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サイレント・ウィッチ(外伝)  作者: 依空 まつり
外伝10:竜滅の魔術師
204/425

【18】茶渋落としの天才曰く「塩で磨くんだよ」


 竜騎士団第七調査団の団長ダニングは白髪混じりの黒髪を撫でつけた、五十手前ぐらいの陰気な男だった。

 どちらかというと小柄で細身で、知的な面差しに眼鏡がよく似合っている。

 竜騎士団より、教壇に立って教鞭をとっている方が似合いそうだ、とモニカは密かに思った。


「ようこそ、お越しくださいました。〈沈黙の魔女〉様、〈竜滅の魔術師〉様」


 駐屯所の応接室で、ダニングはニコリともせずそう言った。陰気な表情通りの陰気な声だった。

 モニカとサイラスが通された部屋は、応接室と言っても実際は少し広めの事務室のような質素な部屋である。

 座るよう勧められた椅子は頑丈で、無骨なつくりをしていた。きっと、大柄な男性が使うことを想定しているのだろう。小柄なモニカが座ると、足が床につかない。

 足のつかない椅子に座ると、モニカはなんとなく足をプラプラと揺らしたくなるのだが、今はキチンと姿勢を正してダニングと向き合った。

 自分は今、七賢人として、サイラスの先輩としてこの場にいるのだ。少しでも威厳を見せたい。


「調査状況を、教えてもらえますか?」

「はい。ダールズモアの赤竜が最初に目撃されたのは、およそ一ヶ月前。以降、山の麓近く──人の領域での、目撃情報が相次ぎました。雌でかなりの大型です」


 ダニングは地図を広げて、赤竜の目撃情報があった場所を順番に指差した。

 広大な山岳地帯であるダールズモアは、渓谷を境界線にして、竜の領域と人の領域で線引きがされている。

 そして、赤竜の目撃情報が相次いでいるのが、人の領域と渓谷付近にある森林地帯だ。

 赤竜の目撃情報は非常に点々としており、麓近くと渓谷近くをウロウロと行き交っているようにも見える。

 サイラスが皺を寄せて、呟いた。


「随分と目撃位置が離れてるな……念のために聞いとくが、赤竜が二匹いるってオチはねぇだろうな? 上位種の竜は群れる生き物じゃねぇが、たまたま二匹同時に人の領域に下りてきたとも限らねぇ」

「体長、尾の長さ、鱗の色味、その他細かな特徴が一致しているので、可能性は低いと思います。……無論、貴方様の意見も視野に入れておきましょう。確実に竜を屠るために」


 ダニングの言葉にモニカは密かに息を呑む。

 確実に竜を屠るため──そう口にするダニングの目に宿る殺意は本物だった。


(ダニング団長が、討伐推奨派ってのは、本当なんだ……)


