表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
サイレント・ウィッチ(外伝)  作者: 依空 まつり
外伝12:開け、門
299/425

【41】重なり、塗り潰す

 本来の姿に戻った黒竜セオドアは、雷の網に牙を剥きながら、考える。


 ──あぁ、きっと自分は良くないことをしてしまったのだ、と。


 それが人間にとって悪いことなのか、竜にとって悪いことなのかは分からない。もしかしたら、両方なのかもしれない。

 だって、人間も、人間に寄り添う竜も、みんな自分を責めている。

 ある者は怒り、ある者は悲しみ、そしてある者は憐れみの表情で。

 彼はもう、人間の怒りも悲しみも憐れみも、どうでも良いと思っているけれども、弱い生き物の巣をうっかり踏み潰してしまったような、小さな罪悪感を覚え始めていた。


(セオドア、セオドア。おれのこと叱ってよ。……きっと、もうすぐ会えるから)


 黒炎で雷の網を焼き、影でできた翼を広げ、空から降ってきた風の槍を防ぐ。

 影でできた翼は、いとも容易く霧散した。


(おまえは、おれの邪魔をするんだね……モニモニ、ううん、〈沈黙の魔女〉)


 精霊王召喚──凄まじい威力だ。

 魔力密度の高い影は、並の魔術なら容易く弾くというのに、軽々と貫いてきた。


(なら、おれは全力で抗うよ。そして、願いを叶えてみせる)


 黒竜セオドアは、自分が悪いことをしていると自覚している。

 人間が自分を脅威に思い、討とうとしていることも理解できる。

 それでも、自分は討たれるわけにはいかないのだ。絶対に。


(ゾーイ、約束は守るよ。おれ、ちゃんと約束守れるよ。だから、もう少しだけ待ってて)



 * * *



 黒竜セオドアが、己を拘束する雷の魔術を全て焼き切ったのと、元の姿に戻ったネロが上空に飛び上がったのは、ほぼ同時だった。

 自由になった黒竜セオドアは、空高く飛び上がる。ネロを警戒しているのだろう。

 本来の翼とは異なる、影でできた三枚目四枚目の翼から、黒い矢が降り注ぐ。

 ネロが息を大きく吸い込み、吐いた──その口から放たれた漆黒の炎は、飛来する影の矢を焼き尽くし、黒竜セオドアに肉薄する。

 黒竜セオドアはギリギリのところで旋回して、ネロの黒炎を回避した。そして自身もまた、ネロに向かって黒炎を吐き出す。


「ネロ、回避してくれ!」


 手綱を握るアイザックの言葉にネロは急降下し、水面ギリギリを飛ぶ。

 体が斜めに傾き、強い潮風がモニカの髪とローブの裾を揺らした。アイザックが後ろから支えてくれなかったら、間違いなく落ちていただろう。

 セオドアの黒炎を回避しながら、ネロが吼える。

 その言葉の意味を理解したモニカは、首を捻って背後のアイザックを見上げた。


「アイク、あのですね……」


「訳さなくても分かるよ。『命令するな』だろう?」


「はい……」


 ネロが「当然だ」と言わんばかりに、フスーッと息を吐いた。黒炎の残滓が火の粉となってチロチロと零れ、海に落ち、僅かな海水を蒸発させる。

 それを見ながらモニカは考えた。


(当たり前だけど、黒炎を水中で吐くことはできない。空中から海に向かって、最大火力で黒炎を放った場合、海水をある程度蒸発させることができるけれど、それでもわたしの身長の倍ぐらい潜ってしまえば、届かなくなる)


 つまり、あらゆるものを焼き尽くす黒炎でも、海中に潜ってしまえば逃げられるということだ──お互いに。

 思案するモニカの耳元で、アイザックが風に負けぬ強い声で告げる。


「モニカ、敵が回避行動を取るところから察するに……ネロの黒炎は、敵の黒竜も焼き尽くせる可能性が高い」


「……それは、逆も然り、ってこと、ですよね?」


「そうだ。セオドアの黒炎は、ネロごと僕達を焼き尽くせる」


 ネロがチロチロと溢している火の粉は、ネロの鱗を焼き尽くすことはない。黒炎は、主人を焼いたりはしない性質があるのだろう。

 だが、黒炎は使い手以外なら、相手が黒竜であろうと容赦なく焼き尽くすのだ。

 モニカは冷静に、ネロとセオドアの黒炎を比較する。


(黒炎の火力はネロの方が強い……けど、敵の方が体が小さい分、小回りが利くんだ)


