【12】淑女の手袋の使い道
「ど、どうして、ここが……っ」
レイ・オルブライトは驚愕も露わに、強張った顔で視線を彷徨わせている。
フリーダは、まじまじと己の婚約者を観察した。
彼とは一度、オルブライト家の屋敷の前で会っているのだが、その時は紫色の髪の印象ばかりが強くて、ろくに顔を見ていなかったのだ。
レイは顔色の悪い痩せぎみの青年だった。礼服の白が浮き上がって見えるぐらいに、その肌色は青白い。
目立つ紫色の髪の毛は全体的に長さが不揃いで、何故か横髪が右側だけ長かった。
(そういえば、あのお守り……)
使い魔のコウモリが運んできたお守り袋の中には、紫色の髪の毛を編んだ物が包まれていた。
きっと、彼はお守りを作るたびに、ああして自分の髪の毛を切っていたのだろう。
ザンバラ髪の理由に納得しつつ、フリーダは口を開く。
「そういえば、自己紹介がまだでしたね。厳密には初めましてではないのですが、初めまして。隣国の辺境の地ヴァルムベルクより貴方に嫁ぐために参りました、フリーダ・ブランケです」
挨拶をして一歩近づくと、レイはビクッと肩をすくませる。そうして彼はうずくまったまま、すり足で二歩下がった。
フリーダは実家の城に住み着いていた野良猫を思い出す。
猫は無理に目を合わせようとすると、警戒して逃げてしまうのだ。近づいて撫でるコツは、目線を少しズラすことである。
フリーダは目線をレイから少し手前にずらし、一歩近づく。近づいた分、レイが下がる。フリーダが近づく。レイが下がる。
そんなやりとりを繰り返している内に、レイの背中は屋敷の壁にぶつかった。今がチャンスだ、とフリーダはレイを囲い込むように両手を壁につく。
ドン、と手のひらが壁を叩く音に、レイが涙目で「ひぃっ!?」と悲鳴をあげた。
フリーダは、灰色の目でレイを見据え、その顔を覗きこむ。
「何故、逃げるのです?」
「ひぃっ……あ、あぁ、い、嫌だ、嫌だぁ……っ」
震える声で呟くレイは、ハッとした顔で己の言葉を訂正する。
「あぁっ、違う、違うんだっ、嫌なのは君のことじゃない……!」
「では、何が嫌なのです」
レイの喉がヒクリと震えた。
キョロキョロと落ち着きなく彷徨っていた視線は、やがて足元に落ちる。
「……だ、誰かに、嫌われるのが……」
フリーダが意外そうに目を瞬かせると、レイは必死の形相でフリーダに懇願した。
「お、お願いだ……嫌いなんて言わないでくれっ……そりゃあ、呪術師なんかに好かれたら、気持ち悪いし、呪われるかもしれないし、怖いってのは分かってるっ、だから……もう、あ、愛してるも、愛してくれも、言ったりしないから……っ、俺のこと、嫌わないで……っ」
早口で繰り出されるレイの言葉に、フリーダは首を捻って、また元の位置に戻した。
レイが逃げ回っていたのは、フリーダが嫌いだからではなく、フリーダに嫌われるのが怖いから、なのだという。
(そもそも、まだ会ってもいなかった相手に、どうしてここまで「自分は嫌われるに違いない」と思いこめるのかしら?)
それだけ、呪術師というのは特殊な立ち位置なのだろう。まぁ、卑屈さの半分ぐらいはレイ本人の資質な気がしないでもないが。
何はともあれ、誤解は早めに解くに限る。
「私には、貴方を嫌いになる理由がありません」
え、とレイが口をポカンと開けてフリーダを見る。
ずっと下ばかりむいていた睫毛がようやく持ち上がった。あぁ、この人は睫毛も紫色なのか、とフリーダは密かに感心する。
「…………俺のこと、嫌いじゃ、ない?」
「えぇ」
「……ほんとに?」
「貴方は私に、手紙や薬やお守りやらを贈ってくれたではありませんか。コウモリの君」
* * *
フリーダとレイのやりとりを影から見守っていたシリルは真顔で呟いた。
「奇跡か」
レイ・オルブライトの振る舞いは、とてもではないが褒められたものではない。大抵の女性なら幻滅し、彼に背を向けるだろう。
だが、フリーダ・ブランケはレイのことを嫌いではないと言う。
「やっぱり、あの白い服が良かったんじゃないかな。流石メアリーさんだぜ!」
同じく影で見守っていたラウルがニコニコしながら言えば、モニカとアイザックが困ったように首を捻る。
だが、二人の微妙な反応もなんのその。ラウルはポケットをゴソゴソと漁って何かを取り出した。
「……それは?」
訊ねるシリルに、ラウルは「バラの種さ!」と言って、手のひらに乗せた種に魔力を流し込んだ。
すると、たちまち種が芽吹き、驚くような早さで成長していく。
園芸において、バラを種から育てるのは非常に困難だ。それは付与魔術を使っても変わらない。
それを容易くやってのけたラウルは、己の腕に絡みつくように成長したバラの花を、ポケットから取り出した園芸鋏で摘んだ。そしてそれを「ホイ」と言ってシリルに手渡す。
シリルは己の手のひらに乗せられた赤いバラの花を見下ろし、眉をひそめた。
「……私にこれをどうしろと言うのだ」
「花びらをむしってほしいんだ」
「……何故」
