【幕間】我が愛しのモンスター
リディル王国の第一王妃ヴィルマが、第二王妃アイリーンと個人的な茶会をしたのは、アイリーンが嫁いで来てから、一年近く経ってからのこと。この時、ヴィルマは二十六歳、アイリーンは十九歳であった。
ヴィルマは赤茶の髪の無骨な女だ。容姿に優れているわけではないし、故郷では剣ばかり握っていたので、全体的に筋肉質でゴツゴツしている。
一方、七歳年下のアイリーンは、物語の世界から飛び出してきたのではないかと思うぐらいに美しい貴婦人であった。
艶やかな金髪に水色の目。浮かべる表情は穏やかで、春のひだまりのような暖かさに満ちていて、彼女が微笑むだけで、場の空気が柔らかくなる。
それでいて気品と教養があり、頭の回転も早い。魔術の才もあり、驚くことに上位精霊と契約しているという。
ヴィルマにはないものを、全て持っている完璧な貴婦人。それが、アイリーン妃だった。
なにより、彼女の父はリディル王国でも有数の権力者であるクロックフォード公爵だ。
既にヴィルマが第一王子を出産しているにも関わらず、アイリーン妃が嫁いできたのは、クロックフォード公爵の強引な後押しがあったからに他ならない。
(きっと、他国から嫁いできたわたくしのことを、よく思っていないのでしょう)
大臣をはじめとした宮中貴族達は皆、クロックフォード公爵の娘であるアイリーンを、ヴィルマから遠ざけ、守ろうとしている。
ヴィルマがアイリーンを誘おうとして、さりげなく別の予定を持ちかけられたことは、一度や二度ではない。
そんな中、ようやく実現させたのが、この茶会なのだ。
ヴィルマは椅子の上で姿勢を正すと、鋭い目でアイリーンを見据えた。
「アイリーン様。わたくしは、貴女に申し上げたいことがございます」
「まぁ、どのようなことでしょう?」
アイリーンは美しい顔で、たおやかに微笑む。こちらの全てを受け止めてくれると錯覚しそうな、温かみのある笑顔だ。
女にしては厳ついヴィルマを前に、怯えや緊張を微塵も感じさせないのは流石だ。
「率直に申し上げましょう。わたくしの願いは、ランドール王国とリディル王国の平和。ただそれだけ。それだけなのです」
ヴィルマには既に、子がいる。第一王子ライオネル。順当にいけば、ライオネルが次期国王だが、この先、アイリーンに男児が産まれたら、きっと状況は変わってくるだろう。
おそらく、リディル王国の貴族達の意見は割れるはずだ。
そうなった時、自分は不利な立場にあることも、ヴィルマは自覚していた。
ヴィルマがこの国に嫁いで、かれこれ十年近く経つが、ヴィルマの味方は決して多くはない。
殊に、クロックフォード公爵の娘であるアイリーンが嫁いでからは、第二王妃を支持する者が目に見えて増えている。
だからこそ、ヴィルマは今後の己の振る舞いについて、腹を括っていた。
ヴィルマは我が子を愛しているが、必ずしも王にしたいとは考えていない。
だが、この先、アイリーンに男児が産まれ、その子が──或いは、背後にいるクロックフォード公爵が、ランドール王国との戦争を望むなら、ヴィルマは我が子を王にするために、人の心を捨てる覚悟もできている。
「どうぞ、貴女の考えをお聞かせください。アイリーン様」
成人男性もたじろぐ気迫のヴィルマに、アイリーンは穏やかな笑みを崩さなかった。
「誠実に御心を語ってくださり、ありがとうございます、ヴィルマ様。……では、わたくしも包み隠さず、胸の内を語りましょう」
水色の目が、ヴィルマを見つめる。形の良い唇が、笑みの形を保ったまま言葉を紡ぐ。
「わたくし、子どもの頃は、好奇心モンスターと呼ばれていましたの」
ヴィルマは姿勢良く座ったまま硬直し、言葉の意味を飲み込もうとした。
だが結局、理解しきれず、疑問をそのまま口にする。
「…………なんですって?」
「好奇心モンスターですわ、ヴィルマ様」
丁寧な口調で繰り返された。
「わたくし、気になることがあったら、全部調べないと気が済まないのです。おかげですっかり、雑学マスターですわ。特に魔術の勉強をしたら、これが面白くて面白くて。とうとう精霊との契約にこぎつけてしまいましたの」
ヴィルマは唖然とした。
この奇跡のように美しい女性から、好奇心モンスターなんて言葉が飛び出してくるとは思わなかったのだ。
ヴィルマは思わず、声を荒らげた。
「ふ、不敬です! 貴女は、そんな失礼な呼び方を、周りに許していたのですか!」
「まぁ、わたくしは気に入ってますのよ。好奇心モンスター」
アイリーンは両手の指先をピトリとくっつけて、クスクスと微笑む。
十九歳の女性らしからぬ、少女めいた笑い方だった。
「そんな好奇心モンスターは、今、貴女に興味津々なのです、ヴィルマ様」
「わっ、わたくしは、真面目な話をしているのですよ!」
「勿論、わたくしも大真面目ですわ」
アイリーンは指をくっつけた手を、己の口元に添える。
指のアーチの向こう側で、美しい唇が悪戯っぽい笑みを刻んだ。
「わたくしは、貴女のことがもっと知りたいのです、ヴィルマ様。だから……定期的にお茶会ができるよう、手を組みませんか?」
