【7】突撃プロポーズ
〈暴食のゾーイ〉が封印状態になり、かつ契約者がいなくなっても、撒き散らされた影と闇の魔力は消えたりしないし、奪われた物も簡単に返ってくるわけではない。
ともなると、影を剥がす術式を開発した〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレットは、誰よりもやるべきことが多かった。
正直、こんな大変な時に鍵を買いに行って良いのかなぁ? とモニカは思ったので、その疑問を口にしたら、メリッサは心底馬鹿にするような目でモニカを見た。
「人間なんだからさぁ、一日中働き続けるなんて無理よねぇ? 効率よく働くためには、適度な休憩は必要でしょ?」
「は、はい……」
「休憩時間に何しようが、アタシの勝手よねぇ?」
「はい……」
分かればよろしい、と言って、メリッサは屋台で買ったプラムを齧った。
どうやらこの買い物は、メリッサの息抜きも兼ねていたらしい。
* * *
鍵屋に寝室に付ける鍵を注文して、ついでにメリッサの買い食いに付き合わされたモニカは、その足で魔術師組合サザンドール支部に向かった。
〈暴食のゾーイ〉で仮死状態になった人間は、サザンドールだけで数百人にのぼる。
そして、サザンドールにいる魔術師で影を剥がす魔術が使えるのは、現時点ではモニカとメリッサ、それと魔術師組合の組合長と、年配の職員──この四人しかいない。
しかも、影を剥がして蘇生した後も、しばらくは経過を観察する必要がある。つまりは圧倒的人手不足なのだ。
つくづく、自分達は買い物などしていて良いのだろうか……とモニカは胃を押さえたが、メリッサはキッパリ言い切った。
「アタシら四人で全員を復活させるなんて、無理に決まってんじゃない。魔力と気力が保たないわよ。本格的な処置は、王都からの応援が来てからでいいわ。緊急度が高い人間だけ、アタシらで処置する」
黒い雨の攻撃を受けて仮死状態になった際、転倒して怪我をした者や、元から持病を持っている者もいる。そういった人間を優先的に処置するように、とメリッサは指示を出した。
蘇生する人間の優先順位をつけるための診察や、蘇生後の経過観察には医師の協力がいる。そこでメリッサは、黒い雨事件の直後にサザンドール医師会に根回しをしていたらしい。
できることとできないことを見極め、他人に回せる仕事は躊躇なく回し、適度に周囲に発破をかける。
自分が楽をするための根回しに全力なメリッサは、切迫した現場において、非常に有能な人物であった。
つくづく、彼女がサザンドールに来てくれて良かった、とモニカは思う。
黒い雨の攻撃を受けて仮死状態になった人間は、魔術師組合や病院に運び込まれた者もいれば、自宅で寝かされている者もいる。
その中で、優先的に処置が必要な者の元をまわり、影を剥がす処置を一通り済ませて、魔術師組合に報告をした頃には、すっかり日が暮れていた。
「お疲れ様、モニカ」
会議室で荷物をまとめていると、アイザックが姿を見せた。
彼はモニカが鍵屋に行っている間に、モニカの家に置きっぱなしになっていたシリルの荷物を届けに来ていたのだ。
その後も、体調を崩して寝ているシリルの看病をしていたらしい。
「お疲れ様です、アイク。あの、シリル様の容態は……」
「熱は下がったし、もう大丈夫だと思うよ。今は、食事をして寝たところだ」
「そうですか……」
モニカはガッカリしたような、ホッとしたような、複雑な心境だった。
シリルとちゃんと話がしたい。だけど、ネロのことを隠していたのは事実なので、怒られるのが怖い。
(シリル様が起きるの待ってたら、迷惑、かな……)
踏ん切りがつかず、俯き指をこねていると、部屋にサイラスが入ってきた。
「おーい、アイク、来てんだろ! 姐さんも一緒に、飯食いに行こうぜ!」
サイラスは、アイザックの右目の上の傷痕を見て、一瞬顔を強張らせた。
竜害を知る人間は、竜の爪痕に敏感だ。
サイラスは何かを呑み込んだような顔をし、フンッと鼻から息を吐いて、頼れる兄貴分の顔を取り繕う。
「サザンドールの美味い飯屋を教えろよ。今日は、リーダーの奢りだ」
「じゃあ、お言葉に甘えようかな。モニカ、行こう」
「は、はいっ」
結局その日はシリルに会わないまま、アイザック、サイラスと一緒に食事をし、帰宅をして一日が終わった。
