【おまけ】押しかけメイド
魔法兵団の一団員であるルイス・ミラーは、祝祭が終わると同時にさっさと荷物をまとめた。
ルイスが宿泊に利用しているのは、本来姉弟子のカーラが使う筈だった神殿の客室だ。
高級木材に飾り彫りを施した贅沢な家具に、絹にみっちりと刺繍を施したクッションやソファカバー。
神殿というよりは、お貴族様の部屋だ──それも成金趣味の。
クッションの一つでも持って帰って売り払ったら、さぞ良い金になるだろう。
勿論、品行方正でお行儀の良い自分は、そんなことしないけれど……などと頭の隅で考えつつ、ルイスは伸びかけの髪を結び直す。
伸ばし始めたばかりの頃は結んでも結んでもボロボロとほつれて面倒だったのだが、最近はだいぶ束ねやすい長さになってきた。もう少し伸びたら、三つ編みにしても良いかもしれない。
きっちり髪を束ねたところで、コンコンと扉をノックする音が聞こえた。神殿の人間だろうか?
下手に引き止められて仕事を押し付けられるのも面倒なので、ルイスは窓から逃げだそうかと一瞬悩んだ。
──その一瞬の間に、扉は開いた。
返事も待たずに勢いよく扉を開けたのは、メイド服を着た金髪の若い女だ。
はて、この神殿にメイドなんていただろうか? とルイスは眉根を寄せる。
この神殿では、メイドがするような下働きの類は全て見習い神官の仕事だ。ルイスの世話係もそうだった。
ルイスが困惑していると、メイドはズカズカと室内に足を踏み入れ、言った。
「おかえりなさいませ、もしくは、いってらっしゃいませ」
「……は?」
「どちらもメイドの基本的な挨拶であると認識しております。この場合、どちらが正しいのでしょうか」
どちらもこの状況に相応しくない言葉である。
なんなんだこの女は……と、謎のメイドをまじまじ眺めたルイスは、その顔に見覚えがあることに気がついた。
「もしかして、あの時の精霊?」
「いかにも、風霊リィンズベルフィード。またの名を可愛いメイドさんです」
そんな「またの名」があってたまるか、とルイスは思った。
だが、それをいちいち口にするのも馬鹿らしい。
ルイスは無言のまま、壁に立てかけておいた杖を手にした。
祝祭の後、ルイスはこの精霊に全力の蹴りをかましている。きっとその報復にきたのだ。
(相手は上位精霊。となると詠唱無しで強力な風を操るはず……詠唱する時間を稼がなくては)
カーラは「まともに戦ったらあんたが負ける」と言っていた。事実、その通りだ。
人間が上位精霊とまともに戦おうと思ったら、魔導具と罠を大量に用意するか、詠唱無しで魔術を行使するような奇跡を起こすしかない。
そのどちらの用意も無いルイスは、その場にある物で時間を稼ぐことにした。
ルイスは詠唱をしながら手にした杖を旋回し、ベッドのシーツに引っ掛けて勢いよく手繰り寄せる。
シーツが大きく広がり、視界を塞いだ。
その僅かな隙にルイスは窓から飛び降りる。ここは二階だが、この程度の高さなら飛行魔術を使うまでもない。
ルイスは窓の装飾に手をかけて、下の階の窓のひさしの上に着地した。
それとほぼ同時に、窓からメイドに化けた精霊が顔を覗かせる。
「くたばれ、クソ精霊っ」
このタイミングで詠唱を終えたルイスは、風の刃をメイドの顔面めがけて容赦なく放った。
メイドがスッと後ろに下がり、風の刃が空を切る。
ルイスは詠唱を続けながら地面に飛び降り、木の影に身を隠して精霊の次の行動を待った。
(窓から出てくるか? それとも……)
「弟弟子殿はわんぱくなのですね」
真後ろから聞こえた声に、ルイスの全身が総毛立つ。
振り向きざまに強化した風の槍を放ったが、メイド服のスカートを揺らすことすらなく風の槍は霧散した。この精霊がルイスの魔術に干渉したのだ。
「風の魔術でわたくしに戦闘を挑むのは、些か無謀かと」
その言葉が終わるより早く、ルイスは風霊の頭に杖を振り下ろしていた。魔法兵団から支給されている上級魔術師用の杖にルイスは勝手に手を加えて、先端の重さを増している。その方が振り回しやすいからだ。
そんな重い杖の一撃は、人間なら頭蓋骨陥没は必至である。だが、メイドはふわりと宙に浮かんでルイスの攻撃をかわした。
「風の魔術は無謀と言われて殴りかかる人間を、わたくしは初めて見ました」
「お前の目的はなんです? 先ほどの報復ですか?」
「……報復?」
風霊は疑問の表明のようにルイスの言葉を復唱した。
そうしている間も、その表情は一切変わらない。まるで人形と話しているような気味の悪さに、ルイスは顔をしかめる。
だが、この状況でルイスが逆転する手は無い。ルイスが少しでも動いたら、精霊は風の刃でルイスを切り刻むだろう。
だからルイスは隙を探るために、渋々ながらも会話に乗ってやることにした。
「そのふざけた格好には一体どんな意味が? 私を油断させるためなら、演技力が足りなかったようですが……」
「伝統的なメイド服であると認識しております。何もふざけておりません」
なんて生産性のない会話だろう、とルイスは悲嘆に暮れた。
正直これ以上会話を続けたくないが、この精霊の目的を知るためには会話を続けるしかないのだ。
「……なぜ、風の上位精霊が、メイド服を、着ているのですか?」
「可愛いメイドさんになるためです」
そろそろ殴っていいだろうか。
密かに拳を握りしめるルイスに、風霊は淡々と言った。
「カーラは家の掃除をしてくれる可愛いメイドさんを所望していました。なので、可愛いメイドさんになった次第です」
「……?」
何を言ってるんだ、と眉をひそめるルイスの脳裏にカーラの言葉が蘇る。
あぁ、そうだ。姉弟子殿は言っていたではないか。
『家の掃除してくれる可愛いメイドさんと結婚したい……』
(あれかぁーーーーっ!?)
