【10】呪術師のタブー
パーティ会場から少し離れた個室に運び込まれたモニカは、ソファにちんまりと腰掛け、沈痛な顔で項垂れていた。
室内に足を踏み入れたアイザックは、ぐるりと周囲を見回す。
室内にモニカを運び込んだフリーダ・ブランケや、他の使用人の姿は無い。
アイザックに続いて、シリル、ラウル、レイ達も部屋に入ってくると、モニカは両手で顔を覆って、さめざめと泣き崩れた。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」
アイザックは謝罪を繰り返すモニカの前で膝をつき、あくまで第二王子の顔で口を開く。
「あぁ、どうか泣かないでください、レディ。責められるべきは、無謀な計画を立てた愚か者と、それを止めなかった者達です」
アイザックの言葉に、生真面目なシリルが罪悪感に満ちた顔で「うっ……」と胸を押さえた。
一方、主犯のラウルは頭の後ろで手を組んで「惜しかったなぁ」などと呑気に呟いている。モニカのあの残念な演技を「惜しかった」などと言えるのは彼ぐらいのものだろう。
そして、この騒動の原因でもあるレイはと言うと、陰気な顔を卑屈そうに歪めて、視線を彷徨わせていた。
「……あ、あれが、俺の婚約者……遠くからだから、よく見えなかったけど、背が高かった……もしかして俺と同じぐらいか? ……どうしよう、俺のこと短足だと笑われたら……」
呟き、レイはアイザックを凝視した。
かつてモニカに黄金比と評された、すらりと長い手足をまじまじと眺めたレイは、非情な現実に膝を抱えてうずくまる。
「……世界は不公平だ……足の長い男なんて、ズボンが爆発する呪いにかかればいい……」
レイはどんどん卑屈になっていき、モニカは申し訳なさそうに啜り泣き、シリルは「私が止めなかったから……」と罪悪感に頭を抱えている。
ジメジメとした三人のせいで、部屋の湿度はどんどん上昇していく。このままだとカビかキノコが生えてきそうだ。
そんな中、空気を読まない男ラウル・ローズバーグが、晴天のようにカラッとした声で言った。
「よし、じゃあ気を取り直して、次の作戦に行こうぜ!」
「あ、あのぅ、〈茨の魔女〉様……そ、そのっ……」
鼻を啜っていたモニカが勢いよく顔を上げ、窓の方をチラチラと気にしながら、ラウルに何か言いかける。
だがその言葉を遮って、レイが口を開いた。
「……もういい、もういいんだ……俺なんかが婚約なんて、どうせ上手くいくはずがなかったんだ……」
「諦めるなよ、レイ! いつも、あんなに愛されたい愛されたいって言ってたじゃないか!」
「……あぁ、そうだよ……愛されたい、愛してほしい……この際、誰でもいいから俺のことを愛してると言ってくれ……」
だんだんと投げやりになっていくレイの言葉に、シリルが不愉快そうに眉をひそめた。
「誰でもいい、というのは不誠実ではないか?」
「そ、そういうのは、誰かに愛されたことのある人間の台詞だっ! 普通に恋愛ができるやつに、俺の気持ちなんて、分かるものか……」
その呟きに何故かモニカがピクリと肩を震わせ、うつむく。
シリルと何かあったのだろうか? アイザックはこっそりモニカの様子を窺ったが、モニカの表情は前髪に隠れてよく見えない。
アイザックがモニカの方を気にしていると、ラウルが頬をかきながらボソリと呟いた。
「誰でもいいって言う割に、レイは注文が多いよな。だって、うちの姉ちゃんは駄目だったんだろ?」
途端にレイは、尻尾を踏まれた猫のような顔で叫ぶ。
「あ、あの女は無理、無理だ……っ、あの女に愛されるぐらいなら、俺は一生ナメクジでいい!!」
「あっはっはっ! それ、姉ちゃんに言ったのか? レイは勇気あるなぁ!」
「お、俺は、年上の女の人は苦手なんだっ!」
ラウルの姉、四代目〈茨の魔女〉メリッサ・ローズバーグのことは、アイザックも知っている。
直接言葉を交わしたことはないが、式典で何度か顔を見たことがあるし、なにより彼女の素行の悪さは、城にいる人間なら誰もが知るところである。
端的に言って、愛されたがりのレイが逃げ出すぐらいに強烈な人柄なのだ。
「まぁ、話が逸れたけどさ。もう一回挑戦してみようぜ『レイと婚約者をくっつけよう作戦』!」
「……不毛だ」
シリルが腕組みをして、渋面で呻く。
生真面目な彼は、この手の茶番が受け入れ難いのだろう。
