【30】自慢の友人と後輩なんだ
黒いモヤが広がる船着場で、〈暴食のゾーイ〉が生み出した影が鳥籠のように展開し、セオドアを守っていた。
サイラスが飛行魔術を一度解除し、短縮詠唱で雷の矢を十本生み出し、檻の隙間からセオドアを狙う。
だが、檻の一部が形を変えて、雷の矢を全て払い落とした。子どもが投げた小枝を蹴散らすかのように、あっさりと。
サイラスは一度距離を取り、飛行魔術を再詠唱した。
槍術に長けている彼は、人間相手なら、その槍の腕前だけで相手をねじ伏せられるが、縦横無尽の動きをする黒い影相手に、飛行魔術無しで接近戦をするのは難しい。
(やっぱり、魔力密度の高い攻撃でないと、足止めにすらならねぇか)
元々魔力密度の高い術、或いは魔力量の多い魔術──サイラスの雷の槍、モニカの多重強化した攻撃魔術なら、檻の一部を破壊することはできる。
(結界の兄さんの弟子は、魔力量はあるがまだ未熟。影の完全破壊には一歩及ばない。図書館学会の兄ちゃんは、上位精霊を連れてたのか……だが、頼みの綱の氷霊は、水竜の足止め中。あの兄ちゃん自身の魔術の腕は中の上程度。影の破壊は無理だな)
やはり、〈暴食のゾーイ〉の攻撃を削れるのは、七賢人であるサイラスかモニカだけなのだ。
セオドアを守る檻は、砕けたところからすぐに再生していく。
だが、敵に魔力を消費させることは、決して無意味ではないはずだ。その証拠に、セオドアの手元で〈暴食のゾーイ〉が大騒ぎをしている。
──オナカヘッタ! オナカヘッタ! オナカヘッタ!
「今は我慢しておくれよぅ……願いが叶うまで、あと少しなんだから」
甲高い声で騒ぐ〈暴食のゾーイ〉を、セオドアが困り顔で窘める。
サイラスは影の檻を叩き壊しながら吠えた。
「ミネルヴァの黒竜、何か言い分はあるかよ!?」
竜滅を名乗る時に、竜は全て滅ぼすと決めた。
今は少し違う。人に害なす竜は滅ぼす──それが、サイラス・ペイジの信念だ。
ミネルヴァの黒竜が、人に害なしたことは明白。邪竜認定は免れない。
それでも、サイラスは聞きたかった。この黒竜の言い分を。
「懺悔でも釈明でも、一応聞いてやるぜ!」
「ないよ」
セオドアの言葉は、あまりにもあっさりとしていた。
その声に、怒りも悲哀もない。あるのは、寂しい諦念だけだ。
「おまえ達に分かってほしいことなんて、何もない」
「……そうかよ」
この黒竜がその結論に至るまでに、サイラスの知らない軋轢の積み重ねがあるのだろう。
それでも、話し合いを諦めた時点で、共存の道は閉ざされたのだ。
飛来した影の矢を、雷の槍の一振りで叩き落とし、〈竜滅の魔術師〉サイラス・ペイジは宣言した。
「それなら、もう迷いはなしだ。人の道理に従い、討たせてもらうぜ、ミネルヴァの黒竜!」
大きく槍を振りかぶったサイラスは、視界の端で幼馴染の男を捕らえた。
アイザックが両手に短剣を構えて、こちらに向かってくる。サイラスは内心焦った。
(馬鹿、アイク。いくらお前が沈黙の姐さんの弟子でも、流石に無謀だ……!)
〈暴食のゾーイ〉を相手にするなら、モニカのように遠距離から攻撃するか、あるいはサイラスやグレンのように飛行魔術で回避しながら戦うしかない。短剣で特攻するのは、あまりにも無謀すぎる。
せめて、飛行魔術が使えるなら話は別だが、微かに聞こえる詠唱は飛行魔術のものではなかった。
(あの詠唱は……!)
