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サイレント・ウィッチ(外伝)  作者: 依空 まつり
外伝12:開け、門
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【39】あなたの横に並べる、わたしになるために

 流出した闇の魔力で、夜の海のように暗く澱んだ海に、ドボンと音を立てて水柱が上がる。〈暴食のゾーイ〉を抱えたシリルが海に落ちたのだ。

 なんてシリルらしい判断ミスだ、とアイザックは歯噛みした。

 本来の姿に戻ったミネルヴァの黒竜が、真っ先にシリルを狙った時、アイザックはすぐに、黒竜の目的が〈暴食のゾーイ〉であることを察した。

 ミネルヴァの黒竜が結界ごとシリルを焼き尽くさなかったのは、何らかの理由で、〈暴食のゾーイ〉を必要としているからだ。

 シリルは、飛行魔術が使えるグレンに〈暴食のゾーイ〉を託して、遠くまで逃げろと言うべきだった。

 それなのに、シリルがそうしなかった理由が、アイザックには容易に想像できた。


(……危険な役割を、後輩に押しつけたくなかったんだろう?)


 きっとシリルの頭には、危険な役割を後輩に任せるなど、選択肢として思い浮かびすらしなかったのだろう。

 馬鹿野郎、と胸の内で毒づくアイザックの視界の端で、若い娘に化けた氷霊が、肩に白いイタチを乗せて海に飛び込むのが見えた。あれは、シリルと契約している氷霊と白竜だ。シリルのことは、あの二人に託すしかない。

