【22】黒竜と白竜
メリッサに勧められた劇は、今日の最終公演に間に合いそうだったので、モニカ、アイザック、シリル、ラウルは四人で劇を観に行くことにした。
劇場に向かう馬車の中、イタチ姿のトゥーレとピケはシリルの膝の上に乗ったり、窓から外を眺めたりと楽しそうにしている。
窓枠によじ登ったトゥーレが、馬車の揺れで落っこちそうになったところを、ラウルがサッと両手を椀のようにして受け止めた。
「ありがとう、ラウル」
「どういたしまして。オレの肩に乗ってていいぜ」
「うん」
トゥーレはラウルの腕から肩に乗ったり、頭に乗ったりと楽しげだ。
その様子を見ていたシリルが、膝の上のピケを撫でながら、ふと思い出したような顔で言った。
「そういえば、ラウルに訊きたかったのだが」
「昼のスープのレシピかい?」
「違う。魔法戦の最中に、白竜について言及していたが……初代〈茨の魔女〉は、白竜と何か因縁があるのか?」
それは、モニカも密かに気になっていたことだった。
魔法戦の最中、ラウルは白竜のことを「我が宿敵」と口走っている。その時のトゥーレを見る目は、心の底から忌々しげなものだった。
「オレ、そんなこと言ってたのかぁ。そりゃあ、トゥーレには悪いことしちゃったなぁ」
ラウルが翠色の目をクルリと回して、頭上のトゥーレを見上げる。
トゥーレは「気にしてないよ」とのんびり返した。本当に気にしていないような態度だ。
そのやりとりを見ていたアイザックが口を挟む。
「僕も少し気になってた。〈茨の魔女〉の伝承は何度か読んだことがあるけれど、〈茨の魔女〉と白竜が対峙するような物は無かったはずだ」
「えっ? 無い? オレんちの本には載ってたんだけどな。ご先祖様が黒炎で白竜と戦うってやつ」
黒炎──その単語を耳にした瞬間、モニカとアイザックの顔が無意識に強張る。
シリルが「……黒炎?」と、あまり馴染みのない単語を耳にしたような顔で呟いた。
「黒炎とは、黒竜が吐く炎のことではなかったか?」
「そうそう、それそれ。ありとあらゆるものを焼き尽くす冥府の炎! そういえば、モニカはウォーガンの黒竜と戦ったんだよな? もしかして、実際に黒炎を見てるのか?」
「い、いえ……」
か細い声で答え、モニカは視線を彷徨わせる。
まさにそのウォーガンの黒竜こそモニカの使い魔であり、現在家出中の黒猫なのだ。
(あ、でもこれ、ネロのことを話した方が良い? この先、ネロがトゥーレと遭遇することもあるかもしれないし……)
今回みたいにシリルがサザンドールにトゥーレを連れてきた時、トゥーレとネロが顔を合わせる可能性もあるのだ。
その時に、混乱を招かないようにするためにも、シリルとラウルにはネロのことを話しておくべきかもしれない。
だがどこから話すべきか、モニカが密かに唸っていると、ラウルが話を続けた。
「黒炎ってさ、昔はそういう魔術があったんだよ。今の時代は三大禁術で研究するだけで処刑もんだけど、ご先祖様の時代は、黒炎使いって神様と同列ぐらいに崇められてたんだ」
初代〈茨の魔女〉は、人喰い薔薇要塞と黒炎を操る最強の魔女だった。
国王が頭が上がらなかったというのも、その辺りに事情があるらしい。
「でもって、ご先祖様の黒炎を無効化したのが、白竜の吹雪の吐息! だから、ご先祖様にとって白竜は因縁の相手だったんだ」
ラウルの説明にモニカは思わず目を丸くした。
ラウルはサラリと言ったが、それは非常に貴重な事実だ。
「白竜は、黒炎を無効化できるんです、か?」
黒炎とは、この世のありとあらゆるものを焼き尽くす冥府の炎。
それこそ最上位の防御結界ですら、焼き尽くしてしまうのだ。それを無効化する手立ては存在しないと言われている。
