに笑った。
それは仕方ないですね、と言わんばかりの顔で。
「その時は、攻めてくる連中を返り討ちにするまでです」
これが、ブリジットとヘンリックが致命的に噛み合わない部分。
「グレイアム殿、帝国では内戦なんて、もう日常茶飯事なんです。いつ大きな戦が始まってもおかしくない。我々は常に、その心構えで毎日を生きている」
ブリジットは外交官として、戦を回避することを考えるが、ヘンリックは戦が起こるのは当然のことだと受け入れているのだ。
だから、旧ソルヤーグ領の領主達が決起し、攻め込んでくるのなら、その時は応戦するだけのことと考える。
それは、外交官であるブリジットには、絶対にできない──してはいけない考えだ。
だから、ブリジットは言葉を尽くして説得しなくてはならない。
この話の通じない、手強い辺境伯を。
「わたくしから、貴方に申し上げることが二つあります」
「えっ、二つも!? あの……それって、難しい話です?」
外交の話なんて、小難しいに決まっているではないか。
ブリジットはゆっくりと息を吸って、吐いた。
「一つ目。今、ヴァルムベルク軍の大半が、帝国南東部に遠征しておられますわね?」
「え、えぇ」
「もし、この状況で、旧ソルヤーグ領の領主達が反旗を翻したら、遠征中のヴァルムベルク軍は、どうやってこの城に戻ってくるのです?」
……あ、とヘンリックが間の抜けた声を漏らした。
帝国は土地が広いが、山も多い。南東に遠征したヴァルムベルク軍が城に戻るために、ただ北西に向かえば良い訳ではないのだ。まず北上し、山を迂回してから、西に向かう。
その途中で、旧ソルヤーグ領の土地を通らねばならないのだ。
だが、旧ソルヤーグ領が敵に回ったら、遠征軍は城に戻るために、竜が多くて危険な南の山を通りぬけなくてはならない。
ヴァルムベルク城と遠征軍の分断。これは、ヘンリックにとって痛手の筈だ。
ところが、ヘンリックは「うーん、それは困るなぁ」と呑気に呟き、眉を下げて提案する。
「なら、こう考えましょう。旧ソルヤーグ領を、我が城の軍と遠征軍とで、挟み撃ちにできると」
「……遠征で疲弊した軍に、それを求めるおつもりで?」
「よくあることです。私も何度か、そういうのは経験したので」
自軍が分断された時、「それなら敵を挟撃すればいい」と思える神経をブリジットは持ち合わせていない。
軍の分断は、ヘンリックにとって、あまり喜ばしいことではないけれど、「まぁ、仕方ない」で済ませられることなのだ。
逆境に強すぎるこの男は、大抵のことを「まぁ、仕方ないですね」と受け入れるのだろう。
『言葉の壁は、勉強で乗り越えられる。されど、価値観の壁は言葉の壁より厚く、高い』
それは外交官になると決めたブリジットに、父が告げた言葉だ。その言葉の重みを、ブリジットは痛感していた。
果たして、二つ目の切り札は効果があるだろうか。不安がよぎる。
それでも、やるしかないのだ。
「……二つ目。この城の塩は、どこの物を使っていますか?」
「は? え? 塩? えぇと、ちょっとよく分からないです……」
「わたくし、塩の味には少しうるさいのです。おそらく、帝国南東部バクライゼの物では?」
ブリジットの言葉に、ヘンリックの背後にいる老人の一人──おそらく、厨房の人間なのだろう──が、「その通りです」と頷く。
厨房で芋に振ってあった塩は、粒が粗い塩だった。
そういった塩を扱っていて、かつ、ヴァルムベルクへの流通を考えると、帝国南東部バクライゼの物である、とブリジットはほぼ確信していた。
「旧ソルヤーグ領が分断するのは、軍だけではありませんわ。塩の流通もです」
「えっ、でも、帝国には北と東にも海があるし、そっちから塩を仕入れれば……」
やはり、ヘンリックは勘違いをしている。
なにせ、海があれば塩が取り放題! などと言っていた人なのだ。
ヘンリックの誤解に口を挟んだのは、ヘンリックの妹のフリーダだった。
「兄上、北と東に塩田はありません」
「……え」
「北は気候の問題がありますし、東はほぼ山ですから」
「……そうなの?」
捕虜になっていたビレンダール卿が、苦々しげに頷いた。
「その通りだ。北と東でも塩を作ってはいるが、よそに出荷するほどの量ではない」
つまり、南東に繋がる旧ソルヤーグ領の流通経路が途切れたら、ヴァルムベルクが塩不足になることは確実なのだ。
ブリジットは素早く、アルバートに目配せをした。
アルバートは一瞬キョトンとしていたが、すぐに考え込むような顔をし、小さく頷く。
ブリジットはその顔にいたましげな表情を浮かべ、口を開いた。
「……仮に、この場を手打ちにしても、旧ソルヤーグ領との確執は残ります。塩の流通に制限がかかるかもしれませんわね」
「えぇっ、じゃあ、どっちにしろ、うちは塩不足に!?」
ヘンリックが裏返った声をあげる。
そこにすかさず、アルバートが切り込んだ。
「ブランケ殿! もし、貴国で塩の流通が滞った時は、我が国から塩の輸出を増やす提案をしたい」
悲嘆に暮れていたヘンリックの目に、僅かに希望の光が灯る。
ヴァルムベルクはリディル王国と隣接している領地だ。東の流通経路が断たれても、西にあるリディル王国から輸入するという道がある。
