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サイレント・ウィッチ(外伝)  作者: 依空 まつり
外伝3:愛されたがりの婚約譚
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【10】呪術師のタブー

 パーティ会場から少し離れた個室に運び込まれたモニカは、ソファにちんまりと腰掛け、沈痛な顔で項垂れていた。

 室内に足を踏み入れたアイザックは、ぐるりと周囲を見回す。

 室内にモニカを運び込んだフリーダ・ブランケや、他の使用人の姿は無い。

 アイザックに続いて、シリル、ラウル、レイ達も部屋に入ってくると、モニカは両手で顔を覆って、さめざめと泣き崩れた。

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」

 アイザックは謝罪を繰り返すモニカの前で膝をつき、あくまで第二王子の顔で口を開く。

「あぁ、どうか泣かないでください、レディ。責められるべきは、無謀な計画を立てた愚か者と、それを止めなかった者達です」

 アイザックの言葉に、生真面目なシリルが罪悪感に満ちた顔で「うっ……」と胸を押さえた。

 一方、主犯のラウルは頭の後ろで手を組んで「惜しかったなぁ」などと呑気に呟いている。モニカのあの残念な演技を「惜しかった」などと言えるのは彼ぐらいのものだろう。

 そして、この騒動の原因でもあるレイはと言うと、陰気な顔を卑屈そうに歪めて、視線を彷徨わせていた。

「……あ、あれが、俺の婚約者……遠くからだから、よく見えなかったけど、背が高かった……もしかして俺と同じぐらいか? ……どうしよう、俺のこと短足だと笑われたら……」

