【5】殴る、蹴る、轢く、潰す←new!
地面に落ちた長い三つ編みが黒い影に包まれ、そしてセオドアの手元にある黒い宝石箱に吸い込まれていく。
その時、ルイスは強い目眩を覚え、ふらついた。
(……これは、魔力欠乏症?)
どういう理屈か分からないが、自分の髪の毛があの宝石箱に喰われた瞬間、魔力がごっそりと無くなるのを感じた。
魔力欠乏症になると、人間は重度の貧血のような症状になり、意識を保つことが難しくなる。
だが、ルイスは歯を食いしばり、執念で意識を保った。
髪の毛を回収するために、黒い影はルイスから離れて、〈暴食の箱〉の中に全て引っ込んでいる。
ルイスは己の中に残った、残りカスみたいな魔力をかき集めて、短縮詠唱を口にした。
強固な結界が、セオドアを包み込む。
「えっ!? これだけ喰われても、まだ魔術使うの!? あ、でもこれで底をついた感じかな。攻撃魔術は流石に、無理……だよね?」
敵を結界に閉じ込め、その結界の中にありったけの攻撃魔術をぶちこむというのが、竜討伐における〈結界の魔術師〉の戦闘スタイルである。
だが、今のルイスは攻撃魔術を使うだけの魔力が残っていなかった。なので……。
「……潰す」
ボソリと呟いたルイスは右手を前に差し出し、ギュッと手の中の何かを握り潰すような仕草をする。
それに呼応して、セオドアを閉じ込めていた結界が収縮した。
「へぁっ!? ぎゃっ、うわぁあああああっ!? ひぃぃぃぃっ、つぶ、潰れっ」
結界が球体に変形して収縮し、ミチミチとセオドアの体を圧迫する。
セオドアは手足を不自然に折り曲げた体勢で、結界を内側からバンバン叩いた。
「出してぇぇぇ、助けてぇぇぇっ!」
泣き喚くセオドアに、ルイスは凶悪に笑って告げる。
「このまま肉団子にして、連行してさしあげますよ」
「いやぁぁああああああっ、こわっ、怖い怖い怖い怖い、ゾーイ──っ! 助けてぇぇぇぇ!」
セオドアが泡をふいて助けを求めると、暴食の箱から黒い影が飛び出して結界を破壊した。
ルイスの頭上に黒い影が広がり、そこから雨のように黒い槍が降り注ぐ。
「ドッカーン!」
詠唱を終えたブラッドフォードが、多重強化した火炎弾を放つ。
火炎弾は火の粉を撒き散らしながら、影を豪快に吹き飛ばした。流石は〈砲弾〉の名を掲げているだけあって、素晴らしい威力だ。
散り散りになった黒い影と火の粉が舞う路地を、ルイスは一直線に走り、セオドアの腹に蹴りを叩き込む。だが、間一髪のところでブーツとセオドアの腹の間に黒い影が割り込んだ。
威力を削がれたのを察し、ルイスは素早く距離を開ける。
「うぇっ、わぁぁあん、痛いぃぃぃぃ!」
ゴロゴロと石畳の上を転がり泣き喚くセオドアは、それでも腕でしっかりと〈暴食の箱〉を抱きしめていた。
黒い影の防御が無かったら、胃の中身をぶちまけさせてやったのに、とルイスは舌打ちする。
更に追撃しようとしたルイスの肩を、駆けつけたブラッドフォードが押さえ込んだ。
「おぅ結界の……俺は、魔力が尽きたお前さんが退くことができるよう、援護したつもりなんだがな? なんで突っ込んだ? え?」
「おや、戦闘馬鹿の貴方らしからぬお言葉ですね」
ルイスは革手袋の縁を掴んで引き上げ、手を固く握って閉じた。
革をキュッキュッと軋ませて、ルイスは口の端を持ち上げる。
「私は今、とてもとても頭に血がのぼっているのです。……というわけで、止めても無駄ですので悪しからず」
もう魔力は空っぽだ。魔力欠乏症で目眩と吐き気がする。だが、それを上回る怒りがルイスを突き動かしていた。
石畳の上にへたり込んで泣き言を漏らしていたセオドアは、そんなルイスを見て、ハッと目を見開く。
「あっ、思い出した……! お前、おじいちゃん先生に返り討ちにされて、崖から落っこちた不良!」
ルイスは笑顔で杖を振りかぶった。
「火に油を注ぐのがお好きなのですね」
「いやぁぁぁぁ! やっぱり怖いぃぃぃぃ!」
石畳の上を四つん這いになって逃げようとしたセオドアは、ふと思い出したように〈暴食のゾーイ〉に話しかけた。
「そっ、そうだ! 縁! 縁があるよねこれってぇぇぇ! ゾーイ! ゾーイ助けてっ! あいつシモベにしよう!」
