【4】人事担当ミラー魔法伯の提案
エリオットがモニカの家を訪ねてきた十日後、リディル王国城の〈翡翠の間〉にて、かねてより予定されていた七賢人会議が行われた。
なお、アイザックはモニカがサザンドールを発つ少し前に自領に戻っている。
ネロは「また置いてけぼりか!」とゴネたが、なんとか宥めすかしてサザンドールで留守番をしてもらうことにした。
七賢人会議だけなら連れてきても良いのだが、モニカは会議の後、王都に来ているエリオット、ベンジャミンと合流して、レーンフィールドの町に行くことになっているのだ。
今日の七賢人会議では、モニカが祝祭で魔術奉納を行うことについても冒頭で触れられている。
ただ、この件については、〈結界の魔術師〉ルイス・ミラーが「同期殿が魔術奉納とは珍しい」と口にした程度だった。
今日の七賢人会議は重要議題が多い。それ故、珍しく他の七賢人達も無駄話をせず、〈星詠みの魔女〉メアリー・ハーヴェイの進行に従った。
円卓の前に座すのは、入り口側から時計回りに〈星詠みの魔女〉〈砲弾の魔術師〉〈結界の魔術師〉〈深淵の呪術師〉〈茨の魔女〉、そして〈沈黙の魔女〉──モニカだ。
新年以外で、この〈翡翠の間〉に全員が揃うのは実を言うと珍しい。
それだけ今日の会議は重要なのだ。
「さて、それでは次の議題……新七賢人についてだけれど、ルイスちゃん。報告をお願い」
「えぇ、はい。この度、ようやく……ようっっっやく、新七賢人候補を見つけてまいりました」
噛み締めるようなルイスの声には、彼の苦労がありありと滲んでいた。
なにせルイスは二年近く新七賢人候補を探して、国中を飛行魔術で飛び回っていたのである。
「当初は、飛行魔術の長距離飛行記録保持者である〈飛翔の魔術師〉に目星をつけていたのですが……あの男、散々逃げ回った挙句、とうとう国外逃亡かましまして」
「ルイスちゃんは、彼を推してたものねぇ」
〈飛翔の魔術師〉をルイスが執拗に追い回して七賢人にしようとしていたのには理由がある。
現七賢人の中で飛行魔術をまともに使える人間が、実はルイスしかいないのだ。
〈砲弾の魔術師〉も一応習得しているらしいが、ルイスほど得意なわけではないらしい。
一方、魔法兵団の元団長であるルイスは飛行魔術を得意としているし、風の上位精霊と契約しているので長距離移動もできる。
結果、国内を飛び回る役目をいつも押しつけられていたため、ルイスは躍起になって飛行魔術の得意な七賢人候補を探していた。
飛行魔術の達人である〈飛翔の魔術師〉は、まさにうってつけだったというわけだ。逃げられたが。
「私が推薦する新七賢人候補ですが、〈雷鳴の魔術師〉の弟子のサイラス・ペイジという人物です」
「おぅ、結界の。あのじいさんに弟子なんていたのか? 俺ぁ初耳なんだが」
〈砲弾の魔術師〉ブラッドフォード・ファイアストンが腕組みをして怪訝そうに言った。
あのじいさんこと〈雷鳴の魔術師〉グレアム・サンダーズは、モニカが七賢人になる際に入れ替わりで退任した魔術師である。
かつての戦争では前線に立ち、非常に強力な雷の魔術で国の危機を何度も救っており、竜の単独討伐数も歴代最高記録を未だ保持し続けている、ちょっとすごいおじいちゃんだ。
四年前退任が決まった時点では、〈雷鳴の魔術師〉に弟子はいなかったとモニカは記憶している。
「サイラス・ペイジは一年半前に〈雷鳴の魔術師〉に弟子入りし、最近上級魔術師資格を取得したばかりの無名の魔術師です。二つ名もありません」