サイラスが目を見開いた次の瞬間、アイザックが跳んだ。
* * *
詠唱を終えたアイザックは、肩によじのぼってきた白トカゲ姿のウィルディアヌに指示を出す。
「ウィル、足場を作ってくれ」
「はい、マスター」
ウィルディアヌはその力で、空中に幾つもの水を浮かべた。
一つ一つが手のひらほどの大きさの、少し平べったい水の塊だ。魔力で固めてあるので、踏んでも弾けることはない。
アイザックは跳躍して足場を跳び渡り、〈暴食のゾーイ〉に近づいた。
敵の接近に気づいた〈暴食のゾーイ〉が影を矢のようにして放つ。
それをアイザックは、水を纏った短剣で叩き落とした。
「アイク、お前……っ!」
サイラスが驚きの声をあげて、アイザックを見る。
飛行魔術で旋回していたグレンも、攻撃の手を止めてアイザックを見た。
「あ、それ! ランドール騎士団が使う……えーっと、付与魔術の応用の……魔法剣!」
アイザックは水を纏わせた短剣を握りなおし、試験勉強を見てやった時と同じ口調でグレンに応える。
「正解だ」
魔法剣はグレンの火球のように、遠くに攻撃を飛ばすことができない分、魔力密度を高めることができる。それこそ、魔術師としては見習いのアイザックでも、影に対抗できるぐらいに。
魔術と剣の腕の両方が必要とされるので、扱いが難しい技術だが、アイザックとは非常に相性が良かった。
なにより魔法剣は、アイザックが得意としている水属性だと応用が利きやすい。
「マスター、援護は……」
「今は足場だけでいい。なるべく力を温存してくれ。それと……」
「はい」
「すごく暴れるから、振り落とされないように」
ウィルディアヌの返事を待たずに、アイザックは跳躍し、影の檻の更に上を目指した。
影が襲いかかってきたら、足場を変えて跳び、かわしきれないものは魔力付与した短剣で叩き落とす。
(僕がダメージを与えられずとも、影を引きつけることができれば、その分、モニカやサイラス兄さんの攻撃が通りやすくなる)
セオドアは今、焦っているはずだ。おそらく、ネロとトゥーレの存在に気づいたのだろう。
トゥーレは白いイタチの姿でシリルの肩に乗っているが、ネロは先ほどから姿が見えない。
黒いモヤの中に潜んで、活躍の時を待っているのか、あるいは……。
(待っているんだろうな)
アイザックはチラリと横目でモニカを見た。
記憶を奪われ、それでも自らの足で戦場に赴いたモニカ。淡々と攻撃魔術を放つ彼女のそばに、ネロの姿はない。
てっきりすぐにでもモニカの元に駆けつけるかと思っていたのだが、きっと待っているのだ。モニカが、全てを取り戻す瞬間を。
……まぁ、ネロのことだから、自分が最高に格好良く登場できる機会を待ってるだけ、ということもありえるが。
(むしろ、そっちの方がありそうだ)
影が矢のように飛来する。回避は難しくないが、このまま回避すると背後のシリルとモニカに直撃しかねない。
アイザックは水を纏わせた短剣で矢を払い、衝撃で傾いた体勢のまま跳躍して、別の足場に着地した。
(……守るための剣を、取り戻しておいて良かった)
今のアイザックに必要なのは、背後にいる大切な人達を守る剣だ。
訓練に付き合ってくれたアントニーに感謝しつつ、アイザックは短剣を振るった。
* * *
宙に浮かんだ水を足場に、軽やかに宙を舞い戦うアイザックを見上げながら、シリルは自分がこの場で最も戦力的に劣っていることを理解した。
自分の氷では、恐らく影を食い止めることはできない。
せめて、グレンのように飛行魔術の機動力があれば、あるいはアイザックのように水を足場に跳び回れるだけの身体能力があれば、撹乱要員として役に立てるが、シリルは飛行魔術が使えないし、ずば抜けた身体能力もない。
シリルは右手中指を見下ろし、訊ねる。
「ソフォクレス、この状況で〈暴食のゾーイ〉の封印は可能か?」
『現状では無理であるな。蓋を閉じた状態で、かつ近距離なら可能である』
〈識守の鍵ソフォクレス〉の封印能力は強力だが、制限が多い。使うタイミングを見計らう必要がある──が、それまでただ待っていろと言うのか。
ピケは水竜の牽制に忙しい。トゥーレを元の姿に戻すわけにはいかない。だが、シリルが自分の力でできることは限られている。
(考えろ、考えろ、この状況でどうすれば、一番役に立てる?)
