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サイレント・ウィッチ(外伝)  作者: 依空 まつり
外伝8:識者の証明
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【15】本当の理由

 シリルとラウルの決闘は魔法戦という形で、ローズバーグ家所有の〈茨の森〉で行われることになった。

 代々〈茨の魔女〉の一族が管理する〈茨の森〉は、かつては魔力濃度が非常に高く、その魔力に惹かれた魔物や精霊、竜達の集いやすい土地になっていたらしい。

 それ故に、〈茨の森〉は昼でも暗い不気味な森のように語られているが、実際に足を踏み入れてみると、ごくごく普通の森だった。

 木々には青々とした若葉が茂り、足元には素朴な野の花や木苺も生えている。


「うん、この辺が良いかな」


 一行の先頭を歩いていたラウルが足を止めたのは、森の中でも少し開けた場所だった。

 日当たりの良いその場所は、春らしい色合いの花がところどころに咲いていて、ピクニックをするのにうってつけだ。

 実際、ローズバーグ家の使用人にピクニックの道具を借りたアイザックは手際良く敷物を広げ、お茶の用意をしている。

 クローディアが敷物の上に座ると、アイザックはサッと膝掛けを差し出した。

 今回、サザンドールからローズバーグ邸に移動する際も、アイザックの段取りの良さは際立っていた。

 最新技術で作られた揺れの少ない高級馬車を手配し、移動にもこまめに休憩を挟み、常に全員の体調を気遣うのを忘れない。

 何から何まで至れり尽くせりの気配りは、まさに一流の従者のそれである。

 そんなアイザックを横目に眺めつつ、モニカは木の枝で地面に魔法陣を刻んだ。

 魔法戦で用いられる特殊な結界は色々と準備や手間がいる。おまけに、維持をするのに魔術師が最低でも二人は必要なのだ。


(アイクと私の二人がかりなら、魔法戦の結界は維持できるけど……流石に、痛覚除去は無理……だよね……)


 魔法戦では魔法攻撃を受けても怪我をすることはないが、痛みは感じる。この痛覚を除去する術式も存在するのだが、維持にかかる手間が莫大なものとなるのだ。

 単純計算で、上級魔術師が最低でも五人か六人は必要になるだろう。


(一度に七つの魔術を維持できる、〈星槍の魔女〉様がいれば、痛覚除去もできるのに……うぅ)


 シリルにもラウルにも痛い思いをしてほしくないし、できれば痛覚除去術式を組み込みたいところだが、今回は無理だろう。

 モニカはションボリと肩を落としつつ、魔法陣を完成させて、シリルとラウルを見る。

 ラウルは「決闘なら、格好つけないとだよな!」と言って、珍しく七賢人のローブを羽織り、杖を握りしめていた。

 ローブの下は残念ながらいつもの野良着だが、初代〈茨の魔女〉の面影を持つ彼が美しいローブを羽織ると、それだけで凄みが増して見える。


「魔法戦の結界、準備できました」


 モニカが声をかけると、シリルは「分かった」と頷き、肩の上のトゥーレとピケに声をかけた。


「トゥーレ、ピケ。お前達もここで待機していろ」


 この言葉に、トゥーレとピケが尻尾をピンと立ててシリルを見る。


「え?」

「なんで?」


 驚いているのはトゥーレとピケだけではない。

 モニカも驚いたし、〈識守の鍵〉も『ぬぉっ?』と声に出している。

 ラウルが頭をかきながら、シリルに言った。


「シリル。竜の吐息もピケの氷も、どっちも魔力を帯びてるから、魔法戦では有効なんだぜ?」


 魔法戦で己の契約精霊を使うことは、決してルール違反ではない。精霊と契約していることも魔術師の実力の内だからだ。

 例えば七賢人選抜試験など、魔術師本人の能力を見るために契約精霊の参戦を禁じている例もあるが、今回に限って言えば、シリルがトゥーレとピケの力を借りるのが当然だとモニカもラウルも思っていた。

