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サイレント・ウィッチ(外伝)  作者: 依空 まつり
外伝13:沈黙の魔女の隠しごと
308/425

【1】その顔は……


「わっはー、すごいすごい。あっちもこっちも、薔薇がいっぱいだぁ」


「七賢人の〈茨の魔女〉様の薔薇だって、モニカが言ってたわ。先代じゃなくて、当代の」


 カリーナの少し後ろを歩きながら、ラナは街を見回す。

 サザンドール港に現れた黒竜──通称、サザンドールの黒竜を、七賢人が一人〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレットが撃退してから、一日が経過した。

 三日前にサザンドールに降った黒い雨と、サザンドールの黒竜の関係性はまだ明らかになっていないが、黒い雨に打たれて意識不明となった人々は、魔術師組合の治療のおかげで次々と目を覚ましている。

 黒竜が現れた港では、原因不明の高濃度な魔力が検出され、魔力汚染が起こりかけたが、五代目〈茨の魔女〉ラウル・ローズバーグの薔薇が吸い上げて、事なきを得たらしい。街中に伸びた薔薇の蔓は、その名残だ。

 薔薇は既に半分ほど枯れかけているが、僅かに残った花を、話の種に、あるいは記念にと拾い集めている者もいた。

 黒い雨の惨劇と、空を舞う黒竜の姿は人々に恐怖と絶望を植えつけたが、たった一日で、街の人々はそれなりに活気を取り戻している。

 特に商売人はたくましいもので、ここ数日の遅れを取り戻そうと言わんばかりに、あちらこちらを走り回り、食糧や医薬品の販売に余念がなかった。

 午前中の比較的早いこの時間、いつもならもう少し静かな通りが、今はどこもかしこも慌ただしい。

 少し耳を傾ければ、道を行く人々がこの騒動の顛末について、あれやこれやと噂や憶測を口にしているのが聞こえてくる。


(まだ、一日しか経ってないのにね)


 ラナは潮風に揺れる髪を押さえ、昨日の朝、モニカを見送った時のことを、そしてその日の午後、帰ってきた時のことを思い出す。





 早朝にモニカ、シリル、グレンの三人を見送ったラナは、とにかく気が気ではなかった。

 かつて、最高審議会に赴くモニカを見送った時もそうだった。ラナにできることは、モニカを最高の姿で送り出すことだけ。

 ラナは己の仕事を誇りに思っているが、それでも、見送る側の歯痒さを感じないわけではなかった。

 まして、窓の外を見てみれば、港の方から黒い霧が立ち上り、道行く人が「空を飛ぶ竜を見た! あれは黒竜だ!」と騒いでいる。

 古代魔導具が絡んでいることは知っているが、竜がいるとはどういうことか──それも、伝説の黒竜が。

 もし、その情報が真実なら、避難するべきだ──だが、サザンドールの門は閉ざされていて、逃げ道はない。

 商会長として、一度店に戻り、従業員に指示を出すべきだろうか。


(ううん、そこはきっと、クリフが対応してくれる)


 秘書のクリフォード・アンダーソンは、その無神経さに腹が立つこともままあるが、非常事態でも動じず、淡々と職務をこなす男である。


『逃げ場がないなら、仕事をするしかないだろう。もちろん、逃げ場ができた時に、逃げる準備はできている』


 などと言ってそろばんを弾いていた姿には、呆れもしたが、頼もしくもあった。

 きっと、商会に戻ったら、山のような仕事がラナを待っていることだろう。

 早くサインをしてくれ、といつもと変わらぬ調子で言い放つクリフォードの姿が目に浮かぶ。


 ──コンコン。


 微かなノッカーの音に、ラナは思い浮かべていた秘書の鉄面皮を追い払い、ハッと顔を上げる。

 家の主人が、自分の家に帰ってくるのに、こんな控えめなノックをするだろうか? ──モニカなら、きっとそうする。

 ラナの横ではカリーナも、耳をピンと立てる猫のような顔で椅子から腰を浮かせていた。

 ラナはたまらず玄関の扉に駆け寄る。どちら様ですか、と訊くべきだと分かっていたけれど、それでもラナは迷わず扉を開ける。

 帰ってきた、という確信があったのだ。


「モニカ!」


 扉の向こう側では、七賢人のローブを身につけ、杖を胸に抱いたモニカが微笑んでいた。


「ラナ」


 モニカがラナの胸に飛び込んでくる。小さな体が、ぎゅうぎゅうとラナにしがみつく。


「ラナ、ラナ……」


 自分の名を繰り返すモニカの声を聞いた瞬間、ラナは確信した。

 親友なのだ。声を聞けば、名前を呼んでもらえば、すぐに分かる。


 ──モニカは全て、取り戻したのだ。


 だから、ラナもモニカを抱き返して、噛み締めるように告げる。


「おかえり、モニカ」


「うん! ……うんっ! ただいま!」


 眉を下げてへにゃりと笑うモニカの背後には、二人の青年。

 黒髪長身のバーソロミュー・アレクサンダーと、金髪長身の青年。

 その顔は……。



 * * *



 黒竜セオドアは冥府に落ち、闇の精霊王召喚の門は閉ざされた。

〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレットは、冥府から帰還した弟子にしがみつき、わんわん大泣きをしていたが、やがて涙がおさまり少しだけ落ち着いたところで、アイザックの手の中にある〈暴食のゾーイ〉に目を向ける。

