【11】曲者師弟の探り合い、時々馬鹿弟子
七賢人のローブではなく礼服を身につけた〈結界の魔術師〉ルイス・ミラーは、テーブルの上に並ぶワインの酒瓶を見て、切なげな顔でため息をついた。
〈星詠みの魔女〉メアリー・ハーヴェイは大のワイン好きだ。故に彼女が催すパーティでは、いつも極上のワインが提供される。
それを楽しみにパーティに参加したルイスだったが、今日は気が済むまで酒瓶を空にするわけにはいかなかった。
極上のワインをちびりちびりと舐めるように飲んでいると、背後から声がかかる。
「よぉ、クソガキ。今日は随分とお行儀が良いじゃねぇか」
聞き覚えのあるその声に、ルイスは振り向きながら愛想の良い笑みを顔に貼りつけた。
ルイスの背後に佇み、煙管をふかしているのは、目つきが悪く眉毛の太い、白髪の老人。
ルイスの師匠〈紫煙の魔術師〉ギディオン・ラザフォードだ。
「おや、これはこれはラザフォード先生、お久しぶりです……私はいつでもお行儀が良いでしょう?」
ルイスが非の打ちどころのない完璧な笑顔で挨拶をすると、ラザフォードは太い眉をしかめて、ケッと喉を鳴らした。
「学生時代、寮に酒瓶持ち込んで悪びれもしなかったクソガキの台詞たぁ思えねぇな」
「昔話は勘弁してください。今日は〈治水の魔術師〉殿がお見えになっているのです」
ルイスの言葉に、ラザフォードは「ははぁん」と意地悪く笑った。
〈治水の魔術師〉バードランド・ヴェルデは元七賢人であり、ルイスの妻ロザリー夫人の父親である。
つまりは舅が同じ会場にいるから、今日のルイスは大人しくせざるをえないのだ。
「手のつけられなかった悪ガキが、所帯持って随分と丸くなったじゃねぇか」
「その言葉、〈治水の魔術師〉殿の前で言ってくれませんか? できれば私の家族想いな部分を強調する感じで」
「調子に乗んな、クソガキ」
ラザフォードは煙管をプカリとふかしてルイスを睨んだ。相変わらず口の悪い師匠である。
ルイスはこの口もガラも目つきも悪い師匠と、昔話に花を咲かせるつもりはないので、気になっていたことを率直に訊ねた。
「今日のパーティ、カーラは来ていないのですね」
ラザフォードの太い眉毛がピクリと動く。
カーラとは、ルイスの姉弟子である〈星槍の魔女〉カーラ・マクスウェルのことだ。
カーラは元七賢人であり、ルイスも認める数少ない本物の天才である。その才は〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレットに匹敵する。
ルイスが姉弟子の名を口にすると、ラザフォードは煙管を咥えながら短い白髪をガリガリとかいた。
これは、この老人が言葉を選ぶ時の癖だということを、ルイスは知っている。
「……あいつは、社交界が嫌いだ。お前も知ってんだろ」
「えぇ、ですが今日の主催はカーラと懇意にしていた〈星詠みの魔女〉殿。まして、参加者の半数が魔術師組合関係者です。出席してもおかしくはないと思ったのですが」
「……さぁな。俺ぁ、何も聞いてねぇよ」
ラザフォードは決して嘘が下手な人間ではない。
その気になれば、顔色一つ変えずにルイスを騙せる狡猾で強かな老人だ。学生時代のルイスは、何度この老人に煮湯を飲まされたか分からない。
そんなラザフォードが、こうして分かりやすく言葉を濁しているのは、抱えている事情をルイスに話すべきか否かを迷っているからだ。
おそらく、口止めされているのだろう。〈星槍の魔女〉カーラ・マクスウェルに。
「……何が起こるか分からん世の中だ。弟子をちゃんと育てとけ。お前の弟子、初級魔術師資格は取ったのか?」
そう言ってラザフォードは、また煙管をふかした。分かりやすく話を逸らそうとしている。
これ以上の詮索は無駄だろうと結論付け、ルイスは言葉を返した。
「おや、師匠はグレンのことを気にかけてくださるのですか?」
「アレもお前さんとは違う意味で問題児だったからな。俺の研究室ぶっ飛ばしたあの小僧、少しは使えるようになったか?」
「えぇ、なんとか初級魔術師資格は取得しました。筆記試験に二回も落ちた時は、もう駄目かと思いましたがね……なんでも友人に助けられたそうで」
ラザフォードは「なるほど」と呟き、首を傾けてガラス張りの大窓を見上げた。
「それで、監督無しで術が使えるようになったお前の弟子は、あんなに元気に飛び回ってるってわけか」
「…………はい?」
ラザフォードが顎をしゃくって、窓を示す。
ルイスがずれた片眼鏡を押さえながら窓を見れば、そこには人を背負って元気に飛び回っている馬鹿弟子もとい、グレン・ダドリーの姿が……!
(竜退治はどうした、あんの馬鹿弟子ーーーーーっ!!)
