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サイレント・ウィッチ(外伝)  作者: 依空 まつり
外伝12:開け、門
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【2】先輩、後輩

 ラナとカリーナをフラックス商会に送り届けたネロは、全速力でモニカの家に向かった。

 フラックス商会の従業員達は、全員無事だった。

 商会内は混乱状態だったが、クリフォードが実家の商会の人間と連絡を取り合っていたおかげで、状況は概ね把握できている。

 黒い雨が降った直後、サザンドールの東にある大きな門が何者かの手で封鎖され、街は大混乱。無事だった人間は、サザンドールを脱出しようと南門や港に殺到しているらしい。

 今も街の中には、荷物を抱えて南門の方角に走っていく人の姿が見てとれる。

 ラナは自分達も避難するべきか迷っているようだったが、しばらく商会にとどまり、様子を見ることを選んだ。

 あの黒い雨は屋根があれば防ぐことができるし、南門や港に人が殺到しているなら尚のこと、そこを狙われたらひとたまりもない。

 なにより、今サザンドールには、七賢人〈深淵の呪術師〉と、元七賢人四代目〈茨の魔女〉、それとこれはラナ以外は知らない事実だが、〈沈黙の魔女〉がいるのだ。


(とりあえず、モニカと合流だな。キラキラは……まぁ、無事だったら拾ってやるか)