 ダニングはモニカの動揺を察したかのように、眼鏡の奥でギョロリと目を動かしてモニカを見据える。

 最年少の七賢人であるモニカに対し、身分のある人間が向ける目は、大抵が侮るような目か値踏みするような目だ。ダニングは後者だった。

 この男はモニカを──〈沈黙の魔女〉の魔術師としての力だけでなく、竜に対する心構えを、値踏みしている。

 モニカが顔を強張らせていると、サイラスが低い声で言った。


「赤竜の鱗はあるか? 血でも皮膚片でもいい。それがあれば、俺の魔導具でかなり正確に追跡できる」


 サイラスが懐から懐中時計に似た魔導具を取り出して言うと、ダニングは目を見開いた。

 陰気な顔に初めて喜色が浮かぶ。


「えぇ、鱗がございます。……実に素晴らしい。わたくしは確実なことを好みます。……あなた方がいれば、きっと確実にあの赤竜を仕留めることができるでしょう」

「……あの」


 モニカが言葉を遮ると、ダニングの顔から喜色が消え、また陰気な表情に戻る。


「なんでしょうか、〈沈黙の魔女〉様?」

「……もう赤竜と接触はできましたか? 対話は?」


 上位種の竜は人間の言葉を理解できるが、竜の体で発声することは難しい。

 だから大抵上位種の竜は、精霊が使う言語で発声する。

 精霊言語は竜騎士団の調査員なら習得している人間がいるはずだ。かくいうモニカも、一応聞き取りぐらいはできる。

 もし、人里近くに現れた上位種の竜に、なんらかの目的なり理由なりがあるのなら、交渉次第で平和的に帰ってもらうこともできるはずだ。

 だが、ダニングは首を横に振った。


「向こう側から対話の意思は見られません。現れては消え、現れては消えての繰り返しです。竜は時に、戯れで人を殺す。そうなる前に、確実に処分するのが一番でしょう」


 この人は本当に対話を試みたのだろうか、とモニカは不安になった。

 人が報復を恐れて上位種の竜を無闇に狩れぬように、竜もまた、人の報復の恐ろしさを知っている。

 だから本来なら、上位種の竜は意味もなく人前に現れたりはしないのだ。

 事は慎重に見極めるべきだ、とモニカは思う。

 それこそ、どこぞのうっかり黒竜のように、喉に鳥の骨が刺さったから誰かに取ってほしいだけだった、という可能性もゼロじゃない。

 モニカは慎重に口を挟んだ。


「……魔法生物学者の、見解は?」


 竜の調査をする時は、その生態に詳しい魔法生物学者を同行させることが多い。大抵の魔法生物学者は、竜との対話を試みようとするはずだ。

 だが、ダニングは陰気な顔を不服そうに歪めて、首を横に振った。


「必要ありません、あんな連中。魔法生物学者など、理想論ばかり掲げて現実を見もしない愚か者どもの集まりだ。わたくしは、あの連中に足を引っ張られるのはごめんです」


 ダニングの声には、明確な憎悪と苛立ちが滲んでいた。

 その憎悪に気圧され、モニカが黙り込むと、ダニングは己の激情を押し殺そうとするかのように、眼鏡を指先で押さえる。


「今夜は明け方にかけて雨が降るそうです。そうなると、水に弱い赤竜は飛べなくなる……明日の朝一番に、山に入りましょう。お二方のご活躍に、期待しております」



 * * *



 ダニングとの打ち合わせを終えたサイラスは、モニカと共に部屋を出たところで深く息を吐こうとし、その息を呑み込んだ。

 駐屯所には、何人か竜騎士団員達の姿が見える。彼らはサイラスとモニカをチラチラと見ていた。

 最初は、新米七賢人である自分や、見るからに子どもじみた容姿のモニカを侮っているのかと思ったが、すぐに違うとサイラスは気がついた。

 彼らは自分達を値踏みしている。そして、期待している。

〈竜滅〉を名乗るサイラスと、二大邪竜を倒した〈沈黙の魔女〉が、赤竜をどうにかしてくれると。


(……くそっ)


 サイラスは込み上げてくる苦い感情が口からこぼれぬよう、歯を食いしばる。

 少し前まで、サイラスはどこにも所属していない魔術師だった。だから期待なんて背負わなくて良かった。

 だが、今のサイラスは七賢人なのだ。向けられる期待も相応に重くなる。


(これが、七賢人になるってことか)


 肩書きの重みは、そのまま期待の重みだ。

 その期待に自分は応えられるだろうか。全部俺に任せろ、なんとかしてやる。と言えるだろうか。


(怯むな。〈竜滅〉を名乗ると決めただろうがよ。どんな竜でもぶっ殺す、強い魔術師になるって)


 既に日は落ち、窓の外は真っ暗だった。微かに湿った土の匂いがする。ダニングの言っていたとおり、じきに雨が降るだろう。


「雨が降る前に、宿に戻りましょう」


 モニカが小声で言った。

 見下ろした少女は固く強張った顔をしている。彼女もまた、周囲の期待を重く感じているのだろうか──感じていない筈がない。天才魔女と言っても、サイラスより年下なのだ。


(女子供を前に、何やってんだ俺ぁ。シャキッとしねぇと)


 自分にそう言い聞かせ、サイラスは竜騎士団員からランタンを借りる。

 駐屯所から宿までは徒歩で十分程度だ。わざわざ馬車を用意させるまでもない。


「姐さん、俺が先を歩くから、ついてきてくれ」

「あ、はい」


 サイラスが先を歩くと、モニカが小走りで後を追う。

 しまった、歩幅が違うのだった。と気づき、サイラスは歩く速度を落とした。

 改めて見ると、小さな少女だ。一応十九歳らしいのだが、十代半ば程度にしか見えない。

 こんな少女がウォーガンの黒竜を退け、レーンブルグの呪竜を討ち取ったなんて、今でも俄かに信じがたかった。

 明日から調査することになるダールズモアの赤竜は、黒竜や呪竜よりは格下だが、それでも危険種だ。


「姐さん、話を聞いた限り、今回の赤竜はかなりの大型だ。体のデカさはそのまま魔力量に比例する。弱点の眉間を狙っても、三重強化術式じゃねぇと仕留められねぇ。一筋縄じゃいかねぇ相手だ」

「は、はいっ」

「おまけに、あの神出鬼没の行動パターン。ありゃぁ、人間を揶揄うタイプの可能性が高い。……俺の経験上、そういう竜は遊び感覚で人を狩る」


 上位種、下位種問わず、竜の中にはそういう狩りを好む気質のものがいる。

 そういう竜に追い回され、悲惨な末路を辿った人間をサイラスは何人も見てきた。


「今回の仕事、竜狩りの中でもかなり難易度が高ぇやつだ。七賢人を呼んだのも頷ける」


 語りながらサイラスは考える。

 ──まるで、失敗した時の言い訳をしているみたいだ、と。


(俺ぁ、ビビってんのか? だから、上手くできなかった時の理由を並べ立ててんのか? こんなチビに……)


