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サイレント・ウィッチ(外伝)  作者: 依空 まつり
外伝3:愛されたがりの婚約譚
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【1】辺境伯の妹君

 シュヴァルガルト帝国西方のヴァルムベルク辺境伯と言えば、勇猛果敢で名を馳せ、武勲に長けた剣士であった。

 隣のリディル王国と戦争になった時も、ヴァルムベルク伯爵は自ら前線に立ち、敵軍の猛攻を国境ギリギリで食い止め、帝国軍の勝利に貢献。

 戦場を駆け抜け、敵の喉笛に食らいつくが如き苛烈な戦いぶりから、ついた二つ名は〈西の狼〉あるいは〈ヴァルムベルクの戦狼〉

 世が世なら独立して一国の王となってもおかしくないとまで言われたヴァルムベルク伯爵は、それでも決して独立を望まず、帝国に忠誠を誓い続けた。

 皇帝はそんなヴァルムベルク辺境伯を高く評価し、帝国史上でも数人しかいないという〈剣聖〉の称号を与えたのだった。


 ……というのが、今から五十年以上前の話である。


 〈ヴァルムベルクの戦狼〉が活躍できたのは、戦があってこそ。

 戦が多かった時代は武勲を立てて褒美をもらうことができたが、比較的平和な今の時代は、そういうわけにもいかない。

 帝国の南部や東部は異民族との紛争がチラホラ起こるが、西部は隣国であるリディル王国との戦争を最後に、もう数十年も戦らしい戦が無かった。

 おまけにヴァルムベルクは決して肥沃な土地とは言い難かったし、竜害だって少なくない。

 五十年以上の歳月を経て、二度の代替わりをしたヴァルムベルク辺境伯は、今ではすっかり田舎伯爵扱いされていた。


 * * *


「兄上、兄上、兄上ーーーーーっ!!」

 現ヴァルムベルク辺境伯の妹である、フリーダ・ブランケはエプロンの裾を翻し、箒を片手に廊下を走っていた。

 ヴァルムベルクの城は要塞としての役割を持っているため、とにかく無駄に入り組んでいて広い。

 フリーダはスカートの裾をたくし上げると、勢いよく階段を二段飛ばしで駆け上がった。

 今年で二十歳になるフリーダは、ヒョロリと痩せた背の高い女である。

 おまけに目つきがやや鋭く、くすんだ金髪を短く切り揃えているものだから、男物の服を着れば男と間違われそうだと村の子ども達によくからかわれていた。

「あーにーうーえーっ!」

 フリーダは兄の執務室の扉を勢いよく開ける。

 執務机に座って書類仕事をしていた兄──ヴァルムベルク辺境伯ヘンリック・ブランケがビクッと肩を震わせ、強ばった顔でフリーダを見た。

「ど、どうしたんだい、フリーダ。そんな怖い顔して……」

 兄のブランケはフリーダより六歳年上の二十六歳。数年前に爵位を継いだ若き辺境伯は妹によく似て、ヒョロリと痩せたノッポの青年だった。

 くすんだ金髪も灰色の目もよく似ている兄妹だが、目つきが凛々しい妹に比べて、兄はどことなく頼りなさげな雰囲気が滲み出ている。

 ヘンリックは妹が何を怒っているのか理解できていない様子だったが、思い当たることがあったのか、ハッと目を見開いた。

「もしかして、厨房のエッダに、勝手に初孫のお祝い贈ったことを怒ってる? あれは僕のヘソクリから出したものだから、許してくれないかなぁ……」

「そのことではありませんっ! 私が腹を立てているのは、私の! 婚約の! ことですっ!」

「……げ」

 ヘンリックは露骨に視線をそらすと、ピーヒョロロと下手くそな口笛を吹き始めた。いまどき子どもでもやらない誤魔化し方である。

 フリーダはズンズンと大股で兄の執務机に近づき、両手を勢いよく机に叩きつけた。

 ピヒョッと間抜けな音を立てて、口笛が止まる。

「私に婚約の話が来ていたことを、隠していたそうですね?」

「いやぁ、どうせ断るなら、わざわざフリーダの耳に入れなくてもいいかなーって……」

「どうして、断る必要があるのです!」

 フリーダが怒鳴ると、ヘンリックは唇を尖らせる。

「だってさ、婚約の申し込みは四件あったんだけど……どれもちょっと問題案件というか……」

 四件も!? と目を剥くフリーダに、ヘンリックは歯切れ悪く言った。

「一人目のツァーリ伯爵は、今年で五十歳になる方で……」

「荘園を沢山持っているツァーリ伯爵! うちより裕福じゃありませんか!」

「二人目のマウリッツ男爵は、既に奥さんが四人いて、完全にお妾さんになるやつで……」

「鉱山を所有しているマウリッツ男爵! うちより裕福じゃありませんか!」

「三人目のアインハルトは……あいつ僕のこと嫌いだから、あてつけに妹を嫁にして、苛めようとしている最悪のパターンで……」

「近衛兵団の有望株のアインハルト卿! うちより裕福じゃありませんか!」

 妹の反応に、いよいよヘンリックは頭を抱えて絶叫した。

「あぁ、もう! 大抵の貴族は、うちより裕福だよ!」

「存じております! だからこそ、私に結婚相手を選ぶ余地など無いでしょう!?」

「選んでおくれよぅ! 僕は妹を身売りさせてお金を得るなんて、まっぴらごめんだ!!」

 人の良いヘンリックはいつだって妹の身を案じ、その幸福を祈ってくれる。

 だが、それだけでは傾きに傾いたヴァルムベルク家を建て直すことはできないのだ。

 他家に奉公に出ている弟達は、お古の服を着て農耕馬に乗っていると馬鹿にされているし、城は使用人を雇う余裕がなく、伯爵の妹であるフリーダが掃除と帳簿番をしているぐらいなのだ。