 彼は黒竜セオドアと共に冥府に落ちた〈暴食のゾーイ〉を、無事に取り戻したのだ。


 ──それはつまり、彼がアイザック・ウォーカーの姿でいられる時間が終わることを意味する。


〈暴食のゾーイ〉の中に、アイザックが奪われたものを残しておくわけにはいかない。

〈暴食のゾーイ〉はいずれ国に回収され、解析されることになるからだ。

 その時に、アイザックが奪われたものが中に残っていたら、第二王子の正体がばれることになりかねない。


「……アイク」


「うん」


〈暴食のゾーイ〉を見つめ、静かに名を呼ぶモニカに、アイザックは穏やかな顔で頷き返す。

 彼は諦め顔なんてしていない。ただ静かに、覚悟を決めた目をしていた。


「……いいんですか?」


「初めから、決めていたことだよ。……それに」


 アイザックが微笑む。

 今までは、どこか冷たい笑い方になっていた彼だが、今は不思議と明るく見える。

 穏やかさと茶目っ気が同居した、きっと彼本来の笑顔だ。


「どんな顔でも、君は僕だって、分かってくれるだろう?」


 彼がもう覚悟を決めているのなら、師匠であるモニカの返事は決まっている。


「……はい! わたしは、アイクの師匠ですから!」


 たとえ顔が変わっても、体が黄金比じゃなくなっても、モニカはアイザックを見つけるのだ。


「もう絶対に、忘れたり、しません」


 モニカもまた、己の決意を口にする。

 絶対に忘れるものか。大事な人達を。彼ら彼女らと過ごした時間を。

 アイザックはモニカの言葉に頷き返し、ビショビショになった服の袖で目元を拭っているシリルに声をかける。


「シリル、〈暴食のゾーイ〉に施した封印を、一時的に解除してほしい。できるかい?」


「はい……やってみます」


 シリルはぐずっと洟をすすり、右手中指に嵌めた〈識守の鍵ソフォクレス〉を見下ろした。


「ソフォクレス、頼む」


『うむ』


 シリルの右手がスイッと動くと、〈暴食のゾーイ〉に張りついていた魔術式がパッと消えた。封印が解けたのだ。

 シリルは何かあった時、すぐに封印を施せるよう、右手を持ち上げて身構えているが、〈暴食のゾーイ〉は黒い影を吐き出すこともなければ、お腹が減ったと騒ぎだすこともない。

 アイザックは右手で短剣を構えると、その切っ先で〈暴食のゾーイ〉の鍵穴相当部分にある緑色の宝石を軽く突く。

 僅かに開いた宝石箱の隙間から、飴玉ほどの大きさの黒い球体が転がり落ちた。

 アイザックが咄嗟にそれを手のひらで受け止めると、それはアイザックの手の上でパチンと弾ける。手のひらに黒い霧が一瞬浮かび、アイザックの顔を覆った。


「マスター!」


 アイザックの頭の上でウィルディアヌが声をあげたが、アイザックは焦るでもなく、俯いたまま顔を片手で覆った。

 やがて黒い霧が消えた頃、アイザックはその手をゆっくりと下ろす。

 そこにあるのは、傷痕一つない優しげで美しい顔──フェリクス・アーク・リディルの顔だ。

 アイザックは右目の上を指でなぞった。そして、そこに傷痕がないことを確認し、美しい顔に寂しげな微笑を浮かべる。

 未練がない、はずがないのだ。

 モニカがアイザックの名を呼ぼうとしたその時、倉庫の方から「おーい!」と聞き覚えのある声がした。

 白髪の青年と金髪の娘に化けたトゥーレとピケが、声の方に首を捻る。


「ラウルだ」

「ラウルだね」


 羽織ったローブの裾を揺らしながら、こちらに駆け寄ってくるのは、五代目〈茨の魔女〉ラウル・ローズバーグだ。

 左手に血の滲んだハンカチを巻きつけているが、それ以外で目立った怪我はない。


「こっちの空に、黒い竜が見えてさ! 姉ちゃんは『セオドアは黒竜だ』って言うし、一体何がどうなってるんだ?」


 メリッサとレイは、こちらに人が来ないよう人払いに忙しいらしく、いざという時、竜が相手でも戦力になるラウルが一人で港に送り込まれたらしい。

 おそらく、サイラス、グレンとは行き違いになったのだ。

 ウィルディアヌの広域幻影は、黒竜セオドアが正体を現した直後に展開されている。

 だから、黒竜セオドアの姿だけが、一時的に港の上空に観測されたのだろう。

 黒竜ネロと白竜トゥーレの姿は、市民には目撃されていないはずだ。


(えっと、ラウル様には、どう説明したら、いいかな……)