ルイスの言葉に何人かが驚愕の表情を浮かべた。モニカもだ。
魔術師の二つ名は、上級魔術師で何かしらの功績がある者に魔術師組合が与えるのが一般的だ。二つ名を決めるのは組合側だったり、或いはその魔術師本人の自己申告だったりと様々である。
モニカの〈沈黙の魔女〉は、ミネルヴァで世話になったラザフォード教授が決めたものだ。
それ以外でも、ラウルやレイのように家系で襲名する場合や、師匠から弟子に譲られる場合などもあるが、一般的に二つ名を持っている上級魔術師というのは、魔術師組合から認められた存在を指す。
そして、今回の七賢人候補であるサイラス・ペイジはまだ二つ名を持っていない──魔術師組合から認められていないのだ。
「二つ名もねぇのに結界のがわざわざ指名したってことは、そいつぁ何かもってんだろ?」
高名な魔術師の弟子だからという理由だけで、ルイスが七賢人候補を指名する筈がない。
ブラッドフォードの言葉に、ルイスは優雅に微笑み頷く。
「サイラス・ペイジは竜討伐専門の魔術師なのです。独学で魔術を学び、中級魔術師になった彼は、どこにも所属せずに竜を狩り続け……先日、単独討伐数が歴代三位になったため、魔術師組合が慌てて彼に上級魔術師試験を受けさせた、という経緯があります」
竜の単独討伐数は歴代一位が〈雷鳴の魔術師〉グレアム・サンダーズ、二位が〈結界の魔術師〉ルイス・ミラーである。
単純に竜討伐をした回数だけなら〈砲弾の魔術師〉もそれなりなのだが、一撃の威力が強力な〈砲弾の魔術師〉は数の多い群れより大型竜の討伐依頼を受けることが多いため、単純な討伐数の順位だと五位か六位止まりだった。
今回、新七賢人候補に選ばれたサイラス・ペイジは、当時中級魔術師の身でありながら、討伐した数だけならブラッドフォードを凌ぐのだという。
話を聞いている内に、モニカも段々とサイラス・ペイジという人物がいかに特殊な魔術師か見えてきた。
一年前に元七賢人に弟子入りし、最近上級魔術師資格を取得したばかりの無名の魔術師。それでいて、竜討伐で確かな実績を残す実力者──おそらく、ルイスに匹敵する武闘派だ。
〈深淵の呪術師〉レイ・オルブライトがボソリと呟く。
「つまり、自分が竜討伐するの嫌だから、竜討伐専門の魔術師を引き抜いたんだろ……」
「当たり前でしょう」
ルイスは悪びれる様子もなく寧ろ堂々と力強く頷き、前に垂れてきた三つ編みを背中に流しながら言った。
「家を買うためにせっせと竜討伐をしてきたというのに、いざ家を買ったら竜討伐が立て込んで家に帰れないなんて本末転倒ではありませんか」
モニカは思わず「うっ」と呻いて胸を押さえた。
モニカとルイスが七賢人になったばかりの頃、モニカが引きこもっていたために、竜討伐のような外回りの仕事は殆どルイスが引き受けていたのである。
一時期は三ヶ月で二十回も竜討伐に駆り出されたルイスの苦労を思うと、モニカには何も言えない。
「そういうわけで、私はこの無名の魔術師サイラス・ペイジを推薦します。近日中に面接と魔法戦による実技審査を実施したい」
ルイスの言葉に反論する者はいない。
この場にいる誰もが、七賢人の空席に危機感を覚えていたのだ。主に自分の仕事が増えるという意味で。
まとめ役のメアリーが、ポンと両手を打ち鳴らして言った。
「それではルイスちゃんの言う通り、迅速に審査を進めましょう。モニカちゃんはこれからレーンフィールドに出張だったわね? こちらで面接だけ先に進めてしまって良いかしら? 実技審査はモニカちゃんが戻ってきてからにするから」
