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サイレント・ウィッチ(外伝)  作者: 依空 まつり
外伝3:愛されたがりの婚約譚
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【9】悪役令嬢レベル1

 今日のパーティの主催者である〈星詠みの魔女〉メアリー・ハーヴェイは、個室のソファにもたれ、夢見るような目で空を見上げていた。

 淡い水色の目に映るのは、満天の星ではなく冬の青空だ。

 昼に星を見ることが叶わずとも、空を仰ぐのは星詠みをする彼女の習性か。

 そんなことを考えながら、この個室に呼び出された客人──アイザック・ウォーカーは〈星詠みの魔女〉に問いかけた。

「レディ・ハーヴェイ。私を呼んだ理由をお聞きしても?」

 〈星詠みの魔女〉は、ゆっくりと視線を戻すと、どこか微睡むような焦点の合わぬ目でアイザックを見る。

 濡れたような唇が開き、柔らかな声を紡いだ。

「あたくし、貴方の星を詠んだの……かつて、偽りの星であることを望んだ、貴方の運命を」

 己の正体を示唆する言葉を聞いても、アイザックはそれほど驚いたりはしなかった。

 〈星詠みの魔女〉は七賢人の中でも最年長で、国王陛下の相談役だ。なら、彼女がアイザックの正体を知っていても不思議じゃない。

 黙り込むアイザックに、メアリーはことりと首を傾けて、儚く微笑んだ。

 緩く波打つ長い銀髪がサラサラと揺れて、ソファから零れ落ちる。


「貴方は喪失の星の下に生まれたのね。溢れんばかりの才能に恵まれ……それでもその手に大切なものは残らない」


 アイザックの顔から、表情が消えた。

 〈星詠みの魔女〉の言葉は正しい。

 アイザック・ウォーカーは既に両親を失い、幼い弟を失い、忠誠を誓った主人にして親友を失い……最後は、自分の顔と名前も失った。

 ここにいるのは、妄執すらも失った亡霊の成れの果てだ。

 それでもアイザックは、自分の手に何も残っていないとは思っていない。

 処刑される運命だった彼に、救いの手を差し伸べてくれた人がいる。

 自分も沢山のものを失いながら、それでもアイザックに手を差し伸べてくれた小さな魔女は、アイザックがそばにいることを許してくれた。

 あどけなく笑う少女の姿を頭に思い描くアイザックに、〈星詠みの魔女〉は悲しげな顔で告げる。

「〈星詠みの魔女〉メアリー・ハーヴェイが預言します。喪失の星の下に生まれし、偽りの王子……貴方の喪失は、終わらない」

 この国一番の預言者は告げる。

 アイザック・ウォーカーを待ち受ける、残酷な未来を。


「──いずれあなたは、その眼に映る世界の半分を失うでしょう」



 * * *



 個室を後にしたアイザックの足取りは重かった。

 彼は自分がどんなに優秀でも、どれだけ必死であがいても、思い通りにならないことが山ほどあることを知っている。

(……喪失の星、か)

 〈星詠みの魔女〉の言う通りだ。アイザックの大事なものは、どれだけ必死で握りしめていても、いつだって指の間をすりぬけ、こぼれ落ちていく。

 竜害で死んだ両親、衰弱死した弟、そして──屋根から落ちて、死んだ親友。

 もうこれ以上、何も失いたくないのに、〈星詠みの魔女〉が言うには、アイザックはまた何かを失うらしい。


 ──友達を助けるのに、理由なんていらないんですよ、アイク!


