【35】匿名持ち寄りパーティ
水を飛ばす魔術を試しつつ、桶の水で水鉄砲に興じているうちに、すっかり日は高くなっていた。そろそろ昼が近い。
グレンの腹がグゥと音を立てたので、アイザックは持ち上げていた短杖を下ろした。
「そろそろ昼食にしようか。簡単なもので良ければ、何か作ろう」
「昼飯は大丈夫っすよ。だってこれから…………あっ」
グレンが何かを思い出したような顔で、シリルを見る。
シリルが真っ青になって、濡れた上着のポケットから懐中時計を取り出した。
「しまった、時間……」
「うん? 何か用事があったのかい?」
シリルは懐中時計をしまうと、姿勢を正し、早口で言う。
「この後、サザンドール魔術師組合の方々が、慰労のための食事会をするのだそうです」
「だからオレ達、会長を呼びに来たんすよ!」
アイザックは濡れた前髪をかき上げ、それは悪いことをしてしまった、と反省する。
特に水鉄砲の的にされたシリルは、上着がしっかり濡れてしまったのだ。
「君達には悪いことをしてしまったな。シリル、僕の服で良ければ、貸そうか?」
「私より、貴方が先です! 早く着替えてください!」
「僕はいいよ。食事会も辞退する」
なにせ、半人前が魔術師組合の門を潜るなと、昨日メリッサに釘を刺されたばかりである。
元より、アイザック・ウォーカーは表舞台には立てぬ身。サザンドールの黒竜を討ったモニカが皆から評価され、労わってもらえるなら、アイザックは充分だ。
ところが、シリルとグレンは血相を変えて、声を荒らげた。
「駄目です! すぐに着替えてください!」
「そうっす! 会長は、絶対行かなきゃ駄目っす!」
「だけど……」
渋るアイザックに、グレンが早口で言い募る。
「モニカに頼まれてるんす! 会長を連れてきてくれって!」
「分かった。十分で支度する」
モニカが呼んでいるなら、話は別だ。駆けつけない理由がない。
切り替えの早さに呆然としているグレンとシリルを置き去りにし、アイザックは早足で家に向かう。
家に入ってすぐに、アイザックはテーブルの上に平皿が置いてあることに気がついた。皿の上にはボウルが被せてあり、横に「マスターの分です」と書いたメモが添えてある。
ボウルを持ち上げると、肉を挟んだパンが一つ置いてあった。
(これから食事会らしいけれど……まぁ、いいか)
朝から何も食べていなかった上に、何度も魔術を行使したので、お腹がペコペコなのだ。魔術の実践訓練は、想像以上に腹が減る。
あれだけ魔術を使っているのに、どうしてモニカもシリルも少食なのだろう……なんてことを考えつつ、アイザックはパンを咥えた。
肉とパンをモギュモギュと咀嚼しながら、隠し武器を固定するベルトを手早く外す。
ゴトッ、ゴトッと音を立てて床に落ちる、短剣や隠しポーチや投擲用ナイフに、追いついたシリルが目を剥き、グレンが唖然とした様子で言った。
「会長……それ、いつもなんすか?」
「ふぁにあ?」
何が? という言葉は咀嚼音に紛れて、ろくに言葉にならない。
まぁ、いいか、と作業を続けていると、シリルが押し殺した声で呻いた。
「……アイク、食べながら身支度をするのは、行儀が悪いです。どうぞおかけください。体を拭くものと、飲み物をご用意しますので……」
あ、懐かしい。とアイザックはパンを咀嚼しながら思った。
子どもの頃のアイザックは割とせっかちで、早く遊びに行きたいものだからと、食べながら身支度をしては、何度も母に叱られたのだ。
アイザックは残ったパンをムグムグと平らげ、口の端についたソースをペロリと舐める。
「すまない、急いでいるので説教は後にしてくれ」
階段を駆け上って自室に飛び込み、クローゼットから着替えを一式を取り出して、手早く着替える。
アイザックがベストのボタンを留めているところで、シリルとグレンが追いついて、控えめに部屋を覗き込んだ。
「あの、アイク……」
おずおずと声をかけるシリルは、肩の辺りがぐっしょり濡れている。上着かベストだけでも、着替えた方が良いだろう。
アイザックは濡れた髪をワシワシと拭きながら、クローゼットを顎でしゃくる。
「僕の服を適当に使っていいよ」
「……では、お借りします」
そう言ってクローゼットに目を向けたシリルは、顔を引きつらせた。
