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サイレント・ウィッチ(外伝)  作者: 依空 まつり
外伝9:精霊の歌、高らかに
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【1】〈星槍の魔女〉

 魔術師養成機関ミネルヴァのギディオン・ラザフォード教授の研究室で、一人の少女が羽根ペンを動かし、論文を書いていた。

 ボサボサの三つ編みに、痩せた体のその少女の名はモニカ・エヴァレット。

 今年で十四歳になる彼女は、このミネルヴァでも数少ない特待生であり、通常授業を免除され、研究室での独自研究を許可されている身であった。


「……でき、たぁ」


 論文を書き終えたモニカは、羽根ペンをペン立てに戻し、書き上げた論文に目を通す。

 広範囲魔術の応用術式に関する論文は、我ながらなかなかに良い出来栄えだった。

 モニカは寝不足で隈の浮いた目を爛々と輝かせ、ふへ……と不気味に笑う。

 その時、モニカの薄い腹がキュルキュルと音を立てた。そう言えば、今朝はご飯を食べていなかった……と思い出したモニカは時計を見て目を丸くする。もう夕方近かった。道理で空腹なわけだ。


(食堂、行かなきゃ……)


 頭ではそう分かっているのだが、どうにも気が重い。

 無詠唱魔術を身につけ特待生になった時から、モニカは周囲に注目されるようになった。

 天才少女──と囁く周囲の声は、いつだって好奇と悪意に満ちている。

 ジロジロ見られるだけでも怖いのに、ヒューバード・ディーと遭遇したらもう最悪だ。無理矢理首根っこを掴まれて、魔法戦の演習場まで引きずっていかれる。


(部屋から出るの、やだな)


 食堂に行くのはおろか、廊下に出て歩くことすら今のモニカには億劫だった。

 モニカは論文を端に寄せて机に突っ伏し、頬をピトリと文机に押し当てる。どうせなら、このまま睡魔が訪れてくれないだろうか。

 寝てしまえば空腹も忘れられるのに……なんてことを考えつつ、モニカは端に寄せた論文を見る。


「これ見たら、バーニー、すごいって言ってくれるかなぁ……」


 特待生になった頃から、バーニーとは疎遠になっていた。

 廊下で見かけたら声をかけたいと思っているのだけど、バーニーは大抵他の人と一緒にいるから、いつもモニカは尻込みしてしまう。

 モニカにはバーニーしか友達がいないけれど、バーニーの友達はモニカだけじゃないのだ。


(バーニーと一緒だったら、食堂行くの、いやじゃないのに)


 食堂で人混みに流されてしまって上手く注文できないモニカに代わって、バーニーは代わりに注文してくれたり、席を確保してくれたりした。たったそれだけのことすら、モニカは一人だとろくに出来ない。

 あそこの席に座ったら近くの人が嫌な顔をしないだろうか、あそこの席に座ったら端に詰めろと思われないだろうか、なんてことをグズグズ考えている間に席が埋まってしまうのだ。

 そんな自分の不甲斐なさに落ち込んでいると、背後で扉が開く音がした。ラザフォード教授だろうか。

 モニカが机に突っ伏していると、ラザフォード教授はいつも拳をグリグリと頭に捩じ込んで「机で寝んじゃねぇ、部屋で寝ろ」と叱る。

 だからモニカはノロノロと上半身を起こして振り返り……目を丸くした。

 室内に入ってきたのは、ラザフォード教授ではなかったのだ。


「おや、師匠んとこの研究生かい?」


 入口のあたりに佇んでいるのは、中肉中背の女性だった。年齢は二十代半ば過ぎぐらいだろうか。

 化粧っ気がなく、背中に届くぐらいの赤茶の髪を素っ気なく首の後ろで括っている。

 身につけているのは擦り切れた旅装だった。服だけでなく、頑丈そうなブーツも背負うタイプの荷物袋も使い込んでいる感じがある。フィールドワークの研究者らしい格好だ。

 女は室内をグルリと見回すと、椅子の上で硬直しているモニカに訊ねた。


「師匠──えぇと、ラザフォード教授は何時頃に戻ってくるか分かるかい?」


 モニカはカチコチに硬直しながら、小さく首を横に振る。

 女はそんなモニカの態度に気を悪くした様子もなく、気さくな態度で言った。


「うーん、じゃあ師匠が戻ってくるまで、ここで待ってて良いかな? 他の教授に見つかると色々と面倒なのさね」


 はいともいいえとも言えず、モニカはただ椅子の上で俯き、指をこねた。


(ど、どうしよう、わたし、部屋出て行った方がいいかな? その方がいいよね?)


 自分なんかがいたら、きっと気分が悪いだろうからという気持ちが半分。知らない人と二人きりになることに耐えられないから、という気持ちが半分。

 その気持ちのままに、モニカは部屋を出ようと立ち上がり──目眩を覚えて、その場にベシャリと転ぶ。


「ひぎゅぅっ!?」


 奇声じみた悲鳴の後に、キュルルルルと物悲しい音がした。

 女は「大丈夫かい?」とモニカに近づき、手を貸してくれる。


「す、すび、すびばせ……わた、わたひ……」


 羞恥心と焦りと空腹でいつも以上に酷い呂律のモニカを、女は嘲笑ったりしなかった。


「お腹が減ってるの? ちょいと待ってな」


 そう言って女は旅行鞄から小さな鍋を取り出し、そこに水袋の水をジャブジャブと注ぐ。

 そして短縮詠唱で実験用のカマドに火を起こし、水をはった鍋を載せた。


「おや、こっちの鍋は実験に使ったやつかい? もう使わない?」


 女が見ているのは、カマドの端に寄せた陶器鍋だ。実験に使った物で、洗うのを後回しにしたせいで、汚れがこびりついている。


「もう、使わない、でふ」

「じゃあ、洗いやすいようお湯を張っとこうか」


 女は再び短縮詠唱で火を起こす。カマドの火が二つになった。

 位置座標を固定した極小火炎魔術は、薪が無くとも静かに燃え続けている。


(この人、魔術の使い方が、上手い)


 短縮詠唱が使える時点で腕が良いのは確かだが、その上、魔力操作に一切の無駄がないのだ。まるでお手本のように美しい魔力操作だった。

 モニカがぼんやりと見ていると、女は更に短縮詠唱を口にする。


(…………え?)