「婚約者がいるのなら、誠実に向き合うべきだろう。面と向かって話し合えば良いではないか」
至極当然のことを言うシリルに、何故かモニカの肩が小さく震える。やはり様子がおかしい。
アイザックが声をかけるべきか迷っていると、ラウルが大きな声で言った。
「そうだな! シリルは良いこと言うぜ! そういう訳だからさ、レイ、ちょっと婚約者の子に突撃してこいよ!」
「そ、それができないからっ、こうして色々考えてたんだろぉっ!?」
「オレ、思ったんだ。レイはいつも愛してくれってねだるばかりで、自分から『愛してる』って言わないよな」
その一言に、レイの顔が強張る。
その顔から、どんどん血の気が引いていくことに気づかぬまま、ラウルは言葉を続けてしまった。
「たまには、自分から『愛してる』って言ってみればいいんじゃないか、レイ?」
ラウルにしてみれば、それは悪気のない提案だったのだろう。
だが、ラウルの言葉を聞いたレイの顔色が変わった。
元から血の気の薄い顔がサァッと青ざめ、鉱石じみたピンク色の目がギラギラと底光りする。
「ふ……ふざけるなっ!!」
レイが、普段の彼からは考えられないぐらい大きな声で叫ぶ。
その顔は、怒りと憎悪と──そして、強い嫉妬に歪んでいた。
「俺が誰かに『愛してる』だなんて言っていいはずないだろ! 俺は呪術師なんだぞっ!? 俺が『愛してる』なんて言ったら、絶対に呪いになる! 俺の父親みたいに呪われて、死ぬまで好きでもない相手に尽くし続けるんだ!!」
紫の髪を振り乱しながら怒鳴るレイに、誰もが言葉を失う。
いつも朗らかなラウルですら、ポカンとレイを見ていた。
レイはガリガリと髪をかきむしり、地団駄を踏みながら、金切り声で喚き散らす。
「あぁ、妬ましい妬ましい妬ましいっ、俺は、当たり前のように『愛してる』と言える奴ら全員が妬ましい! 呪われろ呪われろ呪われろ……っ、みんなみんな、呪われてしまえっ!! ……ただし、女の子以外!」
最後の方で、しれっと正直なことを言って、レイは部屋を飛び出していく。
ラウルが慌ててその背中を追いかけようとしたので、アイザックはラウルの腕を掴んで止めた。
そろそろ潮時だろう。
「殿下、止めないでくれよ。オレ、無神経なこと言っちゃったみたいだからさ、追いかけて謝らないと……人参で許してくれるかな?」
ラウルは当たり前のように、礼服のポケットから人参を取り出した。
人参でどう許しを乞うのかは、気になるところではあるが……。
「うん、その前に……」
アイザックは目だけを動かしてモニカを見る。
モニカは真っ青な顔で、チラチラと窓を──正確には、窓辺のカーテンを気にしていた。
あぁ、全く。なんて分かりやすいのだろう。
「そろそろ出てこられては? フリーダ・ブランケ嬢」
アイザックの言葉に、カーテンが揺れて一人の女が姿を見せた。
短い金髪、灰色の目の長身の令嬢──レイの婚約者のフリーダ・ブランケだ。
モニカが縮こまって「ごめんなさいっ」と謝ると、フリーダは灰色の目でアイザック、ラウル、シリルの三人を順番に見た。
「そこの小さいお嬢さんを責めないでください。私が口どめしたのです。事情を知りたいので協力してほしい、と」
フリーダはこれまでのやりとりも、茶番の理由も、全てカーテンの裏で聞いていたのだ。
シリルが「これは、まずいんじゃないか?」と小声で呟き、ラウルが困ったように頭をかいた。
先程、レイは「誰でもいいから愛してくれ」などと口走っている。婚約破棄もありえる結構な失言だ。
だが、フリーダは特に腹を立てた様子もなく、淡々と言葉を続けた。
「私の婚約者は、友人がたくさんいるのですね」
友人。その一言にラウルの顔がパァッと輝く。
「おぅ! レイとは友達だぜ! レイのことなら、なんでも聞いてくれ!」
「では、お訊きします。オルブライト卿のご両親が亡くなった経緯は、ご存知ですか?」
ラウルは親指を立てて、力強い口調で答えた。
「全然知らないぜ!」
「…………」
フリーダが無言でアイザックを見る。
アイザックは苦笑しながら口を開いた。
「随分前に、呪術の暴走で亡くなったと聞いたことがあるよ。それと、これは当時流れた噂だけれど……」
あまり楽しい噂ではないけれど、と前置きをして、アイザックは言葉を続ける。
「オルブライト卿のお父上は、奥方様の呪いで、傀儡になっていたのだとか」