だからこそ、モニカも黒竜討伐の際は、黒竜が黒炎を吐く前に撃墜するつもりでいたのだ。
衝撃を受けるモニカに、トゥーレは小さな頭をコクンと上下に揺らす。
「うん、できるよ。だから、黒竜は白竜が大嫌いなんだ」
「え」
「黒竜は白竜を見ると、絶対に燃やす! って追い回してくるんだよ。怖いね」
モニカの全身を冷たい汗が濡らした。
機を見てネロのことを話そうと思っていたが、なにやら話は想定外の方向に転がっている気がする。
モニカは引き攣った声で、ラウルの頭の上のトゥーレに訊ねた。
「あのぅ、トゥ、トゥーレは……黒竜と遭遇したことが、あるんです、か?」
「わたしは昔のことをあんまり覚えていないけど、そういえばある気がするね」
トゥーレがおっとりと言うと、金色のイタチ──ピケがラウルの頭の上に飛び乗り、トゥーレのそばに寄り添った。
「大丈夫。黒竜がトゥーレを追い回したら、わたしが氷漬けにする」
力強い氷霊アッシェルピケの宣言に、いよいよモニカは青ざめた。
ネロとトゥーレが遭遇したら、大変なことになる。絶対大変なことになる。
「まぁ、黒竜なんてそうそういるもんじゃないし、現れてもモニカがいるから大丈夫だよな!」
頭に二匹のイタチを乗せたラウルの陽気な言葉に、モニカはヒェッと喉を鳴らした。
そんなモニカの動揺に気づいたのか、アイザックがさりげなく話を逸らす。
「恐らく、白竜の吹雪が黒炎を無効化するという事実は、ローズバーグ家が隠蔽したのだろうね。だから、僕が読んだ書物にその記述が無かった」
「多分そうなんだろうなぁ。うちの家の人間って、とにかくご先祖様に最強でいてほしいから、白竜に負けた事実を隠したんだ」
ラウルが呆れたような口調で呟くのを聞きながら、モニカはネロとトゥーレを引き合わせないようにしようと心に誓った。
でないと、サザンドールで伝説の二大竜対決が始まってしまう。
そこに上位精霊アッシェルピケが参戦するのだ。黒炎と吹雪が飛び交う結構な大惨事である。
その光景を想像し、カタカタ震えているモニカに、シリルが眉をひそめて声をかけた。
「モニカ、顔色が悪いが……大丈夫か?」
「は、はひっ、だ、だいじょぶ、でふっ」
何一つ大丈夫ではない返事をするモニカに、シリルが心配そうな顔をする。
すかさずアイザックが口を挟んだ。
「きっと馬車酔いしてしまったんだね。そろそろ着くみたいだし、この話はここまでにしよう」
助かった、とモニカは密かに胸を撫で下ろした。
(……このことは、ネロが帰ってきたら、話し合おう……)
そもそもモニカは、自分と出会う前のネロがどんな風に生きていたかを知らない。
帝国の方で暮らしていたと言っていた気がするけれど、それだけだ。
ふと思い出すのは、まだ出会ったばかりの頃のネロの言葉。
──オレ様のことは、ネロって呼べ。ネロ様でもいいぞ。どっかの数学者の国の言葉で、黒って意味なんだとさ。
まだネロと会ったばかりの頃を思い出し、モニカはふと気づく。
モニカと会う前から、ネロは人間の文化について、ある程度の知識があったのだ。
(そういえば、ネロのローブは……)
「着いたよ、モニカ」
「あ、はいっ」
アイザックに促されたモニカは、そこで一度考察を止める。
窓の外には、最近できたばかりという劇場が見えた。劇場の前には、開演を待つ人がズラリと並んでいる。
これは人酔いをしないよう、気合を入れて挑まなくては、とモニカは密かに唾を飲んだ。
本編の番外編14でちらっと触れていますが、初代〈茨の魔女〉は、黒炎を操るとんでも魔女でした。
当然ですが、ラウルが初代様モードになっても黒炎は使えません。