焦るシリルの手元で、偉大な賢人が告げる。
『若造。貴様が得意としているのは、氷の魔術であろう』
「あぁ。だが、私の魔術では〈暴食のゾーイ〉を食い止めることは……」
『貴様が狙うべきは、〈暴食のゾーイ〉ではない。あの眼帯男が、敵の正体を口にしたであろう』
シリルはハッと顔を上げる。
セオドアの姿をした黒竜は、今、影の檻に守られている。生半可な攻撃は届かない──それでも、できることはある。
シリルは肩の上の白いイタチ──トゥーレに問う。
「トゥーレ、すまない。少し、無理をさせる」
「わたしはカルーグ山の白竜だよ。寒いのは得意だから、大丈夫」
「……そうだったな」
苦笑し、シリルはモニカを見た。
モニカは無表情にセオドアを見据え、淡々と攻撃魔術を放っている。シリルの魔術よりもはるかに強力な術を、無詠唱で。
それでも青白い顔には汗が滲んでいた。記憶のない身で戦場に立つ恐怖は、想像を絶するものだろう。
──先輩である自分が、後輩の道を切り開くのだ。
己を叱咤し、シリルは長い詠唱を始めた。
* * *
飛行魔術で宙を飛び回りながら、グレンは火球を放つ。多重強化したものじゃない。いつもの火球だ。
グレンは魔力量が多いので、ただの火球でもある程度影に対する牽制にはなった。ただ、影の檻を完全に破壊するには弱い。
多重強化魔術は切り札だ。更にグレンは、カリーナから預かった二つの切り札も所持している。
かくして複数の切り札を抱えたグレン・ダドリーは今、切り札をどのタイミングで使えば良いか分からず、困り果てていた。
(師匠なら、きっと一番良いタイミングで使うんだろうけどなぁぁぁ)
誰か「今が切り札を使うタイミングですよ」と教えてくれないだろうか──なんて甘えた考えが、一瞬頭をよぎる。
だが、そんなことは誰も教えてくれないのが戦場だということを、グレンは理解していた。
いつでも誰かが正解を教えてくれると思うな。窮地の時は自己判断、自己責任、間抜けは死ね──が師の言葉である。最後の一言はただの暴言だと思う。
『死にたくなければ、周りをよく見なさい。連携の要は、視野を広げ、敵と味方の動きをよく見ることです』
珍しくまともな師の言葉を思い出し、グレンは飛んでくる影の攻撃をかわしながら、周りを見回した。
セオドアは動かず、〈暴食のゾーイ〉を手に、影の檻に守られている。
アイザックは水を足場に跳び回ってセオドアの注意を引きつけ、その隙にサイラスとモニカの魔術が檻を少しずつ壊している。
海のそばでは、金髪の娘の姿をした精霊が氷の堤防を築き、氷の剣で水竜を牽制していた。どうやら金色のイタチは、使い魔ではなく精霊だったらしい。
(精霊と契約するなんて、すげーや副会長)
そんなことを考えつつ、シリルを見たグレンは気づいた。
シリルが詠唱をしている。それも、少し長めの。
一瞬、目が合う。シリルが頷いた……気がした。
(多分、ここだ)
グレンは攻撃の回避に専念しながら、多重強化術式の詠唱を始めた。
* * *
(……おや)
ウィルディアヌが作った足場を跳び回り、影の攻撃を短剣でさばいていたアイザックは、シリルとグレンが長めの詠唱をしていることに、すぐに気がついた。
どうやら二人は何かを仕掛けようとしているらしい。
ならば、自分がすべきは、それをセオドアに悟らせないことだ。
グレンの攻撃が止まったことに気づかれないよう、アイザックはあえて前に切り込む。
アイザックの急接近に気づいた〈暴食のゾーイ〉は、大量の影を吐き出した。
