【幕間】往年のクソガキ対決
新七賢人就任式典とパレードで王都が大いに賑わった日の翌日、レーンフィールド領主エリオット・ハワードは、リディル王国城の一室を訪れていた。
エリオットは式典に参列するほどの身分ではないが、自領が今回の大規模竜害で被害を受けている。その被害状況の報告のために、彼は数日前から王都入りしていた。
レーンフィールドは今回の騒動で、神殿付近の森が燃えている。〈星槍の魔女〉のおかげで延焼は防げたが、それでも被害は決して少なくはない。
なによりレーンフィールドの森の木は、土地の魔力を吸い上げて、魔力濃度を一定に保つ役割をしていたのだ。これは普通の木では代用できない。
そこで、魔力を吸い上げる効果のある木を手配してくれたのが、リディル王国で最も植物の扱いに長けた魔力の名門、ローズバーグ家だ。
「この度は、レーンフィールド復興にご尽力いただき、誠にありがとうございます。ローズバーグ卿」
そう言ってエリオットは深々と頭を下げる。
エリオットの向かいに座る、真紅の巻き毛の男は、ローズバーグ家当主、五代目〈茨の魔女〉ラウル・ローズバーグ。
エリオットとさほど変わらぬ年に見えるが、魔術師の頂点に立つ七賢人の一人だ。
七賢人のローブを着た美貌の魔術師は、その美しい顔に照れくさそうな笑みを浮かべ、首の後ろをかいた。
「お役に立てて良かったです。しばらくはローズバーグ家の者を、そちらに滞在させるので、分からないことがあったら、彼らに相談してください」
〈茨の魔女〉と言えば、初代の残忍さで有名だが、現当主は朗らかで気さくな男だった。
真紅の巻き毛に、緑の瞳、整った顔立ちは初代譲りの神秘的な美しさだが、快活に笑う姿に近寄りがたさはない。
木の手配に関しても、恩着せがましさはなく、それどころか育て方のアドバイスをくれたりと親切だ。
(この人が、子リスの同僚なのか……)
子リス、こと〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレットは、ウォーガンの黒竜、レーンブルグの呪竜に続き、ミネルヴァの黒竜を討伐している。リディル王国三大邪竜を討伐した、偉大な竜殺しの英雄だ。
〈沈黙の魔女〉と言い、〈茨の魔女〉と言い、噂や見た目は当てにならないものだと改めて噛み締めつつ、エリオットは書類にサインをする。
そうして一通り、打ち合わせをしたところで、ラウルが少し申し訳なさそうに切り出した。
「あぁ、そうだ。オレは夏から一年ぐらい留守にするので、その間に何か困ったことがあったら、当主代理のメリッサ・ローズバーグにお願いします」
「そうなのですか? ……はい、分かりました」
七賢人が一年不在──あまり聞かない話だが、エリオットは言及しなかった。
なにせ、身分は圧倒的に七賢人の方が上なのだ。その上、親切にしてもらっているのに、根掘り葉掘り事情を聞くのは、あまり品が良くない。
ラウルは書類をまとめて立ち上がると、チラリと廊下に繋がる扉を見る。
「ハワード卿、この後、お時間はありますか?」
「はい」
被害報告も、植林の手配も済ませた。あとエリオットがすることと言えば、王都に来ている顔見知りへの挨拶と、どこぞの歌姫にせがまれた土産を買うことぐらいのものだ。
「さっき、廊下でフェリクス殿下にあって、頼まれたんです。ハワード卿に挨拶をしたいから、この部屋に残るよう伝えてほしいって」
ラウルの言葉に、エリオットは表情が歪みそうになるのを、グッと堪えた。
フェリクス殿下──即ち、あのクソ従者である。
(なんで、俺がわざわざあいつを待ってやらなきゃいけないんだ)
そう吐き捨ててやりたいが、あの従者の表向きの顔は第二王子である。エリオットに否など言えるはずもない。
「……そうですか。分かりました。では、この部屋で待たせてもらいます」
エリオットが苦いものを飲み込んで言うと、ラウルはその端麗な顔にニコニコと人の良い笑みを浮かべた。
「ハワード卿とフェリクス殿下は、学友なんですよね?」
「えぇ、まぁ」
「友達って、良いですね!」
「……はは」
それからいくつか言葉を交わして、ラウルは部屋を去っていった。
残されたエリオットは、部屋に人がいなくなると同時に、椅子の背にもたれ、全力で苦虫を噛み締める。
(あのクソ従者め。一体、何の用だ?)
