【13】ワァワァ
「シリルさみゃっ、大変っ、大変でふっ! テューレっ、トゥーレは、どこですかぁっ!?」
「落ち着け」
シリルが腕組みをしてピシャリと言うと、モニカはビシッと背筋を伸ばした。
シリルは先ほどまで頭を占めていた動揺や葛藤を隅に追いやり、毅然とした態度でモニカと向き合う。
「トゥーレが一体、どうしたと言うんだ?」
「はいっ、あのっ、えっと、〈竜滅の魔術師〉様が、竜を見つける魔導具を持ってて……っ」
「……〈竜滅の魔術師〉?」
聞いたことのない名前である。
シリルが眉根を寄せると、モニカはローブの胸元を抑えて、スーハーと深呼吸をした。
どうやら少しは落ち着いてきたらしい。
「新七賢人に選ばれた〈竜滅の魔術師〉サイラス・ペイジ様が、竜を見つけ出す魔導具を所持しています。今、〈翡翠の間〉の近くにいらっしゃるのですが、魔導具の効果範囲は大体城の庭園まで……です」
ようやくシリルにも事情が飲み込めてきた。
シリルは先ほど中庭の辺りでラウルと会って、立ち話をしている。その時は、イタチに化けたトゥーレとピケも一緒だったのだ。
おそらくモニカは、ラウルからその話を聞いて、大慌てでトゥーレを探していたのだろう。
「そういうことなら、ひとまず安心していい。トゥーレはピケと一緒に、街を散策している」
「えっ、そうなんですか?」
「あぁ、流石に懇親会の会場に連れてくる訳にはいかないから、街で時間を潰すように言ってある」
無論、〈竜滅の魔術師〉が城にいる間は油断できない。
〈竜滅の魔術師〉の動向を気にした上で、トゥーレには、しばらく城には近づかないように言い聞かせておいた方が良いだろう。
シリルがその段取りを考えていると、モニカはホゥッと安堵の息を吐いた。
「よ、良かったぁぁぁ……」
ヘニャリと眉を下げて笑う幼い顔が、次の瞬間、何かを思い出したかのようにハッと強張る。
モニカは一瞬チラッとシリルを見上げて、またすぐに俯き指をこねた。
いかにも言いづらいことを言おうとしているモニカの態度に、シリルは酷く不安になる。
──もしかして、先ほどまでの己の葛藤が、伝わってしまったのではないか?
そんなことあり得ないと分かっている。それなのに、不安と動揺でシリルの全身からサァッと血の気が引いていく。
青ざめ立ち尽くすシリルに、モニカはモゴモゴと唇を動かしながら言った。
「あ、あの、シリル様……レーンフィールドの、ハワード様のお屋敷で……わたし、その、失礼なことを……」
その言葉に、シリルは泥酔したモニカの奇行を思い出す。
何故か肉球に執着しだし、そして最後はローブを脱ぎ捨てて……。
「──っ!!」
一瞬チラリと見えた肌色を思い出し、足元に下がった血が一気に逆流して頭に上っていく。
シリルは咄嗟に口を開いた。
「見てない! 私は何も見ていない!」
「…………え」
モニカは口を半開きにして、シリルを見上げた。
気まずくなったシリルは、動揺する心臓を宥めながら目を逸らす。
落ち着け落ち着け落ち着け、と自分に言い聞かせていると、モニカがポソポソと小声で言った。
「見てない、ですか?」
「あぁ、見てない」
「そ、そうですか」
モニカはホッとしたように表情を緩めて、胸を撫で下ろしていた。
シリルも同じような心境だった。
きっとモニカは自分の裸を見られたと思い、そのことを酷く気にしていたのだろう。誤解が解けて何よりである。
* * *
モニカは胸の内で密かに喝采をあげていた。
(シリル様は、わたしのこと見てなかった! そっかぁ……そっかぁぁぁ……!)
リンやエリオットは、シリルがモニカの醜態を目撃したとか、不快感を露わにしていたとか言っていたが、きっと誤解だったのだろう。
だって、シリルが本当にモニカの醜態を目の当たりにしたのなら、シリルはきっとモニカを叱るはずだ。
セレンディア学園の元生徒会役員があのような醜態を晒すとは何事だ! ──といった具合に。
(シリル様、怒ってない! わたしの醜態は見られてなかった! 良かったぁぁぁ!)