 この場にいる人間は、モニカと、フェリクスの顔を取り戻したアイザック、シリルの三人。

 そして人外が、人に化けたネロ、トゥーレ、ピケ。トカゲの姿のウィルディアヌ。

 ついでに古代魔導具が、〈暴食のゾーイ〉と〈識守の鍵ソフォクレス〉の二つだ。

 ラウルは、トゥーレの正体を知っている。ネロについては、流石に黒竜だとは思わないだろう。

 それを踏まえてどう説明したものか、とモニカが悩んでいると、シリルが口を開いた。


「黒竜セオドアは自ら冥府に落ちた。闇の精霊王召喚の門は消え、〈暴食のゾーイ〉は我々の手元にある」


 ラウルはシリルの言葉の意味を反芻するように、顎に手を添え、緑色の目をクルリと回して訊ねる。


「それって、つまり……全部解決したってことかい?」


「薔薇要塞に助けられた。ありがとう」


 礼を言うシリルは、小さく微笑んでいた。

 ラウルもまた、誇らしげに笑い返し、怪我をしていない右手を持ち上げる。

 シリルとラウルは互いに片手を持ち上げ、パンと打ち鳴らした。

 対等な友人が、互いの成果を讃えあう──そんなやりとりを見ていたアイザックがニコリと微笑み、片手を持ち上げてシリルに声をかける。


「シリル」


「はいっ!」


 ラウル相手に片手を持ち上げていたシリルが、ビシッと両手を体の横に添える。

 その時、モニカは確かに見た。片手を持ち上げ美しく微笑むアイザックの頬が、一瞬ひきつるのを。

 アイザックはズンズンとシリルに歩み寄ると、シリルの右手を掴んで雑に持ち上げる。そして、そこに己の手のひらを力一杯叩きつけた。

 バシィン! という景気の良い音が、モニカにも聞こえるぐらい高らかに響く。


「ひぃ……っ」


「すげー音したな」


 息を呑むモニカの横で、ネロがニヤニヤ笑いながら呟き、トゥーレとピケが「痛そう」「痛そう」と声を揃える。

 シリルは若干涙目になりつつ、アイザックの顔と真っ赤になった手のひらを交互に見ていた。アイザックの行動の真意が理解できず、困惑しているのだ。

 シリル様に意地悪はダメですよ、とモニカがたしなめるより早く、アイザックはシリルに背を向け、頭に乗せていたウィルディアヌを手の甲に移す。

 シリルの手のひらを思い切り叩いたことなど、なかったかのような自然さだった。


「ウィル、ご苦労様。だいぶ無理をさせたね」


「いいえ、そんな……」


「僕の魔力を少し譲渡しよう。君の回復に充ててくれ」


 アイザックの提案に、小さな白いトカゲは尻尾をクルリと丸め、困ったように頭を伏せた。


「ですが、マスターも消耗して……」


「僕はそこまで大規模な魔術を使っていないから、大丈夫だよ」


 ウィルディアヌは申し訳なさそうにしていたが、実際、相当疲弊していたのだろう。魔力濃度が上昇したこの港でなかったら、消滅していたかもしれない。


「……では、失礼します」


 控えめに呟くと同時に、白いトカゲの体が淡く発光した。

 モニカは精霊と契約したことがないので、あまりピンとこないが、契約精霊と契約者は見えない糸で繋がっており、その糸を通して魔力の譲渡ができるらしい。

 ある程度の魔力を得たウィルディアヌは、伏せていた小さな頭を持ち上げてアイザックを見上げ……。


「え」


 乾いた声を漏らした。

 少し遅れてモニカも異変に気づき、声をあげる。


「あ、ああ、アイク、顔、顔が……」


「……うん?」


 アイザックがウィルディアヌを乗せたのと反対の手を持ち上げ、右目の上をなぞる。

 彼の指の下にあるのは、切長の鋭い目と、縦に伸びた古い傷痕。

 一同が絶句している中、唯一その顔を知らないラウルが首を傾げた。


「えーと…………どちら様?」



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