なおアイザックは、サイラスが「リーダーの財布に配慮しろ!」と怒鳴るほど、酒も料理もおかわりをした。
きっと彼はもう、アイザック・ウォーカーでいることに、遠慮をしなくて良いのだ。
そう思うと、モニカはじんわりと嬉しかった。
* * *
〈暴食のゾーイ〉を奪還した翌々日、〈星詠みの魔女〉メアリー・ハーヴェイが、古代魔導具〈星紡ぎのミラ〉を携えて、サザンドールに到着した。
〈星紡ぎのミラ〉は土地の魔力を吸い上げ、放出する魔導具だ。
今回の騒動で、サザンドールの魔力濃度は上昇している。まだ、人が住めない程ではないが、土地に魔力が蓄積しすぎるのはあまり良いことではないので、それを解消するために、〈星詠みの魔女〉が派遣されたのだ。
会議室には、派遣されたメアリーを出迎えるため、同じ七賢人であるモニカ、レイ、ラウル、サイラスの四人が集まっていた。
メアリーは四人の顔を順番に眺め、目尻を下げて柔らかく微笑む。
「七賢人を取り巻いていた凶兆が消えたわ。みんな、本当にお疲れ様。よく頑張ってくれました」
こういう時、あまり進んで発言をしないレイが、珍しく率先して口を開いた。
「フリーダと、ババ様は……」
「王都で処置を受けているわ。いずれ、目を覚ますでしょう」
仮死状態になっているのは、フリーダ達だけではない。それこそ犠牲者の数だけなら、ミネルヴァの方が多いのだ。
その上、全国規模の竜害対策で、七賢人をはじめとした実力者達が出払っているので、フリーダやアデラインを即治療というわけにはいかない。
それでも王立魔法研究所が総出で、影を剥がす術式の研究を進めており、仮死状態からの復活は時間の問題らしい。
レイはホッと胸を撫で下ろし、いつもの卑屈さでボソボソと呟いた。
「七賢人に対する凶兆……どう考えても、オッサン連中の被害が少ないのはなんなんだ……」
予言の対象外だったサイラスを除くと、メアリーは仮死状態になり、モニカは記憶を奪われ、レイとラウルはそれぞれ身内が被害に遭っている。
髪を奪われただけのルイスと、元気にピンピンしているブラッドフォードは、どう考えてもおかしい、とぼやくレイに、ラウルがしみじみと呟いた。
「あの二人は、強運の星の下に生まれたんじゃないかなぁ」
「周りの運を吸って生きてるだろ、あのオッサン達……」
レイのぼやきに、モニカは曖昧に笑った。
以前グレンが、「師匠って、殺しても死ななそうっていうか……殺して死ぬんすか?」と言っていたのを思い出したのである。
メアリーも苦笑しながら、言葉を続けた。
「〈星紡ぎのミラ〉だけど、星の巡りの都合と土地の影響を考慮して、明日の夜に灯台で使おうと思うの。それで……」
メアリーは言葉を切り、モニカを見ると、いたずらっぽく笑いかける。
「モニカちゃん、〈星紡ぎのミラ〉を使ってみない?」
「へ」
「今回みたいに、あたくしが動けなくなった時、他に使い手がいた方が安心でしょう〜?」
そこそこ強力な古代魔導具である〈星紡ぎのミラ〉は使用に幾つかの申請が必要になるのだが、管理者であるメアリーが認めた人物なら、代理人の使用も許されているらしい。
古代魔導具を使用するには、ある程度の魔力耐性や魔術の知識が問われるが、七賢人であるモニカなら問題ない。
(わたしが、古代魔導具を……)
責任重大だ。だが不思議と、「嫌だな」という感情は湧いてこなかった。
──あの人に並べる、自分を誇れる自分になるために。
モニカは無意識にポケットに伸びた手を、体の横に戻した。
ポケットの中におまじないはないけれど、それでもモニカはちゃんと自分で選んで、前に進める。
「つ、つつしんで、お受けいたし、ますっ」
メアリーは子の成長を喜ぶ母のように、慈愛に満ちた顔で微笑んだ。
「ありがとう。それじゃあ、明日はモニカちゃんが〈星紡ぎのミラ〉を使うってことで、準備を進めましょう。灯台を使用することの許可と警備については、あたくしが指示をしておくわ。あとは、〈星紡ぎのミラ〉の封印解除を……」
「ちょいとお待ち、そこの患者! こらっ、勝手に動くな!」
メアリーの声を遮る罵声は、メリッサの声だった。
メリッサは今、仮死状態で運び込まれた人の、蘇生措置をしている筈だ。何かトラブルでもあったのだろうか?
