表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
サイレント・ウィッチ(外伝)  作者: 依空 まつり
外伝13:沈黙の魔女の隠しごと
318/425

【10】曇りなき目で


 モニカと街を歩き、食事をした翌日。シリル・アシュリーは、モップで床を磨いていた。

 頭には三角巾、服の上にはエプロン、という気合の入った格好で、彼は朝から魔術師組合の部屋という部屋の埃を落とし、壁や窓を拭き、床を掃き清め、そして今、仕上げの床磨きをしている。

 床の汚れを睨みつける目は鋭く、その顔は親の仇を前にしたかのように険しい。


『まーだ、掃除を続けるのであるかー。朝からずっと掃除ばかりではないかー』


 シリルの手元で〈識守の鍵ソフォクレス〉が、飽きを隠さないダラダラとした声で言う。

 特に何もしていないこのご老人は、延々と続く掃除に飽きているらしい。一方、トゥーレとピケは案外楽しんでいるらしく、今は人の姿で楽しそうに外の掃き掃除をしている。

 シリルはモップを動かす手を止めず、低い声で呻いた。


「ソフォクレス。私はここ数日で、自分がいかに未熟で愚かで下心にまみれた、浅ましい人間かということを痛感した」


『う、うん? おぉう? えっ、真面目な話であるか?』


「今はこの曇った心をどうにかするべく、精神集中を図りたい。これはその一環なんだ。止めないでくれ」


 自分が、自尊心のためにアイザックを利用していた、浅ましい人間だと思い知った。

 モニカに優しくしようとエスコートを試み、その裏側にある、欲にまみれた己の下心を思い知った。


「……消えされ、私の下心」


 声が漏れていることも気づかぬまま、床の汚れをガッシュガッシュ、ザッシュザッシュ磨いていると、偉大な賢人はヤレヤレと言わんばかりの声で呟いた。


『まったく、青臭い上に愚かであるなぁ。若造よ、お主の場合、曇っているのは、心ではなく目なのである』


「……目?」


 シリルはモップを動かす手を止めて、右手中指のソフォクレスを見下ろした。

 目が曇っているとは、どういうことか。確かに視力にあまり自信がないのは事実だが、眼鏡でもかけろと言うのか。


『お主は、自分に対しても、他人に対しても、綺麗な部分しか見ようとしない悪癖があるぞ』


 ギクリ、と肩が動揺に震えた。

 見たくないものや、都合の悪いことから目を逸らし、良い部分だけを見ようとする──そんな自分の悪癖に、シリルは薄々気づいていたのだ。

 真っ直ぐに前を向いて、綺麗な理想や目標だけ見ていれば、シリルは自分が強い人間だと錯覚できた。不安に足をとられずに済んだ。立ち止まらずに、邁進できた。

 そうやって、アイザックの綺麗な部分だけを見て特別視し、崇拝した。

 そうやって、モニカに対する己の下心から目を背け、自分は綺麗な人間でいようとした。


(……それでは、あの男と同じじゃないか)


 シリルの実父もそうだったのだ。

 自分の都合の悪いことから目を逸らし、綺麗な理想を掲げて現実から逃げ、孤立し、そして最後は酒に溺れた。

 どうして自分は、ことごとく父と同じ道を選んでしまうのだろう。

 唇を噛み締め項垂れるシリルに、ソフォクレスは静かに、心に響く声で告げた。


『自分の中にある浅ましさや醜さから目を逸らすな。そして、それと同じものを他者も抱えていると知れ』


「…………」


『前にも言ったであろう。目を背けるなと。それがどんなに残酷で、醜悪なものであってもだ。──それが、識者になるということである』


 シリルが黙り込むと、ソフォクレスは厳しい口調を少し和らげる。

 それは確かに、未熟な若者を導く賢人の声だった。


『貴様には、それができるはずだ。一度は、泥を被る覚悟をした身であろう』


「……そう、だな」


 シリルは己の右手を前に掲げ、漆黒の指輪に頭を下げる。


「助言、心より感謝いたします。偉大なる賢人ソフォクレス」


 自分は恵まれている。道を踏み外しそうになった時、過ちに気づかせてくれる義父や、友人、そして偉大な賢人がそばにいるのだから。

 そういった人達に対する感謝を、これからも忘れないでいよう、とシリルは心に誓う。


『まぁ、つまり、お主は認めるべきであるな。──自分がハーレム願望のある、むっつりスケベであると!』


 感謝の念は一瞬で吹き飛んだ。


『うむうむ、やはり、ハーレムは男の夢であるからな。……あっ、こら、吾輩を壁に叩きつけるな! リズミカルにゴツゴツするでない! やめるのである、やめるのであるー!』