「そりゃ勿論、二人が良い雰囲気になったら、祝福の花吹雪みたいにばら撒くためさ! モニカと殿下も手伝ってくれよ。あっ、そこの人も。ちょっと花をむしるの手伝ってくれないか?」
そう言ってラウルは、次々と咲いていく花を摘んで、モニカとアイザックとグレンに手渡し……。
「グレン・ダドリー!?」
シリルはギョッと目を剥いた。遅れてモニカも「グレンさん!?」と声をあげる。
金茶色の癖っ毛の長身の青年。〈結界の魔術師〉の弟子であるグレン・ダドリーは「久しぶりっす!」と人懐っこく笑った。
唯一、グレンの存在に気づいていたらしいアイザックは、己の隣に立つグレンに、にこやかに話しかける。
「やぁこんにちは、ダドリー君」
「あっ、会長、どもっす! 試験勉強の時はお世話になったっす!」
「どういたしまして。ところで、どうして君がここに? パーティに招待されていたのかな?」
アイザックの問いに、グレンは少しだけ気まずそうな顔で頭をガリガリとかいた。
「えーっと……招待状とかは、ちょーっと持ってないんすけど……どうしても〈深淵の呪術師〉さんに会いたいって人がいたんで……でも呪術師さんの屋敷に行ったら、今日はパーティだって言われて、そういえば師匠が〈星詠みの魔女〉さんの屋敷のパーティに行くって言ってたから、きっとそこにいるかな〜って思って来てみたら、いい感じに紫の髪の人がいたんで、着地したんす!」
全く要領を得ないグレンの説明に、シリルは眉を釣り上げた。
「もう少し理路整然と説明できんのか、グレン・ダドリー! つまり貴様は不法侵入をした挙句、誰かをここに連れてきたと?」
「えーっと、オレが連れてきたのは、そこの旅人さんで……あれ? いない?」
キョロキョロと視線を彷徨わせたグレンは「あっ!」と声をあげて、前方の庭園を指さす。
「あの人っす!」
彼の指の先では、レイとフリーダに近づく旅装姿の男の姿があった。
* * *
自分を見据える灰色の目を見つめ返し、レイは青白い頬を朱に染めた。
今まで、不安で早鐘を打っていた心臓が、今度は別の理由でトクトクと高鳴り始める。
(……お、俺が、嫌われてない!)
こんな紫色の髪の毛で皮膚に呪印が浮かんでいる男に、フリーダは歩み寄ってくれた。
彼女はレイから目をそらさず、正面から向き合って接してくれているのだ。レイの婚約者として。
(これは、もしかして、俺は期待していいのか? お、俺のこと、好きになってくれるって……!)
期待しすぎるなと卑屈になる心と、期待せずにはいられない愛されたがりの性分が、レイの中でせめぎ合う。
だが、どちらが勝つなんて言うまでもなかった。
だって、レイ・オルブライトはいつだって、誰かから愛されたくて愛されたくて仕方がなかったのだ。
(……俺のこと、愛して)
レイが期待に震える手でフリーダに触れようとした、その時。
「失礼、〈深淵の呪術師〉レイ・オルブライト卿とお見受けいたします」
誰かがこちらに歩み寄ってくる。ひょろりと頼りない風貌の、背の高い青年だ。
フリーダが振り向き、鋭い目を丸くした。
「兄上、何故ここにいらっしゃるのです?」
なるほど、青年のくすんだ金色の髪と灰色の目はフリーダによく似ている。だが、雰囲気はあまり似ていなかった。
フリーダの兄だという青年は、どことなく頼りなさげな優男、といった風体だ。
(お、お義兄さん……! これは挨拶か、挨拶をするべきだよな、妹さんを俺にください? いや、もう婚約してるんだから、俺が幸せにしますの方がいいのか?)
レイが悶々とそんなことを考えていると、フリーダの兄は腰に吊るした剣の柄に手をかけた。
途端に、その頼りなさげな雰囲気が一瞬で変貌する。
鋭く眇められた灰色の目は、獲物に狙いを定めた狼の目だ。
「私はそこにいるフリーダの兄、ヘンリック・ブランケ──〈深淵の呪術師〉レイ・オルブライト卿。貴殿に決闘を申し込む!」
よく響く声で言い、ヘンリックはレイの足元めがけて手袋を叩きつける。
レイは思わず飛び上がり、裏返った声で叫んだ。
「け、けけ、決闘!? なんで、俺がぁ……!?」
「なんで、だと? よくもそんなことが言えたものだな。その口で、一体今までに何人の女性を誑かしてきた」
誑かす、の一言にレイは己の所業を思い返した。
確かにレイは今まで、女の子に近寄っては「俺のこと愛して?」と懇願してきたけれど。
それで愛してもらえたことが一度もない場合、果たしてこれは誑かしたと言って良いのだろうか。
レイが頭を抱えてウンウン唸っていると、フリーダがレイを背中に庇うように一歩前に進み出る。
「兄上、オルブライト卿は呪術師です。騎士の決闘に応じる道理はありません」
(俺のこと庇ってくれた! 優しい! 俺が、守られてる! これは、愛されてる! 俺、愛されてる!)
「ですから……」
フリーダは兄から視線をそらし、絹の手袋を外した。
手袋を外してどうするのだろう、とレイが不思議に思っていると、フリーダは絹の手袋を勢いよく兄に叩きつける。
「騎士の家に生まれた私が、決闘に応じましょう」