特に着替えを必要としていないグレンが、興味津々の顔で横から覗き込み、「すげー!」と声をあげる。
クローゼットにかけられた上着は、右側がアイザック・ウォーカーの普段使い、左側は王族に相応しい高級感ある生地や、装飾の多い服である。
フェリクス・アーク・リディルとして自領に戻る直前に着替える必要があるので、サザンドールの家には両方の服を置いているのだ。
クローゼットの前で立ち尽くしているシリルに、アイザックはニヤリと笑って告げる。
「左から二番目の、最高級のダルグシュカ織りの上着などどうだろう? その上着に合うダイヤモンドのカフスボタンが、下の引き出しにある」
「ご、じょ、う、だ、ん、を」
シリルは硬い声で返し、クローゼットの右側──アイザックが普段使いにしている服に目を向けた。
服を貸すとは言ったものの、アイザックとシリルでは体格が違う。上着だとかなりブカブカになってしまうので、伸縮性のある生地のベスト辺りが無難だろう……などと、アイザックが考えていると、シリルはハンガーにかけられたサマーベストを手に取った。
「これは……」
呟くシリルの手の中にあるサマーベストは、少し前にウィルディアヌが貰ってきた、主張の強い巨大な薔薇に目と口のサマーベストである。
髪を拭くアイザックの手が止まり、グレンがブフーッと勢いよくふきだした。
「それ、会長の趣味なんすか?」
「なんて濡れ衣だ」
あまりの不本意さに、アイザックは顔をしかめる。
シリルはサマーベストを持ち上げて、巨大な薔薇のつぶらな目と見つめ合っていた。その青い目は、心なしか感動にキラキラ輝いているようにも見える。
極めて優秀な頭脳のアイザックは、その頭の回転の速さで一つの仮説を立てた。
クリフォードが適当にデザインしたらしいサマーベスト。目と口は別の人間のアイデアだと彼は言っていた。ラナ・コレットの知り合いで、そんな頭の痛くなるようなことを考える人間が……いるではないか、今ここに。
脳裏をよぎるのは、生徒会役員時代。
会場の装飾、来賓への贈り物、孤児院に寄付する玩具などなど。デザイン案を問われる時、常に斜め上のセンスを披露してアイザックの腹筋を鍛え続けた男は、大真面目に言った。
「以前、コレット嬢に薔薇モチーフの服飾品の相談を受けたのです。きっと、その時の物でしょう。……採用されたのか」
最後の呟きは、少し誇らしげだった。頭が痛い。
「犯人は君か」
「……犯人?」
何も分かっていない顔をしているシリルをジロリと睨み、アイザックは言い放つ。
「右から四番目のベスト。比較的小さい作りだから、君でもギリギリ着られる」
お願いだから、そのサマーベストだけは着てくれるな。ますます腹筋が鍛えられてしまう、とアイザックは切実に思った。
* * *
サザンドールから少し離れた小さな森の中、少し開けた場所に敷物を広げ、そこに座る一人の女がいた。美しい金髪を束ねた美しい娘で、森の中だというのにメイド服を着ている。
娘のそばには、軽食の入ったバスケットや、酒瓶、焼き菓子の包みなどがあり、黒猫が酒の入った瓶を抱え、金と白のイタチが焼き菓子をかじり、白いトカゲが皿に垂らした酒をチロチロ舐めていた。
「おい、こいつも開けてくれ」
黒猫が前足でバスケットをテシテシと叩く。金髪のメイドは「かしこまりました」と言い、バスケットから肉を挟んだパンを取り出して、皿に並べる。
黒猫は、モニカの自称使い魔、ウォーガンの黒竜ネロ。
白いイタチは、シリルと契約している白竜トゥーレ。
金色のイタチは、同じくシリルの契約精霊、氷霊アッシェルピケ。
白いトカゲは、アイザックの契約精霊、水霊ウィルディアヌ。
そして、金髪のメイドは〈結界の魔術師〉ルイス・ミラーの契約精霊、風霊リィンズベルフィード。
彼らは互いの素性を割と知らないし、特に名乗りも語りもしない。
何故なら今日は、匿名の持ち寄りパーティなのだ。
遡ること一日前、ネロは非常に不貞腐れていた。
なんでも人間達は、慰労会とやらで宴をするらしい。つまり、酒を飲んで美味しいものを食べるのだ。
だが、ネロは連れていけない、とモニカは言う。
人の姿でも猫の姿でも、正体を勘ぐられてしまうかもしれないから、留守番しててほしい、と言われたネロは、猫の足で地団駄を踏んだ。
──オレ様、あんなに大活躍したのに!
