【43】謁見の門
それは、遠い昔の出来事だ。
──それでは行って参ります、父上。どうぞ、そんな顔をなさらないでください。私は勝利を確信しているのです。なにせ、偉大なる賢者である、貴方の策があるのですから!
そう言って戦場に赴いた彼の息子は、二度と戻ってこなかった。
賢者の息子は最後まで父の策を信じて戦線に立ち、そして市民を逃すための囮になって、戦死したのだという。
──馬鹿者、馬鹿者ぉ……!
己の策で息子を死なせた賢者に、王は告げた。
──愚策で民を死なせた罪人よ。罰を受けよ、と。
* * *
ピケが氷の器で受け止め、引き上げた〈識守の鍵ソフォクレス〉を、シリルは再び己の指に嵌めた。
だが、漆黒の指輪はいつものように輝かないし、シリルの指先に契約印が浮かぶこともない。
氷の器に受け止められた時は、ギャアギャアと喚き散らしていたのに、今は無言を貫いている。
「ソフォクレス」
『…………』
無言なのに、明確な怒気を感じた。
流石に怒られて当然だと自覚していたシリルは、眉を下げて謝罪する。
「その、すまなかった……」
やはり返事はない。
こういう時はただ謝罪するのではなく、反省点をあげ、それを改善する意思があることを伝えるべきだろう。
「次からは、どんな体勢でも受け取れる練習をしておく」
『ド阿呆っ、反省すべきは、そこではないわぁ!!』
漆黒の指輪が虹色めいた輝きを取り戻し、ピカピカと忙しなく明滅する。
『吾輩の契約者は貴様なのだぞ、シリル・アシュリー! 容易く手放すとは何事かっ! 貴様には古代魔導具の契約者としての自覚が足りぬ! 猛省しろ!』
「……す、すまない」
『反省文も書くのであるぞ! ヴィセントと吾輩の前で朗読させるからな!』
「分かった」
シリルが硬い顔で頷くと、フンッ! と鼻を鳴らすような音が聞こえた。
それと同時に、シリルの右手中指に契約印が浮かび上がる。どうやら、許してもらえたらしい。
『……伝言である。なるべく黒竜セオドアを海面近くに引きつけろ、氷霊の力を上手く使え、合図をしたら離脱しろ、とのことである』
先ほどから低空飛行をしている黒竜セオドアは、明確にこちらを見ていた。
アイザックとモニカを乗せた大型黒竜ではなく、トゥーレとシリルを見ているのだ。
やはり、シリルが持っている〈暴食のゾーイ〉が狙いなのだろう。それと、黒竜の天敵である白竜も。
『白竜! 常に頭を敵に向けるよう意識せよ! 背後を取られたら、冷気が届かん!』
黒竜セオドアの狙いは〈暴食のゾーイ〉だ。だからそれを持っているシリルを、特大の黒炎で焼き尽くすような真似はしないだろう。
だが、トゥーレをジワジワと末端から焼いて、シリルがトゥーレから降りるように仕向け、そこを捕らえようとしている可能性は確かにある。
トゥーレは大きく口を開き、こちらに向かってくるセオドアに冷気のブレスを吐いた。
対抗するように黒竜セオドアが、黒炎を吐く。
キラキラと氷の粒を煌めかせた白い吐息と、あらゆるものを焼き尽くす漆黒がぶつかり、打ち消し合う。
その時、トゥーレの真下の海面から何かが飛び出した──蛇のように伸びる漆黒の影だ。
『たわけ! 二度目が通じると思うな!』
シリルの右手で指輪が輝き、トゥーレの真下に広範囲の防御結界を張る。
トゥーレをからめとろうとした影は全て、古代魔導具の強力な防御結界に弾かれ、ボトボトと海に落ちた。
『吾輩は〈識守の鍵ソフォクレス〉。知識を、それを受け継ぐ者を守る番人』
黒竜セオドアが旋回し、見えない壁に頭をぶつけて、体をぐらつかせた。
セオドアの進行方向に、〈識守の鍵ソフォクレス〉が壁状の結界を展開したのだ。
『今度こそ、守り抜いてくれるわ!』
シリルの手元で、偉大なる賢人が高らかに叫ぶ。
『今だ。やれ、氷霊!』
防御結界に衝突し、ふらつくセオドアを見下ろし、ピケが一つ頷く。
飛翔するトゥーレの周囲にキラキラと氷の粒が煌めき始めた。ピケが──伝承に名を残す氷霊アッシェルピケが、大規模な力を行使しようとしているのだ。
「これだけ魔力が満ちてるなら、久しぶりにすごいこと、できる」
この場に満ちた魔力は人間には毒だが、精霊や竜には力を与えるものだ。当然に、トゥーレもピケも、その恩恵を受けている。
ピケが人差し指を一つ立て、そして下に向けた。
すると、海面に水色がかった白い光が集う。その光が形作るのは、巨大な門だ。
シリルは、それとよく似た門を見たことがあった。
「あれは、精霊王召喚の……!?」
「違う。召喚じゃなくて、謁見」
呟くシリルの声を、ピケが遮る。
いつも無感情なピケの菫色の目の奥に、チカチカと光の粒が見えた。
「氷霊アッシェルピケが謁見賜る」
精霊は魔術を使わない。詠唱をしない。
だからこれは、魔術師の儀礼詠唱と同じもの──これから現れる偉大な存在に捧げるための言葉だ。
「停滞の鐘鳴らす離別の女王、氷絶の扉開き、その姿をここに」
光り輝く門がゆっくりと開き、初夏の港に冬が訪れる。
青空に季節外れの雪が舞う。
それはただの冷気ではない。膨大な魔力を持った何かが、そこに在るのだ。
シリルは震える声で、その名を口にした。
「氷の精霊王、フラウリシェル……」
黒竜セオドアの体に雪が、霜が下りる。その動きが明確に鈍りだした。
白竜以外の竜は、寒さに弱いのだ。黒竜セオドアの羽ばたきが弱々しくなり、それを補助するように影でできた翼が忙しなく動き出す。
セオドアはボゥッ、ボゥッと黒炎を吐き、己に迫る冷気を払おうとしていた。だが、まとわりつく冷気全てを焼き尽くすことはできない。
ピケが、どことなく得意げに言う。
「さっきのシリルの戦い方を見て、思いついた」
先の戦い──おそらく、人型のセオドアに対し、多重強化の冷気を使った時のことを言っているのだろう。
ピケの力は強力だが、ただ氷の刃を飛ばすだけでは、黒炎で燃やされてしまう。そこで、黒炎では焼き尽くせない、広範囲の冷気で攻める。
先ほどシリルがやったことを、ピケは更に大規模にして、再現してみせたのだ。
シリルの目の前で、セオドアの動きが徐々に鈍り始めた。
まさに冬の顕現──氷の精霊王フラウリシェルの力は絶大だ。
(だが……これだけのことができるなら、何故、今までやらなかった?)
