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サイレント・ウィッチ(外伝)  作者: 依空 まつり
外伝11:喪失の凶星、瞬く時
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【20】凡才の挑戦

 関係者以外立ち入り禁止の廊下の、最奥にある階段を下った先に、その扉はあった。

 両開きの鉄の扉だ。ドアノブのように指をかけるような部分がなく、中央には金の塗料で魔術式が刻まれている。

 第一封印──この封印は、〈識守の鍵〉でなくとも、この術式に対応した鍵なら開錠することができる。

 第一封印に対応した鍵は、〈識守の鍵〉を含めて四つあり、図書館学会役員が管理していた。

 だが、それより先の禁書室に進むためには、〈識守の鍵〉が必要になるのだ。


『ようやく吾輩の出番であるな』


 シリルが革手袋を外すと、右手中指に嵌められた漆黒の指輪がオパールに似た虹色に煌めき、声を発する。

 この指輪こそ、リディル王国に七つしかない古代魔導具の一つ、〈識者の家系〉のハイオーン侯爵が管理してきた〈識守の鍵ソフォクレス〉。


「やぁ、久しぶり。ソフォクレス」


 片手を持ち上げ、旧友に話しかけるような親しさで声をかけるラウルに、〈識守の鍵〉はよく響く威厳ある声で応じた。


『うむ、久しいな。おっぱいの無い〈茨の魔女〉よ』

「人の指で品性の無い発言をするのは、慎んでもらいたい」


 シリルは眉間に皺寄せたが、ラウルは特に気にした様子もなく、いつもの調子で指輪に話しかける。


「今日はソフォクレスが禁書室を案内してくれるんだよな?」

『うむ、この禁書室の全てを知る吾輩がいて、心強いであろう? んん? 頼もしい吾輩に、もっと敬意を払って良いのであるぞ?』

「それなんだけどさ……」


 ラウルはポリポリと頬をかき、ポツリと呟く。


「ソフォクレスが禁書室の全てを知ってるんなら、わざわざ禁書室に入る必要ないんじゃないかな? 本に書いてあることを、ソフォクレスに訊けばいいわけだし」


 真理であった。

 だが、ソフォクレスはピカピカと赤みがかった色に明滅しながら反論する。


『ぶぁーかめ! 禁書の内容全てを把握していたら、吾輩すごすぎるではないか! それができたら、最弱古代魔導具なんて言われていないのである!』

「言われていたのか」


 シリルが思わず口を挟むと、〈識守の鍵〉はますます強く明滅した。

 感情表現が、無駄に豊かな指輪である。


『一般書架の本は内容まで把握しているが、禁書の中身は吾輩も閲覧できないように制限が課せられているのである。でないと吾輩が、持ち運べる禁書室になってしまうではないか』


 なるほど、と納得しつつ、シリルは訊ねた。


「ソフォクレスは、どこまで禁書室のことを把握しているんだ?」


『目録──書名、著者名、それと概要であるな。この目録の開示も、口頭にて伝えることは禁じられている。許されているのは、禁書室の中で契約者に直接情報を譲渡することのみ』


