【33】わたしが、守るの
日が暮れ、夜がふけてもまだ雨は降り続けていた。
魔術師組合サザンドール支部の仮眠室で、モニカはベッドの中からモゾモゾと這い出ると、無詠唱魔術でランタンに火をつける。
モニカはベッドに腰掛け、着ていた服の上着をゴソゴソと探り、紙の束を取り出した。
それは魔術師組合に行く前に、アイザックに指定された銀行の貸金庫から回収してきた、対竜用索敵魔導具と、その対策用魔導具の設計図だ。
モニカはランタンの灯りを頼りに、その文字を目で追う。
(今は、時間を無駄にできない……)
この建物の周辺に罠を張り終えたメリッサは、戻ってくるなり、「あぁ、寒い! お風呂入るわよ! ほらおチビ、お供しな!」と言って、モニカを風呂場に引きずっていった。
この状況で、戦力であるモニカとメリッサが二人同時に風呂に入るのは、あまり良くないのではないか。モニカはオズオズと進言したが、メリッサは耳を貸さなかった。
そうして風呂から出た後は、問答無用で資料と筆記用具を取り上げられ、三時間で良いから仮眠を取れと、仮眠室に押し込まれたのである。
素直におねんねするか、アタシの薔薇で朝まで強制睡眠か選びな──と言われたモニカに、選択の余地など無かった。
かくしてモニカは仮眠室に入り、寝たふりをすると、すぐさま起き上がって、上着に隠していた資料を広げたのである。
アイザックが用意してくれた資料は、メリッサ達には見せられない代物だ。そういう意味でも、一人で仮眠室にこもれたのは運が良かった。
モニカなら、三時間もあれば充分に資料を読み込んで、内容を確認できる。
(明日か明後日には、サイラスさんがサザンドールに来る可能性が高い……急いで、ネロのことを隠さないと)
ネロの正体がばれないようにするための魔導具。対〈暴食のゾーイ〉用の切り札となる魔術。
セオドアが動き出す前に、やるべきことは幾らでもある。
アイザックが用意してくれた資料は、非常によくできていた。サイラスの作った対竜用索敵魔導具が放つ魔力の性質を解析し、それに対抗するための魔導具の設計図をほぼ完成させている。モニカが手直しをしたのは、ほんの数ヶ所だけだ。
魔導具作りには、魔力付与するための加工をした鉱石や、塗料などが必要になるのだが、魔術師組合の支部にはそういった道具が一通り揃っている。
アイザックが設計図を書いた魔導具は、それほど複雑な作りではないし、作るのにそれほど時間はかからないだろう。
(魔導具の設計図を書くのって、結構難しいのに……アイクは、すごい)
何よりも、多忙な彼がモニカとネロの生活を守るために、こうして奔走してくれたのだと思うと、胸がいっぱいになる。
モニカはギュッと目を瞑って、己の弟子のことを考える。
大事なものを奪われた今の彼は、皮肉にも本来の姿を取り戻し、自由を手に入れた。
フェリクス王子の名誉を守るために王子の姿を取り戻すことと、アイザックとして自由に生きること、どちらが正しいのか、モニカには分からない。
ただ、彼がどちらの道を選んだとしても、モニカは師匠として彼の助けになりたいのだ。
(……わたしが、アイクを守る)
だからこそ、急がなければならない。
モニカは閉ざしていた目を開き、再び設計図に目を通した。
* * *
セオドアと〈暴食のゾーイ〉がサザンドールに出没した翌日は、何事もなく一日が過ぎた。
王都からの応援はまだ到着していないので、ありがたいと言えばありがたいが、セオドアに全く動きが無いのが、なんとも不気味だ。
その日も一日雨だったので、モニカはひたすら対〈暴食のゾーイ〉用魔術の開発をし、メリッサに仮眠室に放り込まれたら、上着に隠した材料を使って、ネロのための魔導具作りに専念した。
更にその翌日の朝、モニカはメリッサとレイに相談して、一時的に帰宅することにした。
名目は、着替えと研究に必要な資料を取りに行くため──となっているが、本当は違う。
アイザックが設計図を作ってくれた魔導具が完成したので、ネロに届けたかったのだ。
それに、魔力欠乏症になってしまったアイザックの容態も気になる。
幸い、モニカの一時帰宅はあっさり許可された。
昨日は丸一日セオドアに動きがなかったし、これから長期戦になることが予想される。ならば、着替えや研究資料等、持ち込む物の準備は必要だろうとメリッサが口添えしてくれたのだ。
『化粧もドレッサーも無い建物に、長期間泊まり込みすんのよ? 女なら荷物持ち込んで当然でしょうが。ねぇちょっと支部長ぉ、アタシのやる気のために、経費でドレッサー買いなさいよぉ』
とは、メリッサの言である。
元七賢人にドレッサーを強請られた支部長に同情しつつ、モニカは馬車に乗り、自宅に向かった。
上着のポケットに幾つかの魔導具を隠し、布に包んだ杖をしっかりと胸に抱きながら。
* * *
「ただいま戻りました……」
モニカが玄関の扉を開けて声をかけると、すぐに台所の方からアイザックが顔を出した。
「おかえり、モニカ」
アイザックの姿を目にしたモニカは、思わず目を丸くした。
