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サイレント・ウィッチ(外伝)  作者: 依空 まつり
外伝8:識者の証明
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【おまけ】貴方の未来が幸福に満ちたものでありますように

 父が新しい家族を連れてきた日のことは、今でも覚えている。


「今日からこの家の一員になるシリルだ。よろしく、クローディア」


 銀色の髪を後ろで括ったその少年は、緊張に強張った顔でクローディアに手を差し出した。

 いかにも真面目そうな雰囲気の少年だ。

 着ている真新しい服は、きっと家に着く前に父に与えられたのだろう。似合っているけれど、馴染んではいなかった。

 無言のクローディアに、シリルの顔が段々と不安そうに曇る。そしてその不安を誤魔化そうとするかのように、シリルは胸を張って堅苦しい表情を取り繕った。

 クローディアは少年の頭頂部をじぃっと見つめ、呟く。


「兄ができると聞いていたのだけど………………弟の間違いだったのね」


 この時はまだ、クローディアの方が背が高かったのである。

 思えば義兄がクローディアと張り合いたがるようになったのは、この時の一言が原因だったのかもしれない。



 * * *



 義兄についてどう思うかと問われたら、「特に何も」というのが当時のクローディアの率直な答えだった。

 クローディアは他人に頼られるのが嫌いだ。

 そういう意味で、シリルは決して嫌悪の対象ではなかった。

 シリルはクローディアに対していつも兄らしく振る舞おうとするので、基本的にクローディアに何かを頼ったりしない。

 ただ困ったことにこの兄は、ことあるごとにクローディアと張り合いたがるのだ。

 クローディアにできることが自分もできなければ、後継者として失格だと思い込んでいるらしい。

 だからシリルはいつも勝手にクローディアを引き合いに出して張り合い、無茶をして倒れるのだ。馬鹿馬鹿しいにも程がある。

 ただシリルは、クローディアとやたらと張り合いたがるくせに、不思議とクローディアを恨んだり妬んだりはしなかった。

 あくまで兄らしく振る舞おうとするし、「困ったことはないか?」とか「何かあったら頼ってくれ」などといつも大真面目に言う。

 いつだったかシリルが乗馬の練習に失敗して、擦り傷だらけで足を捻挫して帰ってきた日があった。

 その時のシリルは涙目で足をひきずっていたのに、クローディアを見た瞬間、何事もなかったかのように胸を張って、威厳のある兄の顔で「今戻った」などと言い、スタスタと早足で部屋に戻ったのだ。

 どうあっても、妹の前では立派な兄でありたいらしい。


(面倒な人だわ)


 正直、何度そう思ったか分からない。



 * * *



 シリルがセレンディア学園に編入して少しした頃、珍しく彼から茶室に誘われた。なにやら話したいことがあるらしい。

 用件は概ね察しがついた。

 シリルがクローディアの婚約者であるニールと立ち話をしているところを、クローディアは離れたところから見ていたのだ。


「お前の婚約者に会った」


 その後に続く言葉をクローディアは無言で待った。

 ──ニール・クレイ・メイウッド。下級貴族の男爵家では身分がつり合わない。特に目立つところのない凡庸な人物だ。地味な容姿に低い背の、冴えない少年ではないか。彼の一体どこが良いのか?

 ……どれも、今まで散々言われてきた言葉だ。

 だがシリルはニールと会ったという報告だけをして、用件は済んだとばかりに紅茶を啜る。


「……他には?」

「うん?」

「何か、言うことはないの?」


 シリルはしばし考えるように眉根を寄せ、ティーカップをソーサーに戻して口を開いた。


「あまり長く話したわけではないが……誠実で、信用できる人物だと思った」

「……それだけ?」


 シリルはフンと鼻から息を吐いて胸を張り、クローディアの前でよく見せる威厳のある兄の顔をする。


「もちろん、兄として恥ずかしくないように挨拶をしたつもりだ。妹のことをよろしく頼むと言ったが……その、何か問題が?」

「……それだけのために私を呼び出したの?」


 クローディアの言葉に、シリルはムッとしたように唇を尖らせた。


「未来の義弟に挨拶をしたんだぞ。報告するのは当然のことだろう」


 ムッとしたような顔をするシリルは、まだクローディアより背が低くて、馬に乗るのも下手くそで、無茶をしてよく倒れる面倒な人だけど、不思議と今までで一番兄らしく見えた。