 また黒竜セオドアが、黒炎を放つ。

 ネロが空高く飛び上がってそれを回避。そうしてネロはセオドアの上を取り、浴びせかけるような勢いで、とびきり大きな黒炎を吐いた。

 セオドアの背中で、影の翼が広がり、降り注ぐ漆黒の炎からセオドアを守る。

 影を侵食するネロの黒炎がセオドアの胴体に達する前に、セオドアは燃え上がる影の翼を切り捨てた。


(あの影は攻撃にも防御にも使える。おまけに、黒炎と違って、頭の向きに攻撃方向が左右されない。黒炎より厄介、かも)


 口から吐く黒炎は、当然だが背後に飛ばすことはできない。

 だが、あの影は自在に形を変え、あらゆる方向からの攻撃に対処できる。

 アイザックも同じことを考えていたのだろう。モニカの左手の指輪を見て、「ソフォクレス!」と声を張り上げた。

 突然名前を呼ばれた〈識守の鍵ソフォクレス〉は、モニカの手元で驚いたようにピカピカと点滅する。


『な、なんであるか、なんであるか!?』


「影の攻撃を、君の防御結界で防いでくれ。あの影は黒竜には影響を与えないから、結界は僕とモニカを守るぐらいの大きさでいい」


 指輪の中央に嵌め込まれた漆黒の宝石が、ピカピカと赤く瞬いた。

 多分これは、不服の表明だ。


『えぇい、何故吾輩が、見ず知らずの若造に従わねばならんのだ!』


 アイザックが、背後からモニカの左手に手を回した。

 その指先が、漆黒の指輪の宝玉部分をギュゥッとつまむ。


「役に立たない道具を何と言うか……もう一度、教えようか?」


 囁く声の冷たさに、モニカの背中までゾクリと震えた。まして今の彼は、それはもう眼光が鋭いのだ。

 ソフォクレスが泡をくったような声をあげる。


『その声、その台詞……貴様、まさかパイ職人……っ!』


「ガラクタ扱いされたくなければ、頑張ってくれ」


 丁度そのタイミングで影の一部が形を変え、数十本の矢となって、モニカ達の頭上に降り注いだ。

〈識守の鍵ソフォクレス〉が虹色めいた色に輝く。

 モニカの左手人差し指に、黒い契約印が浮かび上がった。


『これは仮契約であるぞ、小娘ぇー!』


 半ば自棄のような声と同時に、半球体の透明な結界がモニカとアイザックを覆う。

 モニカが扱うよりも更に強力な防御結界が、影の矢から二人を守った。最弱を名乗っていても、流石は古代魔導具だ。

 防御結界に覆われていないネロの体は、楊枝も同然とばかりに影の矢を容易く弾き返した。当然、鱗には傷一つない。

 黒炎の攻撃はネロが回避、影の攻撃は〈識守の鍵ソフォクレス〉の防御結界で防御。

 そうやって攻撃を凌ぎながら、モニカは静かに焦っていた。

 決定打を与えるための攻撃手段が、思いつかないのだ。


(決定打を与える方法は二つ。セオドアの死角から黒炎を浴びせるか、影を貫く高威力の攻撃魔術を当てるか)


 ネロの黒炎も、精霊王召喚の風の刃も、影の翼が防いでしまう。

 ならば、モニカにできる攻撃手段は一つ──高威力で貫通力の高い、大規模複合魔術〈星の矢〉だ。

 モニカはポケットの中の、魔導具の宝石を握りしめる。

〈星の矢〉の発動に必要な補助魔導具を、モニカはちゃんと持参していた。問題は、これを使うタイミングだ。

〈星の矢〉は、〈星槍の魔女〉カーラ・マクスウェルが使う〈星の槍〉を簡易化、小型化したものだ。

 威力は〈星の槍〉に劣るが貫通力が高いので、影の翼を貫いて、黒竜セオドア本体にダメージを与えることができるはずだ。


(問題は、この状況で狙いを定めることができるかどうか……)


