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サイレント・ウィッチ(外伝)  作者: 依空 まつり
外伝10:竜滅の魔術師
211/425

【25】あの日、言えなかった言葉を

〈竜滅の魔術師〉サイラス・ペイジが、モニカが謹慎している宿の一室を訪れると、小さな先輩はベッドの上で布団に包まり、ダンゴムシになっていた。


「おーい、沈黙の姐さんよ」


 声をかけても返事はなく、代わりに布団の下から洟を啜る音と嗚咽まじりの声が聞こえる。


「……うっ、うっ……ウォーガン山脈の時は、第一、第二兵団を必要ないって置き去りにして、今回は第七調査団を攻撃して……わたし絶対、竜騎士団に恨まれてるぅぅぅ……」


 魔法戦でサイラスを撃ち落とし、ダニングや竜を前に一歩も引かなかった、格好良い先輩はどこに。


「姐さん、おい、沈黙の姐さんよ。明日にゃ、ここを発つことになるらしいぞ」

「えぅっ、あ、サイラスさん……」


 布団の下からモニカが頭だけを出した。

 そうしていると、ダンゴムシよりカタツムリみたいだ。


「うっ、うぅっ、すみません、細かいこと、全部サイラスさんに任せちゃって……」

「俺ぁ別に、体力有り余ってるから構わねぇんだが」


 諸々の後始末や、調査団との打ち合わせなど、赤竜が竜峰に戻ってからもやることはそれなりにあったが、宿で謹慎中のモニカに代わり、全てサイラスがこなしている。

 調査団がサイラスやモニカに向ける態度は、どこかよそよそしい。

 ロブソンは今まで通りに接してくれるが、団員の中には明らかに棘のある視線をよこす者もいた。

 その視線に、モニカはすっかり参ってしまったらしい。


(ダニング団長を説得できなかったことも、気にしてんだろうな……)


 正直、この場に自分がいて良かったと思う。

 見るからに気弱で大人しいモニカは、こういう時、攻撃対象にされやすいのだ。

 だが、そばに武人然としたサイラスがいると、攻撃的な態度を引っ込める輩は多い。


(結界の兄さんは、その辺も考慮して、俺と組ませたのかもしれねぇな)


 そんなことを頭の隅で考えつつ、サイラスはチラチラとモニカを見る。

 モニカの顔は分かりやすく、げっそりとやつれていた。


「ところで姐さん、ちゃんと飯食ってるか?」

「…………」


 あ、これ食ってねぇやつだ。とサイラスは即座に理解した。

 目を逸らすモニカに、サイラスは腕組みをして告げる。


「姐さんよ。俺ぁ、あんたを背負った時に、軽すぎてビビったぜ。お弟子さんが、こっそり非常食を忍ばせたのも納得だ」

「うぅ、す、すみません……」

「これ以上痩せられたら、あんたのお弟子さんに申し訳が立たねぇ。なんか適当に買ってくるが、食いたいモンあるか?」


 モニカは布団の端を掴んでモジモジしていたが、ふと思いついたように顔を上げた。


「あっ、じゃ、じゃあ、東部地方ならではのもの、食べたい、です」

「この町の名物ってことか?」


 モニカは少しだけ考えるように黙り込み、ポソポソと小声で恥ずかしそうに言う。


「あのですね。わたしの弟子が東部地方の味付けの物、好きらしくて……えっと、その、わたしに作れるとは思わないんですが……好きな物を、共有したいと言いますか……」


 なるほど、とサイラスは納得した。

 見るからに食べることに興味の無さそうなモニカだが、弟子の好きな物のことを知りたいのだろう。

 特に旅の土産話では、「自分もあれを食べたことがある」といった具合に、共通の話題があると盛り上がる。

 それなら何が妥当だろうか、とサイラスは顎に手を当て考えた。


「この辺りじゃ、ご馳走なら鹿の串焼きだな。あと、家庭料理ならパイは間違いねぇ。各家庭ごとにパイ生地のレシピとか、装飾にこだわりがあってな」

「あっ、わたしの弟子も、パイ、作るの上手ですっ!」


 やはり、姐さんの弟子は良い嫁さんになりそうだな、とサイラスはこっそり思う。

 東部地方には、「嫁にするならパイ作りの上手い娘にしろ」という格言があるのだ。



 * * *



 謹慎中のモニカのために食べ物を買いに出たサイラスは、そういや銅貨はあったかとポケットに手を突っ込み、指先に触れた感触に体を強張らせた。

 指先に触れたのは、銅貨じゃない。

 サイラスは太い指で慎重にそれを──艶々のドングリをつまみ出す。


(あのおばちゃん、あれだけ虫ちゃん虫ちゃん言っていたくせによぉ)


 最後の最後で、あの竜はモニカのフードにドングリを放り込んだ。

 人間の食事に虫は一般的じゃない、というサイラスの言葉に、竜は耳を傾けたのだ。

 それなのに自分は竜の言葉に耳を傾けず、竜を狩り続けていいのだろうか?