 せめて弟達にきちんとした剣は持たせてやりたくて、フリーダは数少ないよそ行きのドレスも、伸ばしていた髪も売ってしまった。

 もう売れるものは、我が身ぐらいしかないのだ。

「兄上、ご安心ください。私は貴族の家に生まれた時から、結婚は自由にできぬものと理解しております」

「フリーダ……」

「不能の老人だろうと、脂ぎった色欲狂だろうと、嫁をいびるのが趣味な嗜虐趣味者だろうと、うまいこと言いくるめて、適当に良い嫁演じる覚悟はできております」

「そんな覚悟なんてしなくていいんだよぅ! もっと、楽に幸せになる方法を考えておくれよぅ!」

 ヘンリックは両手で顔を覆って、わぁっと泣き崩れる。

 そんな兄を眺めながら、フリーダは疑問に思っていたことを口にした。

「ところで、婚約の話は四件あると仰っていましたが……四件目は、どこのどなたなのです?」

 できるだけ裕福な家が良いのだけど……と、フリーダが考えていると、ヘンリックは今まで以上に悲壮な顔をする。

 そうして兄は視線を右に向け、左に向け、最後は下に向けて「あ〜〜〜〜」と言い淀んだ末に、四人目の婚約者の名を口にした。


「四人目は……リディル王国の、オルブライト家の当主で……」


 オルブライト家。聞き覚えの無い家名にフリーダは首を捻る。

 そもそもリディル王国とはこのシュヴァルガルト帝国の隣国であり、五十年前の戦争の相手だ。

 帝国最西端のヴァルムベルクと隣接しているので、帝国の王都に行くよりも距離だけなら近いし、貿易での交流もある。

 だがフリーダはリディル王国には行ったことがないし、内政にも詳しくはない。

「オルブライト家というのは、有名な家なのですか? 具体的には荘園を持ってたり鉱山を持ってたり」

「……いや、あそこは、ちょっと特殊な家なんだ。その……王家に仕える呪術師の家系で……」

「呪術師?」

 帝国ではあまり聞き慣れない言葉にフリーダが眉をひそめると、背後で大きな声が響いた。


「呪術師はー! いかんー! いかんぞー!」


 フリーダが振り向けば、部屋の隅に腰掛けた痩身の老人と目が合った。

 枯れ木のように痩せた体に長い顎髭の老人は、ただ座っているだけで体がプルプルと震えているが、その眼光はギラリと鋭い。

 この老人こそ〈西の狼〉〈ヴァルムベルクの戦狼〉と呼ばれた、五十年前の戦争の立役者。

 この国でも数少ない〈剣聖〉の称号を持つ、先々代ヴァルムベルク辺境伯テオドール・ブランケ。フリーダの祖父である。

「あら、お祖父様。いらっしゃったのです?」

「呪術師はー! いかんー! 絶対にいかんぞー!」

「お祖父様は、オルブライト家のことをご存知なのですか?」

 フリーダが訊ねると、テオドールはプルプル震えていた体を、ガタンガタンと激しく震わせた。

「あれはなぁー、十年前のことじゃったー、進軍していたワシは挟撃に遭い、雨のように降り注ぐ矢の中を突き進んだ。そこに現れたのは、リディル王国で最も凶悪な〈雷鳴の魔術師〉……奴の電光石火の攻撃を、ワシはこの剣一本で切り抜け……」

