【5】時代遅れの男
ヴァルムベルク城に帝国、リディル王国、両方の客人が到着した日の夜、城の一階にある大広間で歓迎会が行われた。
自分の持ち物の中で一番まともな夜会着に身を包んだヘンリックは、客人達を見て、密かに胸を撫で下ろす。
(良かった……思ったより、小規模だった……!)
今回、リディル王国側からは王族が来るとのことだったので、数百人規模の使節団を想定していたのだが、実際に訪れたのは警備や身の回りの世話をする者も込みで、七十人弱。
リディル王国側は、少し前に起こった大規模竜害等の騒動が原因で、あまり人員が割けなかったらしい。
一方、帝国側はというと、こちらの方が人数は多く、およそ二百人。その殆どが、警護担当であるシュトラウス将軍の部下達である。
会場を提供する側としては情けない話だが、ヴァルムベルク城が慢性的に人手不足なのは事実なので、警備の者が来てくれるのは、ありがたかった。
「ブランケ殿」
ビールをチビチビ飲んでいると、背後から声をかけられた。
振り向いた先にいるのは、精悍な面差しの五十歳ほどの男だ。白髪混じりの黒髪を撫でつけ、口髭も短く整えている。
夜会服ではなく軍服を身につけ、帯剣しているこの男こそ、帝国側の警備責任者、シュトラウス将軍だ。
シュトラウス将軍は、窮地に陥っても動じることなく、冷静に動くことができる、聡明で信用できる人物である。なにより部下達から慕われており、彼の隊は非常に士気が高い。
「これは、シュトラウス将軍。この度は、警備にお力添えいただき、誠にありがとうございます……いや、ほんとすみません、うちが人手不足なばかりに」
ペコペコと頭を下げるヘンリックに、シュトラウス将軍は落ち着いた声で「頭をお上げください」と言う。
「ヴァルムベルクの兵は、今も南方で帝国のために戦っておられる。城に兵が少ないことを恥じる必要はありません」
シュトラウス将軍はヘンリックの倍近く生きている、立派な軍人だ。それなのに、傲ったところがなく、ヘンリックに対しても丁重な態度を崩さない。
「ブランケ殿、貴方は覚えていないかもしれませんが、南方の戦線で私の部隊は貴方に救われているのです。イーベルゲン渓谷での戦いは覚えておいでですか?」
シュトラウス将軍の言葉に、ヘンリックは過去の戦を振り返った。
(あー、うん、そんなこともあったっけ)
イーベルゲン渓谷で孤立した部隊を救うために、ヘンリックは部下を率いて駆けつけたことがある。
シュトラウス将軍の部隊と合流しなくては、勝ち目がないと思ったから、とにかく必死だったのだ。
「貴方はあの時、たった三百の兵で、数千の敵を蹴散らされた」
噛み締めるように言うシュトラウス将軍に、ヘンリックはヘラリと頼りなく笑う。
「地形と天候が、たまたまこちらに有利に働いただけですよ」
当時のイーベルゲン渓谷は雨でぬかるみ、足場が悪く、行軍が難しい状況だった。だからこそ、ヴァルムベルク軍の奇襲を敵は予測できなかったのだ。
あれは、馬術に長けたヴァルムベルク軍だからこそできた荒技である。
敵軍の将は剛腕と名高い人物。軍の練度も高く、まともにぶつかり合ったら、ヴァルムベルク軍に勝ち目はなかっただろう。
「ローギン将軍は非常に強敵でした。勝てたのは、本当に運が良かった」
ヘンリックの言葉に、シュトラウス将軍は笑いを堪えるように口元を押さえた。
何かおかしなことを言っただろうか、と不思議がるヘンリックに、シュトラウス将軍は口元を押さえたまま言う。
「いや、失礼。貴方の祖父君も、お父上もそうだったのです。救った者のことは覚えていないのに、己が斬った敵将のことは忘れない」
言われてみれば、そうかもしれない。とヘンリックは苦笑した。
騎士とは人を殺して名誉を得る者。だからこそ、死を背負う覚悟を忘れるな──それが祖父の教えだ。
ヘンリックの家は、元々は騎士の家系だった。そのためか、辺境伯として地位と土地を与えられてもなお、剣を振るう者としての在り方を最優先に考えてしまう。
陛下への忠義を忘れるな。弱きを救う剣であれ。
(つまりは、領主向きじゃないんだよね……)
それなのに、シュトラウス将軍は穏やかな声に誠意と敬意を滲ませて言うのだ。
「今の時代に、貴方のような方は貴重です、ブランケ殿」
「時代遅れとは、よく言われます」
ヘンリックが眉を下げて曖昧に笑うと、シュトラウス将軍は壁際に飾られた家宝の剣に目を向けた。
真白い絹の上に飾られているのは、ヘンリックの祖父──ヴァルムベルクの戦狼がかつて戦場で振るった剣だ。
その剣を見つめるシュトラウス将軍の目には、確かな憧れがあった。
「我々世代の男児は皆、ヴァルムベルクの戦狼に憧れたものです。かくいう私も、息子に同じ名前をつけたりしました」
ヘンリックは密かに焦った。
この話の流れはもしかして、祖父に会いたいということだろうか?