だがそれは、帝国とリディル王国が友好関係にあることが大前提だ。
アルバートが言葉を続ける。
「帝国で内戦が起こることは我が国にとっても不利益! 帝国とリディル王国との貿易も滞るだろう。だからどうか、ここは手打ちにしてくれまいか、ブランケ殿!」
ヘンリックの表情に迷いが生じる。
ヘンリックが迷っているのは、彼もまたシュトラウス将軍同様、利益よりも忠義を重んじる人だからだ。
ブリジットは静かに訊ねた。
「ヴァルムベルク辺境伯。貴方は、帝国の逆賊たるシュトラウス将軍を斬ることが、忠臣のあるべき姿だと思っておられるのでしょう?」
「当然です」
応じるヘンリックの声は静かで、どこまでも真っ直ぐだった。その態度が正直、腹立たしい。
それでもブリジットは声を荒らげず、押し殺した声で告げた。
「貴方が皇帝陛下の忠臣だというのなら、何故、帝国にとって最善の選択をしないのです?」
「……逆臣を討つことが、帝国のためではないと?」
「それは、帝国にとって最も利益のある選択ではありません。外交の努力を放棄し、簡単な選択に飛びついて、何が忠臣ですか」
己の忠義を疑われ、ヘンリックの目つきが鋭くなる。見る者を怯ませる戦狼の眼光に、ブリジットは怯まず、睨み返した。
「先ほども申し上げたはずです。わたくしは、忠義のなんたるかを履き違えて暴走する殿方を見ると、頬を張りたくて仕方がない、と」
ブリジットはゆっくりと息を吐き、胸元に手を当てて膝を折る。
「貴方の君主のために、そして領民のために……どうぞ、外交をなさいませ。ヴァルムベルク辺境伯」
ヘンリックは何も言わない。室内を重い沈黙が支配する。
ブリジットが頭を垂れて、どれだけ時間が立っただろう。
「……顔を上げてください、グレイアム殿」
そう言って、ヘンリックは剣を鞘に収めた。
「私はどうにも外交が上手くないので、貴女の助言に従いましょう……頬を引っ叩かれたくないですし」
その言葉に、張り詰めていた室内の空気が弛む。
リヒャルト・ケーニッツは降伏し、シュトラウス将軍の大義は失われた。
ヴァルムベルク辺境伯は、シュトラウス将軍の処遇を黒獅子皇に委ねると決めた。
あとは、シュトラウス将軍とその部下達を拘束するだけ──だが、その瞬間、窓に向かって駆け出した者がいた。赤い制服を着ている、シュトラウス将軍の配下の兵の一人だ。
「待て!」
シュトラウス将軍が命じるが、兵はその言葉を無視して窓を開け、手にした筒にマッチで火をつける。
「ソルヤーグに栄えあれ!」
パン、と乾いた音がして、窓の外で白い光が弾けた。城の外で待機している兵への合図だ。
その内容は恐らく、「一斉に突撃せよ」。
その男は、シュトラウス将軍の配下の中でも、旧ソルヤーグ復興に思い入れのある者だったのだろう。
何はともあれ、開戦の狼煙は上がってしまった。今から、城に大勢の兵が押しかけてくる。
ブリジットが青ざめたその時、開け放たれた窓の外から物音がした。ここは一階だ。窓の外に誰かいる。
シュトラウス将軍の配下がもう駆けつけたのかと、ブリジットは体をこわばらせた。
「窓が開いてる……良かった……良かったぁ……よし、言うぞ……言うぞ……」
暗闇の中、ぬらりと青白い男の顔が浮かび上がる。
鉱石めいたピンク色の目が、燭台の灯りを反射してギラギラと不気味に輝いた。
「フ、フリーダと、結婚させてください、お義兄さんっ!」
しぃん、と今までとは種類の異なる沈黙が辺りを支配する。それは、怪奇現象に遭遇した人間の沈黙に似ていた。
くだんの怪奇現象──窓から顔を覗かせた男は、ピンク色の目をギョロギョロと左右に動かして、泣きそうな顔をする。
「な、なんだ、なんか人がいっぱいいる? しかも赤い制服……俺を追い回してきた奴らと同じ制服じゃないか……も、もしかして、客だったのか!? どうしよう、全員呪ってしまった……」
「レイっ!」
鋭く叫んだのは、壁際に控えていた辺境伯の妹、フリーダだ。
「赤い制服の人間は侵入者です! 殺さず無力化してくださいっ!」
突然現れた人間に、なんという無茶を言うのか。
どんなに優れた魔術師であろうと、室内にいる任意の人間だけを狙うことも、殺さず無力化することも容易ではない。
だが、紫の髪の男は指をツンツンさせて、その顔に薄ら笑いを浮かべた。
「……あ、そういうの、得意…………えへ」
紫の髪の男が、口の中でモゴモゴと何か呟くと、その指先から紫色の紋様がスルスルと浮かび上がり、シュトラウス将軍の配下の兵だけをからめとる。
紫色の紋様に捕まった者は、その場にバタバタと倒れ、痙攣した。
「足の裏が痒くなるのに、痺れて動けなくて、身悶えする呪い……」
なんだそれは、と誰かがツッコミを入れるより早く、「キェェェェェイ!」と奇声を上げた人物がいた。
今まで剣を握ってウトウトしていたヘンリックの祖父、ヴァルムベルク先々代辺境伯である。
「呪術師じゃぁー呪術師じゃぁー、呪術師はー、怖いんじゃぞー!」
床を転げ回って、恐怖に身悶えするヴァルムベルクの戦狼。
それに絶句する一同をよそに、フリーダが誇らしげに胸を張って言った。
「どうです、私の婚約者はすごいでしょう」