もうそれだけで、モニカは泣きそうなほどホッとしていた。どんなに覚悟を決めたところで、やっぱり好きな人に怒られるのは辛い。
トゥーレの件もひとまず安心。レーンフィールドでの醜態は見られていなかった。
懸念していたことが一気に解決し、張り詰めていたモニカの気が少し弛む。
ふへっ、と息を吐いてシリルを見上げたモニカは、シリルの髪型がいつもと違うことに気がついた。
いつもは首の後ろで括られている髪が、少し高い位置で結われ、細いリボンが揺れている。
(いつもと違う、シリル様だぁ……)
なんとなく貴重な気がして、まじまじと眺めていると、モニカの視線に気づいたのか、シリルが気まずそうに右手を首の後ろに添える。
「これは従兄弟が……」
呟き、シリルはリボンと髪紐をスルリと解いた。
そうしていつもみたいに、首の後ろで手早く括り直す。
「戻しちゃうんです、か?」
「あぁ」
シリルは目を細め、小さく笑った。
眉を少しだけ下げた笑い方は、苦笑にも自嘲にも見える。
「……いつも通りで、良いんだ」
自分に言い聞かせるように呟き、シリルはリボンをポケットにねじ込む。
そんなシリルの態度に、モニカはほんの少しだけ距離を置かれたような寂しさを感じた。
そのほんの少しの距離を埋めたくて、近づきたくて、モニカは衝動的に口を開く。
「わ、わたしはどっちも……」
言いかけて、気づく。
シリルは自分の容姿に言及されることが苦手なのだ。
どっちも素敵だと思います。格好良いと思います。といった容姿を評価するような言葉は、シリルを困らせてしまわないだろうか?
「どっちも……その……」
不自然に口ごもるモニカを、シリルが怪訝そうに見る。
モニカは内心頭を抱えた。
シリルの容姿を世間一般の基準と照らし合わせて評価するのではなく、あくまでモニカ・エヴァレット一個人の感想であることを伝えるのに最適な言葉とは何か。
モニカは己の拙い語彙をかき集め、そして口にした。
「いつものシリル様も、いつもと違うシリル様も、どっちも好きですっ!」
モニカは沈黙した。シリルも沈黙した。
そうして十秒ほど沈黙を共有した後、シリルが真顔で口を開いた。
「そうか」
生徒会室で事務報告を受けた時のような表情と口調だったので、モニカも同じような口調で「はい」と頷いた。
「〈竜滅の魔術師〉の件、忠言助かった。今後も充分に注意する」
「はい」
「では、また」
「はい、失礼します」
二人は互いに背を向け、早足でその場を立ち去る。
そうして廊下の角を一つ曲がったところで、モニカはしゃがみこみ、頭を抱えた。
(わぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ──っ!)
頭の中を「わぁー!」という言葉だけが占める。
モニカは心を落ち着かせたい時、よく数式や魔術式に想いを馳せるのだが、今はビックリするぐらい数式も魔術式も浮かばなかった。
ただただ、「わぁー! うわぁー!」しか言葉が出てこない。
しゃがみ込んで一通りワァワァしたところで、モニカは真っ赤になってプルプル震えた。
(わたしの馬鹿! わたしの馬鹿! もっと他に言いようがあったでしょ!)
声に出さずに己を罵倒し、モニカはフゥフゥと荒い呼吸を繰り返した。
幸いシリルはいつもと変わらない態度だったし、特に意味深に捉えたりはしていないだろう。
後輩の戯言だと思ってどうか聞き流してほしい、できれば忘れてほしい。
(大丈夫、シリル様、いつも通りだったもん。大丈夫、大丈夫、大丈夫……うん、よし)
モニカは赤くなった顔を誤魔化すように、ローブのフードを目深に被り、コソコソと歩きだす。
今は一刻も早く戻って、時間稼ぎをしてくれているラウルとアイザックに、トゥーレは大丈夫だと伝えなくては。それ以外のことは考えるのをやめよう。でないと、きっと転ぶ──と思った瞬間。
「ひぎゃっ!」
モニカはローブの裾を踏んづけてベシャリと転んだ。
* * *
モニカと別れたシリルは、廊下の角を一つ曲がったところで、頭を抱えて立ち尽くした。
今、彼の頭の中を占めているのは、「わぁぁぁぁぁ!」という叫びだけだ。
そうして一通りワァワァし、人間の言葉を思い出したところで、シリルは己に言い聞かせた。
(彼女は髪型で人間を判断したりせず、後輩として私を慕ってくれているという意思を伝えただけであって、あの発言に深い意味は無い。だから調子に乗るな私。落ち着け、冷静になれ……っ)
シリルは己の頬をバシンと叩いて気合を入れ直すと、きつく唇を固く引き結び、ズンズンと早足で懇親会の会場に向かう。
(私はモニカの先輩だ。腑抜けた態度で醜態を晒すなどもってのほか! 常に気を引き締め、毅然とした態度で物事に挑まねば!)
懇親会はまだ始まっていなかったが、開始時刻が近いためか、会場には先ほどより人が増えていた。
他の役員と談笑していた従兄弟のカーティスが、シリルに気づいてヒラヒラと片手を振る。
「おや、髪型、戻してしまったのかい? なんだいなんだい、折角お洒落にしたのにぃー……うん? んんん? 君、なんだか顔が赤くない?」
「少々気が弛んでいたので、己の頬を張って気を引き締めてきました」
「……そんなやり方で気を引き締める人間、本当にいるんだねぇ。うーん、本当に大丈夫かい?」
「問題ありません、いつも通りです。他の役員の方に挨拶をして参ります」
硬い口調で言い、シリルは上級役員達の方へ向かう。
その背中を見送り、カーティスはポツリと呟いた。
「……また右手と右足が同時に出てるぞぅ、シーリルくぅん?」