 やがてモニカの家が見えてきた。ネロはノックもせず、ドアノブに手をかける。

 扉に鍵はかかっていなかった。ただ、人の気配がする。

 ネロが階段の方に目を向けると、足音を殺して誰かが降りてきた。

 顔の右半分を眼帯で覆った背の高い男──目つきが悪くなったキラキラ、もとい、アイザックだ。

 アイザックは酷く憔悴した顔をしていた。

 眼帯で覆われていない左目は暗くかげり、血の気を失った唇は、一度開いて何かを言いかけ、結局何も言わずに閉ざされる。

 そのあまりにも暗い表情に、ネロの心がざわついた。


「おい、キラキラ。モニカはどうした」


「…………」


 返事がない。ますます募る嫌な予感に、ネロは声を荒らげる。


「おいっ! モニカはどうしたっ!」


「お願いだ、大きな声を出さないでくれ……っ」


 動揺と混乱と焦燥が隠しきれていない、酷い声だ。

 アイザックは呼吸を整えようとして失敗したような、不自然な呼吸をしていた。その喉は嗚咽を堪えるみたいに震えている。

 いつも余裕ぶった態度のこの男が、表情を取り繕えないなんて只事じゃない。こんなの、モニカに何かあったとしか思えないではないか。

 その時、上の階で僅かに物音がした。


「退け!」


 ネロは、アイザックを押し退けて階段を駆け上った。


「待ってくれ、ネロ……ネロっ!」


 背後でアイザックが叫んでいるが、構うものか。

 自分はモニカの相棒なのだ。モニカを心配して何が悪い。


「おい、モニカ!」


 ネロはモニカの部屋の扉を、勢い良く開ける。

 モニカはベッドの上で、頭から毛布を被ってうずくまっていた。ネロの知っているいつものモニカだ。目立った外傷も無い。

 だが、次の瞬間、モニカはネロを凝視して、ビクリと体を竦ませた。

 大きく見開かれた目に、涙が滲む。


「ひぃ……ぃっ、ぁっ……ぁっ………………っ」


 モニカは毛布の端を握りしめ、ブツブツと早口で数字を呟きだした。見開かれたままの目は虚ろで、目の前にいるネロを見ていない。

 その姿は、初めてモニカに会った時のことを思い出させた。

 ありとあらゆる物を焼き尽くす黒炎を吐く、伝説の黒竜を前にしても、一歩も引かないどころか、口の中に入り込んできたくせに、人に化けた瞬間、泣き出した少女。

 あの時に似ている──否、多分あの頃よりも酷い。

 今のモニカは、目の前にいるネロを自身の世界から遮断し、向き合うことを完全に放棄して、数字の世界に逃げ込んでいる。

 猫の姿になったら、反応は変わるだろうか? だが、それよりも今はアイザックを問い詰めるのが先だ。


「ネロ」


 ネロを追いかけてきたアイザックは部屋には入らず、真っ青な顔で廊下に佇んでいる。

 ネロは金色の目をぎらつかせ、アイザックを睨んだ。


「誰だ」


 ネロの喉が、シュゥッと爬虫類の鳴き声じみた音を立てる。


「モニカを壊したのは、誰だ」


 低く呻くネロの背後では、モニカがブツブツと数字を呟き続けている。その目はもう、ネロもアイザックも見ていない。完全に、数字の世界に逃げてしまったのだ。

 アイザックは痛みを堪えるような顔で、ベッドの上のモニカを見る。そうして、掠れた声で呟いた。


「僕と同じだ。〈暴食のゾーイ〉に、大事なものを食べられたんだ。……おそらく、記憶を」


 ネロはアイザックの横をすり抜け、階段を駆け降りた。

 古代魔導具〈暴食のゾーイ〉。その持ち主のセオドア・マクスウェル。

 それが、モニカから記憶を奪った敵。


 ──跡形もなく、焼き尽くしてくれる。


 玄関のドアノブに手をかけたネロの腕に、アイザックがしがみついた。

 アイザックは髪を振り乱し、必死の形相で叫ぶ。


「ネロっ! お願いだ、待ってくれ!」


「邪魔をするなら、お前も黒炎で焼くぞ」


「聞いてくれっ! 君が黒炎で〈暴食のゾーイ〉を焼き尽くしたら……奪われたものも、焼き尽くしてしまう可能性が高い! モニカの記憶もだ!」


 記憶を焼き尽くす。そんなことが本当にありえるのかは分からない。

 ただ、ネロの黒炎は魔術すらも焼き尽くすのだ。モニカの記憶が〈暴食のゾーイ〉の中にあるとしたら、アイザックの言葉通りになる可能性はゼロじゃない。

 動きを止めたネロに、アイザックが必死で言い募る。


「そうしたら、もう戻ってこない……モニカの記憶は、戻ってこないんだ!!」


 アイザックはネロの腕にしがみついたまま、泣きそうな顔で懇願する。


「お願いだ……踏みとどまってくれ…………ネロ。ネロ先輩」



 * * *



 我ながら、なんて見苦しいのだろう、とアイザックは思う。

 それでももう、取り繕う余裕なんてないのだ。

 ネロの黒炎で〈暴食のゾーイ〉を焼き尽くされたら、モニカの記憶は戻らなくなる可能性が高い。

 そして、黒竜の姿を晒したネロは、人々から〈暴食のゾーイ〉に次ぐ脅威として追われることになる。

 それは想定しうる中でも、最悪に近い状況だ。


「お願いだ……今は、堪えてくれ」


 ネロはドアノブから手を離し、腕にしがみついているアイザックを雑に引き剥がした。

 よろめくアイザックに、ネロはフンと鼻を鳴らして腕組みをする。


「次に黒い雨が降ったら、オレ様は元の姿に戻って雨の中心地まで飛んでいくぜ。そんでもって、セオドアって奴と〈暴食のゾーイ〉とかいう箱をバリバリ噛み砕く。それが一番てっとり早いからな」