精霊王謁見をするだけの魔力を集めるのに、時間がかかったのだろうかと訝しむシリルに、ピケがボソリと呟く。
「精霊の供物だけど、炎霊はお酒、風霊は歌を供物として好む」
何故、唐突にそんな話をするのか。
シリルは猛烈に嫌な予感を覚えつつ、訊ねた。
「……氷霊は?」
「時間と命。生き物を凍らせて、その時間を停めて、命を閉じ込める。それが供物」
物騒だった──否、供物とは、えてしてそういうものである。
そしてシリルは、一度似たような目に遭っているのだ。
シリルの嫌な予感が、どんどん膨らんでいく。
「……ピケ、この場合の供物とは?」
「謁見を申し出た氷霊の、一番近くにいる人間」
シリルは目を剥いた。
「私ではないか!?」
これでは、黒竜セオドアではなく、シリルが狙われることになってしまうではないか。
仰天するシリルに、ピケは当然のように言う。
「多分その内、供物の回収に来る」
そんな物騒なものを呼ぶな! という怒声をシリルは呑み込んだ。
精霊王召喚は精霊王の力の一部を呼び出し、それを借りて操るものだ。術式で制御することを前提としている。
一方、精霊王謁見は、精霊王の力と意思の一部を呼び出すもの。その力を操ることは想定していない。
ピケはただ、この場に意思持つ冬を呼んだだけなのだ。今でこそ、門の目の前にいる生き物──黒竜セオドアを襲っているが、供物の存在に気づくのも時間の問題だろう。
(……なるほど、今まで使わなかったわけだ!)
これは白竜トゥーレの機動力がないと、シリルが真っ先に殺される技である。
シリルが歯軋りしていると、ピケが無表情ながら自信たっぷりに言い放った。
「大丈夫。第三夫人が、なんとかする」
『良いぞ、氷霊! 存分に力を振るうが良い! 黒炎以外は吾輩が防ぎきってくれるわ!』
いつもなら喚き散らす〈識守の鍵ソフォクレス〉が、やけに張り切ったような声で言う。
シリルは怒りつつも、己が置かれた状況の把握に努めた。
今のシリルは、〈暴食のゾーイ〉を持っていることで黒竜セオドアに狙われ、同時に氷の精霊王フラウリシェルに供物として狙われている身だ。
前代未聞すぎるこの状況で、己がすべきことは何か?
(まったく、なんと腹立たしい状況だ!)
だが、元より戦力外の身なれば、役目があるのは喜ぶべきことだ。
怒っている時ほど元気になる男は、不敵に笑った。
「ならば、あの方のために……勝利のために、撹乱と囮の役割を私が引き受けよう! 行くぞ、トゥーレ! ピケ!」
白竜トゥーレに乗ったシリルは、〈識守の鍵ソフォクレス〉の結界に守られながら、局地的な冬の中に突っ込んだ。
サザンドールの海面で巻き起こる吹雪が、黒竜セオドアごとシリルの周囲を取り囲む。
氷の精霊王フラウリシェルが、シリルに手を伸ばしているのだ。その命を差し出せと。
シリルは〈識守の鍵ソフォクレス〉を嵌めた右手を強く握りしめ、叫んだ。
「力を借りるぞ、ソフォクレス!」
『囮、囮か……大役であるなぁ! よかろう! 我らで見事、務めあげてみせようぞ!』
氷の精霊王召喚の詠唱は、下記の通りです。
※ピケは召喚ではなく謁見の門として開いたので、儀礼詠唱が異なります。
「停滞の鐘鳴らす離別の女王、我が呼びかけに応え、その力の片鱗を示せ。──の名の下に、開け、門。氷絶の扉開き、現れ出でよ。氷の精霊王フラウリシェル」
氷の精霊王フラウリシェルは、水の精霊王ルルチェラを愛しすぎたあまり、英雄ラルフに力を貸すのを嫌がったという難儀な性格の精霊王です。だから建国神話に、あまり名前が出てきません。
水と氷の精霊王は「移ろいのルルチェラ、停滞のフラウリシェル」と呼ばれ、しばしばセットで語られます。