 アイザックは横目でサイラスを見る。

 サイラスの右腕に取りついた黒い影は、ジワジワと肩の辺りまで侵食していた。

 サイラスが雷撃を浴びせたり、アイザックが水の短剣で刺すことで、多少は抑え込むことができているが、影が全身に回るのは時間の問題だ。

 シリルを逃した黒竜は、グルグルと唸りながら港の上空を旋回していたが、やがて勢いよく下降し、海を目指した。海に落ちた〈暴食のゾーイ〉を回収するつもりか。


「アイク、下がってろぉ!」


 サイラスが、杖を握る手をガクガクと震わせながら、前に突き出す。

 彼は短縮詠唱を口にした。アイザックがあまり聞いたことのない、珍しい術式だ。


「対竜用捕縛術式……展開っ!」


 サザンドールの海の少し上に、雷の魔術でできた網が広がる。

 バチバチと音を立てて金色に輝く網は、海に飛び込もうとした黒竜に絡みついた。まるで蜘蛛の糸にかかった虫のように、黒竜の体は金色の網に貼りついている。


「竜専用の捕縛術式だ。これで、少しは時間が稼げ……ぐっ」


 サイラスは苦しげに呻いて右手を押さえた。対竜用捕縛術式に意識を割いたせいで、右腕の影の侵食が悪化している。

 アイザックが水を纏わせた短剣で、皮膚を削がぬように影を削っていると、グレンがモニカを抱えて、飛行魔術でこちらに向かって飛んできた。


「会長! 副会長が……っ!」


 グレンは目に見えて動揺していた。モニカを託されていなかったら、シリルを助けに海に飛び込んでいたかもしれない。

 アイザックは努めて冷静な口調で言った。

 動揺しているのは、アイザックも同じだ。できることならすぐに、水霊であるウィルディアヌを助けに向かわせたい。

 だが、ウィルディアヌには別の、大事な役割がある。


「シリルの契約精霊が、海に助けに向かうのを見た。シリルのことは、そちらに任せよう」


 グレンは悔しそうな顔で、何か言おうとした。きっと、シリルを見捨てられない、と言おうとしたのだろう。

 それを遮るように、アイザックは言葉を続ける。


「あの黒竜は、〈暴食のゾーイ〉の力を得て、手に負えなくなっている。こちらは七賢人二人が負傷。戦闘続行は難しい」


 黒竜はそれだけで脅威だが、その上〈暴食のゾーイ〉の力の一部を取り込んだ竜は、人間形態時に致命傷を受けても立ち上がった。

〈竜滅の魔術師〉は右腕を負傷、〈沈黙の魔女〉は意識不明。この状況で、致命傷を与えるのは困難だ。


「これ以上街に被害が出る前に、他の七賢人に助けを求めよう。ダドリー君は〈竜滅の魔術師〉を飛行魔術で運んでくれるかい? 僕はモニカを運ぶから」


「了解っす!」


 サイラスは右腕を影で蝕まれている。急ぎで処置が必要な彼を、飛行魔術を使えるグレンが運ぶのは自然なことだ。

 モニカをアイザックに託したグレンは、「あ、そうだ!」と何かを思いついたような顔で、ポケットからハンカチを取り出した。

 縁にレースを縫いつけ、中央に模様を描いた不思議なハンカチだ。


「ダドリー君、それは魔導具かい?」


「妖精の宝飾布! 魔力を込めると、簡易結界になるんすよ。これを……こうして……」


 グレンはハンカチをサイラスの肩下辺りにきつく結び、魔力を流し込んだ。

 ハンカチを中心に、封印結界が発動する。それは、サイラスの腕を這い上がろうとする影にも作用した。ハンカチに触れた影の動きがピタリと止まる。

 サイラスが苦しげな顔を歪めて笑った。


「良い判断だぜ、兄ちゃん」


「へへ、どもっす」


 グレンは少しだけ得意げに笑い、サイラスを背中に担いで飛行魔術の詠唱をした。

 大男のサイラスを背負うのは、かなりの負担だろう。浮かび上がった体は、グラグラと左右に揺れていた。

 グレンは中途半端に浮かび上がった姿勢のまま、チラチラと海の方を見ている。シリルの安否が気になるのだろう。それでもグレンは、泣き言一つ言わなかった。

 今は他の七賢人に助けを求めるのが最優先、そしてそれができるのは飛行魔術を使える自分なのだと理解しているのだ。


「そんじゃ、お先に! 会長も気をつけて!」


「あぁ、ダドリー君も気をつけて」


 グレンの背に担がれたサイラスが、首を捻ってアイザックを見下ろす。

 サイラスは言葉を探すみたいな、しかめっ面をしていた。

 あの兄貴分は、弟分の隠しごとには、やけに勘が働くのだ。

 サイラスは、無茶をするなとは言わなかった。ただ、短く一言。


「姐さん守れよ!」


「勿論」


 グレンとサイラスの姿が遠ざかっていく。

 それを見送り、アイザックはモニカを抱えたまま、海岸に目を向けた。

 雷の網に絡め取られたミネルヴァの黒竜は、黒い影と黒炎を使って、雷の網を切断している。自由になるのは時間の問題だろう。

 アイザックは抱えたモニカを見下ろした。おそらく、半覚醒状態なのだろう。眠たげな瞼は持ち上がったり下がったりを繰り返している。

 アイザックは目の前に漂う闇の向こう側に声をかけた。


「ネロ」


 闇の奥から、にゃーう、と声が響いた。

 暗闇の中、その黒猫は悠々とした足取りでこちらに歩み寄ってくる。

 アイザックはモニカを抱えたまま膝をつき、ネロを見下ろした。


「約束を守ってくれて、ありがとう」


「おぅ、感謝しろ、後輩」


 この戦いを始める前に、アイザックとネロは一つの約束を交わしている。


 ──ミネルヴァの黒竜が本来の姿に戻るまでは、正体を隠していてほしい。


 アイザックはネロにそう頼み、ネロはそれを了承した。

 ネロの存在は切り札だ。

 その力は強力だが、ネロが元の姿を晒せば、ウォーガンの黒竜の存在が人々に周知される。そして、モニカとネロの立場が、危うくなってしまう。

 それは、シリルが契約している白竜トゥーレにも同じことが言えた。

 だからできることなら、竜の力は借りずに、セオドアが人の姿をしている内に決着をつけたかった。

 だが、それでも、止むを得ず竜の力を借りるなら、その時は……。


「ウィルディアヌ」


「はい、マスター」


 ウィルディアヌが駆けつけた時に、アイザックは決めたのだ。

 モニカとネロが、シリルとトゥーレが、これからも当たり前の日常を続けられるように、そのためにウィルディアヌの力を使おうと。

 アイザックは地面に膝をついたまま、右手の甲にウィルディアヌを乗せて、掲げた。

