【4】イタチ療法とシリルの寝言
サザンドール港でモニカ達と別れたシリルは、〈暴食のゾーイ〉を胸に抱き、ラウルとイタチ姿になったトゥーレ、ピケと共に、メリッサとの合流を目指した。
本当はモニカに黒竜のことを訊きたいし、アイザックの顔のことも心配だ。
だが、今は〈暴食のゾーイ〉を王都に届けるのが最優先。
早足で道を歩きつつ、シリルはサザンドールに着いてからの出来事を、ラウルにかいつまんで話した。
モニカの記憶と、アイザックの肉体操作魔術が〈暴食のゾーイ〉に奪われたこと、シリルとグレンは本来戦力外扱いだったが、強引に現場に駆けつけたこと。
そして、モニカの力で黒竜セオドアは撃ち落とされ、最終的に黒竜セオドアは冥府の門に落ちたこと──一応、モニカが連れていた黒猫の正体については伏せてある。
「オレが来るまでに、色々と大変だったんだなぁ」
「……そう、だな」
正直、考えることが多すぎて、今もシリルの頭はグツグツと茹だりそうだった。
シリルは複数のことを同時に処理するのが苦手だ。
だから今は〈暴食のゾーイ〉を届け、アイザックの事情を伏せてメリッサ達に報告をする──という役目に集中したい。
シリルは胸に抱いた〈暴食のゾーイ〉を見下ろす。
〈識守の鍵ソフォクレス〉によって再度封印された〈暴食のゾーイ〉は、ずっと静かだ。
シリルは歩きながら、黒竜セオドアを思い出す。
人に化けたあの黒竜は、〈暴食のゾーイ〉を冥府の門の中に連れて行くことが、約束だと言っていた。
「……お前は、冥府に行きたかったのか」
ポツリと呟いた言葉に、返事はない。
ラウルが、シリルと〈暴食のゾーイ〉を交互に見た。
共にローレライの歌を聞いたラウルは、〈暴食のゾーイ〉の正体に──その前身に気づいている。
「シリル」
「私は……」
言いかけて、シリルは口をつぐみ、〈暴食のゾーイ〉を見下ろす。
前身たる暴食の少年王も、そして今回の〈暴食のゾーイ〉として起こした事件も、残虐非道の行いだ。決して許されるものではない。
それでも、シリルは思うのだ。
「この子どもを、叱ってくれる大人がいなかったことを……悲しく思う」
無邪気で残忍な少年王を、周りの大人達は己の権力のために祭り上げた。
叛逆の狼煙が上がる時まで、誰も少年王を止めなかった。叱らなかった。
そうして幽閉された少年王は飢えの果てに、死ぬことすら許されない、重い罰を与えられた。
(どうして、誰も叱ってやらなかったんだ。それはいけないことだと、教えてやらなかったんだ)
暴食のままに奪い続ける道具と化した少年王の魂は、きっと今も、犯した罪の重さを理解していないのだろう。
ただ苦痛から解放されるため、冥府に落ちることを望んでいる。
「シリル、シリル」
不意に足元から声をかけられ、シリルは目を向ける。
白いイタチ姿のトゥーレが、金色の目で心配そうにこちらを見上げていた──その姿が一瞬霞んで見えて、シリルは目を擦る。
「どうした、トゥーレ」
「声が、おかしいよ」
「……?」
言われてみれば、喉が少しざらついている気がした。おまけに頭が痛いし、寒気がする。
海に落ちたシリルの全身はいまだびしょ濡れで、服も髪もろくに乾いていなかった。
生乾きの髪が頬に貼りついて気持ち悪い、と思っていると、金色のイタチ──ピケがボソリと言う。
「死相が出てる」
「不吉なことを言うんじゃ……っ」
怒鳴りかけて、シリルは咳き込む。咳き込んだ拍子に体を折り曲げたら、関節が痛んだ。
頭と首の後ろがずっしりと重い。体を支えていられない。
魔力汚染された海に落ち、びしょ濡れのまま空を飛び回った体に、限界がきたのだ。
地面に膝をついて、そのまま前のめりに倒れ込んだシリルに、ラウルが悲鳴をあげる。
「ぎゃー! シリルー! そういや、びしょ濡れじゃんか! もしかして海に落ちたのか!?」
「大変、大変。体がとっても熱いよ」
「熱いなら、凍らせる?」
「まずは濡れた服をどうにかしようぜ。シリル、荷物は魔術師組合にあるのかい?」
返事をしようとして、シリルはますます激しく咳き込んだ。寒気はいよいよ酷くなり、頭が重くて持ち上がらない。
それでもシリルは、ゼヒューゼヒューと危うい呼吸を繰り返しながら、地に爪を立てる。
ギラギラと青い目を輝かせて地を這うシリルの気迫に、ラウルがひぃっと息を呑んだ。
「あの方に、与え、られた……役目は……果た、さね……ばぁぁぁ……っ」
シリルは執念で地を這ったが、半身ほど進んだところで力尽き、気絶。
最終的にラウルに背負われ、魔術師組合に運び込まれることになった。
* * *
