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サイレント・ウィッチ(外伝)  作者: 依空 まつり
外伝10:竜滅の魔術師
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【11】スタイリッシュ・コードネーム募集中

「は、早まるな──っ!」


 そう言って己の腰にしがみつくシリルに、リンは「はて?」と首を捻った。

 だがシリルはそんなリンの態度が見えていないのか、早口で言い募る。


「その若さで身投げを考えるなど、きっと私には想像もできないような辛いことがあったのだろう。だが、えぇっと……と、とにかく私が話を聞くっ! 話を聞いて、できる限り力になると約束しようっ。だからゆっくりこちらに戻ってくるんだ……っ」

「…………」


 なるほど身投げ、とリンは納得した。

 どうやらこの青年には、空へ飛び立とうとしたリンが投身自殺を考えているように見えたらしい。

 確かにここは四階。普通の人間が落ちたら大怪我か、最悪命を落とす高さである。


「何一つとして早まっておりませんし、わたくしは身投げも考えておりません」

「……?」


 シリルは怪訝そうな顔をしつつも、リンの体から手を離さなかった。

 油断して手を離した瞬間に、リンが身投げをするとでも思っているらしい。

 リンはしばし考えた。自分は風の精霊で空を飛べると言ってしまえば簡単なのだが、ルイスに必要以上に正体を明かすなと言われている。

 あくまで人間の振りをしたまま、これは身投げではないと信じてもらうにはどうすれば良いか。

 リンは、動揺し青ざめているシリルをじっと見つめた。相手に誠意を伝えたい時は、相手の目を見て話すことが有効だと本に書いてあったのだ。

 瞬き一つせずに凝視されたシリルは若干たじろいでいるのだが、構うことなくリンは口を開く。


「今から話すことは、どうぞ内密に願います」

「あ、あぁ、無論、秘密は守ると誓おう」

「実はわたくし、可愛いメイドさんは仮の姿なのです」

「…………は?」


 シリルがキョトンと目を丸くする。

 リンは無表情のまま意味深に一つ頷き、告げた。


「その正体は王家に仕え、極秘任務を請け負う、表向きは存在しない秘密部隊の一員。通称『疾風はやてのリン』とはわたくしのことでございます」


 最近読んだ小説の設定である。


「そういうわけで、特殊な訓練を受けたわたくしは、窓から飛び降りるぐらい訳ないのでございます」

「な、なんと、そのような組織が……」

「知らないのも無理はありません」


 なにせ存在しないのだから。とは無論言わないでおく。

 シリルは驚きつつも、リンの嘘をすっかり信じきってしまったらしい。


「ご納得いただけましたでしょうか?」


 リンの言葉に、シリルはぎこちなく「あ、あぁ」と頷いた。

 そして、いまだに自分がリンに抱きついた姿勢のままだということに気づいた彼は顔を耳まで赤くして、飛び退るような勢いでリンから離れる。


「す、すまないっ、早合点とは言え、女性に不躾な真似を……」

「どうぞお構いなく」


 淡々と言葉を返すリンの顔を、シリルはまじまじと見つめた。

 青くなったり赤くなったりと忙しかった顔色が、ようやく平常時の色に戻り、細い眉が訝しげに寄せられる。

 リンはガクンと勢いよく首を傾げた。


「わたくしの顔に、何か?」

「あ、いや……その……」


 シリルは少しだけ口ごもり、意を決したように真っ直ぐにリンを見据えて問う。


「もしかして、貴女はレーンフィールドによく似たご兄弟がいるのでは?」


 リンはいつもゴウンゴウンしているルベルメリアを思い浮かべた。

 同じ春の嵐から生まれた弟分は、瓜二つというほどではないが、そこそこリンと似た容姿をしている。


「はい、弟がおります」

「……!」


 シリルはやっぱり、と言いたげな顔で目を見開き、口元に手を当てて言葉を選ぶような素振りを見せる。

 どうやらルベルメリア絡みで、何か訊きたいことがあるらしい。

 リンが直立姿勢のまま待っていると、シリルは俯き、ボソボソと歯切れの悪い口調で言った。


「弟君は……〈沈黙の魔女〉エヴァレット魔法伯と、親しいの、だろうか?」


 リンは無表情のまま、首を先ほどとは反対側にガクンと傾けた。

 ルベルメリアと〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレットは、先日のレーンフィールドの祭りで知り合ったばかりである。