 五十年前の戦争のことを十年前と語る祖父の記憶に色々と怪しいものを覚えつつ、フリーダは相槌の合間に訊ねた。

「えぇ、えぇ、お祖父様が戦争でご活躍された話は、もう耳にタコが増殖するほど聞かされましたわ。それで、オルブライト家はどういう家なのです? お金持ちですか?」

「色々隠し切れてないよ、フリーダ……」

 ヘンリックが悲痛な顔で呟いたが、フリーダは兄の言葉を黙殺し、祖父に詰め寄る。

「教えてください、お祖父様。オルブライト家とは何者なのです?」

「やつらはー、恐ろしい呪いを使うんじゃぁー。特に二代目〈深淵の呪術師〉の呪いには、ワシがどれだけ……あぁ、どれだけ苦しめられたことか……! やつは、ワシに二度と解けぬ呪いをかけよったのじゃ……!」

 祖父の武勇伝は幼い頃から散々聞かされてきたが、〈深淵の呪術師〉の名を聞くのは初めてである。

 フリーダが困惑していると、兄が祖父の言葉を補うように〈深淵の呪術師〉について説明してくれた。

 なんでも、〈深淵の呪術師〉は、その体に百以上の呪いを刻んでいる恐ろしい呪術師で、リディル王国では七賢人と呼ばれる魔術師の最高峰の一人に数えられているらしい。

 また、七賢人は魔法伯と呼ばれる爵位を持っていて、これは宮中伯と同じ立場なのだとか。

「現当主の〈深淵の呪術師〉は三代目で、年齢は二十三歳。二年ぐらい前に、リディル王国の第二王子にかけられていた呪いを解いたとかで、国王陛下の覚えもめでたく、呪術に関する腕前は国内でも高く評価されているらしいよ」

 二十三歳ともなれば、二十歳のフリーダと年も近いし、悪い話ではないように思えた。

 だがフリーダにとって最も重要なのは、婚約者の年齢でも人柄でも容姿でもない。

「それで、オルブライト家は裕福なのです?」

「……今回の婚約にあたり、オルブライト家が提示してきた支度金が、これ……」

 兄が指で示した額に、フリーダは頭の中で算盤を弾いた。

 オルブライト家が提示してきた額は、若くもなくて持参金もろくに無いフリーダを娶るには、破格と言って良い。

(これだけのお金があれば城と馬小屋の補修ができるし、使用人も増やせる! 焼いた芋と、豆のスープだけの食卓にライ麦パンも並べられる!)

 フリーダは顔を上げると、兄の顔を真っ直ぐに見つめて宣言した。

「私、オルブライト家に嫁ぎます。今までお世話になりました、兄上」

「即断即決すぎない!?」

 妹の宣言に兄が悲鳴をあげ、祖父はプルプル震えながら「呪術師はー、怖いんじゃぞー!」と主張する。

 だが兄と祖父の声はフリーダの耳には届かない。フリーダの頭の中は、新しく買い換える農具のことでいっぱいだったのだ。


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