【15】暴食の少年王の望んだこと
「これ、師匠から預かってきたっす。どーぞ!」
グレンは斜めがけの鞄から分厚い封筒を取り出し、メリッサに差し出すと、入り口から一番近いテーブルの前に着席した。
シリルもグレンの左隣に着席する。ちょうど、メリッサの向かいの席で、左斜め前に眼帯の青年が見える位置だ。
メリッサは眉をひそめながら封筒から紙の束を取り出し、その一枚目の紙を見て半眼になった。
「……あんたの師匠って、有能ね」
メリッサが全員に見えるように、一枚目の紙を顔の横に掲げる。
そこには、遠目にもよく見える大きい字で、こう書かれていた。
『詳細は全て二枚目以降に記してあります。うちの弟子の言語能力と報告能力に期待しないでください。 ──〈結界の魔術師〉ルイス・ミラー』
〈結界の魔術師〉の人間性がうかがえる一枚である。
メリッサは一枚目の紙を机に放り捨て、二枚目以降に目を通し始めた。
その間も、シリルはソワソワと眼帯の男に目を向ける。
こちらを向いてくれないだろうか、何か声を発してくれないだろうか。
だが、シリルの視線に気づいているのかいないのか、彼はまったくシリルの方に目を向けようとしない。
(そうだ、まずは名前を訊ねればいい……!)
早速、シリルが眼帯の彼に話しかけようとしたその時、メリッサがため息をついた。
肺に溜まった息と鬱憤を全て吐き出そうとするような、長い、長いため息だ。
「っはぁー……読み終わったわ。ちょっと待って。要点まとめる」
メリッサは指先で机をコツコツ叩いていたが、やがてその手を持ち上げ、指を二本立てる。
「王都からの連絡は、ざっくり二つ。一つ目、影を剥がす術式の検証が完了した。〈結界の魔術師〉は戦線復帰。一部の人間の蘇生も始めてるってさ。仮死状態の蘇生は時間がかかるみたいだけど」
〈暴食のゾーイ〉の能力については、シリルも少し聞いている。
かの古代魔導具が操る黒い影は人に取り憑き、魔力を吸い上げる力があるらしい。
影に襲われた者は、仮死状態になるか、大事な何か──体の一部だったり、能力だったり──を奪われるという。
それを解消する手段が、確立されたのだ。
「そんで、二つ目。増援が来ない理由なんだけど……」
メリッサは言葉を切り、チラリとシリルを見た。
「添付資料の作成者欄に、シリル様のサインがありますわね。説明をお願いしても、よろしいですか?」
「あ、あぁ」
眼帯の男に意識を奪われていたシリルは、慌てて姿勢を正した。
今は、自分がなすべき仕事をしなくては。
左右の肩に乗ったイタチ達が、シリルにだけ聞こえるような小声で「がんばれ」「がんばれ」と囁いてくる。
シリルはコクリと唾を飲み、口を開いた。
「わたくし、図書館学会役員シリル・アシュリーは、五代目〈茨の魔女〉ラウル・ローズバーグ殿と共に禁書室で情報収集をし、〈暴食のゾーイ〉について、一つの仮説を立てました」
はやるな、落ち着け。報告は得意だろう。あの方に報告する時のことを思い出せ──己にそう言い聞かせて、シリルは言葉を続ける。
まずは、結論を簡潔に。
「〈暴食のゾーイ〉は溜め込んだ魔力で、闇の精霊王召喚を行おうとしている、と推測いたします」
精霊王召喚、それはリディル王国の魔術の中でも最高位とされる術だ。
国内でもこの術の使い手はごく僅かしかおらず、また、光と闇の精霊王を召喚する術の使い手は存在しない。
そもそも、光と闇属性の魔術の使い手自体が、稀なのだ。
メリッサ達の表情は強張ったまま変わらない。ただ、グレンだけがよく分かっていない顔で言った。
「それって、そんなにやばいことなんすか? 精霊王召喚なら、うちの師匠もできるし……七賢人数人がかりで精霊王召喚ぶつけたら、対抗できる気がするんすけど」
「まず前提として、精霊王召喚とは、精霊王そのものを召喚するわけではなく、精霊王の力の一部を門を通して借り受け、それを任意の形で操る術だ」
例えばモニカが見せた、風の精霊王シェフィールド召喚の魔術。
風の槍で翼竜の群れの眉間を正確に貫いたり、風の刃で薔薇要塞を切り裂いたり、と攻撃面で使うこともあれば、風に花びらを乗せて街全体を巡らせる、といった使い方もできる。
各種属性魔術の中で、その力を最も高威力かつ、高精度に操れるのが、精霊王召喚なのだ。
「闇の精霊王召喚が実現した場合、極めて高威力かつ高精度の闇属性魔術が発動することになる。そして、これは闇属性魔術の特性なのだが……」
「闇は、張りつく……」
シリルの言葉を遮り、ボソリと呟いたのは、三代目〈深淵の呪術師〉レイ・オルブライト。
彼が扱う呪術は、闇属性魔術に限りなく似た性質を持つ術である。それ故、彼はこの場にいる誰よりも、闇属性魔術について理解しているのだろう。
「……風が吹き、水が流れるように、闇は何かに張りつきたがる性質があるんだ。呪術でも、この性質を利用することがある……」