 ウィルディアヌの水色の目が街の方角を見据えて、淡く輝く。


「ウィルディアヌ、広域幻影展開」


 街と港の境目の辺りに、濃く白い霧が立ち込める。それは一瞬でパッと散り、見えなくなった。

 こちら側からは目に見える変化は無い。

 だが、境界線の反対側からは、この港がいつも通りの港に見える幻が展開されている。

 ウィルディアヌの力は、人間が使う幻術を更に高度に、かつ広範囲に展開したものだ。

 水霊であるウィルディアヌが最も得意とするのは、幻を見せる魔法。ただし、これだけの規模ともなれば、さすがに長時間は維持できない。


「決着を、つけよう」


 呟き、アイザックはネロを見る。

 ネロはアイザックに抱えられているモニカに前足を伸ばし、その肉球でモニカの頬をフニフニと押した。


「おい、起きろよ、ご主人様。お前とオレ様で、最強格好良く事件を解決するんだろ?」



 * * *



 モニカは、不思議な夢を見ていた。

 記憶の断片が、次から次へとパッと浮かんでは消えていく。そういう夢だ。

 それは完成したパズルを半分壊され、ピースを奪われて、そこに突然、奪われたピースが空からバラバラと降ってくる感覚に近かった。

 戻ってきたパズルのピースは、勝手に元の位置に収まってくれるわけじゃない。

 だから、モニカは一つ一つ手探りで、そのピースを元の位置に収めていく。


 優しい養母と家政婦が、台所に立っていた。


『どんな料理でも、重要なのは火力よ。火力を制したものは料理を制するの』

『では、いい加減、オーブンの使い方を覚えてください、ヒルダ様』

『さぁ、モニカ。今日は火炎魔術の温度調整の勉強をしましょう。これをマスターすれば、料理もマスター……』

『できません。オーブンを使ってください』


 ミネルヴァに入学して、初めてできた友達を、モニカは追いかけていた。


『バーニー、バーニー。あのね、えっと、魔法史の試験……点数、良くなったの。それで、あの……』

『僕が教えたんだから、当然ですね』

『……うん、えへ……バーニーの、おかげ』


 七賢人就任式典の直前、初めてできた同期と言葉を交わした。


『……やっぱり、ルイスさんは、すごい、と、思い、ます』

『えぇ、勿論。貴女に言われずとも存じております。私ってすごいんですよ』

『…………』

『そのすごい私に参ったと言わせたのは、貴女が初めてです。胸をお張りなさい』


 悪役令嬢を演じる協力者が、モニカをたくさん助けてくれた。


『お姉様は、我がケルベックの恩人。どうか、ご恩返しをさせてくださいませ。わたくしは……わたくし達は、貴女の力になりたいのです』


 第二王子と対立する友人と、敵対した。


『ちゃんと憎んで。それができないなら、私のことなんて忘れて』

『……や、です……わたし、は、記憶力、いいんです…………絶対、忘れ、ません』

『困った七賢人様ねぇ……』

『…………』

『さよなら、モニカ』


 初めての、不良仲間ができた。


『君だけは覚えていて。君と一緒に遊んだアイクのことを』


 皆の前で、自分の正体を明かした。

 みっともなく泣きじゃくるモニカの涙を、ラナが拭ってくれた。


『……それで。わたしは、まだ友達のつもりなんだけど。モニカはそうじゃないの?』

『どもだぢがいい……』


 手に入れたと思ったら、すれ違ったり、傷つけたり、ままならないことだって沢山あった。

 それでも、その出会いの全てが、モニカにとって得難い宝物なのだ。

 モニカはその一つ一つの記憶に触れて、自分の中に収めていく。

 かつて、上手に生きられなかったモニカは、数字の世界に逃げた。


(今は、違う)


 色んな人を見てきたことで、こうありたいという自分の姿も見えてきた。

 怖いけれど、不安だけれど、それでも。


『私は、お前が努力できる人間だと知っている。お前は苦手なことに挑み、成長できる人間だ。迷いながらも、自分の足で歩ける人間だ』


 白い薔薇を差し出し、モニカに勇気をくれた人がいる。

 その人の背中をずっと見てきた。こうありたい、と憧れて、気がついたら目で追いかけていた。


『その歩みが、どんなに無様でみっともなくても、私は嫌いになったりなんてしない。だから……』


 叱られたら悲しくて、褒められたら嬉しくて、一緒にいられるだけで嬉しくて。

 分不相応だと分かっていて、それなのに、もっと近づきたくて、触れたくて。


(あなたが、好きです)


『お前が自分の足で歩きだすのを、私は先に進んで待っている』


(だからわたしは……あなたの横に並べる、わたしになりたいんです)


 自分を誇れる自分でいるために、奪われたものも、幸せな日常も、全てこの手で取り戻すのだ。

 大好きなあの人から貰った、勇気を握りしめて。


 ──パチン、と音を立てて、パズルの最後のピースが、モニカの胸に空いた穴を埋めた。



 * * *



 ゆっくりと瞼を持ち上げる。

 ぼやけた世界が次第に焦点を結び、自分を見下ろす碧い目と、金色の眼を認識する。


「おはよう、モニカ」


「まだ寝ぼけてんのか、ご主人様?」


 眼帯をした青年──モニカの弟子、アイザック。

 その肩の上に乗った黒猫──モニカの相棒、ネロ。


 アイク、ネロ、とモニカが掠れた声で呟くと、ネロがアイザックの肩の上からモニカを見下ろし、ニヤリと笑った。


「お前が生きることに絶望したなら、神様が救って(オレ様が喰って)やろうと思ってたんだぜ」


 あぁ、だからネロは、記憶を失った自分を窓の外からじっと見ていたのだ。

 そう納得しつつ、モニカはネロを見上げる。

 自然と溢れた声は、今までで一番ハッキリとした声だった。


「絶望なんか、してない」


 色んな人に強さをもらって、〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレットは、ここにいる。


「アイク、ネロ……力を貸して」


 ゆっくりと体を起こし、杖を握り締める。

 自分の足で、地面を踏み締め、立ち上がる。

 アイザックが優雅に一礼し、ネロがご機嫌な声で鳴いた。


「仰せのままに、マイマスター」


「当たり前だ、お前の相棒はオレ様だからな!」




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