(お祖父様は、今日はいつも以上に言動が怪しいから、フリーダに見ていてもらってるんだけどなぁぁ……)
内心頭を抱えるヘンリックに、シュトラウス将軍は静かだが、熱のこもった声で言う。
「ヴァルムベルクの戦狼は、我が国が誇る英雄です。民も彼を慕っている」
もし会いたいと言われたら、祖父は体調が優れませんので、でゴリ押そう。そうしよう──そう固く決意し、ヘンリックは口を開いた。
「祖父が……ヴァルムベルクの戦狼が賞賛されたのは、戦の多い時代だったからです」
平和な時代は、こんなものですよ。と苦笑するヘンリックに、シュトラウス将軍は真っ直ぐな目を向けた。
数多の戦場を駆け抜け、生き抜いてきた歴戦の将の目には、誤魔化しを許さない鋭さがある。
「ブランケ殿。貴方は今のヴァルムベルクの窮状を、憂いておられるのでは?」
「えぇ、まぁ」
「なれば、貴方は……この地の独立を考えたことはないのですか?」
鋭い目でとんでもないことを言われ、ヘンリックは鼻白んだ。
これは、シュトラウス将軍なりの冗談だろうか。それとも、帝国への忠義心を試されているのだろうか。
いずれにせよ、返す言葉は決まっている。
「シュトラウス将軍、それはあまりにも私の身に余る話です」
「独立の意思はないと?」
「ありません」
それだけはキッパリと、ヘンリックは答える。
ヘンリックも、その父も祖父も、得意なのは戦だけで、政はからきしだ。一国の王の器ではない。
シュトラウス将軍は鋭い目を緩め、「そうですか」と穏やかに笑った。これで、この話はここまで、ということだろうか。
その時、少し離れたテーブルの近くで、大きな声がした。
「それは、秘書官の仕事ではない!」
まだ若く張りのある声は、リディル王国の第三王子アルバートのものだ。
声の方に目を向けると、アルバートと、ビレンダール卿が対峙していた。アルバートはその背中に、美貌の外交秘書官ブリジット・グレイアムを庇っている。
アルバートは分かりやすく怒りを露わにしているが、ビレンダール卿は余裕の笑みを浮かべていた。
ビレンダール卿は年齢は七十を過ぎているはずだが、洒落者のためか十歳は若く見える老人だ。髭は丁寧に整えられており、長い白髪は先端をリボンで結んでいる。身につけている服も華やかな模様入りだ。きっと流行の最先端なのだろう。
ビレンダール卿は口髭を指先で弄りながら、片目を瞑って笑った。
「騒ぎ立てるようなことでもありますまい。そちらの美しいお嬢さんに、ちょっと酌を頼んだだけだというのに」
「私の目には、貴方が私の秘書官にベタベタと触っていたように見えましたが」
なるほど、ビレンダール卿があの美しい秘書官にイタズラをして、酌を命じたらしい。
ビレンダール卿に応じるアルバートの声は硬く、分かりやすい怒りが滲んでいた。そんなアルバートに、ビレンダール卿は子どもを窘めるような口調で言う。
「貴方も、そのために女性秘書官を連れているのではありませんか?」
アルバートは一瞬、何を言われたのか分からない、という顔でキョトンとしていた。だが、次第にその言葉の意味が飲み込めてきたのだろう。白い顔をサァッと赤くして、怒りに拳を震わせる。
女性秘書官を連れているのは、外交相手を喜ばせる接待をさせるためだと、ビレンダール卿は仄めかしたのだ。
「ビレンダール卿、その、あまり、揉め事は……」
オドオドとビレンダール卿に話しかけているのは、赤毛を束ねた三十代半ばほどの帝国貴族──ケーニッツ卿だ。
ビレンダール卿は、ケーニッツ卿のことなど眼中にないと言わんばかりの態度で、アルバートを見ている。