* * *
ラウル達から逃げるように部屋を飛び出したレイは、人のいない場所を求めて庭に出て、屋敷の裏側に回った。
先程まで晴れ渡っていた空は、まるでレイの心を反映するかのように厚い雲に覆われている。
吹く風はヒヤリと冷たく湿っていた。もしかしたら、雪が降るかもしれない。
レイは適当な木のそばでうずくまると、礼装の手袋をそっと外した。
その身に数多の呪術を刻んでいるレイの全身には、まるで刺青のように呪いの紋様が浮かび上がっている。その紋様はレイの感情に呼応して、まるで紋様そのものが生きているかのようにうねり、形を変えるのだ。
今も手袋の下の手は、紋様が変化を始めている。それも、より濃く太く。
顔にも違和感があるから、恐らく顔面の左半分には、びっしりと紋様が浮き出ているのだろう。
「あぁ、いやだ、おさまれ、おさまれ、おさまれ……」
魔術は論理的に術式を組んで、必要な魔力を注ぎ、そうして初めて発動する。
一方、呪術は詠唱することで発動するものもあれば、感情が引き金となって、本人の意思とは裏腹に発動してしまうものもあった。
特に込められた感情が強く重いほど、呪術は威力を増す──それが魔術と呪術の最大の違いだ。
故に、全身に呪術を宿したレイは、感情が昂りすぎると呪術が暴走することがある。
「……おさまれ、おさまれ、おさまれよぉ!」
うつむき頭を抱えると、不揃いな長さの紫色の髪が嫌でも目に入る。
レイは自分の髪の色が嫌いだ。
完璧に染まった紫色は、彼が完璧な呪術師であることを意味している。
レイの母親は完璧な呪術師ではなかった。
だから、前髪が一房紫色なだけで、あとは綺麗な金色の髪をしていた。
レイの母親だけじゃない。オルブライト家の人間は大抵がそうだ。髪が完全な紫になったのは、レイと祖母のアデライン、そして初代〈深淵の呪術師〉だけ。
そして、呪術師ですらないレイの父親は、ありきたりな茶色い髪をしていた。魔術とも呪術とも無縁の、普通の人だったのだ。
そんな彼に母は恋をした。だが、父には別に意中の人がいたという。
そのことに絶望した母は、けれど己の恋心を捨てきれず……愛情と嫉妬に狂い、その感情を暴走させて、愛した人を呪ってしまった。
呪術とは、誰かを苦しめるための術だ。
対象を傀儡にして操って、そうして相手を苦しめるのなら、呪術師として正しい在り方だったかもしれない。
だが、母は誰かを苦しめるためでなく、自分の欲を叶えるために、愛した人を傀儡にしてしまった。
──あぁ、あぁ、呪術で人を操るなんて、私はなんてことをしてしまったのだろう。レイ、私を軽蔑しなさい。私は呪術師の風上にも風下にも置けない、ただのクズだわ。こんな私は、あなたに呪術を教える資格なんてないの。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……
母はいつも、自分の行いを嘆き続けていた。だが、呪いの力は強く、父にかけられた呪いはなかなか解けない。
やがて母は心を病み、傀儡となった父と共に本邸を離れ、別邸で暮らすことを決めた。
……幼いレイを、本邸に残して。
そして母は、レイの前から去る前に「どうか覚えておいて」と前置きをして、こう言い聞かせたのだ。
──私達、呪術師は「あいしてる」と口にしてはいけないの。いいわね、レイ。
その半年後、両親が死んだとレイは聞かされた。
母は父にかけられた呪いを解こうと、身に余る術に手を出し……結果、呪術を暴走させて、父諸共死んだのだ。なんて、哀れで愚かな末路だろう。
両親の最期を聞かされた幼いレイは、愛情の恐ろしさに震え上がった。
(それでも俺は、誰かから愛されてみたいんだ……)
自分から愛するのは恐ろしい。だって誰よりも強い呪術師であるレイが、本気で誰かを愛したら、きっと母のように相手を呪ってしまう。その人の人生を狂わせてしまう。
自分は愛してると言えないのに、誰かから愛してると言われたいなんて、都合の良い話だ。そんなこと、ラウルに言われずとも、よく分かってる。
(それでも言われたいんだ。俺のこと、愛してるって)
愛してるの一言で人を呪ってしまった母も、傀儡となった父も、レイに「愛してる」とは言ってくれなかった。
オルブライト家の外の人間は、みんな呪術師を気味悪がっていて、やっぱり誰も「愛してる」なんて言ってくれない。
「……愛されたい、愛されたい、当たり前のことみたいに愛してもらいたい。愛してるって言われたい。心がこもってなくてもいいんだ……いや嘘だ。本当は心を込めて言ってほしい。俺のこと、愛してるって、心をこめて言ってほしい」
「なら、何故それを婚約者の私に言わないで、逃げ回っているのです?」
背後から、静かな声が聞こえた。
レイは頭を抱えたまま、ゆっくりと振り向く。
そこに佇んでいるのは、短い金髪に長身の女性。レイの婚約者──フリーダ・ブランケだった。