 竜が危険な生き物なのは事実だ。人間を見下し、遊び半分に人を狩る竜もいる──だが、それは人間にも同じことが言えるのではないか?


(……精霊言語、勉強するか)


 竜に対する憎悪は消えないけれど、槍で貫く前に、向こうの言い分ぐらいは聞いてやっても良いかもしれない。


(俺はいつも口先ばっかだ。何も成し遂げられてねぇ)


 かつて、幼い友人に「なんとかなる」などと口先だけのことを言った己を悔いた。

 どんな困難でも「俺がなんとかしてやる」と言える男になりたかった。

 それなのに、今回の任務で自分は何もできていない。

 ダニングや赤竜と向き合ったのは、あの小さな先輩だ。


 ──大丈夫です。先輩が、なんとかします。


 口先だけの言葉じゃなかった。

 あの小さな先輩は、確かな覚悟を持ってダニングと交渉し、無詠唱魔術であの場を制圧したのだ。

 感情のまま、闇雲に槍を振り回していたサイラスとは違う。

 力を振るうことの意味を、あの小さな魔女は理解しているのだ。


「……っと、いけね」


 考え事をしながら歩いていたら、つい市場を通り過ぎてしまった。右斜め前方に見える赤い屋根の家はサイラスの実家。

 そして、その隣の家は、かつて幼い友人の家族が暮らしていた家だ。今はもう、別の老夫婦が住んでいる。

 その家をじっと見上げている一人の男がいた。

 フードを被っているその男の横顔は、包帯でグルグル巻きにされている。


(なんだ、あいつは……)


