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サイレント・ウィッチ(外伝)  作者: 依空 まつり
外伝3:愛されたがりの婚約譚
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【12】淑女の手袋の使い道

「ど、どうして、ここが……っ」

 レイ・オルブライトは驚愕も露わに、強張った顔で視線を彷徨わせている。

 フリーダは、まじまじと己の婚約者を観察した。

 彼とは一度、オルブライト家の屋敷の前で会っているのだが、その時は紫色の髪の印象ばかりが強くて、ろくに顔を見ていなかったのだ。

 レイは顔色の悪い痩せぎみの青年だった。礼服の白が浮き上がって見えるぐらいに、その肌色は青白い。

 目立つ紫色の髪の毛は全体的に長さが不揃いで、何故か横髪が右側だけ長かった。

(そういえば、あのお守り……)

 使い魔のコウモリが運んできたお守り袋の中には、紫色の髪の毛を編んだ物が包まれていた。

 きっと、彼はお守りを作るたびに、ああして自分の髪の毛を切っていたのだろう。

 ザンバラ髪の理由に納得しつつ、フリーダは口を開く。

「そういえば、自己紹介がまだでしたね。厳密には初めましてではないのですが、初めまして。隣国の辺境の地ヴァルムベルクより貴方に嫁ぐために参りました、フリーダ・ブランケです」

 挨拶をして一歩近づくと、レイはビクッと肩をすくませる。そうして彼はうずくまったまま、すり足で二歩下がった。

 フリーダは実家の城に住み着いていた野良猫を思い出す。

 猫は無理に目を合わせようとすると、警戒して逃げてしまうのだ。近づいて撫でるコツは、目線を少しズラすことである。

 フリーダは目線をレイから少し手前にずらし、一歩近づく。近づいた分、レイが下がる。フリーダが近づく。レイが下がる。

 そんなやりとりを繰り返している内に、レイの背中は屋敷の壁にぶつかった。今がチャンスだ、とフリーダはレイを囲い込むように両手を壁につく。

 ドン、と手のひらが壁を叩く音に、レイが涙目で「ひぃっ!?」と悲鳴をあげた。

 フリーダは、灰色の目でレイを見据え、その顔を覗きこむ。

「何故、逃げるのです?」

「ひぃっ……あ、あぁ、い、嫌だ、嫌だぁ……っ」

 震える声で呟くレイは、ハッとした顔で己の言葉を訂正する。

「あぁっ、違う、違うんだっ、嫌なのは君のことじゃない……!」

「では、何が嫌なのです」

 レイの喉がヒクリと震えた。

 キョロキョロと落ち着きなく彷徨っていた視線は、やがて足元に落ちる。

「……だ、誰かに、嫌われるのが……」

 フリーダが意外そうに目を瞬かせると、レイは必死の形相でフリーダに懇願した。

「お、お願いだ……嫌いなんて言わないでくれっ……そりゃあ、呪術師なんかに好かれたら、気持ち悪いし、呪われるかもしれないし、怖いってのは分かってるっ、だから……もう、あ、愛してるも、愛してくれも、言ったりしないから……っ、俺のこと、嫌わないで……っ」

 早口で繰り出されるレイの言葉に、フリーダは首を捻って、また元の位置に戻した。

 レイが逃げ回っていたのは、フリーダが嫌いだからではなく、フリーダに嫌われるのが怖いから、なのだという。

(そもそも、まだ会ってもいなかった相手に、どうしてここまで「自分は嫌われるに違いない」と思いこめるのかしら?)

 それだけ、呪術師というのは特殊な立ち位置なのだろう。まぁ、卑屈さの半分ぐらいはレイ本人の資質な気がしないでもないが。

 何はともあれ、誤解は早めに解くに限る。

「私には、貴方を嫌いになる理由がありません」

 え、とレイが口をポカンと開けてフリーダを見る。

 ずっと下ばかりむいていた睫毛がようやく持ち上がった。あぁ、この人は睫毛も紫色なのか、とフリーダは密かに感心する。

「…………俺のこと、嫌いじゃ、ない?」

「えぇ」

「……ほんとに?」

「貴方は私に、手紙や薬やお守りやらを贈ってくれたではありませんか。コウモリの君」



 * * *



 フリーダとレイのやりとりを影から見守っていたシリルは真顔で呟いた。

「奇跡か」

 レイ・オルブライトの振る舞いは、とてもではないが褒められたものではない。大抵の女性なら幻滅し、彼に背を向けるだろう。

 だが、フリーダ・ブランケはレイのことを嫌いではないと言う。

「やっぱり、あの白い服が良かったんじゃないかな。流石メアリーさんだぜ!」

 同じく影で見守っていたラウルがニコニコしながら言えば、モニカとアイザックが困ったように首を捻る。

 だが、二人の微妙な反応もなんのその。ラウルはポケットをゴソゴソと漁って何かを取り出した。

「……それは?」

 訊ねるシリルに、ラウルは「バラの種さ!」と言って、手のひらに乗せた種に魔力を流し込んだ。

 すると、たちまち種が芽吹き、驚くような早さで成長していく。

 園芸において、バラを種から育てるのは非常に困難だ。それは付与魔術を使っても変わらない。

 それを容易くやってのけたラウルは、己の腕に絡みつくように成長したバラの花を、ポケットから取り出した園芸鋏で摘んだ。そしてそれを「ホイ」と言ってシリルに手渡す。

 シリルは己の手のひらに乗せられた赤いバラの花を見下ろし、眉をひそめた。

「……私にこれをどうしろと言うのだ」

「花びらをむしってほしいんだ」

「……何故」

「そりゃ勿論、二人が良い雰囲気になったら、祝福の花吹雪みたいにばら撒くためさ! モニカと殿下も手伝ってくれよ。あっ、そこの人も。ちょっと花をむしるの手伝ってくれないか?」