そういえば、春の祝祭でモニカに魔術奉納を頼んだ時、土産に硬い焼き菓子を持たせてやったのだった。クソ従者に食べ方は教えるなよ、との注釈付きで。
あれのせいで歯が折れたという苦情だろうか。だとしたら良い気味だ。
そこに、「失礼します」と声をかけて、使用人の男が茶や菓子をのせたカートを運んできた。
使用人は、カップに茶を注いでエリオットの前に置く。カップから漂う柑橘に似た香りは、ベルガモットだ。
「おい、違う紅茶にしてくれ。ベルガモットフレーバーは嫌いなんだ」
エリオットの声を無視して、使用人はエリオットの前に菓子の小皿を置いた。
小皿にのせられているクッキーからは、座っていても分かるぐらい、シナモンの香りが漂ってくる。
ここまでくると、絶対に嫌がらせだ。あいつが使用人に命じて用意させたに違いない。
一言嫌味を言ってやろうと、エリオットは使用人を睨みつけた。
テーブルのそばに姿勢良く佇むその使用人は、仕立ての良い侍従服を着た長身の青年だ。金髪碧眼で、右目の上を縦に走る古傷がある。
エリオットは、その傷痕に心当たりはない。だが、こちらを見る、嫌悪感を隠そうとしない冷ややかな目がエリオットの古い記憶を刺激した。
まさか、まさか、と唇を戦慄かせるエリオットに、目つきの悪いその男は、ニコリともせず告げる。
「これは失礼。ハワード様はベルガモットがお好きなのだと、勘違いをしておりました」
エリオットは垂れ目を見開き、死者と出くわしたかのように顔を引きつらせた。
事実、この男はある意味死者だ。
「おまっ、お前、クソ従者!? なんで生きて……あ、いや、生きてるんだった。でも、なんで、顔、顔、顔ぉっ!」
悲鳴じみた声で喚き散らすエリオットの前で、従者は無言で目の上の古傷をなぞる。
あれは、刃物でスッパリ切った痕じゃない。大きな生き物の爪か牙で、力任せに抉られた痕──おそらく、竜だ。
(だから、子どもの頃は前髪で隠していたのか……!)
エリオットは先日の竜害で、翼竜を間近で見ている。
あの爪が、自分の顔に振り下ろされるところを想像するだけでゾッとする。まして、この従者は当時まだ子どもだったのだ。
顔を強張らせているエリオットに、従者は淡々と言った。
「色々と事情があって、条件付きで顔の切り替えができるようになったんだ。このことを、貴方に説明する必要性は、これっぽっちも感じなかったのだけど」
「……へぇ、それなのに、どうしてわざわざそんな格好を? 趣味か?」
動揺を押し殺し、皮肉を返すエリオットに、従者は切れ長の目を眇め、薄い唇の端を持ち上げる。
「貴方の、その間抜け面が見たくて」
悪意に満ちた笑み、悪意に満ちた声、悪意に満ちた台詞!
──従者風情が、何様だ!
エリオットは勢いよく立ち上がり、拳を握りしめて唸った。
「俺は前々から思ってたんだ。殿下の顔でなかったら、殴ってやるって、なぁ!」
エリオットは従者の腹に、思い切り拳を叩き込む。
顔を殴らないでやったのは、せめてもの情け──ではなく、この従者が「顔を切り替えられる」と言ったからだ。
後々、フェリクス殿下の顔になった時にアザができていたら、きっとエリオットは罪悪感に苛まれてしまう。
腹を殴られた従者は、悲鳴の一つもあげなかった。それどころか、歯を食いしばり、予め腹筋に力を込めていたらしい。エリオットが殴るなら胴体だろうと、読んでいたのだ。
従者は食いしばった歯の隙間からフゥッと息を吐くと、低い声で呻いた。
「……決めていたんだ。貴方が殴りかかってきたら、一発は殴らせてやろうと」
前髪の隙間で、碧い目がギラリと輝く。
その唇の端が凶悪に持ち上がるのを、エリオットは見た。
「……そして、こちらも遠慮なく殴り返そうと」
従者は右の拳をエリオットの腹に叩き込んだ。容赦のない一撃に、エリオットは尻餅をつき、腹を抱えてえずく。
紅茶に口をつけなくて良かった。直前に飲み食いしていたら、確実に吐いていた。
(こいつ、俺に殴らせるために、わざと煽ったな!)
その上で、きっちり腹に力を込めて耐え、やり返してきたのだ。性格が悪すぎる。
「貴方が嫌いだ。忌々しいエリオット・ハワード」
腹を抱えてうずくまるエリオットを見下ろし、アイザックは冷ややかに吐き捨てた。
アイザックにとって、エリオット・ハワードは天敵だ。
エリオットはいつも、アイザックのお気に入りを苛めるくせに、いつの間にかしれっと仲良くなっている。
幼少期、散々フェリクスのことを苛めていたくせに、いつのまにか親友面をして、公的な友人になっていた。
アイザックはフェリクスの秘密の友人で、表向きはフェリクスの使用人でしかいられなかったのに!