〈暴食のゾーイ〉による無差別攻撃と、サザンドール港に出没した黒竜に街は大混乱で、魔術師組合の職員達は休む暇が無いほどの大忙しだった。
シリルを運んでくれたラウルは、魔術師の頂点である七賢人だ。メリッサへの報告や、魔力汚染された土地の除染作業で忙しい。
そんな状況なので、病人の看病をできるほどの人手はなく、シリルは朦朧としたまま自力で湯浴みをして借りた服に着替え、ベッドに倒れ込み、そのまま朝を迎えた。
今は宿を手配することも難しいので、魔術師組合の個室を一つ借りられただけでも幸運だ。
(この大変な時期に……不甲斐ない……)
今頃、モニカとアイザックも忙しくしているはずだ。それなのに自分は力になれず、こうしてここで寝ている。
あの二人のことを考えると、シリルの気持ちはますます落ち込んだ。
(モニカを怒鳴ってしまった)
黒竜を使い魔にするなんて、前代未聞。人に知られたら大事になる。
そんなの少し考えれば分かることなのに、モニカに隠し事をされていたことが悔しくて、頭に血が上り、状況も考えずに怒鳴り散らしてしまった。
(やっぱり、私は優しくない……)
そして、アイザック。
彼がシリルの手を力一杯叩いたのは、きっと思慮の足りないシリルに対する叱咤なのだろう。
今もシリルは、アイザックに託された仕事を何一つこなせないまま、ここで病人になっている。
モニカを守って貴方も助けます、なんて偉そうなことを言っておいて、この様だ。なんと情けない。
(きっと、呆れられたことだろう……)
体調不良のせいか、思考はどんどん悪い方へ、悪い方へと転がり落ちていく。
シリルがどんより落ち込んでいると、扉を軽快にノックする音が聞こえた。
「シリルー、大丈夫かい? ちょっと遅くなったけど、朝食持ってきたから、一緒に食べよう……ぜ……」
扉を開けたラウルの声が、不自然に途切れる。
ラウルはしばしの沈黙の後、戸惑いを隠せぬ声で訊ねた。
「えぇと……これって、そういう民間療法?」
今シリルの額の上には金色のイタチが、かけ布団の上には白いイタチが、それぞれ長い胴体をデローンと伸ばして横たわっている。
いつもなら、「そんなわけあるか!」と怒鳴り返し、トゥーレとピケに下りろと叱るところだが、今のシリルはイタチを退ける気力もないほど疲弊していた。特に今回の熱は喉にきたので、声をだすだけで辛いのだ。
無言のシリルの上で、二匹のイタチが得意げに言う。
「風邪をひいている時は暖かくするといいって、ソフォクレスが言っていたよ」
「おでこは冷やすって聞いた。だから冷やしてる」
『確かに吾輩、そう教えたが……教えたが、これは絵面がおかしいのである……』
シリルの手元で、〈識守の鍵ソフォクレス〉が小さく呻く。
シリルはラウルにも見えるように、右手を布団から出して、胸の上にパタリと置いた。黒い宝石が、窓から差し込む日の光を反射してピカピカと輝く。
『おっぱいの無い〈茨の魔女〉よ。見ての通り、こやつは不調である故、吾輩が代弁を担おう。まずは、看病役に若い娘を所望するのである』
「代弁を……するなら……品性のない発言は、慎め……ぇ、ゲホッ」
ヒュウヒュウと掠れた声で呻き、咳き込むシリルに、ラウルが湯気を立てているカップを差し出した。
「とりあえずさ、飲み物飲んだ方がいいぜ。ローズバーグ家秘伝の薬湯作ってきたんだ」
シリルは額に乗っていたピケを退けて怠い体を起こし、カップを受け取る。
薬湯はハチミツで甘味がつけてあった。正直、ハチミツでは誤魔化しきれないほど苦いが、飲んでいると喉の痛みが和らぎ、体が内側からじんわりと温かくなる。
シリルがチビチビと薬湯を飲んでいる間に、ラウルはシリルが倒れた後の状況について、簡単に説明をしてくれた。
「えーと、まずは〈暴食のゾーイ〉だけど、ルイスさんのお弟子さんが、飛行魔術で王都に持っていったよ。奪われた物が定着しない可能性もあるってのも、ちゃんと伝えてある」
グレンもそれなりに魔力を消費していたはずだが、彼は率先してその役目を申し出たのだという。
グレンと共に戦線離脱した〈竜滅の魔術師〉サイラス・ペイジは、右腕を侵食する影をメリッサに剥がしてもらい、今は元気に現場を走り回っているらしい。
特に、黒竜セオドアが呼び寄せた水竜の群れは、セオドアが冥府の門に落ちた後も、一定数、サザンドール港周辺に残っている。その水竜を追い払い、早急に港の安全を確保する必要があるのだ。
「魔力汚染と、全国の竜害の被害状況については、まだ一部は報告待ちだけど、今のところ、そんなに酷い報告は来てないかな。事前に七賢人や竜騎士団を配置したのが効いたみたいだ」