絶句するルイスに、風霊は更に言い募る。
「この町を出てカーラの家を掃除するためには、人間との契約が必要です。そこで、貴方にわたくしとの契約をお願いしたいのです。弟弟子殿」
ルイスはゴクリと唾を飲み、内心の動揺を押し殺して思案した。
風の上位精霊との契約は誰にでもできることではないし、魔術師として箔がつく。
七賢人を目指すルイスにとって、これ以上無いほど魅力的な提案だ。
だが自分にこの強力な精霊を御しきれるだろうか、という不安もあった。
なにより、この精霊を森の外に出すことで、カーラに迷惑をかけることは避けたい。
「……断ると言ったら?」
ルイスが慎重に訊ねると、精霊は空模様を確認するかのように空を仰いだ。
「貴方がこの町から出られないように、嵐を起こすこともやぶさかではありません」
カーラが精霊王召喚を四つ同時にこなした後の春の空は、鮮やかな夕焼けの色に染まっていた。
この空に嵐を呼ぶことができる──それだけで、この精霊がいかに桁違いの力を持っているかが分かる。
おそらくこの精霊は、カーラ以外の人間に迷惑をかけることを躊躇しないだろう。
無くしかけていた自我をカーラの力で取り戻したことで、カーラが存在意義の一つになってしまったのだ。
(どうするべきか……)
ルイスが判断に迷い黙り込んでいると、風霊は上に向けていた首を元に戻し、ルイスを見つめて言った。
「それとも貴方は、わたくしと契約するだけの実力が無いのですか?」
「はぁぁあ?」
ルイスが頬を引きつらせて上ずった声を漏らしても風霊は歯牙にもかけず、その場で上品に一礼をした。
「そういうことでしたら、失礼しました。他を当たります」
「待ちなさい」
くるりと背中を向けた風霊が、再びルイスに向き直る。
ルイスはその顔に、今の自分にできる精一杯の愛想笑いを浮かべた。
「分かりました。きちんと正式な手順を踏んだ契約を交わすのでしたら、その話にのりましょう」
正式な手順を踏んだ契約とは、魔術式で主従契約を結ぶことを意味する。
主従契約をきちんと交わせば、この精霊が暴走してもルイスが行動を制限することができるのだ。
自分は決して、この精霊に脅されたり煽られたりしたから契約をするのではない。それが合理的な選択だから契約をするのだ──という体面を保つためには、主従契約は必須である。
あくまで自分が話の主導権を握っているという強気な態度を崩さず、ルイスは言い放った。
「主人と下僕、その関係でよろしいですね?」
「では、よろしくお願いいたします、下僕殿」
「お前が下僕だクソ精霊っ!!」
精霊は無表情のまま「はて?」と不思議そうな声を漏らす。
「一般的に、力が上の方が主人になるのでは?」
「精霊との契約術式は、人間が主人となることを想定して作られているのですよ」
「では精霊が主人となることを想定して、新しく作ってください」
どこの世界に、自分が下僕になる契約術式を作る魔術師がいるというのか。
ルイスは罵詈雑言を飲み込み、深々とため息をつく。
ルイスはいつだって、ふんぞり返って笑うのは強者の権利だと思っている。そして、この精霊が自分よりも圧倒的強者なのは事実なのだ。
「それならば、名目は主従契約ですが、あくまで対等な協力関係として契約を結びましょう。私はお前にメイドをする自由を与えます。その代わりお前は私の契約精霊として、必要に応じて力を貸しなさい」
「名目上は、貴方が主人になるのですか?」
「その方がメイドとして行動しやすいでしょう?」
人間を下僕にしているメイド精霊なんて前代未聞である。
風霊は案外あっさり頷いた。
「なるほど、納得しました。それで構いません」
たとえ名目だけの主従契約でも、この圧倒的な力を持つ上位精霊と契約を結べるのなら上々である。
あとはこの契約を結ぶにあたって、ルイスには一つだけ譲れないことがあった。
「お前が人間社会に害を成す時は、お前の行動を制限する術式を組み込みます。これだけは譲れません」
「では貴方がカーラに害を成す時は、わたくしは全力で貴方を攻撃しますが、構いませんね?」
風霊の言葉をルイスは鼻で笑った。
「えぇ、構いません。そんな日は一生来ないでしょうから」
「名目上でも主人は主人です。敬え駄メイド」とふんぞり返っていたルイス・ミラー氏がどうなったかは、お察しください。




