【3】現地集合、現地解散
新年の式典があった日から一週間、城では宴会が続く。
その間、七賢人は城に滞在していなくてはならないのだが、レイは初日の式典が終わると同時に馬車に飛び乗って、王都にあるオルブライト家の本邸に向かった。
呪術師の一族と言うと、カビや苔で覆われたオンボロ屋敷で暮らしていると思われがちだが、オルブライト家の本邸は王都の高級住宅街にある、そこそこ立派な屋敷である。
オルブライト家は歴史の長さこそ〈茨の魔女〉のローズバーグ家に劣るが、二代目当主が商売上手だったため、金銭面では非常に潤っている。
なんといっても、呪術は使い手の少ない術だ。その呪術をオルブライト家がほぼ独占しているので、国中の呪術に関する案件が全てオルブライト家に集中している。
近年は魔術師が増えたことで「魔術の名門の家系」は稀少価値は下がりつつあるが、それでもローズバーグ家とオルブライト家は唯一無二の能力で、常に当主が七賢人の座に君臨し続けていた。
立派な門を潜ったレイは、重い足どりで庭を抜けて屋敷へ向かう。
「あぁ、いやだ……いやだな……ババ様に会うのなんて、何ヶ月ぶりだよ……」
「キヒヒッ、七ヶ月と四日ぶりだよ」
耳元で嗄れた声が聞こえたと思った次の瞬間、頬にブチュッと生温かい感触を感じた。
頬に手を当てて振り向けば、そこには紫色の髪を高く結った恰幅の良い老婆の姿が……。
「きゃーーーーーーーっ!」
絹を裂いたような甲高い悲鳴をあげて、レイは尻餅をついた。
レイの背後に佇むのは、紫色の髪にピンク色の瞳の大柄な老婆である。身につけているのは黒いレースのドレスに、鴉の羽をあしらった帽子。
くっきりと皺の刻まれた顔には濃い化粧が施されており、もはやケバいを通り過ぎて禍々しい。
今がまだ昼すぎで良かった、とレイは心底思う。
こんな悪夢みたいな老婆と夜に遭遇していたら、きっと繊細な彼の心臓は停止している。
「キヒヒッ、なんだい、生娘みたいな悲鳴をあげて」
「ばっ、ばっ、ババ様……ひぃっ……うっ……けがされた……俺の頬がババ様のキスでけがされた……」
レイが尻餅をついたまま半ベソをかいていると、老婆は紫色のルージュを塗った分厚い唇を持ち上げてニンマリ笑った。
「そんなに嫌がってくれるなら、こっちも本望ってものさね。呪術師は人を苦しめるのが役割……あぁ、お前の苦悶の顔でババァの寿命が三年延びたよ」
横幅だけならレイの二倍はありそうな体を揺らして、心底楽しげに笑うこの老婆こそ、レイの祖母であり、二代目〈深淵の呪術師〉アデライン・オルブライトである。
ふくよかなアデラインと、痩せすぎなレイ。並べるととても血が繋がっているようには見えないが、鮮やかな紫の髪と宝石のように煌めくピンク色の目が、二人が血縁者であることを何よりも明確に示していた。
編み出した呪術式を己の体に刻んでいるオルブライト一族は、その身に数多の呪いを宿している。その影響で髪や目は人ならざる色に変色していたし、全身には呪術式が刺青のように浮き出ているのだ。
歴代の呪術師の中で、最も多くの呪術を身に宿しているのが、三代目〈深淵の呪術師〉レイ・オルブライトである。その呪術の数、脅威の二百超。
それだけの呪いを体に宿して、呪いに蝕まれることなく生きているレイは、オルブライト家で最も優秀な「呪いの器」と呼ばれている。
魔力量で国内トップのラウルや、無詠唱魔術の使い手であるモニカとはまた違った意味で、レイもまた天才と呼ばれる存在なのだ。
だがそれでも、一つ一つの呪術の精度は先代のアデラインには届かない。本気で呪術のぶつけ合いになったら、勝つのはアデラインだろう。
レイが唇を噛み締めていると、アデラインは皮の弛んだ頬を持ち上げニタリと笑った。
「ところで、どうしてお前がここにいるのかえ? 今は新年の儀の真っ只中。お前は城にいるはずだろうに」
「し、知ってるくせにぃ……っ! お、俺に何も言わず、勝手に婚約者を決めただろぉ!」
レイの叫びに、アデラインはさも驚いたような顔で、ピンク色の目を丸くしてみせた。
「おやおや、今更何を騒いでいるのかえ? そんなのは、半年も前のことじゃないか。婚約の報告もちゃーんと国中の知人に送っておいたよ」
「なっ、なんで、俺に何も言わずに、決めるんだよぉっ!」
アデライトはふぅっと息を吐くと、遠い目をして語りだす。
「いつの世も、呪術師ってのは煙たがられる存在だよ。王家御用達の看板があっても、偏見の目でみるやつは、ごまんといる……だからこそ、お前がいつぞやの最高審議会で高く評価された時は、嬉しかったねぇ」
アデラインが言っているのは、今から一年半前の最高審議会の件だろう。
偽物疑惑が上がった第二王子フェリクス・アーク・リディルの嫌疑を晴らすのに、レイは一役買っている。
真実はさておき、第二王子にかけられた呪いを解いた〈深淵の呪術師〉は一躍有名人となり、その後、呪術師を見る目は明らかに変わった。