 * * *



 クローディアとニールの結婚披露宴はメイウッド家の屋敷で、両家の親族だけを招いての和やかな宴会となった。

 侯爵家の人間ともなれば宮殿の一つも借り切って、付き合いのある諸侯らを呼んで盛大な宴会をするのが一般的だが、あくまでメイウッド男爵家に合わせた宴会だった。

 それを望んだのは他でもないクローディアだ。父もそんな娘の意思を尊重してくれた。

 貴族の令嬢の花嫁衣装といえば、濃い赤や青などの華やかな色の生地に金糸銀糸で刺繍を施し、宝石を縫い付けた豪華絢爛なドレスに白いヴェールというのが一般的だ。

 だが、クローディアのドレスは柔らかなオレンジ色の生地に、白と黄色の花を飾った可愛らしい物だった。

 着回しの利かない豪華絢爛なドレスこそ、権力の証。だが、あえてクローディアは別の夜会でも着回しが利くドレスを選び、宝石の代わりに花飾りを身につけた。

 クローディアは煌びやかなドレスや大粒の宝石に見劣りしない美女だ。

 それでもクローディアは侯爵令嬢ではなく、男爵夫人としてニールの隣に立ちたかった。


「いやぁ、可憐なドレスも似合うじゃないか、クローディア。煌びやかなドレスを着た君も見てみたかったけどね。うんうん、こういうのも悪くないんじゃないかな」


 宴会の席でクローディアに近づきそう言ったのは、従兄弟のカーティス・アシュリーだった。

 クローディアとよく似た容姿の黒髪の美丈夫だが、纏う空気は真逆の陽気で軽薄な男だ。

 クローディアが無言のまま視線だけを向けると、カーティスはワイングラスを傾けながら、ペラペラと勝手に喋り続ける。


「いやしかし、シリルが養子に来てくれて本当に良かった。父は私を君の元に婿入りさせるつもりだったからねぇ。君と私が夫婦! いやぁ、ぞっとしないね!」


 クローディアはこの男が割と嫌いなので、この意見には心から同意していた。

 カーティスは他人に頼ることに躊躇のない男で、責任感なんてものは無い。

 ついでに野心も野望も無く、シリルが養子として引き取られた時は諸手を挙げて喜んだという。

 なお、初対面のシリルに向けてカーティスが言った言葉が、


『シーリルくぅん! よくぞ来てくれた! ありがとう、ありがとう! おかげでクローディアと結婚せずに済む! 助かった!』


 これである。

 ハイオーン侯爵になるのも、クローディアと結婚するのも、よほど嫌だったらしい。


「カーティス兄さん、お久しぶりです」


 シリルが早足でこちらに近づいてきて、カーティスに丁寧に挨拶をする。

 シリルが引き取られたばかりの頃、社交界の慣習を教えたり、年の近い貴族の子女にシリルを紹介したりと、何かと世話を焼いたのがカーティスだった。

 だからシリルは、カーティスを兄のように慕っているのだ。


「やぁやぁ、久しぶり……おや、今日も飲んでいないのかい?」

「すみません、アルコールは……苦手で……」

「そろそろ慣れておかないと困るぞぅ? 今度、私の別荘に来たまえよ。ワインの楽しみ方を教えてあげよう」


 陽気に笑いながらカーティスはワイングラスを傾け、「う〜ん、美味」と気取った口調で言う。

 クローディアにはそれが大変頭が悪そうに見えるのだが、シリルには「味の違いがわかるカーティス兄さん」に見えるらしい。

 感心したような顔をしているシリルに、カーティスがウィンクをした。


「緊張をほぐすのにアルコールは最適だよ。ところで、今日も右手と右足が同時に出てるぞ、シーリルくぅん」

「えっ」


 ギクリと顔を強張らせるシリルは目に見えて緊張していた。

 義兄はこの後、メイウッド家の親族達への挨拶回りがあるのだ。

 シリルはポケットから小さな紙を取り出し、内容を確認してブツブツと呟く。


「まずはニールの初対面の印象を語り、生徒会役員時代の印象的なエピソードを……いや待て、この話は順番を入れ替えた方が良いか……?」


 この調子では、また右手と右足が同時に前に出かねない。

 クローディアは小さくため息をついた。


「……頼りないお兄様ね」


 シリルはムッと唇を引き結び、威厳のある兄の顔を取り繕う。

 クローディアはドレスに飾った黄色と白の花を一つずつ取り、それをシリルの胸元に挿した。

 クローディアらしからぬ行動に、カーティスが驚いたように瞼を持ち上げる。


「おや、幸せのお裾分けかい? クローディアにしては太っ腹じゃないか」


 花嫁が身につけている花は──特に黄色い花は幸福を呼ぶと言われている。

 花嫁が手ずからその花を贈ることは、幸せのお裾分けを意味していた。

 シリルはポカンとした顔で胸元の花とクローディアを交互に見ている。

 そんな義兄に、クローディアは花嫁らしからぬ邪悪な顔でニタリと笑ってやった。


「メイウッド家への挨拶……どうぞよろしく。お、に、い、さ、ま」

「当然だ。兄として恥ずかしくない挨拶をしてくる」


 いかにも威厳のあるお兄様らしい態度で言って、シリルはメイウッド家の席へ向かう。ちゃんと右手と右足が交互に出ていた。


「頼りになるお兄様じゃないか」

「そうね」


 クローディアがあんまりあっさり頷いたものだから、カーティスはその肯定が本心か嫌味か計りかねるような顔をしていた。

 クローディアは兄の背中を見送りながら、独り言のような口調で言う。


「……あの人、基本的に私を頼らないのよ」


 シリルがクローディアを頼る時は、決まって一人の少女が絡む時だった。

 やれ寮まで見送ってやってくれとか、ドレスを貸してやってくれとか──きっと、無自覚で。

 そういうところが、頼りないのだ。


「だから、最後に幸せのお裾分けぐらいしても良いって気分になっただけ」


 クローディアは義兄のことが別に好きでも嫌いでもないし、面倒な人だと思っている。

 今でもクローディアに張り合う癖は抜けないし、無茶をしていつのまにか倒れてるし、妹の恋愛事情を気にする割には自分のことに無頓着だし、今日の結婚式だって感極まって誰よりも先に泣きだすし──本当に面倒な人なのだ。今も昔も変わらずに。


(それでも、あの人が私の兄で良かったと思うわ)


 無論、面倒臭いので本人に言うつもりはないけれど。


頑張って乗馬の練習をしたのに、ヒンヤリ体質になった頃から馬に嫌われてしまいションボリしていた氷の貴公子は、最近また普通に馬に乗れるようになり、密かに喜びを噛み締めていました。


従兄弟のカーティスは、外伝3ー7にちょこっと出てきた人です。

「シーリルくぅん」の発音は「シー⤴︎リルくぅ⤴︎ん」です。


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