アイリーンの提案にヴィルマは驚愕し、目を見開く。
完全に、予想外の提案だったのだ。
「貴女は、わたくしとの茶会を避けていたのではないのですか?」
「大臣達が勝手にしたことです。今日のお茶会、わたくしはどうしても実現させたくて、ちょっと色々と、根回しを頑張りましたのよ」
そう言ってアイリーンは、壁際に佇む銀髪の年若い侍女に目配せをする。
銀髪の侍女はどこか困ったような顔で、小さく一礼を返した。どうやらあの侍女は、アイリーンが心許している味方であるらしい。
アイリーンはヴィルマに視線を戻すと、美しい笑みはそのままに、はっきりとした口調で告げる。
「わたくし達には、話し合う時間が必要です。……この国の、そして我が子の未来について」
その日から、ヴィルマとアイリーンの茶会は回数が増えた。
二人は色々なことを話した。
リディル王国とランドール王国の未来について。リディル王国の魔術や、ランドール王国の機械技術について。雑学マスターを名乗るアイリーンの雑学に、ヴィルマの剣術談義。はてには、子ども時代の思い出話や、大臣のカツラ疑惑についてまで。
本当に、色々な話をしたのだ。
だが一年後、アイリーンは第二王子フェリクスを出産し、そのまま帰らぬ人となった。
命に関わる難産になると知りながら、それでもアイリーンは子を産むことを選んだのだという。
報告を受けたヴィルマは、同じ夫をもつ年下の友人を偲び、人に隠れて大泣きした。
* * *
「ウィル」
ポンと布越しに叩かれる感覚で、水霊ウィルディアヌは我に返った。
昔は、とある女性のネックレスがウィルディアヌの定位置だったのだが、今の主人は懐中時計にウィルディアヌの契約石を隠している。
ウィルディアヌは白いトカゲに姿を変え、主人のポケットから頭を覗かせた。
今の主人アイザック・ウォーカーは、第二王子の美しい顔に少しだけ困ったような表情を浮かべている。
今日は、サザンドールの黒竜討伐の褒賞授与式典だ。
第二王子として式典に参列するアイザックは王族の席を離れ、わざわざ廊下に出て、ウィルディアヌに声をかけたらしい。
「世話の焼けるリーダーが、迷子になっている。ちょっと、助けてあげてくれないかい?」
「承知しました」
世話の焼けるリーダー、もとい〈竜滅の魔術師〉サイラス・ペイジは今日の式典の主役の一人である。彼が来ないと、式典に支障が出るだろう。
ウィルディアヌはトカゲの姿のままスルスルと廊下を移動した。
途中、オロオロしている〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレットの姿が見えたので、ウィルディアヌは、自分がサイラスを探しに行くと一声かけて、式典会場を出る。
ウィルディアヌは感知の能力に長けているわけではないが、城の構造を把握している。それこそ、人間には使えない道も移動できるので、下手な使用人よりもよっぽど詳しかった。
かつて、アイリーン妃に仕えていた頃は、ヴィルマ妃との茶会のために、秘密のお使いを頼まれたりもしたのだ。
(あの頃のわたくしの姿を知る人間は、もう、ヴィルマ様しかいないけれども……)
そのヴィルマも、今は王妃として式典会場にいる。
赤茶の髪は白髪混じりになっていたけれど、それでも鋭い目つきは昔のままで、ウィルディアヌは式典会場を出る時、懐かしく思ったものだ。
(おや)
ふと、後方からドタドタと荒々しい足音が聞こえた。城の中で、そういう走り方をする人間は、あまりいない。
血相を変えて廊下を全力疾走しているのはサイラスだ。
さて、どうやって彼に声をかけようかとウィルディアヌは思案する。
サイラスはサザンドールでアイザックと共闘した際に、トカゲ姿のウィルディアヌを見ている。そして彼は、第二王子の正体がアイザックであることを知らないのだ。
(できれば、わたくしと気づかれない方が好ましい)
トカゲの姿で声をかけたら、「アイクが城にいるのか?」と訊かれるかもしれない。
この先、アイザックと共同研究者であるサイラスが、人に化けたウィルディアヌを目にする可能性があるから、侍従姿も避けたい。
だが、まったく関係のない人間に化けるには、少しばかり魔力と時間がかかるのだ。変化している間に、サイラスが遠くに行ってしまう。
(ならば……)
ウィルディアヌはサイラスの進行方向に回り込むと、メイド服を着た若い娘に姿を変える。かつてアイリーン妃に仕えていた頃に、よく使った姿だ。
ただ化けただけだと髪色が白に近い水色になるので、銀色になるよう色味を調整するのも忘れない。
(あぁ、この感覚……)
トカゲと侍従と侍女とでは、目線の高さが全く違う。
侍女の目線の廊下が、妙に懐かしい。
──ウィル、侍従と侍女では、歩き方が全然違うのよ。
そう言ってかつての主人は、ご丁寧に侍従と侍女の歩き方を再現してくれたのだ。
美しい貴婦人の侍従歩きを思い出し、ウィルディアヌは無意識に小さく微笑んだ。