「お前の活躍のおかげで、オルブライト家は安泰。あとは後継者問題だけ……」
そこで言葉を切り、アデラインは腰を折ってレイに己の顔をずいっと近づけた。
迫力のある老婆の顔が、レイの視界を占領する。
「ところがお前ときたら、いつまで経っても女を知らずに引きこもってばかり。そこで孫想いのババアが気を利かせて、婚約者を用意してやったわけさね」
「う、嘘だっ! 絶対に、俺に対する嫌がらせだろう!」
なにせこの老婆ときたら「三度の飯より他人の嫌がる顔が好き」と豪語してやまない人物なのである。
アデライン・オルブライトが自ら積極的に動く時は、誰かを苦しめるためと相場が決まっているのだ。
レイがわぁわぁ喚き散らすと、アデラインはニンマリと笑い、レイの頬に盛大なキスをした。ぶっちゅぅという強烈な効果音付きで。
「おんぎゃああああああああああああ!! あ、ああ、俺の頬が……頬が……ひぃ……っ」
祖母の強烈な精神攻撃に、レイの心は最早廃人寸前である。下手な呪術よりタチが悪い。
両頬に紫色のキスマークをつけたレイに、アデラインは邪悪な笑顔で告げた。
「そうそう、お前の婚約者だけどね。明日にはうちに到着する予定だよ。キッヒッヒ……お前がこの本邸に帰ってこないのは自由だけどね、そうしたら……お前の婚約者をどんな目にあわせてやろうかねぇ?」
祖母の恐ろしい笑顔に、レイは戦慄した。
アデラインは他人の嫌がる顔を糧に生きている邪悪なババアである。もし、レイが従わなかったら、きっとレイの婚約者に酷い嫌がらせをするのだろう。
それでもレイは、婚約者に会うのが恐ろしくて仕方がない。
だって、この紫色の髪を見た婚約者に「うわ、気持ち悪っ」とか「生理的に無理」とか言われたら、きっと繊細なレイは立ち直れなくなってしまう。
レイが頭を抱えて、ウーウー唸っていると、アデラインがキッヒッヒと楽しそうに笑った。
「さぁ、覚悟を決めるんだね、レイ」
「い、いい、嫌だぁぁぁぁぁーーーーっ!!」
レイは泣き喚きながら、アデラインに背を向け走り去る。
手足をバタつかせて無我夢中で走っていると、角を曲がったところで誰かとぶつかった。旅装姿の背の高い女だ。
女は悲鳴をあげたりはせず、その場を少しよろめいただけだった。寧ろ、運動神経の無いレイの方が「ぎゃっ」と悲鳴をあげて無様に尻餅をつく。
「……大丈夫ですか?」
ぶつかった女が、レイに手を差し伸べた。
(……あぁ、なんて優しい人だろう。女神か、女神の化身か)
いつもなら「きっとこれは運命だ。俺のことを愛してくれ」と言い寄るところだが、今のレイは一刻も早く、祖母のいる家を離れたかった。
だから、すぐに立ち上がり、女性の顔をろくに見もせず、頭を下げる。
「……ご、ごめんなさいっ……!」
それだけ言って、レイはバタバタとその場を走り去った。
後に残された女は、呆気に取られたようにレイの後ろ姿を見送っていたが、すぐに気を取り直した様子で歩き、オルブライト家の門の前に立つ。
門の向こう側には、強烈な容姿の老婆が佇んでいた。彼女がこの家の実質的支配者、アデライン・オルブライトなのだろう。
女は旅行鞄を足元に置き、老婆に頭を下げる。
「ご機嫌よう、お初にお目にかかります。ヴァルムベルクより参りました、フリーダ・ブランケと申します」
「おや、思ったより到着が早かったね」
「はい、馬に乗るのは得意ですので」
フリーダの言葉に、老婆はピンク色の目を瞬かせた。
はて、自分は何か変なことを言っただろうか、とフリーダは首を捻る。
「……馬車を使わなかったのかい?」
「はい、大した荷物も無いので、自分の馬に乗ってきました。今は宿に預けてあるのですが、この屋敷の馬小屋はどちらに?」
「後で使用人に案内させるよ。さて……」
アデラインは居住まいを正すと、皮の弛んだ顎を持ち上げ、鋭い目でフリーダを見下ろした。
「フリーダ・ブランケ。我が家に嫁ぐからには、我が家のルールに従ってもらうよ」
その迫力のある眼光に怯むことなく、フリーダは真っ直ぐにアデラインを見つめ返す。
呪術師の名家オルブライト家のルールとは、一体如何なるものなのだろう?
フリーダがアデラインの言葉を待っていると、アデラインは太い首を傾けながら言った。
「という台詞を言ってみたかったんだけど、考えてみれば、我が家にルールなんて無かったね」
「…………」
「特にルールは無いから、好きにしな。以上、解散」
なんということだろう。まさかの婚約が現地集合、現地解散だなんて!
フリーダはしばしの沈黙の末に、老婆に訊ねた。
「それはつまり、私の好きにして構わないということでしょうか?」
「二度は言わないよ」
「分かりました」
好きにして構わないというのなら寧ろ好都合だ。フリーダ・ブランケはあっさり現実を受け入れた。
ヴァルムベルクの女は逆境や臨機応変に大変強いのである。




