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サイレント・ウィッチ(外伝)  作者: 依空 まつり
外伝8:識者の証明
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【13】きれい

 モニカはいつもより早めに起きると、身支度を整えて下の階に降りた。

 いつもより早起きをしたつもりだったけれど、既に台所ではアイザックが朝食の準備をしている。


「おはよう、モニカ」

「おはようございます、アイク。シリル様は……」

「まだ寝てるみたいだね」


 アイザックはニンジンの皮をスルスルと剥きながら答える。

 喋りながら包丁を扱うというのは、モニカにとって危険極まりない行為なのだが、アイザックはお喋りをしながら器用に包丁を操るのだ。

 モニカのように、ニンジンの皮を厚く剥きすぎて痩せ細らせることもない。


「シリル、普段は割と早起きなのだけど、相当疲れていたんだろうね。もう少し寝かせておいてあげよう」

「シリル様、いつも早起きなんですか?」


 モニカがパチパチと瞬きをすると、アイザックは刻んだニンジンを鍋に放り込んで「うん」と頷いた。


「男子寮では、一番か二番ぐらいに早起きだったんじゃないかな。朝に弱いエリオットやダドリー君を、いつも元気に叱ってたよ」


 モニカはシリルとは学年も寮も違うので、生徒会での彼しか知らない。

 だから、こういうちょっとした話もなんだか新鮮だ。

 アイザックが朝食を作るのを眺めつつ、もう少し話を聞いてみようかなどと考えていると、背後からか細い声が聞こえた。


『小娘よ……小娘よ……吾輩を助けるのである……助けるのである……』


 ギョッと目を向ければ、作業台の隅のパイ皿に、〈識守の鍵ソフォクレス〉がちょこんと乗せられていた。


「あの、アイク、これ……」

「うっかり無くしたら大変だろう? これなら、どこに置いたか忘れる心配も無いからね」


 爽やかに古代魔導具を威圧する弟子に、モニカはオロオロしつつ指輪を見下ろす。

 色々と思うところはあるけれど、モニカは〈識守の鍵〉に聞いてみたいことがあったのだ。


「アイク、わたし、〈識守の鍵〉に聞きたいことがあるので……朝ごはんができるまで、ちょっとお話してます」

「そう? なにかあったら言っておくれ。パイ生地は寝かせてあるからね」


 アイザック流の冗談だろうと思っていたら、本当に布巾の下にパイ生地が寝かせてあった。

 パイ生地を見た〈識守の鍵〉が、『ひぇ』と哀れな声を漏らす。

 モニカは〈識守の鍵〉を手のひらに載せて台所を出ると、リビングの椅子に腰掛けた。アイザックには聞かれたくない話なのだ。


『ふぅ、生きた心地がしなかったのである……小娘よ、よくぞ吾輩をパイ皿から救い出した。褒めてつかわす』

「あ、あの、わたし、あなたに聞きたいことが、あって……」

『ほぅほぅ? なんでも訊くが良いぞ。吾輩は知識の番人。結界の範囲内である、アスカルド図書館の全ての知識を知る者である。各種学問から今夜の献立まで、何でも相談に乗ってやろう』