 こういう時、頭に浮かぶのはいつだって、アイザックを救ってくれた少女の姿だ。

 今度こそ守りたいと思う。だが、アイザックには喪失の運命が待ち受けている。

(……距離を置くべきか? だが、僕の目の届かないところで、モニカに何かがあったら……)

 ありふれた悲劇はいつだって、ある日、突然起こるのだ。

 距離を置くべきか、或いは危険が近づかぬよう今まで以上に目を光らせるべきか。

 どうするのが正解か分からない以上、対策のしようがない。

 重い足を引きずるように歩いていたら、やがて、パーティ会場に到着した。

 正直、パーティに参加したい気分ではないのだけれど、招待客である以上、最低限の挨拶はしておくべきだろう。

 ため息を噛み殺して扉に近づいたアイザックは、扉のそばに三人の男が張りつき、パーティ会場の様子を窺っていることに気がついた。

 その三人の顔を、アイザックは知っている。

 七賢人の〈茨の魔女〉ラウル・ローズバーグと〈深淵の呪術師〉レイ・オルブライト。そして、もう一人はシリル・アシュリーだ。


「そんなところで、何をしてるんだい?」


 アイザックが声をかけると、三人は勢いよく振り返ってアイザックを凝視した。

 途端に〈深淵の呪術師〉が、凄まじい絶望を目の当たりにしたような顔で膝から崩れ落ちる。

「あぁ、最悪だ……また顔の良い男が増えた……右を見ても顔がいい、左を見ても顔がいい、俺はもうどこを向いて生きていけばいいんだ。地面か、一生下を向いて生きてろってことか……」

 アイザックが事情の説明を求めるようにシリルを見れば、シリルは苦悶の表情を浮かべた。

「殿下っ、これには深いわけが…………っ、いや駄目だ。殿下に嘘はつけん……申し訳ありません殿下、深いわけなど無いのです。全然これっぽっちも深くないのですっ! むしろ浅はかすぎて、語るも馬鹿馬鹿しい事情がありまして……っ」

 どうやらシリルは、その「馬鹿馬鹿しい事情」を説明することに、躊躇があるらしい。

 アイザックは、最後に〈茨の魔女〉を見る。

 〈茨の魔女〉ラウル・ローズバーグは朗らかな口調で言った。

「やぁ、殿下、ちょっと邪魔しないでくれよ。今、モニカが頑張ってるんだからさ」

「……モニカが?」

 アイザックはパーティ会場に目を向ける。今日は比較的若い女性客が少ないので、モニカの姿はすぐに見つかった。

 モニカは真っ赤なドレスの裾を引きずりながら、ヨタヨタと覚束ない足取りで会場を歩いている。

(あのドレスは……コレット嬢の見立てじゃないな)

 色やデザインもさることながら、何よりもサイズがモニカに合っていないのだ。スカートの裾は引きずっているし、肩がずり落ちかけている。

 一体モニカは何をさせられているのだろう? こういうのは、さっさと本人に問いただすに限る。

 アイザックがモニカの元へ向かうべく、パーティ会場に足を踏み入れたその時、アイザックの腰に誰かがしがみついた。〈深淵の呪術師〉である。

 〈深淵の呪術師〉は紫色の髪を振り乱し、ピンク色の目を爛々と輝かせ、必死の形相で呻いた。

「やめろぉぉぉぉ……顔の良い男がパーティ会場に入るなぁぁぁぁ……し、しかも、王子様なんて、女の子がみんな好きなやつじゃないか、女の子はみんな王子様を好きになるんだろ、そうなんだろ……くそぅ、こうなったら、パーティ会場に王子様が足を踏み入れたら豚になる呪いをかけるしか……っ」

 〈深淵の呪術師〉は、なにやらとんでもなく物騒なことをブツブツと呟いている。

 そんな彼を冷ややかな目で眺めながら、アイザックは、そろそろ不敬罪で訴えていいだろうかと冷静に考えていた。



 * * *



 真っ赤なドレスをズルズルと引きずりながら、モニカはレイの婚約者を探した。

 レイは自分の婚約者の顔と名前を知らないようだったけれど、ラウルが事前に調べておいてくれたのだ。

 レイの婚約者の名前はフリーダ・ブランケ。

 いかにも帝国風な顔立ちの、背の高い女性である。

(あ、いた、あの人……!)