「……そう、か」
黒竜セオドアの真の目的──冥府に行きたかった、という願いを見抜くことはできなかったが、それでもシリルの仕事は無駄ではなかったのだ。
その事実が、底辺まで落ち込んでいたシリルを、ほんの少しだけ慰めてくれた。
「一番魔力汚染が酷いのは、やっぱりこのサザンドールなんだけどさ。メアリーさん……〈星詠みの魔女〉が、古代魔導具を持って、こっちに向かってるって」
「……?」
シリルは、〈星詠みの魔女〉が管理する古代魔導具を詳しく知らない。
薬湯を飲む手を止めて、手元の指輪を見ると、〈識守の鍵ソフォクレス〉がピカピカ輝きながら声を発した。
『おそらく、〈星紡ぎのミラ〉であるな。土地の魔力を吸い上げて放出する、古代魔導具である』
「そうそう! あれ使うと、すっげー綺麗なんだぜ。シリルもすぐには王都に帰らないで、メアリーさんが〈星紡ぎのミラ〉を使うところ見ていけよ。多分、夜にやるだろうから、モニカやアイザックも誘ってさ!」
ついさっきまで思い浮かべていた二人の名前を出され、シリルの顔は無意識に曇る。
「……いや……それは………………おそれ、おおい」
とてもではないが、合わせる顔がない。
落ち込み、項垂れるシリルに、ラウルが「え」と声を上げる。
「恐れ多いって、アイザックのことかい?」
「…………」
「でも、アイザックはシリルの友達なんだろ? アイザックはそう思ってるように見えたぜ」
ラウルの言葉に、シリルは困惑した。
友達という言葉が、あまりにもピンとこなかったのだ。
「私は、あの方の、右腕だ」
「じゃあ、右腕兼、友達でいいじゃん」
「そんなの、公私混同、甚だしい……」
掠れた声でボソボソ言い訳をするシリルに、ラウルが珍しく呆れの目を向ける。
「オレ、『公的な場に私的な事情を持ち込むな』ってよく怒られるけど、シリルは逆だよな。私的な場に公的なあれこれ持ち込みたがるというか……」
「うぐっ」
「仕事中でなけりゃ、普通に友達でいいじゃんか」
「…………」
シリルは空になったカップをサイドテーブルに置くと、モゾモゾと布団に潜り込む。
ラウルに背を向け寝転がるシリルの頭に、ピケが飛び乗った。
ヒンヤリと冷たいピケの尻尾で目元を隠し、シリルは小さく呟く。
「これは、寝言だが……」
「うん」
「……セレンディア学園に編入したばかりの頃……あの方に、目にかけてもらって……」
「うん」
「……王族に認められた、と私は舞い上がっていた。……自分が、すごい人に認められたシリル・アシュリーであることに、安心していたんだ」
ハイオーン侯爵の養子になったばかりの頃、自分より優秀なクローディアに打ちのめされた。
このままでは、自分の居場所がなくなってしまうと、いつも不安だった。
そんなシリルにとって、フェリクス・アーク・リディルの褒め言葉は、何よりも甘美だったのだ。
フェリクス・アーク・リディルは偉大な王族だ。素晴らしい方だ。尊い方だ。そんなすごい人に、自分は認められたのだ! ……と。
彼の正体が判明しても、アイザック・ウォーカーが、すごい人であることは事実だ。
その事実に、シリルは縋った。
「だから、対等でなくていい。あの方には、私など足元にも及ばない、すごい人でいてほしいと思っていた。……そうやって、自分の自尊心のために、あの方を利用していたんだ。……私は、ずるい人間だ」
正直に白状したら、恥ずかしすぎて死にたくなった。
モゾモゾと布団を口元まで持ち上げるシリルに、ラウルがいつもの気負わぬ口調で言う。
「でも、今のシリルは、すごい人に認めてもらわなくたって、自分で自分を認められるだろ」
「…………」
「アイザックを尊敬してるのも、本当なんだろ」
「…………」
「朝食食べる?」
「…………食べる」
寝言の時間は終わりだ。シリルはピケを退けて、ノロノロと起き上がる。
ラウルは「ほい、朝食」と言って、スープのカップを手渡した。カップからは生姜とチキンの良い香りがする。
シリルはスープを小さく啜る。苦い薬湯で痺れた舌に、スープの旨味がじわりとしみた。
「パンもあるけど、どうする?」
「いや、いい」
「んじゃ、オレがもらっちゃおっと。……あ、そういやさ」
ラウルはパンを千切りながら、ふと思い出したような口調で訊ねる。
「姉ちゃんが、『なんで報告に来ないのよ、あの犬っころ! 穀潰しに格下げしてやる!』って、モニカの家に向かったんだけど……モニカ、犬なんて飼ってたっけ?」
シリルは「知らん」と首を横に振った。
彼が知っているのは、正体が黒竜の猫だけである。