 呟き、レイはアイザックを凝視した。

 かつてモニカに黄金比と評された、すらりと長い手足をまじまじと眺めたレイは、非情な現実に膝を抱えてうずくまる。

「……世界は不公平だ……足の長い男なんて、ズボンが爆発する呪いにかかればいい……」

 レイはどんどん卑屈になっていき、モニカは申し訳なさそうに啜り泣き、シリルは「私が止めなかったから……」と罪悪感に頭を抱えている。

 ジメジメとした三人のせいで、部屋の湿度はどんどん上昇していく。このままだとカビかキノコが生えてきそうだ。

 そんな中、空気を読まない男ラウル・ローズバーグが、晴天のようにカラッとした声で言った。

「よし、じゃあ気を取り直して、次の作戦に行こうぜ!」

「あ、あのぅ、〈茨の魔女〉様……そ、そのっ……」

 鼻を啜っていたモニカが勢いよく顔を上げ、窓の方をチラチラと気にしながら、ラウルに何か言いかける。

 だがその言葉を遮って、レイが口を開いた。

「……もういい、もういいんだ……俺なんかが婚約なんて、どうせ上手くいくはずがなかったんだ……」

「諦めるなよ、レイ! いつも、あんなに愛されたい愛されたいって言ってたじゃないか!」

「……あぁ、そうだよ……愛されたい、愛してほしい……この際、誰でもいいから俺のことを愛してると言ってくれ……」

 だんだんと投げやりになっていくレイの言葉に、シリルが不愉快そうに眉をひそめた。

「誰でもいい、というのは不誠実ではないか?」

「そ、そういうのは、誰かに愛されたことのある人間の台詞だっ! 普通に恋愛ができるやつに、俺の気持ちなんて、分かるものか……」

 その呟きに何故かモニカがピクリと肩を震わせ、うつむく。

 シリルと何かあったのだろうか? アイザックはこっそりモニカの様子を窺ったが、モニカの表情は前髪に隠れてよく見えない。

 アイザックがモニカの方を気にしていると、ラウルが頬をかきながらボソリと呟いた。

「誰でもいいって言う割に、レイは注文が多いよな。だって、うちの姉ちゃんは駄目だったんだろ?」

 途端にレイは、尻尾を踏まれた猫のような顔で叫ぶ。

「あ、あの女は無理、無理だ……っ、あの女に愛されるぐらいなら、俺は一生ナメクジでいい!!」

「あっはっはっ! それ、姉ちゃんに言ったのか? レイは勇気あるなぁ!」

「お、俺は、年上の女の人は苦手なんだっ!」

 ラウルの姉、四代目〈茨の魔女〉メリッサ・ローズバーグのことは、アイザックも知っている。

 直接言葉を交わしたことはないが、式典で何度か顔を見たことがあるし、なにより彼女の素行の悪さは、城にいる人間なら誰もが知るところである。

 端的に言って、愛されたがりのレイが逃げ出すぐらいに強烈な人柄なのだ。

「まぁ、話が逸れたけどさ。もう一回挑戦してみようぜ『レイと婚約者をくっつけよう作戦』!」

「……不毛だ」

 シリルが腕組みをして、渋面で呻く。

 生真面目な彼は、この手の茶番が受け入れ難いのだろう。

「婚約者がいるのなら、誠実に向き合うべきだろう。面と向かって話し合えば良いではないか」

 至極当然のことを言うシリルに、何故かモニカの肩が小さく震える。やはり様子がおかしい。

 アイザックが声をかけるべきか迷っていると、ラウルが大きな声で言った。

「そうだな! シリルは良いこと言うぜ! そういう訳だからさ、レイ、ちょっと婚約者の子に突撃してこいよ!」

「そ、それができないからっ、こうして色々考えてたんだろぉっ!?」

「オレ、思ったんだ。レイはいつも愛してくれってねだるばかりで、自分から『愛してる』って言わないよな」

 その一言に、レイの顔が強張る。

 その顔から、どんどん血の気が引いていくことに気づかぬまま、ラウルは言葉を続けてしまった。

「たまには、自分から『愛してる』って言ってみればいいんじゃないか、レイ?」

 ラウルにしてみれば、それは悪気のない提案だったのだろう。

 だが、ラウルの言葉を聞いたレイの顔色が変わった。

 元から血の気の薄い顔がサァッと青ざめ、鉱石じみたピンク色の目がギラギラと底光りする。


「ふ……ふざけるなっ!!」


 レイが、普段の彼からは考えられないぐらい大きな声で叫ぶ。

 その顔は、怒りと憎悪と──そして、強い嫉妬に歪んでいた。


「俺が誰かに『愛してる』だなんて言っていいはずないだろ! 俺は呪術師なんだぞっ!? 俺が『愛してる』なんて言ったら、絶対に呪いになる! 俺の父親みたいに呪われて、死ぬまで好きでもない相手に尽くし続けるんだ!!」


 紫の髪を振り乱しながら怒鳴るレイに、誰もが言葉を失う。

 いつも朗らかなラウルですら、ポカンとレイを見ていた。

 レイはガリガリと髪をかきむしり、地団駄を踏みながら、金切り声で喚き散らす。


「あぁ、妬ましい妬ましい妬ましいっ、俺は、当たり前のように『愛してる』と言える奴ら全員が妬ましい! 呪われろ呪われろ呪われろ……っ、みんなみんな、呪われてしまえっ!! ……ただし、女の子以外!」


 最後の方で、しれっと正直なことを言って、レイは部屋を飛び出していく。

 ラウルが慌ててその背中を追いかけようとしたので、アイザックはラウルの腕を掴んで止めた。

 そろそろ潮時だろう。

「殿下、止めないでくれよ。オレ、無神経なこと言っちゃったみたいだからさ、追いかけて謝らないと……人参で許してくれるかな?」

 ラウルは当たり前のように、礼服のポケットから人参を取り出した。

 人参でどう許しを乞うのかは、気になるところではあるが……。

「うん、その前に……」

 アイザックは目だけを動かしてモニカを見る。

 モニカは真っ青な顔で、チラチラと窓を──正確には、窓辺のカーテンを気にしていた。

 あぁ、全く。なんて分かりやすいのだろう。


「そろそろ出てこられては? フリーダ・ブランケ嬢」


 アイザックの言葉に、カーテンが揺れて一人の女が姿を見せた。

 短い金髪、灰色の目の長身の令嬢──レイの婚約者のフリーダ・ブランケだ。

 モニカが縮こまって「ごめんなさいっ」と謝ると、フリーダは灰色の目でアイザック、ラウル、シリルの三人を順番に見た。

「そこの小さいお嬢さんを責めないでください。私が口どめしたのです。事情を知りたいので協力してほしい、と」

 フリーダはこれまでのやりとりも、茶番の理由も、全てカーテンの裏で聞いていたのだ。

 シリルが「これは、まずいんじゃないか?」と小声で呟き、ラウルが困ったように頭をかいた。

 先程、レイは「誰でもいいから愛してくれ」などと口走っている。婚約破棄もありえる結構な失言だ。

 だが、フリーダは特に腹を立てた様子もなく、淡々と言葉を続けた。

「私の婚約者は、友人がたくさんいるのですね」

 友人。その一言にラウルの顔がパァッと輝く。

「おぅ! レイとは友達だぜ! レイのことなら、なんでも聞いてくれ!」

「では、お訊きします。オルブライト卿のご両親が亡くなった経緯は、ご存知ですか?」

 ラウルは親指を立てて、力強い口調で答えた。

「全然知らないぜ!」

「…………」

 フリーダが無言でアイザックを見る。

 アイザックは苦笑しながら口を開いた。

「随分前に、呪術の暴走で亡くなったと聞いたことがあるよ。それと、これは当時流れた噂だけれど……」

 あまり楽しい噂ではないけれど、と前置きをして、アイザックは言葉を続ける。


「オルブライト卿のお父上は、奥方様の呪いで、傀儡になっていたのだとか」

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