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サイレント・ウィッチ(外伝)  作者: 依空 まつり
外伝8:識者の証明
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【20】歴史を知る賢人の含蓄ある一言

 氷の上位精霊と、今では伝説の存在となった白竜を従えて、更にはあの〈茨の魔女〉の末裔やら、無詠唱で精霊王召喚を扱う小娘やら、とんでもないバケモノ共に囲まれているシリル・アシュリーを見上げ、〈識守の鍵〉は『オホン、オホン』と咳払いをする。

 吾輩に注目! という意味の咳払いなのだが、誰も聞いていなかった。


「いっぱい運動したらお腹減ったよな! 昼飯にしようぜ。カブが沢山あるんだ! あとニンジンも! あっ、そう言えば、この間送ったニンジン、もう食べてくれたかい?」

「あぁ、使用人に配ったら、とても喜んでくれた」

「えっと、アイクがいろんなニンジン料理作ってくれて、とても美味しかった、です」

「そっかぁ、来年も送るから楽しみにしててくれよな! 留学先から送るからさ!」

「勉学に専念しろ! 何のための留学だ!」


『…………。……ウォォォォッホォォォン!!』


 主張の強い咳払いをする〈識守の鍵〉に、シリルが怪訝そうな顔をする。


「なんだ今の異音は。もしや先ほどの戦闘で、機能に障害が……?」


 咳払いを異音扱いされてしまったが、とりあえず注目を集めることには成功したらしい。


『あーあー、シリル・アシュリーよ。よくぞ、我が試練を乗り越えた。今ここにお主を吾輩の契約者として認め……』


 〈識守の鍵〉が全てを言い終えるより早く、シリルは〈識守の鍵〉をスルリと指から抜いた。

 シリルの指に浮かび上がっていた契約印が、水に溶けるように消えてなくなる。

 何故、自分が良い感じのことを言っている時に、わざわざ指から抜いてしまうのか。

 〈識守の鍵〉がムッとしていると、シリルは〈識守の鍵〉を手のひらに乗せて言った。


「〈識守の鍵ソフォクレス〉。今回の件で私は自分の至らなさを思い知った。私が〈識守の鍵〉を継ぐには、まだ未熟」

『……うん?』

「私のことを認められないのも当然だ。今一度研鑽を積んで、その時は再び試練を……」

『いや、あの、えーと? 吾輩の話を聞いていたであるか?』


 恐る恐る問いかける〈識守の鍵〉に、シリルはキッパリと言った。


「今の私に、〈識守の鍵〉を継ぐ資格はない。そもそも私は自分の力で試練を乗り越えていないのだから……」

『なにおう! 吾輩が認めたと言っているではないか!』

「だが、私が納得できない!」

『こ、この頑固者め……っ! 吾輩が認めると言ったら認めるのであーる!』

「断る!」

『断るな!』



 * * *



(ど、どうしよう……すごくシリル様らしいけど……)


 延々と続く不毛な言い争いにモニカがオロオロしていると、アイザックが爽やかな笑顔で言った。


「そろそろ匙を投げて良いかな?」

「……私はとっくに投げたわ」


 クローディアが低い声で吐き捨てる。

 意地っ張りと意地っ張りが、互いに意地を張り合うといかに不毛か。目の前で繰り広げられているのは、その見本のような光景である。

 その時、シリルの右肩に金色の何かが飛び乗った。いつのまにかイタチに化けていた氷霊アッシェルピケだ。

 ピケがシリルの肩の上から〈識守の鍵〉を睨みつける。するとたちまち、黒い指輪にじわじわと霜がおりた。


「やっぱりこれが諸悪の根源。凍らせればいいと思う」

『ほざけ氷霊! そもそも諸悪の根源は貴様である!』

「……わたし?」


 金色のイタチが、シリルの肩で首を捻った。

 反対の肩によじ登ってきた白いイタチ──トゥーレが「なんで?」と訊ねると、〈識守の鍵〉はいよいよ不満そうに、大声で喚きちらす。


『こやつと契約するのは、吾輩が一番乗りのはずだったのであるぞ! 子どもの頃から目をつけてたのであるぞ! それなのに……それなのに……吾輩以外と先に契約するなんて……この浮気者ーーーっ!』