まだ若い王子は、怒りのままに何かを口走ろうとした。だが、彼が言葉を発するより早く、ブリジットが前に進み出て、ビレンダール卿に微笑みかける。
「『閣下は、デルゴ=ブレウのワインがお好きですのね』」
ブリジットが発したのは帝国語だ。ただし、中央で使われているものよりも、単語や言い回しが北部寄りのものになっている。
帝国は元々、複数の国家から成り立つ国で、今でこそほぼ全域で帝国共通語が使われているが、その地域特有の言い回しが残っている。
ブリジットはあえて、北部特有の言い回しを使った──ビレンダール卿が、北部出身だと理解しているのだ。
会場で振舞われているワインの銘柄も、まさに彼女が言い当てた物である。
つまるところ彼女は、今の短い一言で、自分がビレンダール卿のことを知り尽くしていること、そして北部の言い回しにも対応できることを証明してのけたのだ。
それとついでに、会場のワインの銘柄をチェック済みであることも。
(なんかすごいことを、サラッとやってる……気がする!)
驚いたのはヘンリックだけではない。帝国側の人間でも、顔色が変わった者が何人かいる。
シュトラウス将軍やケーニッツ卿は瞠目してブリジットを見ているし、ビレンダール卿は「ほぅ」と感心したように呟き、口髭を弄りながら笑っていた。
「気の利く秘書官だ。いかにも、わしはデルゴ=ブレウのワインに目がないので、一杯注いでくれんかね?」
「閣下のお望みのままに」
ブリジットは何も気にしていないと言わんばかりのにこやかさで、近くのテーブルからワインボトルを手に取った。
その間も、アルバートは悔しそうに黙り込み、拳を震わせている。そんなものは秘書の仕事ではない、と啖呵を切ったばかりなのに、秘書に酌をさせていることが悔しくてたまらないのだろう。
ブリジットはワインボトルを手に、ビレンダール卿のそばに立つ。
ヘンリックはその背後に静かに近づき、ブリジットの手からワインボトルをそっと抜き取った。
「給仕の人数が足りないのは、城主である私の落ち度です。酌も私がしましょう。さぁ、どうぞ、ビレンダール卿」
ヘンリックがグラスにワインを注ぐと、ビレンダール卿は煩わしげにヘンリックを睨んだ。
そして、ワインに口をつけず、手首を捻ってワイングラスの中身をヘンリックにぶちまける。
避けるのは簡単だ。だが、避けたらワインがブリジットにかかる。
(また、フリーダに怒られるかな……)
宙を舞う真っ赤な液体は、ヘンリックの胸元から肩にかけて大きなシミをつくった。
会場の人々が息を呑んで見守る中、ビレンダール卿はヤニばんだ歯を剥き出して笑う。
「おや、失礼。手が滑ってしまった。辺境伯殿には私の上着を差し上げましょう。ヴァルムベルクでは、新しい上着を仕立てることすら、ままならぬご様子」
「いいえ、どうぞお気になさらないでください。この程度の汚れ、大したことではありませんので」
それこそ、黒獅子皇のいる宴でクーデターに巻き込まれた時なんて、もっと大変だったのだ。ワインのシミどころの話じゃない。
ヘンリックはヘラヘラと笑いながら振り向き、ブリジットを見ると、些か大袈裟な声をあげた。
「あぁ、しまった。貴女の服にもシミが! 妹に着替えを用意させますので、どうぞこちらへ」
そう言って、ヘンリックは自分の体でブリジットを隠すようにしながら、廊下に促す。
服にシミなどないブリジットは、もの言いたげにヘンリックを見上げていたが、無言でヘンリックに従った。




