【4】わたしが守らなきゃ……!
王都に戻るモニカとリンにエリオットは馬車を用意してくれていたのだが、二人はそれを辞退した。
王都に戻る時は時間短縮のためにリンの飛行魔法を使うようにと、事前にルイスに指示されていたからだ。
それだけ、新七賢人決めの予定が押しているのである。
盛大な見送りは不要だと告げたが、エリオットはわざわざ屋敷の前までモニカ達を見送りに来てくれた。
「いやぁ、これでばあやのお小言を聞かなくて良いと思うと、清々するぜ」
「はい。ばあやはこれからも、ぼっちゃまの健やかな成長を願っております」
リンの言葉にエリオットがジトリと半眼になって呻く。
「会話を噛み合わせる努力をしてくれ」
「ばあやとは、いつだって子どもの成長を願うものであると、書物で読みました故」
子ども、の一言にエリオットが頬を引きつらせた。
だが、リンはやはりいつものマイペースさで淡々と告げる。
「三年後の祝祭を楽しみにしております。エリオットぼっちゃま」
エリオットはフンッと鼻から息を吐き、口の端を持ち上げて不敵に笑ってみせた。
「上等だ。三年後は、ばあやの腰を抜かしてやる」
「非常に楽しみです」
告げるリンの声はいつもと同じ淡白さなのに、不思議とモニカには優しく聞こえた。
まるでポプリア・ルッカを口ずさんだ時のように。楽しげに、弾んで聞こえたのだ。
モニカがそんなことを考えていると、エリオットが姿勢を正してモニカに向き直った。
「エヴァレット魔法伯。この度は素晴らしい魔術奉納をありがとうございました。レーンフィールドを代表して、お礼申し上げます」
そう言ってエリオットは深々と頭を下げる。
領主として感謝の意を示すエリオットにモニカはなんともむず痒い気持ちになりながら、それでもきちんと背筋を伸ばして言葉を返した。
「喜んでもらえて、光栄です」
「また、頼んでも?」
サラリと抜け目のないことをエリオットは言う。
モニカはキリリと表情を引き締めて、両拳を握りしめて力強く言った。
「次は、もっと綺麗に音を響かせられるように、改良しておきますね」
「あれよりすごくなるのか……」
エリオットが、驚きに垂れ目を軽く見開く。
「君は、本当に七賢人なんだな」
その一言が、今のモニカには妙に嬉しい。
かつてのモニカは周囲に流されるまま七賢人になり、肩書きなんてただただ重荷でしかなかった。
今のモニカはまだまだ未熟ではあるけれど、それでも背負った役割の重さを理解し、背筋を伸ばして立つことができる。
それはきっと、セレンディア学園で己の役割と向き合い、気高く振る舞う人々の背中を見てきたからだ。
……たとえば、目の前にいる先輩のように。
リンが軽く右手を持ち上げた。たちまちリンとモニカの二人は風の結界に包み込まれ、結界ごとフワリと上昇する。
少しずつ地上から離れていく二人に、エリオットが何かを思い出したような顔で言った。
「そうそう、土産に包んだ『ポプリア・ルッカ』だが……!」
エリオットには幾つか土産を用意してもらっている。その内の一つが棒状の硬い焼き菓子「ポプリア・ルッカ」だ。
その菓子がどうしたのだというのだろう、とモニカが不思議に思っていると、エリオットは口の端を持ち上げてとびきり意地悪な顔でニヤリと笑う。
「一番硬いと評判の店で買ったんだ。是非ともあいつに食わせてやってくれ。飲み物無しで」
「い、意地悪は、駄目ですよ……っ!」
風の結界は急上昇し、エリオットの姿が小さくなる。
レーンフィールドの町を一望できるほど高く上昇したところで、東の空から声がした。
「リーンズベルフィード兄様ぁぁぁぁぁ! ルベルメリアはいつまでも……いつまでも帰りをお待ちしております故ぇぇぇうぉぉぼぉぉぁぁぁぁっ!」
奇声をあげる弟に、リンはサッパリと一言。
「はい、そのうち」
あまり家に帰らない人間が言うようなことを言い残し、リンは王都に向かって真っ直ぐに飛翔した。
* * *
モニカとリンは昼前にリディル王国城に到着し、そこで別れることになった。
リンはこの後、王都にある〈星槍の魔女〉カーラ・マクスウェルの家の掃除に行くらしい。
「それでは、わたくしはこれにて……失礼いたします」
そう言って空を飛んでいくリンは、どことなくウキウキしているように見えた。
実際ウキウキしているのだろう。そのために、リンはメイドになったのだから。
(好きな人のために何かができるって、嬉しい、よね)
そういう気持ちは、人間も精霊もきっと変わらないのだろう。
そんなことを考えつつ、モニカは城内にある己の執務室へ向かった。
その部屋は執務室という名目になっているが、モニカはここで執務らしいことをしたことは殆ど無い。一応机と椅子はあるけれど、殆ど荷物や資料を置く場所として使っていた。