サザンドールに滞在する時、アイザックはいつも質素なシャツにベストを合わせている。
今の彼は、いつもの格好の上にエプロンを身につけ、更に右目に黒い眼帯をつけていた。
影に蝕まれ視力を失った右目だけでなく、右目の上の傷痕を隠すための物でもあるのだろう。顔の右半分を覆い隠すような、幅広の眼帯だ。
「アイク、それ……」
モニカが眼帯を見ながら訊ねると、アイザックは碧い左目を細めて、小さく笑った。
「右目だけ黒いのも、傷痕も、少し目立つからね。手持ちのベストを一つ解体して、作ってみたんだ」
「じ、自作……!?」
どうやら彼の家事技術は、料理や掃除だけにとどまらないらしい。
布と布を雑に縫い合わせるのが精一杯のモニカに、アイザックは言った。
「ついでに、君のブラウスのボタンが取れかけていたから、直しておいたよ」
「あ、ありがとう、ござい、まふ……」
居た堪れない気持ちで礼を口にするモニカは、ふと気がついた。
アイザックは首の周りにスカーフを巻いている。おそらく首の後ろにある、黒いアザを隠すためだ。
眼帯もスカーフも、事件の関係者に見られた時に、〈暴食のゾーイ〉の攻撃を受けたことを気づかれないようにするための物だろう。
相変わらず用意の良い弟子に感心しつつ、モニカは家の中を見回した。ネロの姿は無い。
「アイク、ネロは……?」
「猫の姿で、朝から街を見回りしているよ」
どうやら、ネロはネロでセオドアを探してくれているらしい。
モニカは荷物袋から、紫色の宝石を取り出した。昨日、メリッサ達に隠れて作った魔導具だ。
「わたし、しばらく魔術師組合で待機しなくちゃいけないから、着替えを取りに来たんです。それと、ネロにこれを渡したくて」
紫色の宝石の中に浮かぶ魔術式を見て、アイザックが切れ長の目を見開く。
「それはもしかして、僕が設計図を書いた……」
「作りました」
「やっぱり、僕のお師匠様はすごい」
アイザックは尊敬の目でモニカを見ているが、モニカとしては、ベストを解体して眼帯を自作するより、ずっと簡単な仕事であった。
モニカは紫の宝石を、アイザックの目の高さまで持ち上げる。
「これを身につけておけば、対竜用索敵魔導具が放出する魔力に反応して、竜とは異なる魔素配列を展開。対竜用索敵魔導具を誤認させることができるのですが……一つ、問題点があって……」
アイザックが設計図を書いて、モニカが作製したこの魔導具は、性能面は完璧だ。
ただ一つだけ、ちょっとした問題があった。
モニカは途方に暮れた顔で、アイザックを見上げる。
「これ、ネロにどうやって着けたら……」
「まぁ、思いつくのは首輪だけど」
「人間の姿になったら、大惨事です……」
猫の首と人間の首は、太さが違うのだ。猫の姿で首輪をつけて、人間に化けたら首が絞まってしまう。
人間の姿でジッタンバッタン床を転げるネロを想像し、モニカは唸った。
アイザックも冷ややかに見える顔で苦笑する。別に怒っているわけじゃない。これは困っている眉の角度だ。
「ネロが戻ってきたら検討会をしよう」
「……はい」
「ところでモニカ、きちんと食事はしているかい? 睡眠は……」
アイザックは身を屈めてモニカの顔を覗き込む。
碧い左目が左右に動いて、モニカの顔色を確かめた。その目の真剣さに、モニカは思わず背筋を伸ばす。
「睡眠は……とってないね?」
「う……」
どうやらメリッサの目は誤魔化せても、アイザックの目は誤魔化せなかったらしい。
それにしても今の顔で低い声を出されると、威圧感がすごい。
フェリクス王子の顔で、目が笑っていない笑顔をされるのも、なかなかに背筋が冷たくなるのだが、今のアイザックの顔は、それとはまた違う圧があった。
「あの、あの、わたしより、アイクの体調の方が……」
アイザックは限界まで魔力を喰われており、今も首の後ろのアザを通じて魔力を吸われ続けている。
自然回復した分の魔力も、すぐに吸われてしまうので、殆ど回復していないはずだ。
「日常生活を送れる程度には回復しているよ。これでも体力には自信がある。……休息が必要なのは、どう見ても君の方だ」
「あの、わたし、まだやることが……」
「それなら三十分だけ、お昼寝をしておくれ? その間に、君のおやつを用意しておこう。待機中に食べられる、日持ちのするお菓子も包んでおくよ」
弟子の体調を心配して帰宅したのに、逆に心配されてしまったお師匠様は、問答無用でソファに寝かされ、薄手のブランケットをかけられてしまった。
わたし、研究が……とモニカはモゴモゴ反論したが、ブランケットの上からトントンと体を叩かれると、疲弊した体はあっという間にまどろみ始める。
サラサラという細い雨の音が、耳に心地良い。
「おやすみ、マイマスター」
ムニャムニャと声を返し、モニカは目を閉じた。
アイザックが台所を歩く音、甘いお菓子を用意する匂い。
それは、穏やかで優しい日常の気配だ。
(……わたしが、守るの)
まどろみの中で、モニカは決意を固める。
この優しい時間を奪われてなるものか。