「は、はいっ、大丈夫、です」
そもそも面接官として、モニカに何かができるとは思えない。
モニカがコクコクと頷くと、ブラッドフォードが目を細めてメアリーを見た。
「星詠みのにしては、珍しくせっかちだな」
「実は、あたくしからも報告があるの」
物憂げなメアリーの表情が、それが良くない報告だと語っていた。
そしてメアリーが良くない報告をする時というのは、決まって彼女が不吉の星を詠んだ時なのだ。
「最近、不吉な星の輝きを観測しました。近く竜害が起こることでしょう。そして……」
憂いを帯びた声で告げて、メアリーは円卓をゆっくりと見回し、一人一人の顔を見る。
最後に目が合ったモニカはドキリとした。
いつもは夢見るような眼差しのメアリーが、まるで心を覗き込むかのように、モニカをその目に映している。
それに、酷く胸がざわつくのは何故だろう。
「七賢人に凶兆あり」
その一言が、やけに低く重く聞こえた。
メアリーは長い銀色のまつ毛を伏せて、祈るように呟く。
「どうかどうか気をつけて……各々、大事なものを失うことのないように」
重い空気が室内を満たす。
そんな中、静かに口を開いたのはルイスだった。
「〈星詠みの魔女〉殿、その凶兆というのは、新七賢人候補のサイラス・ペイジも含みますか?」
「いいえ、この場にいる六人だけよ」
「なるほど。ではサイラス・ペイジが無事、七賢人に決まったら……」
ルイスは片眼鏡を指先で押し上げ、宣言する。
「凶兆が出ている我々の代わりに、ガンガン現場に回しましょう」
目が本気だった。
「さ、最低だ。呪術師の俺よりやり方がエグい……人の心が無い」
「おぅおぅ、そのサイラス・ペイジってやつ、七賢人にならない方が幸せなんじゃねぇのか?」
「ルイスさんの手にかかれば、凶兆が出てない奴も、もれなく不幸になりそうだよな!」
レイ、ブラッドフォード、ラウルの言葉に、ルイスは爽やかすぎるぐらい爽やかに笑った。
モニカは知っている。爽やかすぎる爽やかさとは、最早爽やかとは別物なのだ。
「はっはっは。竜狩り、人事、外回り……その他諸々雑用全般を私に押し付けた奴らは言うことが違いますなぁ」
ルイス以外の七賢人達は、新七賢人候補であるサイラス・ペイジに黙祷を捧げた。
* * *
会議が終わった後も、モニカは席に残りメアリーの予言を反芻していた。
──七賢人に凶兆あり。
竜害の予言と時期が重なるということは、単純に考えると竜害で七賢人の誰かが怪我を──最悪の場合、命を落とすということだ。
(竜討伐は怖くないけれど……)
竜害で誰かを失うのは、怖い。
少し前の自分は、竜討伐についてくる竜騎士が怖いだなんて勝手なことを言っていたけれど、今は誰かが怪我をしたり、命を落とすことの方が、ずっとずっと恐ろしいのだ。
そんな当たり前の恐怖にモニカが冷たくなった手を握ったり開いたりしていると、誰かがモニカの肩を叩いた。
振り向けば、ルイスがいつもと変わらぬにこやかな笑顔でモニカを見下ろしている。
「同期殿はこの後、レーンフィールドに出張でしたな?」
「は、はいっ。領主のハワード様と王都で待ち合わせを……」
「実は、貴女に頼みがあるのです」
先程の会議のルイスを思い出し、モニカは思わず唇を真っ直ぐに引き結んだ。
脳裏をよぎるのはウォーガンの黒竜討伐、第二王子の極秘の護衛任務──ルイスの頼みは大抵、無理難題なのである。
警戒するモニカに、ルイスが「実は……」と詳細を語りだす。
その意外な内容に、モニカはキョトンと目を丸くした。