「なんとか、しましょう」


 サイラスの思考を遮るように、モニカが言った。

 こちらを見上げる丸い目は、ランタンの灯りを反射して、緑がかった色に輝いている。


「だって、わたし達は七賢人だから」


 幼い顔は、どこか無機質な無表情だった。

 その無表情に奇妙な凄みを感じ、サイラスが息を呑んでいると、モニカはへにゃりと顔を緩めた。

 そうしていつもの頼りなく眉を下げた表情で、指をこねながら恥ずかしそうに言う。


「わたしじゃ頼りないかもしれませんが、先輩としてサポートします……えっと、えっと、わたし、竜の眉間を撃つぐらいならできます、ので!」


 最後の方でサラリとすごいことを言われた気がする。

 笑えばいいのやら、呆れればいいのやら、どんな顔をすれば良いのか分からないまま、サイラスはぎこちなく言った。


「三重強化だと、当てるのはかなりの至難の業だぜ?」

「いっぱい計算すれば当たるので、大丈夫です。水竜よりは、全然簡単なので……」


 多重強化術式は魔術の威力を上げることができるが、その分、詠唱が長くなるし、維持も難しい。命中率もかなり落ちる。

 いっぱい計算すれば、とモニカは言うが、どれだけの計算をすれば三重強化で確実に赤竜の眉間を貫けるのか、サイラスには見当もつかない。

 だからサイラスは攻撃魔術を飛ばすのではなく、多重強化した雷の槍にして、直接竜の眉間を貫く戦い方をしてきたのだ。


「姐さん、あんたもしかして、三重強化も無詠唱で……」

「で、できますっ」


 できるのかよ、とサイラスは声に出さず慄く。

 かつて、二十を超える翼竜を一瞬で撃ち落とした魔女は、苦笑を浮かべて言った。


「竜を討つのは、簡単なんです。簡単じゃないのは、いつだって……人間の方だから」


 淡々と事実を口にしているような口調が、サイラスに知らしめる。

 今、自分の横を歩く小さな少女は、本物の天才なのだと。


「俺ぁ、自分なんかが七賢人になって良いのかって、不安になってきたぜ」

「さ、最初は誰でもそうだと思いますっ……ううん、わたしは、今でもそう思うけど……」


 指をこねていた小さな手が、ギュッと握りしめられる。

 モニカは幼い顔に決意を滲ませて、宣言するように言った。


「今は、自分にできることをやろうって、思うんです」


 その言葉は、驚くぐらいストンとサイラスの胸に落ちる。


(そうだ、どんなにゴチャゴチャ考えたところで……自分にできることをやるしかねぇんだ)


 その結論のシンプルさが、サイラスは妙に気に入った。

 ククッと喉を鳴らし、サイラスは唇の端を持ち上げる。


「姐さん、あんた、若ぇのに俺より肝が据わってんなぁ」


 素直な賞賛にモニカは驚いたように目を見開き、恥ずかしそうに赤面した。

 小さな手が、またモジモジと指をこね始める。


「わたし、最近弟子ができたので……ちょっと、頑張ろうって思って、ですね……」

「そんな若ぇのに、弟子がいるのか? そいつぁ、大したもんだ」

「すごいのはわたしじゃなくて、弟子なんですっ!」


 フスッと鼻から息を吐き、モニカは目を輝かせる。


「ある日、ティーカップがすごく綺麗になってたんです」

「……お、おぅ?」

「わたしの弟子は、茶渋を落とす天才です!」


 サイラスは返す言葉に困った。

 これは、場の空気を和ませようという、先輩なりのジョークなのだろうか。

 小さな先輩は、パタパタと無意味に両手を動かしながら、更に力説する。


「あと、お料理! どんな食材も、魔法みたいに美味しくなるんです! 酸っぱいプラムは美味しいケーキになるし、食べるところが少ない魚は美味しいスープになるし、あ、あと、わたしは羊肉苦手なんですけど、弟子が作ってくれた羊肉の煮込みはパクパク食べられました!」

「…………」


 サイラスは言葉を選びに選んだ末に、思ったことをそのまま口にした。


「姐さん、それ、使用人……」

「あのっ、魔術っ、魔術もすごいんですよっ!」


 それから宿に着くまで、モニカは自分の弟子がいかに優秀かについて熱弁を振るった。

 だが、どうにも最初のインパクトが強すぎたせいで、サイラスの頭の中では、小さな先輩の弟子は、茶渋落としの天才で、家事上手な姉ちゃん──というイメージが定着してしまったのである。


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