セレンディア学園時代、シリルのことを庶民出身だと馬鹿にしていたくせに、卒業後は普通に呼び捨てにされていた。
アイザックは、いつまで経っても殿下呼びだったのに!
そして、挙げ句の果てのモニカである。
この男は、モニカに魔術奉納をしてもらったのだ。しかも、アイザックが死ぬほど見たかった、〈沈黙の魔女〉の新作魔術を!
レーンフィールドの魔術奉納の素晴らしさを耳にする度に、アイザックは羨ましくて羨ましくて仕方がなかった。
エリオット・ハワードという男は、いつだって、アイザックが望んだものをサラリと横取りしていく。自分がそうするのは当然だと言わんばかりの、貴族らしい高慢さで。
悪意も敵意も隠さないアイザックに、エリオットは顔をしかめて舌打ちをした。
「俺もお前が嫌いだよ、クソ従者。こんなことなら、子どもの時、客に対して無礼な従者がいるって、クロックフォード公爵に告げ口してやれば良かった」
「告げ口しようにも、貴方は僕の名前を、ろくに覚えていないのでは?」
辛辣なアイザックの言葉に、エリオットは肩を竦め、挑発的に笑う。
「当たり前だ。よその家の使用人の名前なんて、わざわざ覚えてられるか」
エリオットは人の顔と名前を覚えるのが得意だ。セレンディア学園時代、生徒のことは、ほぼ完璧に覚えていた。
それなのに、エリオットは頑としてアイザックの名前を覚えようとしない。彼にとって、たかが従者の名前など覚える価値もないのだろう。
「いかにも、高慢な貴方らしい」
アイザックの呟きを、エリオットは鼻で笑った。絵に描いたように、鼻もちならない貴族の笑みだ。
エリオットは腹をさすりながら立ち上がると、ドカッと勢いよく椅子に座り、彼が嫌いなベルガモットフレーバーの紅茶を飲み干した。
そうして、ふんぞり返って、殊更横柄に言い放つ。
「おい使用人、二杯目はリグナムの秋摘みをミルクティーで。ミルクは少なめ先入れ。角砂糖は一つ。従者なら従者らしく、かしずいて丁寧にお客様をもてなせよ。隠し味にシナモンを入れたら、一からやり直させてやる」
「…………」
エリオットの言葉を無視し、アイザックは茶器や皿を全てカートに戻した。
カートの隅には、布をかぶせた大きめのバスケットが置いてある。いかにも茶器の予備を収納していそうなバスケットだが、布の下に隠してあるのは、装飾の多い華やかな上着だ。
(そろそろ時間か)
アイザックは片手で顔を覆った。手のひらの下、右目の上にある傷が覆われ、皮膚が形を変えていく。
数秒後、アイザックが手を下ろすと、そこにあるのは、完璧で美しい第二王子フェリクス・アーク・リディルの顔だった。
「気持ち悪い」
エリオットの呟きを無視し、アイザックは侍従服の上着を脱いで、バスケットに隠していた華やかな上着を羽織り、タイを取り替える。
ポケットの中に隠れているウィルディアヌの力を使えば、侍従服姿の王子様でも誤魔化せるが、アイザックはフェリクスの顔で侍従服を着ることに、凄まじく抵抗があるのだ。
ズボンや靴はそのままなので、多少違和感はあるが、自室に戻るまでの短時間なら問題ないだろう。大抵の人間は彼とすれ違っても、華やかな上着と美しい顔ばかりに目がいく。
「それでは、私はこれで失礼するよ。君がリクエストした紅茶は、後ほど別の使用人に届けさせよう」
そう言って、アイザックは優しい王子様の顔でエリオットに笑いかける。
「久しぶりに学友に会えて嬉しかったよ、エリオット」
心にもない言葉だ。
案の定、エリオットは眉を持ち上げたが、すぐにお上品な笑顔を取り繕った。
「殿下にそう言ってもらえるなんて、光栄だな。次に我が街で祝祭をする時は、是非とも招待させてくれ。また、〈沈黙の魔女〉に魔術奉納を依頼するつもりなんでね」
〈沈黙の魔女〉の一言にアイザックが目を細めると、エリオットはしてやったりという顔で、ニヤリと笑う。
やはり、この男とは相容れない。
改めて確信しつつ、アイザックは第二王子らしい堂々とした足取りで部屋を後にした。