 確かにそれは確実な方法だ。

 ネロが元の姿に戻れば、多少距離があろうとも、飛んでセオドアを追いかけることができる。

 しかし今、サザンドールには〈竜滅の魔術師〉サイラス・ペイジが滞在しているのだ。

 ネロが元の姿を晒せば、サイラスとネロが殺し合うことになりかねない。

 アイザックが苦い顔で黙り込むと、ネロは腕組みをしたまま踏ん反り返って言う。


「この作戦が駄目なら、次に黒い雨が降るまでに、お前が別の作戦を考えろ」


「……力を、貸してくれるのかい?」


 ネロはニィと唇の端を持ち上げ、鋭い牙を見せて笑う。


「悪くない作戦なら、ちょっとぐらいは手伝ってやるぜ、後輩」


 アイザックの右手が無意識に前髪を握る。

 どこか酷薄に見える顔が、ほんの少しだけ泣きそうに歪む。


「…………ありがとう」


「おぅ、偉大なネロ先輩を崇めろ」


 古代魔導具という強大な敵を前に、今のアイザックはあまりにも手札が少ない。

 だが、最強の切り札が、ウォーガンの黒竜がここにいる。


(思考を止めるな。考えろ、考えろ……)


 ネロは最強の切り札だ。だが、使い方を誤ると、モニカもネロも破滅する。

 極力ネロの正体がバレないように配慮しつつ、〈暴食のゾーイ〉に立ち向かわなくてはならない。


「ネロ、あの黒い影は、君にも影響があるのかい?」


「うんにゃ、あれはオレ様には効かねぇ。人型でもだ。呪いや毒が効かないのと同じだな」


 その時、小さな違和感が、アイザックの頭をよぎる。

 モニカの部屋にあった、セオドア・マクスウェルの行動記録を読んだ時から、アイザックは幾つかの疑問を抱いていた。

 その疑問と、今感じた違和感が、結びつきそうな気がする。

 もう一度、資料を読み直すべきか──アイザックがそう考えた時、家の扉がノックされた。


「姐さん! アイク! オレだ。サイラスだ! 二人とも無事か!」


 ネロが目線で「誰だ?」と問う。

 アイザックは咄嗟にポケットに入れておいた宝石──対竜索敵用魔導具を無効化する宝石を取り出し、ネロに押し付けた。


「ネロ、これを持って、キッチンに隠れていてくれ」


「お、おぅ? つーか、サイラスって誰だ?」


「〈竜滅の魔術師〉」


 ネロは顔をしかめた。


「にゃるほど、オレ様が会うとやべー奴か」


 ネロは宝石を握りしめて頷き、足音を殺して台所に引っ込んだ。

 その姿が完全に見えなくなったのを確認して、アイザックは玄関の扉を開ける。


「アイク! 良かった、無事だったか……沈黙の姐さんも一緒か?」


 このタイミングでサイラスが来てくれたのは僥倖だ。

 これで他の七賢人達に、モニカの現状を伝えることができる。

 問題があるとすれば一つだけ…………今のモニカは、大柄な男性に対して、特に強い恐怖心を抱いているのだ。


(……なんということだ)


 アイザックは気づいてしまった。

 アイザックも、人に化けたネロも、そしてサイラスも、まぁまぁ大柄な上に目つきが悪いのである。

 大柄で目つきの悪い男が三人もいるこの状況は、今のモニカにとって恐怖以外のなにものでもないだろう。


(女性がいた方がいい。できれば、ある程度、情報を共有できる人間が……)


 アイザックは思考を巡らせ、サイラスを見据える。


「サイラス兄さん、頼みがあるんだ。四代目〈茨の魔女〉を……メリッサ・ローズバーグをここに連れてきてほしい」


 唐突なアイザックの言葉に、サイラスは怪訝そうに眉根を寄せた。


「茨の姐さんは、今めちゃくちゃ忙しいから、ちょいと難しいと思うぞ」


「モニカが……〈沈黙の魔女〉が〈暴食のゾーイ〉に記憶を食われた。今、男性を酷く怖がっている」


 アイザックが端的に告げると、サイラスが驚愕に目を剥く。

 サイラスが声を上げるより早く、アイザックは言葉を続けた。ここは、切り札を使う局面だ。


「四代目〈茨の魔女〉に、アイザック・ウォーカーの名前を出してくれ。そうすれば、話は早い筈だ」



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