〈暴食のゾーイ〉が操る影が、人間に張りつきたがるのも、この性質によるものなのだろう。
シリルは一つ頷き、自分が持参した資料の写しを机に広げた。
「高威力、高濃度の闇属性魔術が発動した場合、その魔術は人間のみならず、地面に張りつくことが予想されます。そうなることで起こるのが、土地の魔力汚染です」
植物への魔力付与研究をしているラウルが、魔力付与した肥料を畑に撒く時、常に気を遣っているのが、土地の魔力汚染だ。
魔力汚染された土地は、魔力濃度が高くなり、植物や人に悪影響を与えることがある。
レイの紫色の髪とピンク色の目も、似たようなものだ。彼は大量に呪術を取り込んだことで、体が色素異常を起こし、髪や目の色が変色している。
そして、一度魔力汚染された土地の魔力は、侵食度合いによっては、汚染の除去が不可能になることも珍しくない。
以前、ラウルのミスで起こったエンドウ豆の暴走事件。
あの時も土地が魔力汚染されたが、〈暴食のゾーイ〉が闇の精霊王召喚を行ったら、汚染度はあの時の数百倍から数千倍になると予想される。
シリルは深刻な声で続けた。
「魔力汚染された土地は、魔力濃度が高くなり、魔法生物が集いやすくなります。精霊や……そして、竜も」
「あっ、つまり、〈暴食のゾーイ〉が闇の精霊王召喚をしたら、その一帯が魔力汚染されて、竜がいっぱい集まってくる……ってことっすね!」
納得顔で呟くグレンに、シリルは小さく首を横に振った。
「間違ってはいないが、事態はもっと悪くなる」
シリルは資料の中から、リディル王国全域の地図を取り出した。
少し大きめの地図だ。広げづらく苦戦していたら、肩の上からトゥーレとピケが降りてきて、机の上で地図の両端を掴んでくれた。
「魔法地理学の研究で、魔力濃度の高い土地は、水脈のように地面の底で繋がっているという説があります。もし、この説が正しければ……」
今まで腕組みをして険しい顔をしていた〈竜滅の魔術師〉サイラス・ペイジが、クワッと目を見開き呻いた。
「〈暴食のゾーイ〉が起こした魔力汚染が、他の土地にも影響を与えるってぇことか?」
「はい。その可能性は充分に考えられます。最悪の場合、地の底を通じてリディル王国全域の魔力濃度が高くなり……魔力濃度の高い土地に竜が群がってくることも、ありえるかと」
それが人の住処だったら最悪だ。史上最悪規模の竜害になる。
歴史上で、〈暴食のゾーイ〉が使用されたのは、まだ旧時代のこと。
旧時代は現代より、魔力濃度が濃い土地が多かったため、〈暴食のゾーイ〉を使用しても、それほど影響がなかったのではないか、とシリルは推測している。
今の時代は、魔力濃度が薄くなり、竜も精霊も住処を追われている。
魔力濃度が濃い土地が突然現れれば、そこに魔法生物が一気に群がってもおかしくはない。
サイラスが額に青筋を浮かべて唸った。
「それが、〈星詠みの魔女〉が予言した、史上最悪の竜害ってことかよ……!?」
激昂するサイラスを横目に、メリッサが机をコツコツ叩く。
「で、その全国規模の竜害に備えるために、兵を割いてるから、こっちに大規模な増援は望めない。……まぁ、一応、人選をしている最中みたいだけど、七賢人大集合、ってわけにはいかないみたいね」
「くそっ! セオドアって野郎は、一体何がしてぇんだ!」
吠えるサイラスをメリッサが一瞥し、そのままシリルを見る。
既に資料を読んだ彼女は、シリルが続きを話すのを待っているのだ。
シリルは拳を握りしめ、言葉を続けた。
「魔力汚染はあくまで、闇の精霊王を召喚した結果、副次的に起こることにすぎません。セオドアの本来の目的も、〈暴食のゾーイ〉の真の能力も別にある」
シリルはトゥーレとピケが広げていた地図を畳み、別の資料を広げた。
リディル王国における、闇の精霊王に関する伝承や神話のまとめだ。
「闇の精霊王エルディオーラに関しては、諸説ありますが……神学の中に、闇の精霊王は冥府の女王と同一人物である、という説があります」
死して冥府に落ちた人間は、暗闇の中にある螺旋階段を下っていき、その先に冥府の門を見つけるのだという。
冥府の門は、死者と生者の世界を分ける門。一度潜ったら、もう引き返せない。
そして冥府の門の奥で、優しい闇を抱いた冥府の女王が死者を出迎え、安らかな眠りを与える。
「もし、闇の精霊王と冥府の女王が同一人物なら、闇の精霊王を召喚する門は、冥府の門に相当すると、考えられないでしょうか?」
勿論、それは冥府の門そのものではなく、魔術で作り出した擬似的な門だ。
その擬似的な門を通じて、冥府の女王の力の一部を顕現できるのだとしたら、推測される能力は一つ。
最深層禁書室でローレライが語った、暴食の少年王の願い。
「死者を呼び戻す。それが〈暴食のゾーイ〉の真の能力であり、セオドアの目的である。……というのが、私の考えです」




