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サイレント・ウィッチ(外伝)  作者: 依空 まつり
外伝11:喪失の凶星、瞬く時
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【4】約十年分の重み、喪失


「ねぇ、お前の大事なものは、なぁに?」


 言われた言葉の意味を理解するのに、数秒の時間を要した。その数秒で、逃げるべきだったのだ。

 だがエリアーヌは立ち竦んだまま、目の前の男が手にする黒い宝石箱を魅入られるように見つめてしまった。

 少し古風な装飾の、たくさんの宝石を散りばめた黒い宝石箱。その金細工で縁取られた蓋がほんの僅かに──小指一本通るか否かという程度に持ち上がる。


『ダイジナモノ、チョウダイ! ホシイ! ホシイ!』


 箱の奥から、少女とも少年ともつかない甲高い声が聞こえた。

 可愛らしくねだるような声の奥にあるのは、綺麗だと笑いながら蝶の羽をもぐ、子どもの無邪気さと残酷さだ。

 宝石箱の隙間から、トロトロと黒い何かが流れだす。

 黒い液体のようなそれは地面に落ちる前にユラリと浮かび上がり、真っ直ぐにエリアーヌに飛来して、細い首に絡みついた。


「ひ、ぃっ」


 質量を持った黒い影は、エリアーヌの首からスルスルと伸び、エリアーヌの白い肌の上を這う。

 引き剥がそうと黒い影に爪を立てると、その手に黒い影がペタリと貼りついた。


『キレイナハダ、チョウダイ、チョウダイ!』


 その声は箱の奥から聞こえた気もするし、自分にまとわりつく影から聞こえた気もした。

 貼りついた影が、ボトリと地面に落ちる。

 影が剥がれたという事実に、エリアーヌが安堵したのは一瞬。

 先ほどまで影が貼りついていた箇所を目にして、エリアーヌは目を剥いた。

 爪の先まで磨いた、淑女の白い手が──赤黒く爛れている。


「っ、い、いやぁあああああっ!」


 顔の上を影が這う。

 やめて、やめて、とエリアーヌは泣き叫びながら影を剥がす。

 影を剥がした顔に痛みは無いが、触れると今まで感じたことのないザラザラとした酷い手触りがした。顔だけじゃない。

 見下ろした手足は、白い肌の表面を雑に削り取ったかのように、まだらに赤くなっている。

 痛みも痒みも無いのに、惨たらしく爛れているのだ。


「やめてっ、やめてぇぇぇっ!」


『キレイナカミ、チョウダイ、チョウダイ!』


 黒い影が浮かび上がり、形を変える──漆黒の鋏に。

 首の後ろに何かがあてがわれる感触。全身の肌が恐怖に粟立つ。


 ──ジャキンッ。


 鋏の刃が重なる音と同時に、エリアーヌは強い目眩を覚え、意識を失った。



 * * *



 地面に落ちた小麦色のフワフワした髪の束を、〈暴食のゾーイ〉から伸びた黒い影が包み込む。そうして、黒い影は奪い取った髪の毛ごと、スルスルと箱の中に戻っていった。

 目の前に倒れている令嬢の髪の毛はそれなりに長く、小さな宝石箱に収まる量ではない。

 中に引きずり込まれた物がどうなるのかは、セオドアにも分からなかった。やはり、暴食と言うだけに、ムシャムシャと食べたりするのだろうか。


『マダ、タリナイ! マダ、タリナイ!』


 暴食の箱が叫ぶ。

 この幼い子どものような古代魔導具は、素敵なものが欲しいんじゃない。誰かが大事にしているものがほしいのだ。

 そうして、その大事な何かに込められた願いや希望のようなものを、〈暴食のゾーイ〉はペロリと喰らう。


『モット! モット! モット、チョウダイ!』


 満たされることない、永遠の空腹を満たすため、〈暴食のゾーイ〉の望む贄を捧げ続けること。

 それが、この古代魔導具の代償だ。

 セオドアは黒い宝石箱を見下ろし、情けない声をあげた。


「今、食べたばっかりなのにー!」


『シモベ、キタ』


「え、カーラ戻ってきた? どこどこ?」


 キョロキョロと辺りを見回したセオドアは、路地の角をフラリと曲がってくるカーラの姿を見つけた。

 白い寝間着姿のカーラは、全身に黒いアザが浮き出ている。

 アザは空を流れる雲のように、ゆっくりとゆっくりとカーラの肌の上を這うように移動していた。のみならず、黒いアザは白い寝間着の上もスルスルと音もなく這う。

 寝間着と肌をまだらに黒く染めたカーラを見ても、セオドアは何の感慨も覚えなかった。

 ただ、カーラが戻って来たから、このままカーラの飛行魔術でこの場を離脱しようと思った。


(次に行く場所は、もう決めてあるしね)