 最後の一言はどうやらシリルに向けられたものらしい。


「うわきもの」

「うわきもの?」


 イタチ達がよく分かっていない口調で復唱する。

 手元と両肩から響く「浮気者」の合唱に、シリルは目を剥いた。


「浮気、だと…っ!? 人聞きの悪いっ! 私がいつそんな不誠実なことをしたと言うのだっ!」

『シラを切るつもりか! 全く最近の若者は契約を軽んじすぎである! ホイホイホイホイお気軽に契約しおって……これではまるで、吾輩が第三夫人ではないかー!』


 シリルは全身を戦慄かせ、口をパクパクとさせた。

 あまりにも不名誉な言いがかりに、いよいよ言葉も出てこないらしい。

 完全に硬直してしまったシリルの肩の上で、ピケとトゥーレが、いつもと変わらぬ口調で言う。


「わたし、第一夫人?」

「じゃあ、わたしは第二夫人だね」


 イタチ達はあまり意味を理解していない顔をしていた。

 更にはラウルとアイザックまでもが、のんびりとした口調で言う。


「精霊が第一夫人……その理屈、愛妻家のルイスさんが聞いたら、憤死しそうだなぁ」

「困ったな、僕の第一夫人がウィルディアヌになってしまう」


 もはや、誰もこの状況を深刻に捉えていなかった。

 深刻に受け止めているのは当事者のシリルと、生真面目なモニカぐらいのものである。


「し、シリル様は、う、浮気とか……そういうのじゃ……あのぅ、契約は……主従契約で……け、結婚とは、ち、違……っ」


 モニカは懸命に訴えかけたが、ワァワァと騒いでいる〈識守の鍵〉にはまるで届いていない。

 訴えを聞いてもらえないモニカが涙目になっていると、アイザックが苦笑混じりに言った。


「ソフォクレスは最初からシリルのことを認めていたのに、あの二匹にヤキモチを妬いて拗ねてるんだよ。困ったご老人だね」

「……ヤキ、モチ?」


 モニカは滅多に口にすることの無い単語を舌に乗せ、吟味する。

 ヤキモチ、嫉妬。〈識守の鍵〉はピケとトゥーレが羨ましかった。


「えっと、〈識守の鍵〉はシリル様のことを認めてるんです、よね?」

「そう。なのに、二人して頑固で意固地なものだから、あの有り様だ」


 あの有様、と言ってアイザックはシリル達に目を向ける。

 シリルは手のひらに乗せた〈識守の鍵〉に、真摯に語りかけていた。


「〈識守の鍵ソフォクレス〉、私は契約相手に序列をつけて、扱いを変えるつもりはない。皆平等に……」

『はんっ! ハーレム願望のある男は、皆そう言うのである!』


 歴史を見てきた賢人の含蓄ある一言に、シリルが青い目をギラつかせて低く呻く。


「ピケ、凍らせていい」

「分かった」

『序列はつけないって言ったのにー!! 平等に扱うのではなかったのかー!?』


 いよいよ状況は、混迷を極めつつあった。

 ラウルがローブのポケットからカブを取り出して、ボリボリ齧りながら呟く。


「うーん、みんなで仲良く野菜を食べれば解決すると思うんだけど、〈識守の鍵〉は野菜を食べられないもんなぁ」


 それで解決すると思っているのはラウルだけなのだが、ツッコミを入れる者は誰もいない。

 いつも突っ込みをいれるシリルが〈識守の鍵〉にかかりきりだからである。

 アイザックがクローディアに小声で訊ねた。


「調停者の妻から、この状況を調停するアドバイスはあるかい?」

「……第四夫人でも送り込んだら?」


 そう言ってクローディアがチラリとモニカを見る。

 アイザックは僅かに目を細めてクローディアの案を黙殺し、モニカに向き直った。


「モニカ、今からすごく頑張るから、応援してくれる?」

「は、はいっ! アイクっ、がんばって、ください!」

「うん、君の期待に応えてみせるよ、マイマスター」


 アイザックはニコリと微笑み、前に進み出た。

 そしてシリルの手のひらの上で霜だらけになっている〈識守の鍵〉に話しかける。


「〈識守の鍵ソフォクレス〉、シリルを認めると言った言葉に嘘は無いね?」

『おぉう、パイ職人……吾輩を助け……』

「嘘は無いね?」


 アイザックが美しく微笑み圧をかけると、〈識守の鍵〉は『う、うむ』と唸った。

 それを確認して、アイザックはシリルを見据える。


「シリル、君は〈識守の鍵〉との契約を辞退すると言ったね?」

「はい、今の私ではあまりにも……未熟で力不足です」

「君は頭に血が上ると、視野が狭くなるね。顔を上げて周りを見てごらん、シリル・アシュリー」


 アイザックは、モニカ、ラウル、クローディア、そして肩の上のイタチ達に視線を巡らせる。

 そうして釣られるように周囲を見回すシリルに、アイザックは柔らかな声で告げた。


「君の妹さんに、七賢人、氷霊、白竜……これだけの者が、君のために奔走してくれたという事実を忘れてはいけない。今回の件で、自分の至らなさに気づいたというのなら、改善していけば良いだけのことだ。君はそれができる……そうだろう?」


 シリルは言葉に詰まったような顔でアイザックを見ている。

 アイザックはシリルの手から霜だらけの指輪をつまみ上げると、ハンカチで霜を拭った。


「ここにいるみんなが、君を応援している。〈識守の鍵〉との契約を結ぶことを願っている」


 アイザックの言葉に、モニカとラウルは無言で頷いた。

 クローディアはどうでも良さそうな顔をしていたが、アイザックは見なかった振りをして、言葉を続ける。


「僕達の期待に、応えてくれないか?」


 シリルは一度口を開き、ギュッと引き結んだ。

 それは込み上げてくる不安や、失敗に対する羞恥心、そういうものを飲み込み、腹を括った顔だった。


「……謹んでお受けいたします」


 アイザックは微笑み、シリルの右手中指に〈識守の鍵〉を戻す。

 シリルは漆黒の指輪を見下ろし、小さく呟いた。


「よろしく頼む。ソフォクレス」

『………………うむ!』


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