 無言で拳を壁に叩きつけていると、背後で「あれ、シリル?」と声がした。

 振り向けば、ローブを羽織り肩に杖を担いだラウルと目が合う。

 ラウルは、シリルの格好を頭のてっぺんから足の先まで見て、言った。


「掃除のおばちゃんかと思ったぜ! なんで、そんな格好で壁殴ってるんだ?」


「…………」


「そういや今日は、あちこち綺麗だなーって思ってたけど……もしかして、朝から掃除してたのかい?」


 シリルは沈黙した指輪を背中に隠し、咳払いをした。


「……まぁ、そんなところだ。ラウルは、これから出かけるのか?」


「うん、ちょっと腹ごなししたら、すぐ出かけるよ。今夜の儀式の警備しなきゃだし」


 今夜の儀式については、昨日の食事の席でモニカが話していた。

 なんでも、〈星詠みの魔女〉に代わって、モニカが古代魔導具〈星紡ぎのミラ〉を使い、土地に染み込んだ魔力の除去作業をするらしい。

 これはあくまで復興作業の一環であり、魔術奉納というわけではないのだが、事前に土地の人間に知らせておかないと混乱が生じる。

 それ故、今夜、〈星紡ぎのミラ〉を灯台で使うと告知したところ、好奇心旺盛なサザンドールの住民達が、〈星紡ぎのミラ〉を使うところが見たいと灯台付近に押しかけているのだとか。


「今、街はちょっとしたお祭り騒ぎなんだぜ。さっき見たら、灯台の辺りに屋台出てたもん。サザンドールの人達ってたくましいよなぁ……」


 その言葉を聞いて、シリルは昨日ラナから聞いた話を思い出した。


「ラウル、薔薇祭りのことは聞いているか?」


「……へ? なにそれ。サザンドールの祭り?」


 案の定、ラウルは心当たりがないらしく、不思議そうに緑色の目を瞬かせている。

 シリルはモップの柄の上で手を組み、口の端を持ち上げてラウルを見た。


「黒い霧からサザンドールを守ってくれた〈茨の魔女〉に感謝し、薔薇を愛でる……という企画らしい」


 シリルの言葉に、ラウルはポカンと口を開き、呆気に取られたような顔をする。


「えっ、感謝って……薔薇って……………………オレの?」


 ラウルは魚みたいに口をパクパクさせた。その顔が、ジワジワと赤く染まっていく。

 シリルは妙に痛快な気分で、ニヤリと笑った。


「黒い霧から街を守ったのは、貴方だろう。ローズバーグ卿」


「うぇ、えええ、わぁぁぁぁ……えー……」


 ラウルは両手で顔を覆い、その場にしゃがみ込む。モップにもたれて見下ろすシリルには、ラウルのつむじと、赤くなった耳しか見えない。

 シリルがモップでラウルの靴をつつくと、ラウルは両手で顔を覆ったまま、ボソボソと呟いた。


「……街で、茨の除去作業してる時、あっちこっちから、〈茨の魔女〉って聞こえてさ」


「あぁ」


「……絶対悪口なんだろうなーって思ってた」


「記念にと、花びらを集めている者もいたが」


 ラウルはとうとう「うひゃぁぁぁ」と情けない声をあげて、綺麗な赤毛をクシャクシャかいた。


「なんか恥ずかしいな、こういうの。……うわー、オレ、全然、周りのこと見てなかったんだなぁ……」


 その呟きに、シリルは少しだけ意表を突かれた気持ちだった。

 なにせ、ほんの少し前に、お前は目が曇っていると、偉大な賢人にお叱りを受けたばかりである。

 堪えきれず、シリルは小さく吹き出し、肩を震わせた。

 しゃがみ込んでいたラウルが、シリルを見上げて唇を尖らせる。


「なんだよー、そんなに笑うなってば」


「いや、すまない。そうだな。……うん。私も、全然周りを見ていなかったんだ」


「えっ、今更だろ? シリルはいつも、前しか見てないじゃんか」


「…………」


 シリルは無言でラウルの靴に、モップをガシュガシュ、ゴツゴツぶつける。

 そんなシリルの背後で「おや」と声がした。シリルがこの声を聞き間違えるはずがない。アイザックだ。

 振り向くと、右目の上に傷のある彼が、大荷物を抱えて佇んでいた。右手には大きい敷物を丸めた物を、左手には蓋つきバスケットをぶら下げている。

 アイザックはシリルの格好を頭のてっぺんから足の先まで見て、言った。


「掃除婦のマダム・グレイかと思った」


「…………」


「何故、こんな大事な日に、そんな格好で掃除なんてしているんだい? 可及的速やかに身支度を整えて、でかける準備をしてくれ。君を探していたんだ」


「私を、ですか?」


 困惑するシリルに、アイザックは右手に抱えていた敷物を軽く掲げた。

 目つきが鋭く、黙っていると近寄り難い雰囲気のアイザックだが、今は隠しきれない喜びに、碧い目がキラキラと輝いている。


「特等席で、モニカの活躍を見に行こう!」



掃除婦のマダム・グレイは、決められた分の仕事しかやらない偏屈マダム(62)です。女性にしては背が高く、銀色の髪をいつも一つに束ねています。

基本的に愛想のない婆さんですが、食堂で料理や掃除をしているウォーカーさんには、「あんたは、死んだ旦那に似ているよ」と言って、少し心を許しているようです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