『センゲン! センゲン!』
セオドアは石畳に座り込んだまま、キリッとした顔で〈暴食のゾーイ〉を掲げる。
ルイスは警戒して、足を止めた。ここは、ブラッドフォードの詠唱が終わるのと同時に攻撃を仕掛けたい。
セオドアは高らかな声で叫んだ。
「〈暴食のゾーイ〉の契約者セオドアが命じる! えーと、あの不良の……あれっ、名前…………なんだっけ?」
ルイスは無言で杖をぶん投げた。
豪華な装飾を施された杖がセオドアの頬に傷を残して、石畳を削る。
ルイスは忌々しげに舌打ちをした。
「……外したか」
「ぎゃぁぁあああっ、ほっぺた痛いっ、血が出てるぅぅぅぅ! あいつ、殺す気だった! 本気で殺す気だったぁ──っ!」
ルイスは激昂しつつも、頭の隅では冷静にセオドアの動向を観察していた。
(やはりこの男……〈暴食のゾーイ〉を使いこなせていない)
セオドアの言うシモベとは、操られた状態のカーラのことを指すのだろう。
城を襲撃した時、他の人間──メアリーやアデラインなどを操らなかったことから察するに、操れる人間は限られているのだ。
更にセオドアは口を滑らせた。
(何かしらの縁があること、名前を知っていること──それが、相手を操る条件か)
だったら、セオドアがルイスの名前を忘れている今が好機だ。
ブラッドフォードの詠唱が終わったら、一気に畳みかける。魔力が尽きたなら、素手で肉団子を作るまでだ。
ルイスが軽く前傾姿勢を取り、指をゴキュリと鳴らしたその時、頭上でリンが叫ぶ。
「ルイス殿、空を──!」
この状況で、何故、空を気にする必要があるのか。
訝しがりながら空を見上げたルイスは、驚愕に目を見開いた。
今にも雨が降り出しそうな灰色の空に、ポツポツと黒点が浮かんでいる。最初は鳥の群れかと思ったが違う。
あれは、翼竜の群れだ。それも目視できるだけで三十匹以上。
だが、予想外の事態はこれで終わらない。
城の方から、魔法兵団の団員が飛行魔術で飛んできて、大声でルイス達に告げた。
「伝令! 伝令! 王都南東部から地竜が四体、東部から三体、凄まじい勢いで接近しております!」
(このタイミングで、翼竜だけでなく地竜まで!?)
そんな馬鹿なことがあるか、とルイスは絶句した。
そもそも翼竜は、大群の群れを作る生き物ではない。たまに五、六匹程度の小さな群れを作るぐらいだ。
かつて、ウォーガンの黒竜が現れた時、伝説級の上位種に興奮した翼竜が、黒竜をボスに仰いで群れを作ったという記録がある。
その時ですら、二十数匹だったのだ。
そして今、翼竜の群れを一撃で撃ち落とした〈沈黙の魔女〉は、王都を離れている。
ルイスも魔力が尽きて、立っているのがやっとの状態だ。
「じゃあね、不良」
セオドアが両手で〈暴食のゾーイ〉を掲げる。
箱の隙間からこぼれ落ちた黒い影が、まるで舞台の幕のように広がり、セオドアとルイスを隔てた。
「逃すかっ!」
「ドッカーン!」
ルイスが走り、ブラッドフォードが火炎弾を放つ。
ブラッドフォードの攻撃は、黒い影を散り散りに吹き飛ばしたが、その向こう側にセオドアの姿は無い。
(──消えた!? この短時間で!?)
周辺に駆け込めるような建物は無い。建物と建物の隙間に逃げ込んだと見るのが妥当だろう。
焦るルイスの横で、ブラッドフォードが魔法兵団の団員に告げる。
「魔法兵団に通達! 王都に包囲網を敷いて、セオドア・マクスウェルの身柄を確保しろ! 地竜の方は俺が出る!」
悔しいが妥当な判断だった。
〈砲弾の魔術師〉は索敵や人探しに向いていない。彼の真価は市街地での対人戦より、対竜戦で発揮される。
ブラッドフォードは、カーラや一般人を保護しているリンに目を向けた。
「結界の、お前の契約精霊を貸せ! 翼竜相手なら、風の精霊がいた方がいい! ついでに上空からセオドアを探させろ」
「では私は……」
「走ってセオドア探すぐらいしか、やることねぇだろ。魔力尽きてんだからよ」
「…………」
ごもっともだが、あまりにも七賢人らしからぬ肉体労働ぶりである。
ルイスはガックリと肩を落とし、首の後ろに手をやる。そこにいつもの三つ編みはなく、すっかり短くなってしまった襟足の髪が、指先を虚しく掠めた。