旅の荷物や土産を整理して、七賢人用のローブに着替えたモニカは執務室を出て、魔法兵団の詰め所へ向かう。
今日ここで、新七賢人候補であるサイラス・ペイジの審査が行われるのだ。
魔法兵団の若い団員に案内され、指定された応接室に行くと、そこには他の七賢人達の姿はなく、代わりに意外な人物がソファにもたれていた。
「やっと誰か来たと思ったらモニモニだけ? ちょっとぉ、他の七賢人はまだなの?」
「メ、メリッサお姉さん?」
ソファに足を組んで座っているのは、四代目〈茨の魔女〉メリッサ・ローズバーグであった。
いつも派手なドレスを好むメリッサだが、今日は珍しく魔術師らしいローブを着ている。ソファには上級魔術師用の杖もたてかけてあった。
どうして、ここにメリッサがいるのか? そんなモニカの疑問に答えるように、メリッサは癖のある赤毛を指に巻きつけながら唇を尖らせる。
「大事な話があるから来いって、ばあさん連中に呼び出されたのよ。ついでに新七賢人の審査で魔法戦するから、結界張りを手伝えとか言われてさ」
新七賢人は魔術師界隈全体に大きな影響を与えるので、現七賢人以外にも、魔術師組合、魔法研究所、魔法兵団、魔術師養成機関の重鎮達が参加することは珍しくなかった。
ただ、メリッサが呼ばれたのは、モニカには少し意外だった。
確かにメリッサは名門ローズバーグ家の人間で元七賢人ではあるけれど、現在はどこにも所属していないフリーの魔術師だ。
各機関の役職に名を連ねるメリッサの祖母達ならともかく、メリッサがこの場にいるのは少し不自然な気がする。
メリッサ自身、自分が何故この場に呼ばれたのか、よく分かっていないようだった。どことなく落ち着かなさ気にソワソワしているのも、そのためだろう。
「こういう時の『大事な話』なんてのはさ、『面倒な話』って相場が決まってんのよ。あー、やだやだ」
はぁ、とモニカが曖昧に相槌を打つと、メリッサはモニカを手招きした。隣に座れという意味らしい。
モニカがちょこんと隣に座ると、メリッサは手慰みのようにモニカの頬をこねる。
「あの、お姉さん、なんで、こね……むぎゅぅ」
「これ、さっき耳にしたばかりの情報なんだけどね」
メリッサはモニカの頬をこねながら、とっておきの内緒話をするような顔で耳打ちした。
「第二王子のフェリクス殿下が、登城してるらしいのよ」
「…………へ?」
フェリクス殿下──つまり、アイザックが城に来ている、ということだ。
アイザックはモニカがサザンドールを発つ少し前に、エリン領に戻ったはずだが、その後に登城したということだろうか。
「フェリクス殿下ってさ、王位継承権を放棄してからは殆ど自領にこもってるでしょ」
「えぇと……はい……」
実態は月の半分ほどモニカの家に入り浸っている、というのが正しい。
無論言えるはずもないので、モニカは頬をこねくり回されながら、目を泳がせる。
「最近は公式行事にもあまり顔を出さないし、諸用で王都に来る時も、あまりおおっぴらにお供を連れてはこないのよ。目立たないようこっそり来る感じでさ」
「そ、そうですね……」
「これって、お近づきになるチャンスだと思わなぁい?」
お近づきもなにも、弟子である。
モニカの背中にじわりと汗が滲んだ。どうしよう、猛烈に嫌な予感がする。
メリッサはモニカの頬を両手で包み込みガッチリと固定して、顔を覗き込んだ。
「てなわけで、この仕事が終わったらフェリクス殿下に顔と名前を売り込みに行くから、モニモニ、あんたついてきな」
「な、なんでわたしを……」
「だってあんた、フェリクス殿下と面識あるでしょ? 呪竜退治でさ」
そう、〈沈黙の魔女〉は二年前の呪竜騒動を第二王子と力を合わせて解決したことになっている。
現七賢人の中で第二王子との繋がりが最も強いのは、表向きも裏の顔もモニカなのだ。
「面識のあるあんたがいた方が、話が盛り上がるじゃない。あんた、ちょっと良い感じにアタシのことをフェリクス殿下に紹介しなさいよ」
包み込んだモニカの頬をモミモミとこねながら、メリッサは上機嫌にニンマリ笑う。
「隠居した訳あり王子なんて、金ヅルに最高よね。おまけにあの美貌! イイ男を見るとアタシの肌と心が潤うから、まさに良いことづくめ!」
(わぁぁぁぁ……)
「どーせ金持ってる美貌の隠居王子なんて、気に入った娘の一人や二人、屋敷に囲ってるに決まってるわ」
(しません! アイクはそんなこと、しません!)
「そこで、アタシの薬の出番ってわけよ。ふっふっふ……あーんなお薬や、こーんなお薬を高く売りつけて、大儲け……!」
(アイクは、えぇと、夜遊びしたりもしたけれど、本当はすごくすごく真面目なんですよ! 真面目な良い弟子なんです!)
このままだと、弟子が搾取されてしまう。
モニカは震え上がりながら、弟子は自分が守らねば、と心に誓った。