 先ほどの城への襲撃で、あの場にいた何人かに影を植えつけることに成功した。

 影を植えつければ、定期的に魔力を吸い上げて、〈暴食のゾーイ〉に魔力を供給することができる。


「だけど、まだまだ全然足りないや。次に行かなくちゃ……」


 その時、ゴゥッと強い風が吹いて、湿った空気がセオドアの頬を撫でた。

 空はすっかり分厚い雲に覆われている。そろそろ雨が降るだろう──なんてことを考えていたら、雨より先に、突然の嵐がきた。

 まるで上空から地面に叩きつけるような強い風が吹き、セオドアはバランスを崩して、地面にすっ転ぶ。

 それと同時に、カーラの周囲を見えない壁が覆い、その上から金色の鎖が絡みついた。

 あれは封印結界だ。それも、外部からの魔力を徹底して遮断する一級封印。


「わわっ、なになに!?」


 〈暴食のゾーイ〉をしっかりと胸に抱いて体勢を立て直そうとしたセオドアは、自分の前髪が一房、パラリと宙に舞うのを見た。

 それとほぼ同時に、目の前の石畳に亀裂が入る。

 亀裂というよりは切れ目と言った方が正しい。恐ろしく切れ味の良い、鋭い刃物を振り下ろしたような、そんな跡だ。


「足を切り落とし損ねました」


 頭上から、低い女の声で大変物騒な発言が聞こえた。

 セオドアは口をパクパクさせて、頭上を仰ぎ見る。

 宙に浮いているのは、メイド服を着た金髪の女と、立派なローブを着た三つ編みの男だ。

 先の物騒発言はメイドの方らしいが、目つきはどちらも同じぐらい物騒である。


(絶対敵だ、あれ敵だ! だってなんかもう、今からおれのこと痛めつけますって顔してるぅぅぅぅぅ!)


 手駒のカーラを封印された今、とにかくこの場を離脱するべきだ。そうセオドアの直感が告げている。

 セオドアは〈暴食の箱〉を頭上に掲げた。

 箱の隙間から飛び出した黒い影が、頭上の二人に襲いかかる。だが、黒い影が二人に届くことはなかった。


「ドッカーン!」


 突如、反対方向の空から火の塊が降って来て、黒い影とぶつかり爆ぜた。

〈暴食のゾーイ〉が操る影は、その一撃で霧散する。


「ひぇ……うっそぉ!?」


 古代魔導具の攻撃を一撃で吹き飛ばすなんて、魔力密度が尋常じゃない。

 どうやら、メイドと三つ編みの他にもう一人、少し離れた屋根の上に狙撃手がいたらしい。

 熱風に煽られたセオドアの手から、〈暴食のゾーイ〉が転がり落ちる。


「わわ、待って、ゾーイ……っ」


 セオドアが〈暴食のゾーイ〉に駆け寄るより早く、キィンと硬質な音がし、セオドアの周囲に見えない壁が生まれた。

 逆さにしたコップをセオドアに被せたような状態だ。

 三つ編みの魔術師が低く告げる。


「やれ」


 メイド服の女──おそらく精霊だ──が軽く右手を振るった。

 結界の中だけで小さな嵐が起こり、セオドアの体は結界の中を滅茶苦茶に振り回され、結界やら石畳やらに全身を叩きつけられる。

 そうして嵐が収まったと思ったのも束の間。

 今度は頭上からブーツの踵が降ってきて、セオドアの肩に直撃した。セオドアは石畳の上に仰向けにひっくり返る。


「いっ……っつ〜〜〜!?」


 痛みに悶絶しつつ起き上がろうとしたら、三つ編みの男がすかさずセオドアの肩にブーツの踵を捻じ込み、早口で詠唱をして杖を一振りした。

〈暴食のゾーイ〉の周囲に強固な封印結界が施される。

 魔術師の男は〈暴食のゾーイ〉をきっちり封印してから、足元のセオドアに話しかけた。


「久しぶりですね、セオドア・マクスウェル。……まさか、本当に貴方が〈暴食のゾーイ〉を盗んだ犯人だったとは」


「えーと、あのぅ…………ど、どちらさま?」


 恐る恐る訊ねるセオドアに、三つ編みの男はニコリと微笑む。

 優しそうな笑みだ。

 優しそうなだけで全く優しくないのは、肩に乗せられた踵の重みが如実に物語っている。

 先ほど蹴られた肩に、骨が軋むような圧をかけてくるのだ。容赦がないにも程がある。


(痛い怖い痛い怖い!!)