モニカ達が顔を見合わせていると、ズンズンと力強い足音が会議室に近づいてきた。
バァン、と勢いよく扉を開けたのは、見るからに実直そうな、黒髪の大柄な青年。
ランドール王国からやってきた、チェス馬鹿男こと、ロベルト・ヴィンケル君である。
少し遅れて、メリッサが靴のヒールをガツガツ鳴らして部屋に駆け込んできた。
「誰が動き回っていいって言ったのよ! あぁ、もうっ! あんたら兄弟には事情聴取があるってぇのに!」
仮死状態の人間の蘇生作業は、持病持ちの人間や怪我をしている者を優先的に行っているが、ロベルト達は付与魔術の使い手である、サミュエル・スロースと交戦している。
その時の状況を聴取するために、優先的に蘇生作業を行なったのだろう。
そうでなくとも、彼らは他国の人間で、特に彼の兄はランドール騎士団の人間だ。後に、ランドールと交渉する可能性を考慮すると、優先的に治療するに越したことはない。
ついさっきまで仮死状態だったロベルトは、簡素な寝間着姿だった。
だが、七賢人が集うこの場において、彼は誰よりも堂々としている。
「モニカ嬢っ!」
「は、はひっ」
モニカが裏返った声を上げると、ロベルトはキリリと鋭い目でモニカを見据え、腹の底から響く声で告げた。
「自分と、結婚してください!」
七賢人達は皆、誰もが唖然としてロベルトとモニカを見ている。
モニカもまた、絶句していた。どころか、軽く意識を飛ばしていた。
チェス大会の時の、「チェスを前提にお付き合いしてください」という発言が脳裏をよぎる。
あれ以上の出来事はそうそうないだろう、というモニカの思考を、ロベルト・ヴィンケルは軽やかに、かつ大胆に飛び越えてきたのだ。
七賢人達の前で熱烈なプロポーズをする人間がいるなんて、一体、誰に想像できただろう。
今すぐこの場から逃げたい、という衝動をモニカは必死で堪えて踏みとどまる。
モニカを見るロベルトは、一点の曇りもない真っ直ぐな目をしていた。
彼は本当に、真剣に、心の底からモニカとの結婚──の先にある充実したチェスライフを望んでいるのだ。
この人はすごい、とモニカは思った。
モニカは好きな人に想いを伝えることすらできないのに、ロベルトは他人の前でも臆さず、自分の気持ちを伝えることができるのだ。
(それなら、ちゃんと、応えないと)
モニカはコクリと唾を飲み、拳をきつく握りしめてロベルトを見上げる。
「わ、わたし……す、す……」
言え。ちゃんと、言うのだ。
モニカは耳まで真っ赤になり、モニョモニョと唇を動かしていたが、やがて意を決して顔を上げる。
「好きな人が、いるのでっ、その話はお受けできません。ごめんなさいっ!」
メアリーが「まぁぁ!」と目を輝かせ、サイラスが「おぉう」と聞いてはいけない話を聞いてしまったような顔をした。
レイは「プロポーズ……そうだ、俺もいつかはするんだ……いつかじゃなくて、もうすぐ……が、頑張れ俺……」とブツブツ呟いている。
ラウルは「そうだったのかー」と素直に驚いた顔をしており、メリッサは、これ以上ないぐらい下品なニヤニヤ笑いを浮かべていた。
そしてロベルトは、キリリとした表情のまま、静かに言う。
「そうですか」
あぁ、これで、セレンディア学園の頃から続いていたロベルトとの奇妙な関係に終止符が打たれるのだと、モニカは静かに噛み締めた。
モニカにとって、ロベルト・ヴィンケルとは、好きかと訊かれても、嫌いかと訊かれても困ってしまう、極めて特殊な立ち位置の人間であった。
ただ、彼とチェスをする時間が楽しいものだったことは、事実なのだ。
チェスだけで繋がっていた彼との関係に、ここで区切りがつく……筈だった。
「それでは、その好きな人を教えてください」
「へっ」
口を半開きにして、ポカンとするモニカに、ロベルトは真顔で詰め寄る。
「決闘を、申し込みます」
「えぅっ、え、あの……それは……」
モニカは全身汗まみれになりながら、周囲を見回した。
サイラスとレイは、自分が聞いて良いのだろうか、と言わんばかりの気まずそうな顔をしている。
一方、メアリーとラウルは興味津々の顔をしていた。
「好きな人って誰なのぉ? やぁん、あたくしに、こっそり教えて教えて〜?」
「モニカ、好きな奴がいたのか! 応援するぜ!」
モニカは、メアリーとラウルから目を逸らした。
今度は、ニヤニヤ笑っているメリッサと目が合う。
メリッサはあざとく小首を傾げ、実によく響く猫撫で声で言った。
「え〜、アタシ、初耳ぃ〜。ねぇ、モニモニ〜、どこの何様なのか教えなさいよぉ〜?」
あばばばば、とモニカの口から奇声が漏れる。
「い、いいい言えませんっ、ごっ、ごごっ、ごめんなさいぃぃぃぃぃ!!」
モニカはボッテンボッテンと部屋を飛び出し、逃走した。