 モニカは思わずカマドの火を見た。カマドには魔術で起こした火が二つ。

 これはそれぞれ別の詠唱で生み出された魔術だ──つまり、女は今二つの魔術を維持している。

 この状態だと、どちらかの火を解除しないと魔術は使えない筈だ。

 だが、女が短縮詠唱を終えると、汚れた陶器鍋の上にプカリと水球が浮かびあがり、サラサラと鍋の中に流れていった。


(今、三つの魔術を使った? あれ?)


「こっちの鍋は汚れを落とす用だから、口にするわけじゃないし、魔力精製した水でいいさね」


 そう呟いて、女が汚れた鍋を指さすと、鍋の中に満たされた水がクルクルと渦を巻くように回り始めた。水が温まるにつれて、汚れも少しずつ落ちていく。

 そうして三つの魔術を維持しながら、女は鞄から乾かした香草やらキノコやらを取り出し、汚れていない方の鍋にポイポイ放り込んでいく。

 そして最後に、木の皮に包んだ白い棒状の何かを取り出した。どうやら小麦を練り固めて棒状にし、乾燥させた生地らしい。

 女はそれをナイフで薄く削って、鍋にボチャボチャと投入した。


(ま、魔術を使いながら、お料理してる……)


 女は当たり前のようにこなしているが、どんなに初級の魔術でも、維持するにはそれなりに集中力がいる。

 それなのに女は魔術の維持など大したことではないような様子で、手際良く料理を進めていった。

 やがて鍋がクツクツと煮立ってくると、香草の良い香りがしてくる。


「いやぁ、懐かしいなぁ。学生時代もよくここで自炊したっけ……おっと、塩は程々にしとこうか。うちの味覚に合わせると、どうにも塩辛すぎるらしくてねぃ」


 学生時代と言っていたから、やはりこの人はミネルヴァ出身の人間なのだ。

 だが、あまりミネルヴァの人間らしくないな、というのがモニカの正直な感想だった。

 ミネルヴァの人間は殆どが貴族の家の人間で、プライドが高く気難しい者や、研究者気質の者が多い。無論、例外もあるし、かくいうモニカも貴族の出身ではないのだけれど。

 女の口調には少し訛りがあったし、貴族らしさはない。


「ほい、できた。ありあわせのもんだけど」


 女は鞄から小さい匙や椀を取り出し、汁物をよそってモニカに差し出す。


「あ、あり、ありりっ、がっ、ござ……っ、まふっ」


 とても礼になっていない酷い言葉だったけど、女は穏やかに笑って「熱いから気をつけてね」とだけ言った。

 モニカはフゥフゥと息を吹きかけ、汁物を啜る。

 汁物は塩で味をつけただけの物だが、干したキノコが良い出汁になっていて美味しかった。

 ナイフで削った小麦の塊はモチモチしていて、案外食べ応えがある。

 ハフハフと小麦の塊を噛み締めながら、モニカは横目で鍋を見た。

 維持された二つの火、魔力で精製された渦巻く水──やはり、三つの魔術を同時に使っているとしか思えない。だが、上級魔術師でも一度に維持できる魔術は二つまでが限界の筈だ。


(それ以上の数を同時維持できる人間なんて、この国には一人しか……)


 そこまで考えて、モニカはようやく気がついた。

 この女はラザフォードのことを師匠と言っていたではないか。

 ギディオン・ラザフォード教授の弟子と言えば、魔法兵団の若き団長〈結界の魔術師〉ルイス・ミラーと、もう一人……。

 一度に七つの魔術を使いこなす大天才と呼ばれた元七賢人。


「……〈星槍の魔女〉様?」

「カーラ・マクスウェル。カーラって呼んでほしいな。あんまり堅苦しいのは得意じゃないのさね」


 そう言ってカーラは細い紙巻き煙草を咥え、魔術で火をつけて美味しそうに吸う。

 煙をひと吐きした後は短縮詠唱で風を操り、モニカの方に煙草の煙がいかないようにしてくれた。





 ラザフォード教授が言うにはカーラは旅人気質らしく、同じところに一週間以上とどまることは滅多にないのだという。

 初めて会った日も、モニカにご飯を作ってラザフォード教授と話をして、すぐにまた旅に出てしまった。

 モニカがミネルヴァに在学している間、カーラは時々ふらりと研究室を訪れた。

 カーラはモニカを見かけると、お土産に珍しい木の実をくれたり、旅先で見たものの話を聞かせてくれる。時にはモニカの研究の相談に乗ってくれたりもした。


 カーラ・マクスウェルはモニカが知る限り、この国で一、二を争う実力を持った本物の天才だ。

 それでいて、気さくで親しみやすいお姉さん。

 それがモニカの知る〈星槍の魔女〉カーラ・マクスウェルだった。


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