 その男は、かつて友人が暮らしていた家をやけに真剣に見ていた。

 サイラスは、今現在この家に住んでいる老夫婦と面識がある。気の良い老夫婦で、子はいない筈だ。


「おい、あんた。この家の人間に何か用事か?」

「…………」


 男がゆっくりとサイラスの方を振り向く。

 フードの下から見える髪は、柔らかそうな金髪。

 包帯の隙間から見える目は、水色に緑を一滴混ぜたような碧眼。

 その目を、どこかで見たことがある気がした。


「やぁ、久しぶり」

「あぁ?」


 眉をひそめるサイラスに、男は柔らかな声で告げる。


「リーダー」


 それはサイラスにとって思い出深い言葉だ。

 子どもの頃のサイラスはガキ大将で、年下から尊敬されたくて、俺のことはリーダーと呼べ、とよく口にした。

 それを、幼い友人にたしなめられたのだ。


『サイラス兄さん、リーダーって何のリーダー?』

『とにかくリーダーだ。だから俺をソンケーしろ』

『尊敬されたければ、それに見合う行動をしないと』

『……おい。おめぇは本当に六歳か?』


 懐かしいやりとりが胸を揺さぶる。

 あの時、サイラスの目の前にいた少年と同じように、目の前の男はコトリと小首を傾げた。


「この呼び方はいけなかった? 今の貴方は、尊敬に値する大人だと思っているのだけれど」

「……っ、ア……」


 サイラスは数回、口をパクパクとさせ、掠れた声で記憶の中の少年の名を口にする。


「……アイク? アイザック・ウォーカー?」


 包帯で覆われた顔は表情が読めない。

 ただ、微笑むみたいに碧い目が細められた。


「久しぶり、サイラス兄さん。……リーダーの方が良かった?」

「お前、生きてたのか……っ! お前達が乗った馬車は、地竜の群れに遭遇したって、聞いて……」


 サイラスの隣人であったアイザックは、竜害で医師の父を亡くした後、母親と幼い弟と共に町を出ようとした。

 だが、その馬車が地竜に襲われ、生き残りは殆どいないと言われていたのだ。

 その時の被害者と生き残りの正確な情報を、サイラスは知らなかった。あの時は生死不明の人間が多すぎて、情報が錯綜していたのだ。

 もしかして、彼の母親と弟も助かったのだろうか。一抹の期待を抱くサイラスに、アイザックは少しだけ俯き、告げる。


「……うん。生き残ったのは、僕だけだった」


 サイラスは言葉を失った。

 当時のアイザックは六歳だったのだ。

 くそっ、くそっ、と声に出さず悪態を吐き、サイラスはアイザックの顔を覆う包帯を見る。


「その包帯は……」

「地竜に襲われた時の傷痕があってね。あまり見られたくないんだ」

「……そうか。今は何してんだ? ルガロアで暮らしてる……って話は聞かねぇな。別んとこで暮らしてんのか?」


 サイラスの問いに、アイザックは無言を返した。

 包帯の隙間から見える口元は、曖昧に笑っている。


「なぁ、アイク。もしかして何か困ってることがあるんじゃねぇか? だから、この町に戻ってきて……」

「この町でなら、会っても許されると思ったんだ」

「……?」


 アイザックは少しずれた口元の包帯を持ち上げながら、半分独り言のような口調で言う。


「色々と複雑な立場でね。サイラス兄さんに会えるかどうかも、賭けみたいなものだったんだ。会えたら良いな、ぐらいに思ってた」


 アイザックは真正面からサイラスを見据える。

 まるで、もう二度と会えない人を、その目に焼きつけているかのように。


「久しぶりに、僕のことを知ってる人と話がしたかったんだ。……うん、満足した。ありがとう」

「こら、待て。何一人で満足してんだ、ごるぁ」


 サイラスが早足で詰め寄ると、アイザックはフードの縁を掴んで、俯く。


「サイラス兄さんと、昔みたいにちょっと話せたら良いな、って思ってた。本当にそれだけなんだ」

「ちょっと話して満足してんじゃねぇ。こちとら、積もる話があるんだよ!」


 サイラスが捕まえるより早く、アイザックはヒラリとコートの裾を翻し、サイラスに背を向ける。

 重心のブレない身軽な動きは、訓練を受けている人間のそれだ。


「……ごめんね。あまり、時間が無いんだ。もう行かないと」

「おい、待て、アイク!」


 その場を立ち去ろうとする背中に、サイラスは怒鳴る。

 胸を張って尊大に、自信に満ちた偉大な魔術師のように。


「今の俺は七賢人だ! 七賢人〈竜滅の魔術師〉サイラス・ペイジだ! ……知ってるか、七賢人? 魔術師の頂点ってやつだ」

「……うん。よく知ってるよ」

「だから……」


 サイラスは一度だけ奥歯を噛み締める。砂を噛むような心地がした。

 言え。ここで言わなくては、自分はきっと、二度とこの言葉を口にできなくなってしまう。


「お前が何か抱えてんなら、リーダーを頼れ! 俺が……()()()()()()()()()()()()!」


 本当は「全部なんとかしてやる」と言いたかった。

 でも、これが今のサイラスの精一杯だ。


(頼れ。頼れよ、アイク。そしたら俺は、沈黙の姐さんみたいに全力を尽くしてやる。今度こそ、絶対に)


 サイラスが必死の形相でアイザックの背中を睨みつけていると、アイザックは足を止めて振り返った。


「……うん。ありがとう、リーダー」


 言葉に込められた気持ちは、届いただろうか。

 きっと、届いたはずだ。彼は昔から、察しの良い少年だったのだから。

 サイラスは気恥ずかしさを誤魔化すように、撫でつけた金髪を意味もなくさする。


「俺ぁまだまだ駆け出しだし、沈黙の姐さんみたいにゃいかねぇが……まぁ、あれだ。殴り合いなら大体負けねぇ……」

「ちょっと待った」


 唐突な早口で言葉を遮られた。

 自分は何か変なことを言っただろうか? キョトンとするサイラスに、アイザックが早足で詰め寄り、やけに低い声で問う。


「沈黙の、姐さん?」

「おぅ、知ってっか。〈沈黙の魔女〉。俺の先輩だ」

「……姐さん? なんで?」


 なるほどアイザックは、サイラスが年下のモニカを姐さんと呼んでいることに違和感があるのだろう。

 サイラスは腕組みをし、ウンウンと頷きながら、もっともらしい口調で言った。


「そりゃあ、向こうが先輩だからな。あの人はすごいぜ。あんなナリだが度胸がある。……どうした?」

「…………。なんでもないよ」


 包帯で隠れて見えないが、なんだかやけにキラキラした笑みを向けられたような気がした。





 サイラスは知らない。

 アイザックが笑顔の裏で、なんてややこしい人間関係なんだと密かに驚愕していたことを。


(……勿論、僕のお師匠様が後輩に慕われているのは、嬉しい限りなのだけど)



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