 フリーダの姿はすぐに見つかった。

 落ち着いたダークグリーンのドレスを身につけた、短い金髪の女性だ。

 同行者の姿は見えないし、話しかけるなら今がチャンスだろう。

 モニカはスーハーと深呼吸を繰り返し、自分がすべきことを確認する。

 モニカはこれから、悪役令嬢としてフリーダに意地悪をしなくてはいけないのだ。そして、苛められているフリーダをレイが助けることで、レイが格好良く見えるように演出する。

(でも、意地悪って……ど、どんなことをすればいいんだろう……)

 昔からいじめられっ子だったモニカは、自分が意地悪をされた経験だけなら嫌になるぐらいある……が、それを自分ができるかと言えば、当然に否である。

(こういう時は、そうだ……イザベル様を参考にしよう)

 セレンディア学園にいた頃、イザベルはモニカに悪役令嬢のなんたるかについて、詳しく説明してくれたことがある。

 ……思えば、あの時の経験は、今日この日のためにあったのだ(多分)

(大丈夫、できる。わたしなら、できる)

 モニカは自分に言い聞かせ、フンスと鼻から息を吐いて一歩前に進み……。


「ふぎゃっ!?」


 ドレスの裾を踏んづけて、転びそうになった。

 だが、傾いたモニカの体を、誰かの腕がさっと支えてくれる。

「大丈夫ですか?」

 モニカの体を支えてくれたのは、よりにもよってターゲットのフリーダ嬢だった。

「あっ、ありがとうございますっ」

 ペコペコと頭を下げて礼を言いながら、モニカはダラダラと冷や汗を流す。

 どうしよう、いきなり出鼻を挫かれてしまった。

(だ、大丈夫、まだ挽回できる……はずっ!)

 モニカは姿勢を正すと、フリーダと向き合う。

 フリーダ・ブランケはモニカよりずっと背が高かった。小柄なモニカは、フリーダを見上げて口を開く。

「あ、あのっ!」

「はい」

「ご、ご機嫌よう……っ」

「はい、ご機嫌よう」

 まずは、第一関門の挨拶はクリアした。「ご機嫌よう」は令嬢の挨拶の初歩中の初歩である。

 それを口にできただけで、なんだかちょっと自分が成長できたような気がした。

 あぁ、セレンディア学園で学んだ令嬢教育は無駄ではなかったのだ……と、モニカは密かに達成感を噛み締める。

(つ、次は……えっと……悪役令嬢がすることは……)

 モニカはイザベルの悪役令嬢講座を思い出す。

(そ、そうだ、扇子で口元を隠して、意地悪くクスクス笑う……!)

 流石にイザベルのような高笑いは難しいが、扇子で口を隠して笑うだけなら、モニカにもできそうだ。

 モニカはモタモタと慣れない手つきで扇子を広げると、口元を隠し、そして……。


「…………ふ、ふへ…………えへ」


 引きつった顔で、ぎこちなく笑った。

 誰が見ても不自然なことこの上ないし、クスクス笑いには程遠い。

 ……が、モニカは胸の内で喜びの声をあげる。

(やった! できた! いま、すごく、悪役令嬢っぽかった! 意地悪そうだった!)

 モニカが扇子の影で口をムズムズさせている間も、フリーダはじっとモニカを見ていた。

 そうしてフリーダは、何かを思いついたような顔で、口を開く。

「もしかして、具合が悪いのですか?」

「……へぅっ!?」

 モニカはダラダラと冷や汗を流した。この返しは予想外だったのだ。

(どどどどうしよう、なんて言おう、こういう時、イザベル様ならなんて言うのっ!?)

 モニカが顔を赤くしたり青くしたりしながら、ガタガタプルプル震えていると、フリーダはモニカに近づき、手を伸ばした。

「失礼します」

「ふぇっ!?」

 フリーダは驚くほど自然な動作で、モニカを横抱きにした。

 そうして、近くにいる使用人に声をかける。

「具合の悪い人がいます。どこか休める場所はありませんか?」

 使用人がギョッとしたような顔をしながら、それでもフリーダを先導した。

 フリーダはモニカを軽々と抱えたまま、堂々とした足取りでパーティ会場を進む。

 ターゲットに横抱きにされた新米悪役令嬢は、扇子を握りしめたまま、アワアワすることしかできなかった。


(〈深淵の呪術師〉様、ごめんなさいぃぃぃぃぃ!!)


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