槍状の影が五本──その内の二本が、突然大きな鎌のように形を変えた。
槍は真っ直ぐ貫くように、大鎌は横薙ぎに斬り裂くように、アイザックを狙う。
敵の駒は槍が三、大鎌が二。こちらの足場は周囲に五つ。
チェスの盤面を見た時のように、アイザックは敵の攻撃に対する自分の回避ルートを計算する。
(槍二つ、大鎌二つはかわせるが、最後の槍の回避はウィルの足場だけでは無理だな。あえて落下して、ウィルの水で受け止めてもらう手もあるが、ここで落下すると、シリルが敵の視界に入ってしまう。落ちるなら反対側だ)
即座にそう判断したアイザックは、右手の短剣を前方に投げた。
短剣の刃を覆う水が、細く長いロープ状に伸び、朝焼けの空に放物線を描く。
水の魔法剣は炎や雷、氷と比べると威力が落ちるが、形や硬度を変えやすいのが特徴だ。
水のロープに繋がる短剣は、飛行魔術で浮上していたサイラスのすぐそばに届く。察したサイラスが、水のロープを杖で巻き取り、倉庫の屋根に槍部分を刺して固定した。
「アイク! お前なぁぁぁ!!」
サイラスの怒声を聞きながら、アイザックは影の攻撃をかわし、水のロープの片端を握って足場を蹴る。
途中でロープの長さを調整し、倉庫の壁にぶつかる直前で壁を蹴り、その反動を利用して地面に着地。
サイラスが屋根の上からこちらを見下ろし、額に青筋を浮かべて怒鳴った。
「アイク、お前この野郎! 無茶しやがって!」
「リーダーなら、察してくれると思って」
「…………まぁな!」
サイラスが飛行魔術で屋根から飛び降りるのとほぼ同時に、影が槍と大鎌の形で放たれる。それをサイラスは、雷の槍でやすやすと切り裂いた。
アイザックのように受け止め、凌ぐのではなく、影そのものを切り裂いたのだ。流石、七賢人に選ばれただけある。
サイラスは槍を一振りし、アイザックの肩の上にいるウィルディアヌを横目で見た。
「その肩のトカゲ……精霊か?」
「相棒なんだ。可愛いだろう?」
「お前、昔から、小さい蛇とかトカゲとか好きだったもんなぁ……」
しみじみとした口調から一転、サイラスはジトリとした目でアイザックを睨む。
「……で、他に切り札、隠してないだろうな?」
アイザックは飛来した影の矢を短剣で弾き、表情一つ変えずに言った。
「ごめんね?」
「アイク、お前この野郎! つーか、猫はどうした、あの黒猫は!」
「最高に格好良く目立てる瞬間を、待ってるんじゃないかな」
「お前に懐いてるんじゃなかったのか!?」
怒鳴りながらサイラスは雷の槍で影を切り裂く。
アイザックも短剣で影の攻撃をしのぎつつ、視線をセオドアに向けたまま、サイラスに小声で囁いた。
「シリルとダドリー君が、何か仕掛けようとしている。……時間稼ぎを手伝ってくれないかい?」
「七賢人を囮にしようたぁ、大した度胸の奴らだな」
サイラスはどこか楽しげに笑っていた。アイザックもまた、唇の端を小さく持ち上げて笑う。
「うん、自慢の友人と後輩なんだ」
「それにしても、大した身体能力だな、アイク。……ガキの頃から、俺の探検についてこられるのは、お前ぐらいだったもんな」
「あれ、おばさんに頼まれてたんだ。『息子が危ないところに近寄ったら止めてくれ』って」
(おふくろぉぉぉ、年下に! 年下に何頼んでんだぁぁぁ!!)
優秀な弟分は、山の中で小さいトカゲや蛇を見つけてニコニコしつつ、お調子者の兄貴分が崖に近づいたら、さりげなく止めていました。
大蛇や竜は可愛いとは思わないけど、小さい蛇やトカゲは可愛くて好きだそうです。