 セオドアはパニックになりそうな己の心をなだめて、状況把握に努めた。

 敵は最低でも三人。物騒な三つ編みと、風を操る精霊と、あと少し離れた屋根の上に「ドッカーン!」を使った魔術師が一人。

 一方こちらは、カーラと〈暴食のゾーイ〉を封印され、セオドアは地面に倒れて身動きが取れない。絶体絶命だ。

〈暴食のゾーイ〉は蓋の隙間から黒い影を伸ばして、己を閉じ込める結界を破壊しようと暴れていた。

 あの質量を持った影は、大抵の結界なら簡単に破壊できるだけの力を持っているはずだ。それなのに、三つ編みの張った結界はビクともしない。

〈暴食のゾーイ〉の影を攻撃魔術で吹き飛ばすことも、結界で閉じ込めることも、どちらも容易なことではない。

 あのドッカーン! の男も、目の前の三つ編みも、桁違いの化け物だ、とセオドアは震え上がる。


『シチケンジン! シチケンジン! キライ! キライ!』


〈暴食のゾーイ〉が喚き散らすのを聞いて、ようやくセオドアは理解する。

 あの立派な杖とローブの魔術師は、この国の頂点に立つ魔術師なのだ。



 * * *



 ルイスは仰向けに倒れるセオドアの肩を踏みにじりつつ、その姿を観察する。

 ボサボサの赤茶の髪、気が弱そうな冴えない顔立ち。オドオドした言動。

 ルイスの記憶通りの、セオドア・マクスウェルだ。


(……それなのに、なんだ、この違和感は?)


 八年前、〈暴食の箱〉盗難事件が起こった時から、ずっと違和感はあった。

 それは、こうしてセオドアと直面するとより一層顕著になる。

 だが違和感の正体は、取り調べをすればきっと明らかになるだろう。今は、この男を拘束するのが先だ。

 ルイスは踵を踏みにじっていた足を持ち上げ、セオドアの腹に足を踏み下ろそうとした。

 だが、ルイスのブーツの底がセオドアの腹を踏みにじるより早く、セオドアの上着が裂け、心臓の辺りから黒い影が飛び出してルイスの足に絡みつく。


「──!?」


 セオドアの心臓の上には、古代魔導具の契約印が浮かび上がっていた。そして、その契約印から、質量をもった影が飛び出し、ルイスの足に絡みついているのだ。

 驚いているのはルイスだけではない。セオドアもまた、仰天したような顔で叫ぶ。


「あっ、そっか、さっき影の一部をこっちに移してたんだった! というか、こんなこともできるんだねぇぇぇ、早く教えてよぉぉぉ!!」


 影がルイスの足を這い上がる。

 それと同時に影の一部が細い槍のように伸びて、〈暴食のゾーイ〉を封印する結界を攻撃した。

 あの結界は短時間で作ったものだから、特に内向きに強固に作ってある。だからこそ、外からの攻撃に幾らか弱かった。

 内と外から影で攻撃され、〈暴食のゾーイ〉を封印していた結界にヒビが入る。

 ルイスは怒鳴った。


「リン! カーラと一般人を保護しろっ」


 リンが封印状態のカーラと、地面に倒れている一般人──ドレスを着た令嬢と、その護衛らしき男二人を風で包みこむ。

 屋根の上で待機している〈砲弾の魔術師〉は異変に気づいているようだが、おそらくまだ次の詠唱が終わってない。


 ──パリン。


 硝子が割れるような音がして、結界が砕け散る。

 セオドアから伸びる黒い影が、まるで手のように〈暴食のゾーイ〉をセオドアの元に引き寄せた。

 セオドアは起き上がり、〈暴食のゾーイ〉を胸に抱いて喚き散らす。


「わぁぁぁぁ、結界壊すのに、溜め込んだ魔力使い切っちゃったよぅぅぅ!! あんなに怖い思いして頑張って集めたのにぃぃぃ!!」


『オナカヘッタ! オナカヘッタ! ダイショウ! ダイショウ!』


「このタイミングでそれ言う!? ……あ、でもちょうど良いや」


 黒い影に足を絡め取られて動けないルイスに、セオドアが〈暴食のゾーイ〉を向ける。


「ねぇ、三つ編み。お前の大事なものはなぁに?」


 一瞬、ルイスの頭に妻と娘の顔がよぎった。

 ソファでうたた寝をするルイスの三つ編みに、リボンを結んだ幼い手。

 柔らかく微笑んで、眠る娘にブランケットをかける妻。


『チョウダイ、チョウダイ! ダイジナモノ、チョウダイ!』


〈暴食のゾーイ〉から黒い影が伸びる。それは大鎌のように形を変えた。

 足を絡めとる影は、ルイスの力をもってしてもビクともしない。

 ルイスは攻撃魔術を放とうと短縮詠唱を口にしたが、その詠唱が終わるより早く、ザクリと首の後ろで音がした。

 突然、頭が軽くなり、背後でパサリと何かが落ちる音がする。


「………………あ?」


 首を捻ったルイスの目に映ったのは、地面に落ちた自慢の長い髪だった。


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