 つまりそれだけ、禁書室に収蔵された本は、使い方を誤れば危険な代物であるということだ。

 その本がアスカルド大図書館に収蔵されているという事実、それだけでも価値のある情報と考えていい。


「分かった。では、禁書室に入ったら、目録を開示してくれ」


 そう言って、シリルが右手を持ち上げた。

〈識守の鍵〉をはめた中指の先端に白い光が宿り、空中に魔術式を描く。

 シリルは緊張の面持ちで、口を開いた。


「〈識守の鍵ソフォクレス〉の契約者、シリル・アシュリーが命じる。書架に眠りし知識を開示せよ」


 宙に浮かぶ白い輝きが収縮し、扉に刻まれた魔術式と寸分違わぬ形となってピタリと貼り付く。

 キ、ギィ、と金属が擦れる音がして、鉄の扉がゆっくりと開かれた。

 シリルはコクリと唾を飲み、持ち上げていた右手を下ろして、その手を握りしめる。

 緊張で手のひらに冷たい汗が滲んでいた。

 肩の上のイタチ達が、気遣うようにシリルを見る。


「行くぞ」


 自分に言い聞かせるように呟き、シリルは禁書室に足を踏み入れる。ラウルもそれに続いた。

 二人が中に入ると同時に、鉄の扉は開いた時の倍以上の速さで、勢いよくバタンと閉じる。扉が勢いよく閉じる音に、シリルの肩が僅かに竦んだ。

 扉をくぐった先は短い廊下で、また一つ扉がある。こちらの扉は、ドアノブがついていた。

 シリルがドアノブを握ると、〈識守の鍵〉が淡く輝く。


『この先が第一禁書室である。心して行くが良い』


 シリルはドアノブを回し、扉を開け、左手に持ったランタンを掲げた。

 第一禁書室はそれなりに広さのある部屋であった。ランタンの灯りだけでは、部屋全体を照らすことはできない。

 真っ先に感じたのは、古い紙とインクのにおい。

 少し目が慣れてくると、広い部屋の左右に規則正しく並ぶ本棚。それと奥に扉が見える。

 シリルがかろうじてそれらを確認したのとほぼ同時に、周囲からヒソヒソと囁くような声が聞こえた。


 ──来たぞ、来たぞ、人間だ。

 ──なんとなんと、実に美味そうな人間ではないか。

 ──アシュリーの人間だ。分かる、分かるぞ、この匂い。

 ──その血はさぞかし甘かろうて……

 ──おぉ、嬉しや……〈茨の魔女〉もいるではないか。


 ランタンの灯りの届かぬ闇から何かが這い出してきて、自分を頭からペロリと丸呑みする──そんな幻が、一瞬見えた気がする。

 目に見えない巨大な化け物の舌で、ぬるりと頬を舐められるような嫌悪感に、シリルは背筋を震わせた。

 立ち尽くすシリルの背後で、何度か禁書室に出入りしているラウルがボソリと呟く。


「うわぁ……いつもより賑やかだなぁ……」

『であるな。アシュリーと〈茨の魔女〉が同時に来たので、奴らも興奮しておる』


 シリルはゆっくりと息を吸って吐いた。そうして、グッと腹に力を込める。

 禁書に封じられた魔物達の囁きに、心を乱してはいけない──だが、決して耳を塞いでもいけない。

 彼らの囁きもまた、残された知識の一つだからだ。


 ──その顔を見せておくれ、その声を聞かせておくれ。

 ──偉大な魔女よ。蹂躙の鮮血を、我らの上にも降らせておくれよぅ。

 ──食わせろ、食わせろ。その白い肌に牙を穿ってくれようぞ。

 ──憎らしや、そして愛おしや、あぁ、〈茨の魔女〉よ、その手で我に触れておくれ。

 ──アシュリーよ、お前の恐怖はどんな味がするのであろうか。


 ピケの冷気とは違う、悪意の冷ややかさが、足元から這い上がってくるかのようだ。

 だが、悪意の中を歩くのには慣れている。


(動揺するな。ここに来た目的を思い出せ)