 それも、リンを交えて少し昔話をしただけだ。

 レーンフィールドでリンはモニカに付き添っていたので、モニカとルベルメリアの間に会話がほぼ無いことを知っている。


「特に親しくはないと思います」

「……え?」


 キッパリと断言するリンに、シリルは驚いたような顔をした。


「その、弟君はエヴァレット魔法伯と、こ、交際を……していたり……」

「そのような事実は無いと断言いたします。弟は人間の女性に興味がありませんし、何よりレーンフィールドから出ることは、まずありません」


 もし人間と契約をしたらルベルメリアもレーンフィールドを離れることがあるかもしれないが、今のところルベルメリアは外の世界にも人間にもそれほど興味がない。


「一体何故そのような勘違いをする事態になったのでしょうか?」


 様式美に則って事態をややこしくした張本人は、大真面目に言った。

 シリルはホッとしたような顔で胸を撫で下ろしている。先ほどまでの張り詰めていた表情も、だいぶ柔らかくなっていた。


「そうか、勘違いか……その、くどいようだが、弟君がエヴァレット魔法伯に一方的に好意を寄せているとかは……」

「それは、貴方のことではないのですか?」


 その瞬間、シリルの顔から表情が消えた。

 半開きのまま固まった唇からは、声どころか呼吸音すら聞こえない。

 蘇生措置が必要だろうか、とリンが考えていると、シリルは表情を失くしたまま、ギクシャクとぎこちない動きで一礼をした。


「忙しいところ、呼び止めてすまなかった。『疾風のリン』殿」


 そう言ってシリルはリンに背を向け、早足で歩きだす。

 右手と右足を同時に前に出して進む後ろ姿を眺めながら、リンは思った。


 ──どうせなら、もっと凝ったコードネームにしておけば良かった、と。



 * * *



 モニカはローブの裾を翻し、城内を走っていた。

 普段の走り方がボテボテなら、今のモニカの走りはボッテンコボッテンコぐらいに必死である。


(わぁぁぁぁん、シリル様、トゥーレ、どこぉぉぉぉ!?)


 一刻も早くトゥーレを城の外に逃さなくては、〈竜滅の魔術師〉サイラス・ペイジの魔導具で見つかってしまう。

 ラウルはシリルを中庭で見かけたと言っていた。だが、中庭と呼ばれる場所だけで、それなりの広さがあるのだ。そもそも、もう別の場所に移動している可能性もある。


(どうしよう、どうしよう、どうしよう……っ、トゥーレの正体がバレたら、シリル様が……)


 城の別棟を繋ぐ渡り廊下から外に飛び出したモニカは、キョロキョロと周囲を見回したが、シリルの姿もトゥーレの姿も見えない。

 次はどこへ向かうべきか、悩むモニカの背後で穏やかな声が響く。


「何かお困りですか、レディ・エヴァレット」


 この一年で、おそらくネロの次によく聞いた声だ。

 勢いよく振り返るモニカの背後に佇むのは、エプロンではなく王族に相応しい立派な上着を着た長身の青年。


「あっ、アイ、でんっ、殿下ぁ」


 最近はアイクと呼ぶことにすっかり慣れてしまったせいで、殿下という呼び方がすぐに出てこない。

 いつも以上に呂律の怪しいモニカに、アイザックはニコリと美しく微笑んだ。


「私に力になれることはありますか、レディ?」


 モニカは咄嗟に周囲を見回した。目に見える範囲に人の姿は無いが、王宮は出入りする人間が多いので油断はできない。

 挙動不審なモニカに、アイザックは周囲に知られるとまずい話だと察したらしい。


「こちらへ」


 アイザックはモニカの手を取って、近くの部屋に移動する。

 城に出入りする七賢人でありながら、いまだに必要最低限の部屋しか使ったことがないモニカと違い、第二王子として出入りしている彼は、どの部屋なら秘密の話に最適かを把握しているらしかった。

 アイザックは扉を閉じると、モニカの耳元に唇を寄せて小声で囁く。


「僕は君の力になれるかい、マイマスター?」


 なんて頼もしい弟子なのだろう。

 特にこの城において、これほど強力な味方はそうそういない。なにせ王子様である。


「大変っ、大変なんですっ、シリル様が……っ」

「シリルが?」


 モニカはワァワァと捲し立てそうになる自分を制し、伝えるべき言葉を整理する。


「新七賢人の〈竜滅の魔術師〉様が、竜の位置を特定する魔導具を持ってますっ。それで、えっと、シリル様がトゥーレと一緒にお城に来てて……っ」


 賢い弟子は、これだけで事態がいかに緊迫したものかを察してくれたらしい。

 すぐに表情を引き締め、モニカに問う。


「その魔導具の効果範囲は?」

「お城の庭までって、言ってました」

「分かった。僕が時間を稼ぐから、君は西棟の方を探してくれ」


 何故、西棟と断言できるのか。

 モニカが不思議そうな顔をしていると、アイザックはニコリと微笑む。


「シリルが来ているなら十中八九、図書館学会絡みだ。今日は図書館学会役員とフィリス妃との懇親会が西棟四階の部屋であった筈。シリルの性格上、午後の懇親会が始まるまであまり離れた場所には行かないだろうから、西棟の庭園か、休憩用の部屋がある三階か四階の辺りにいる可能性が高い」


(わたしの弟子が、頼もしすぎる……!)


 城で行われているイベントも、シリルの性格も把握しているアイザックの頼もしさに、モニカは思わず尊敬の眼差しを向けた。


「あの、ところで、時間を稼ぐって、どうやって……」


 アイザックは少しだけ目を細める。

 見上げたその顔は笑っているようにも、何かを思案しているようにも見えた。


「僕も、新七賢人に挨拶がしたくてね」


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