 そう言ってラウルは、次々と咲いていく花を摘んで、モニカとアイザックとグレンに手渡し……。


「グレン・ダドリー!?」


 シリルはギョッと目を剥いた。遅れてモニカも「グレンさん!?」と声をあげる。

 金茶色の癖っ毛の長身の青年。〈結界の魔術師〉の弟子であるグレン・ダドリーは「久しぶりっす!」と人懐っこく笑った。

 唯一、グレンの存在に気づいていたらしいアイザックは、己の隣に立つグレンに、にこやかに話しかける。

「やぁこんにちは、ダドリー君」

「あっ、会長、どもっす! 試験勉強の時はお世話になったっす!」

「どういたしまして。ところで、どうして君がここに? パーティに招待されていたのかな?」

 アイザックの問いに、グレンは少しだけ気まずそうな顔で頭をガリガリとかいた。

「えーっと……招待状とかは、ちょーっと持ってないんすけど……どうしても〈深淵の呪術師〉さんに会いたいって人がいたんで……でも呪術師さんの屋敷に行ったら、今日はパーティだって言われて、そういえば師匠が〈星詠みの魔女〉さんの屋敷のパーティに行くって言ってたから、きっとそこにいるかな〜って思って来てみたら、いい感じに紫の髪の人がいたんで、着地したんす!」

 全く要領を得ないグレンの説明に、シリルは眉を釣り上げた。

「もう少し理路整然と説明できんのか、グレン・ダドリー! つまり貴様は不法侵入をした挙句、誰かをここに連れてきたと?」

「えーっと、オレが連れてきたのは、そこの旅人さんで……あれ? いない?」

 キョロキョロと視線を彷徨わせたグレンは「あっ!」と声をあげて、前方の庭園を指さす。

「あの人っす!」

 彼の指の先では、レイとフリーダに近づく旅装姿の男の姿があった。



 * * *



 自分を見据える灰色の目を見つめ返し、レイは青白い頬を朱に染めた。

 今まで、不安で早鐘を打っていた心臓が、今度は別の理由でトクトクと高鳴り始める。

(……お、俺が、嫌われてない!)

 こんな紫色の髪の毛で皮膚に呪印が浮かんでいる男に、フリーダは歩み寄ってくれた。

 彼女はレイから目をそらさず、正面から向き合って接してくれているのだ。レイの婚約者として。

(これは、もしかして、俺は期待していいのか? お、俺のこと、好きになってくれるって……!)

 期待しすぎるなと卑屈になる心と、期待せずにはいられない愛されたがりの性分が、レイの中でせめぎ合う。

 だが、どちらが勝つなんて言うまでもなかった。

 だって、レイ・オルブライトはいつだって、誰かから愛されたくて愛されたくて仕方がなかったのだ。


(……俺のこと、愛して)


 レイが期待に震える手でフリーダに触れようとした、その時。


「失礼、〈深淵の呪術師〉レイ・オルブライト卿とお見受けいたします」


 誰かがこちらに歩み寄ってくる。ひょろりと頼りない風貌の、背の高い青年だ。

 フリーダが振り向き、鋭い目を丸くした。

「兄上、何故ここにいらっしゃるのです?」

 なるほど、青年のくすんだ金色の髪と灰色の目はフリーダによく似ている。だが、雰囲気はあまり似ていなかった。

 フリーダの兄だという青年は、どことなく頼りなさげな優男、といった風体だ。

(お、お義兄さん……! これは挨拶か、挨拶をするべきだよな、妹さんを俺にください? いや、もう婚約してるんだから、俺が幸せにしますの方がいいのか?)

 レイが悶々とそんなことを考えていると、フリーダの兄は腰に吊るした剣の柄に手をかけた。

 途端に、その頼りなさげな雰囲気が一瞬で変貌する。

 鋭く眇められた灰色の目は、獲物に狙いを定めた狼の目だ。


「私はそこにいるフリーダの兄、ヘンリック・ブランケ──〈深淵の呪術師〉レイ・オルブライト卿。貴殿に決闘を申し込む!」


 よく響く声で言い、ヘンリックはレイの足元めがけて手袋を叩きつける。

 レイは思わず飛び上がり、裏返った声で叫んだ。 

「け、けけ、決闘!? なんで、俺がぁ……!?」

「なんで、だと? よくもそんなことが言えたものだな。その口で、一体今までに何人の女性を誑かしてきた」

 誑かす、の一言にレイは己の所業を思い返した。

 確かにレイは今まで、女の子に近寄っては「俺のこと愛して?」と懇願してきたけれど。

 それで愛してもらえたことが一度もない場合、果たしてこれは誑かしたと言って良いのだろうか。

 レイが頭を抱えてウンウン唸っていると、フリーダがレイを背中に庇うように一歩前に進み出る。

「兄上、オルブライト卿は呪術師です。騎士の決闘に応じる道理はありません」

(俺のこと庇ってくれた! 優しい! 俺が、守られてる! これは、愛されてる! 俺、愛されてる!)

「ですから……」

 フリーダは兄から視線をそらし、絹の手袋を外した。

 手袋を外してどうするのだろう、とレイが不思議に思っていると、フリーダは絹の手袋を勢いよく兄に叩きつける。


「騎士の家に生まれた私が、決闘に応じましょう」


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