 己に言い聞かせ、シリルは〈識守の鍵〉に命じた。


「ソフォクレス、禁書室の目録を開示してくれ」


『……念のために訊くが、この第一禁書室のみであろうな?』


「いや、全ての禁書室の目録を頼む」


 禁書室に入る前、〈識守の鍵〉は目録は口頭で伝えることはできず、直接譲渡すると言っていた。

 おそらく、目録の知識を直接シリルの頭に伝えるやり方なのだろう。


『……悪いことは言わぬ。まずは第一禁書室だけにしておけ』


〈識守の鍵〉の声は、珍しく神妙だった。

 シリルは眉を寄せ、首を横に振る。


「今回は、最深層禁書室まで調査するよう命じられている。全ての目録を出してくれ」


 八年前に〈暴食のゾーイ〉盗難事件が起こった時、第一禁書室の本までは調べたと聞いている。

 だが、それだけでは有力な情報は得られなかった。だから、今回は禁書室の全てを調べる必要があるのだ。

 そのためには、目録からあたりをつけて、片っ端から調べていくしかない。

 頑なに言い切るシリルに、〈識守の鍵〉は重々しい声で応じる。


『……承知した』


〈識守の鍵〉が虹色に輝く。

 今までとは明らかに違う強い輝きに、ピケとトゥーレがヒゲを震わせる。


『目録開示』


 その時、シリルの目の前は真っ白になった。

 白、白、白──白い世界に文字が浮かび上がる。

 まるで羽虫の群れが飛来するかのように、白い世界が文字で埋め尽くされていく。

 世の中には、ページをパラパラとめくっただけで、本の中身を理解できる人間がいる。

 シリルの頭は、たった今、それを無理やり強要されたのだ。

 それは速読などできない人間の頭に、文字を、知識を暴力的に叩き込む行為だ。

 頭の中に膨大な知識が流れ込んでくる。シリルの頭はその全てを一度では理解できない。

 頭の神経が焼き切れてしまいそうなのに、次から次へと押し寄せてくる情報の奔流は止まらない。


「ぁ……が、ぐ……ぅ」


 気がつけばシリルはランタンを取り落とし、膝をついていた。

 シリルの肩に乗っていたトゥーレとピケが床に下り、心配そうにシリルを見上げる。

 ラウルも駆け寄り、シリルの肩を揺さぶった。


「シリル!? 大丈夫かっ、シリルっ!?」


「……あ、う……きゅうじだいななだいきょうてん……えふぇり=めるぐのしょ、るでぃがきょうてん……りゅうこさいてん……こくりゅうさんか……あ、ぅぁ……せいれいしんてんはんころく……あ、あぁ、ぁ、あ、ちょしゃふめいちょしゃふめいちょしゃふめい……」


 膝をつき、両手で頭を抱え、虚ろな目でブツブツと呟くシリルにラウルの声は届かない。

 ラウルが泣きそうな顔で、ソフォクレスを見た。


「ソフォクレス、これって一体……っ!?」

『……言わんこっちゃないのである』


 床におりたトゥーレとピケが、〈識守の鍵〉を見上げる。

 ピケは冷気を漂わせ、トゥーレは心配そうに、〈識守の鍵〉に問う。


「シリルに何をした?」


「シリルは、どうしてしまったの?」


『〈識守の鍵〉の継承者は、この禁書室の魔物達に耐える精神と、吾輩から譲渡される目録の膨大な情報を理解する頭脳が必要になる。こやつは後者が足りんのだ。もう、全っ然足りんのだ』


 膨大な情報に翻弄されながら、シリルは頭の隅で理解する。

 きっと、優秀なクローディアなら、この情報を一度か二度で理解できただろう。

 そして、シリルには同じことができない。

〈識守の鍵〉はシリルに旧図書館法を問いかけた時、それを答えられないシリルにさぞ失望しただろう。

 それすらできないのに、どうしてこの量の目録を受け取ることができるのか、と。

 情報の奔流は、まだやまない。

 頭がどうにかなりそうだ、心が折れそうだ。


(それがどうした)


 シリルは歯を食いしばり、床に爪を立てる。


(紙とペンがほしい)


 シリルは一度読んだだけでは、本の中身を全て覚えられない。だから、何度も何度も書いて覚えた。

 だが、この禁書室は羽根ペンやインクの持ち込みは禁止されていて、書いて覚えることはできない。

 シリルは人差し指で床に文字を綴った。文字は残らないけれど、何度も何度も手を動かせば、指が覚えてくれる。

 爪が割れて血が滲んだ。それでもシリルは指を動かし続けた。

 ラウルが、トゥーレが、ピケが、心配そうに自分を呼んでいる。その向こう側では、禁書室の魔物達がクスクス笑っている。

 シリルは動かし続けていた手を止め、右手中指の指輪を見下ろした。


「ソフォクレス」


『……む、禁書室を出るか?』


「違う」


 シリルの青い目に、恐怖も絶望も諦念もない。

 あるのはただ、絶対にやり遂げるという強い意志。


「最初の十は覚えた。だから続けてくれ。次は二十覚える」



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