魔術師組合の屋根の上で、フギーフギーと鳴いて不満表明をしていると、唐突に強い風が吹いて、ネロのヒゲを揺らした。
港町の潮風と違う、魔力を帯びた風。その感覚に、ネロは覚えがあった。
「ご無沙汰しております、黒猫殿」
音もなくネロの前に降り立ったのは、金髪をまとめた美しいメイド──〈結界の魔術師〉ルイス・ミラーの契約精霊リィンズベルフィードであった。
空を飛んで高速移動できるリンは、ルイスのおつかいで魔術師組合に書類を届けに来たらしい。
再会の挨拶もそこそこに、ネロは自分の不満を訴えた。
人間どもが自分を除け者にして、楽しそうな宴をしている。ずるい。羨ましい。肉食いたい。
リンは屋根の上に正座し、相槌の一つもうたず、人形のような無表情で、ネロの訴えを聞いている。
やがてネロが「肉ー肉肉肉ー」と屋根をゴロゴロしだしたところで、リンは一つの提案を口にした。
「実はわたくし、最近『持ち寄りパーティ』なるものを知りまして」
「あぁ、食い物や飲み物を持ち寄る宴だろ」
「わたくし、非常に興味があります」
ネロはゴロゴロするのをやめて、身を起こし、黒い尻尾を左右に揺らす。
「持ち寄りパーティなら、参加者は多い方が、飯が豪華になるよな?」
かくしてネロは、サザンドールにいる魔法生物の知り合いに、「持ち寄りパーティするから、食い物もってこい」と声をかけたのである。
ネロとトゥーレの正体や、アイザックが亡き王妃の契約精霊と契約していることなど、知られてはまずい事情がてんこ盛りの集まりであったが、魔法生物達は互いの素性にも正体にも興味がない。
なので今回の集まりも、「ネロが顔見知りの魔法生物の集い」という認識のもと、各々好き勝手にくつろいでいた。
リン以外が動物やトカゲの姿に化けているのは、敷物があまり大きくなかったためだ。なにより、動物の姿だと食べ物も酒も大きく見えるのがいい、とネロは思っている。
酒を注いだり、食べ物を広げたり、給仕のためにリンだけは人の姿をとっていた。リンは、持ち寄りパーティの給仕役を経験したいらしい。
自分の体ほどもあるパンをペロリと平らげたネロは、バスケットの横にある紙包みに目を向けた。あれは、ピケが背中に背負ってきたものだ。
「そっちの包みは肉か? 肉だな? 肉の匂いがする」
「そう。持ち寄りパーティをするって言ったら、『くれぐれもネロ殿に失礼のないように』って、持たせてくれた」
「なるほど、心得たヒンヤリだな」
ネロとピケがそんな話をしている横では、トゥーレが敷物の上をコロコロ転がっている。
コロコロ、コロコロ、と左右に転がる白いイタチの体は、勢い余って、小さなトカゲ──ウィルディアヌの尻尾の端を踏んだ。
気づいたトゥーレが、転がるのを止めて起き上がる。
「潰してしまったかな。ごめんね?」
「いえ、大事ありませんが……何故、転がっているのですか?」
純粋に疑問に思ったことを訊ねるウィルディアヌに、トゥーレは小さな頭をコトンと傾けて言った。
「この姿だと、いっぱいコロコロできて、楽しいからね」
黒竜ほどではないにしろ、大きな体を持つ白竜が地面をコロコロ転がったら──なるほど、大惨事である。
ネロは咥えていた肉を飲みこみ、うんうんと頷いた。
「分かるぜ。あと、この姿だと狭いところに入れるのもいいよな。棚の隙間とか」
「わたしは、移動中の鞄の中も好きだよ。ね、ピケ?」
「揺れて楽しい」
「わたくしはポケットの中、でしょうか。落ち着きます」
黒猫、イタチ、トカゲが順番に各々の考えるベストポジションについて語ると、焼き菓子を皿に並べていたリンが、ゴトンと勢いよく首を傾けた。
「狭いところが好ましい、という感覚は理解できかねますが、狭いところに入れると便利だとは感じます。仕える家のお子様が、家具の隙間に玩具や靴下を隠しますので」
「人間の子どもって、そういう習性があんのか?」
「物を隠したがるのは、大人も同様かと」
そう言ってリンは、紙袋から大量のジャムの瓶と酒瓶を取り出し、ズラリと並べた。
焼き菓子に添えられたジャムに、トゥーレが「わぁ」と嬉しそうな声をあげ、大量の酒瓶にネロが舌なめずりをする。
「随分いいもん持ってきたじゃねーか」
ニャッフッフと上機嫌に笑うネロに、リンは無表情ながら、どこか得意気に言った。
「有能なメイド長は、主人の隠しごとも全てお見通しなのです」
バスケットにパンを詰めていたウィルディアヌは、
(マスターの分はどうしたら……この後、〈沈黙の魔女〉様もお帰りになるだろうし、お二人の分を残した方が良いだろうか。ただ、マスターは〈沈黙の魔女〉様のために料理するのを楽しみにしておられるから、わたくしが食事を用意したら、マスターの楽しみを奪ってしまう。なら、マスターの分だけを一つ? 二つ? 人間の一般的な食事量からすると、一つで充分な気もするが、マスターは食べる量が多い、気がする……いや、この後〈沈黙の魔女〉様の分も含めてマスターが料理をされるのなら、そもそも置いていかない方が……)
でも、せっかく作ったし、一つぐらいマスターに食べてほしいなぁ。と思って、お皿にパンを一つだけのせたそうです。
次の更新で外伝は一区切りです。よろしければ、もう少しお付き合いください。