 セオドアは上空を飛び回っているし、影の翼のせいで視界が悪い。

 おまけにモニカ自身もネロに乗って飛び回っているため、極めて不安定な体勢だ。


(〈星の矢〉は簡易化するにあたって維持術式を削っているから、一度展開したら、すぐに放つ必要がある……)


〈星の矢〉は魔力消費の激しい術だ。二発は撃てない。

 確実に当てるためには、どうしたら良いか。モニカが悩んでいると、アイザックが背後から片手でモニカの体を抱き寄せた。

 そうして、片手で手綱を握って叫ぶ。


「ネロ、下だ!」


 水中から黒い何かが飛び出した。何か──黒い蛇のようなそれは、セオドアが操る影の一部だ。

 今になって、モニカは気がついた。低空飛行しているセオドアの尻尾から黒い影が垂れて、水中に潜っている。

 セオドアは水中に潜らせた影を、ネロの真下から急浮上させたのだ。

 ネロは急上昇し、蛇のように伸びてくる影から逃げようとした。モニカとアイザックの体が、空を仰ぐように大きく傾く。

 その時、ガクンと大きくネロの体が揺れ、モニカは悲鳴をあげた。


「うひゃぅっ!?」


 ネロの体に、水中から飛び出した影が絡みついている。

 ネロが苛立たしげに吠えた。

 その僅か数秒の間に、セオドアがネロの背後に回り込む。


(しまった、背後を取られた……っ!)


 背後に回り込まれたら、ネロの黒炎は届かない。

 そして、黒炎は防御結界では防げないのだ。

 水中に潜って逃げようにも、絡みつく影がそれを邪魔する。

 黒竜セオドアが甲高い声で鳴いた。


 ──バイバイ。


 ゴゥッ、と強い熱風が吹いた。少し遅れて、ありとあらゆる物を焼き尽くす、冥府の炎がモニカ達の背後の景色を埋め尽くす。


「ウィル!」


 アイザックがウィルディアヌに命じて、水で壁を作った。

〈識守の鍵ソフォクレス〉が、背後に壁状の防御結界を張った。

 モニカも無詠唱魔術で防御結界を二枚重ねた。


 だが、漆黒の炎は無情に全てを焼き尽くす。

 精霊が操る水も、古代魔導具の結界も、モニカが重ねた結界も、全て等しく。


 ──死とは、こうして迫り来るものなのか。


 アイザックがモニカを抱く腕に力を込める。

 彼の肩越しに背後を見たモニカの目に映るのは、一面の黒、黒、黒……。


 その黒に、白が重なり、塗り潰す。


「……え」


 モニカは思わず声を漏らした。

 背後に迫っていた黒炎が、嘘みたいに萎んでいく。

 黒竜の炎を打ち消す冷気を操る、黒竜と対になる伝説の竜──その存在をモニカは知っていた。

 ヒンヤリと冷たい冬の風が、モニカの頬を撫でる。


 ──キュァァアアアォォォオオオオオオオン!


 甲高い鳴き声に、モニカは思わず目を見開いた。

 モニカから見て左斜め後方、青空を背後に優雅な白い翼を広げて飛翔するのは、黒竜よりもほっそりとした竜──カルーグ山の白竜トゥーレ。

 その背中には、小さな人影が二つ見える。ピケとシリルだ。

 モニカの喉が震え、視界が滲む。


「シリル様ぁ……っ!」


 涙ぐむモニカの視線の先で、全身ずぶ濡れになったシリルが口を開く。


「事情を説明しろっ、モニカ・エヴァレット! 黒竜がもう一体いるなんて、私は聞いてないぞっ!!」


 かなり距離がある筈なのに、鼓膜をビリビリと叩く怒声は、竜の咆哮に勝るとも劣らない迫力だった。

 モニカの目に、感動とは別の涙が滲む。


「い、いつものシリル様だぁ……」


 この距離だと表情は見えないが、細い眉を吊り上げ、青い目をギラギラと輝かせて怒っているシリルの顔が、モニカには容易に想像できた。

 彼が無事で嬉しい。元気そうで嬉しい。

 それはさておき、どうしよう。上手い説明が思い浮かばなくて泣きそうだ。

 ヒィン、と悲しい声をあげるモニカの背後で、アイザックが〈識守の鍵ソフォクレス〉を見て呟いた。


「君の主人、元気だね」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