 そうでないと、あまりにも力の差がありすぎるからだ。

 五代目〈茨の魔女〉ラウル・ローズバーグは、攻撃魔術の類を習得していない稀有な魔術師だ。

 だが攻撃魔術を使わずとも、彼には莫大な魔力と茨を操る能力がある。

 極端な話、茨の要塞を作って立てこもり、相手の魔力切れを狙えば、それだけで大抵の相手に勝ててしまうのだ。

 だが、シリルは至極当然のような顔で言う。


「トゥーレとの契約術式はモニカが作り、レディ・メリッサが行使したものだ。ピケとの契約も一方的に結ばれたもので、私は何もしていない」


 だから、トゥーレとピケの力を借りるのはフェアじゃない、とシリルは言うのだ。

 シリルの主張に、肩に乗っていたトゥーレとピケが、シリルの襟やら髪やらを引っ張りながら言った。


「シリル、わたしはシリルと従属契約をしているのだから、命じられれば戦うよ?」

「ここは雪山じゃない。わたし達が力を貸して、やっと対等。あの茨はシリルだけじゃ攻略できない」


 ピケは雪山で直接ラウルと対峙している。

 魔力に満ちた雪山は、氷霊アッシェルピケにとって全力を出せる場だ。一方、寒さに弱いラウルの茨は数割威力が落ちていた。

 それでほぼ互角の戦いだったのだ。一般人であるシリルが七賢人に真正面から挑んで、勝てる道理はない。

 だが、シリルは己の発言を翻したりしなかった。


「ここに来るまでに策は練ってきた。問題ない」


 頑固に言い張るシリルに、ラウルとモニカは困惑した。

 〈識守の鍵〉は何も言わない。だが、それが困惑の沈黙であることは明白だ。

 シリルはそんな〈識守の鍵〉に指をかけながら言う。


「それと万が一傷をつけてはいけないから、〈識守の鍵〉も預かって……」

「それは駄目だよ、シリル」


 茶の用意を終えたアイザックが、シリルの手をそっと押さえる。

 そうして彼は場違いなほど美しく微笑みながら、シリルではなく〈識守の鍵〉に告げた。


「君が言い出した試練なのだから、シリルの活躍を最前席で見守らないと……ねっ?」

『吾輩の人権は!?』

「道具に人権? 面白い冗談だね?」


 ふふっと微笑むその顔は穏やかな笑顔で、だからこそ冷ややかな目との温度差が恐ろしい。

 アイザックは冷たい一瞥で〈識守の鍵〉を黙らせ、シリルと向き直った。


「シリル、頑張ってくれ。期待している」


 緊張に強張っていたシリルの顔にサッと朱がさす。


「はい、殿下っ!」


 目を輝かせるシリルの手元では、いよいよ引き際を見誤った〈識守の鍵〉が『あばばばば……』と呻いていた。



 * * *



 シリルとラウルが十歩ほど距離を開けて対峙し、モニカが魔法陣の最終確認を始める。二匹のイタチはその魔法陣を物珍しげに囲っていた。

 アイザックが少し離れた場所でその光景を見守っていると、背後に忍び寄ったクローディアがボソリと囁く。


「『期待している』……あんなことがあったのに、まだそれを言うのね」

「シリルは期待されない方が傷つくよ」


 それなら「期待している」と言って、無理をしそうになったら止める方がずっと良い。

 なにより、アイザックがシリルに期待しているという気持ちに嘘はないのだ。

 アイザックはあくまで前を向いたまま、クローディアにだけ聞こえるような声で言う。


「君はシリルのことを『洗脳しやすい』と言ったね?」

「…………」

「あんなに扱いづらい人間、そうそういないよ。期待しないと落ち込むし、期待したら体を壊すまで頑張るし、こっちの意を汲んでくれているようで微妙に斜め上の解釈をして暴走するし……」


 それはアイザック・ウォーカーにとって、結構な誤算だったのだ。

 始めの内こそ扱いやすそうだと思っていたけれど、シリル・アシュリーは妹に負けず劣らず扱いづらい人間だった。


「……それなら、その扱いづらい人を何故副会長にしたのかしら?」

「以前、シリルとエリオットが、チェスの勝負をしていたことを覚えているかい?」

「……私も散々練習に付き合わされたわ」


 当時、シリルに何かと因縁をつけていたエリオットが、ある日シリルにチェスの勝負を持ちかけた。

 シリルも全くチェスの知識が無かった訳ではないのだが、幼少期からずっと腕を磨き続けていたエリオットには到底敵わない。

 そして惨敗したシリルに、エリオットはふんぞり返ってこう言ったのだ。


『チェスもろくにできないで、よくアシュリーの家名を名乗れるな』


 この一言がシリルに火をつけてしまったのである。

 その後、シリルは睡眠時間を削ってチェスの勉強に励んだ。目の下に隈を作って、ただでさえ白い顔を更に青白くして。

 サザンドールのモニカの家を訪ねてきた時のシリルの様子が、まさにそれだ。


「あの時、チェスの勉強に励むシリルに僕はこう言ったんだ。『エリオット対策の戦略を教えようか?』と」


 成り上がり者が嫌いなエリオットは、ポーンの成り上がりを絶対に避ける。

 他にも、ここぞという局面で上位の駒であるクイーンを活躍させたがる癖があった。

 それさえ分かっていれば、対策の立てようはいくらでもある。

 だが、アイザックの提案にシリルは首を横に振った。


 ──お心遣い、心より感謝いたします。ですが……私は自分の力で勝利しないと、胸を張って殿下の前に立てないのです。


 シリルに手を貸せば、シリルの懐柔が容易くなると思っていた。 あと単純に、エリオットを負かせてほしいという気持ちもあった。

 だが、アイザックの目論みは外れた。

 シリル・アシュリーは本当に、どこまでも実直で、誠実で、馬鹿がつくほど真面目だったのだ。

 そうして自分の力だけでエリオットとの再戦に挑んだシリルは、エリオットを良いところまで追い詰めておきながら、試合途中でチェス盤に突っ込む形で倒れた。過労と寝不足が原因なのは、誰の目にも明らかだった。

 魔術の修行の頑張りすぎで魔力過剰吸収症を発症したくせに、まるで反省が生きていない、とアイザックは心の底から呆れたものである。


「僕がシリルを副会長に選んだ理由は二つ。一つは純粋に実務能力が高いから。そして二つ目は……」


 強力な味方である白竜と精霊を伴わず、一人で魔法戦に挑むシリルを見て、アイザックは小さく笑う。


「彼が、ずるいことをできない人だからだ。僕は簡単にずるいことができてしまうからね。副官は堅物なぐらいで丁度良い」


 その時、モニカが魔法陣から顔を上げ、アイザックの元に駆け寄ってきた。

 少し遅れて二匹のイタチもついてくる。


「アイク、準備できました! 魔法戦用の特殊結界を展開するので、補助をお願いします」

「了解、マイマスター」


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