 どうやらよほどパイ皿の上が不満だったらしい。

 気を良くした様子の〈識守の鍵〉に、モニカは小声で訊ねた。


「昨日、アイクが言っていたこと……特定の血族を識別する古代魔導具は存在しないって、本当ですか?」


 お喋りな〈識守の鍵〉が黙り込んだ。宝玉からはほんの僅かに、むむぅと唸るような声が聞こえる。

 やがて〈識守の鍵〉は、いくらか低い声で言った。


『小娘よ、貴様の弟子は何者だ? あの男、しれっと暴露しよったが、古代魔導具が誰にでも使えるという事実は、国家機密であるぞ。あの男、ただのパイ職人ではあるまい?』


 昨晩、アイザックがそのことを話したのは、おそらくモニカが黒い聖杯を作った七賢人だからだ。

 七賢人は古代魔導具の知識を持つことを許される数少ない存在だし、ましてモニカは血族を調べる力を持つ魔導具を開発した魔術師である。

 この先、〈黒い聖杯〉の研究と開発を進めていくにあたって、情報を共有しておいた方が良いと考えたのだろう。


『小娘よ、この事実はその真っ平らな胸に秘めておくのだ。下手に口にしたら消されるのである』


 古代魔導具は誰にでも使える。その事実が秘匿されている理由は、なんとなく想像がついた。

 理由の一つは、古代魔導具が魔力耐性の低い人間を乗っ取る性質があるので、魔術に詳しく魔力量の多い一族が管理した方が都合が良いこと。

 そして、もう一つの理由は、王侯貴族の権威を保つためだ。

 絶大な力を持つ古代魔導具は権威の象徴。例えば、初代建国王が振るったという〈陽光の宝剣〉。

 誰でも使えるという事実を隠し、王家の人間にしか扱えないことにしておいた方が、王家の威信を保てる。

 そこまで考えた時、モニカの頭に浮かんだのは帝国の姫君、ツェツィーリアのことだった。


「……〈ベルンの鏡〉は、知ってます、か?」

『おぉ、吾輩とほぼ同じ時期に作られた古代魔導具であるな。とにかく高慢ちきで偉そうで性格が悪いのである』


 自分のことを盛大に棚にあげる指輪に、モニカは固い顔で訊ねる。


「〈ベルンの鏡〉はアッヘンヴァル公爵家の女性しか契約できないって、聞きました」

『表向きはそうなっておるな。そうすれば、アッヘンヴァル公爵は〈ベルンの鏡〉を独占できる』

「で、でも、〈ベルンの鏡〉は契約者の命を奪うんです、よね? そんなリスクがあるのにどうして……!」

『何故、代々あの家の女が継承するのか? それは実に単純である。女は家督を継げぬからだ』

「──!」


 頭に思い浮かんだおぞましい考えに、モニカはハッと息を呑む。


『察したな? そうだ。アッヘンヴァル公爵家は常にその家の女を一人生贄にすることで、〈ベルンの鏡〉を抱える家としての権威を保っていたのだ。契約者を聖女として祭り上げれば、神殿にデカイ顔ができるのである』


 ツェツィーリアは有事の際、国のために命を捨てる覚悟で鏡を継承し──そして鏡に拒まれ、新しい契約者を選出するためにと、祖父に命を狙われた。

 ツェツィーリアはどれだけの覚悟で、鏡を継承したのだろう。

 聖女の存在は、アッヘンヴァル公爵家の威厳を保つためでしかないというのに。

 ツェツィーリア以外の誰だって、契約者になることができたのに。


(そんなことのために、ツェツィーリア様は……)


『古代魔導具は血族を特定する術を持たぬが、特定の血族に執着する者がいるのもまた事実である。〈ベルンの鏡〉がそうだ。あやつは初代アッヘンヴァル公爵夫人と縁がある故、アッヘンヴァル公爵の血筋以外には力を貸したくないし、あの家を離れたくない。だが力を貸したが最後、契約者は死ぬ……そういう業を背負っておる』


 モニカはハッと顔を上げた。

 聞きたかったことの二つ目がこれだ。


「あのっ、あ、あなたは、契約者の寿命を削ったりは……」

『実に不本意であるが、吾輩は古代魔導具の中では一番力が弱……んんっ、吾輩の最大の武器は長い年月をかけて蓄積した知識である故、古代魔導具としての力など大した問題ではないのであるけどな!』

「……えぇと、つまり?」


 モニカが促すと、〈識守の鍵〉は若干拗ねたような口調で言った。


『吾輩が張れる結界は、精々図書館一つ分。それ故、契約者への負担は非常に少ないのである。〈ベルンの鏡〉のように寿命を削ることはまずない』


 その答えに、モニカはホッと胸を撫で下ろした。

 どうやら〈識守の鍵〉を継承することで、シリルの寿命が縮む心配はないらしい。


「それじゃあ、最後に……」


 シリルとの契約を拒んだ理由は何か。

 それを訊こうとした時、階段の方から足音が聞こえた。シリルが起きてきたのだ。


「おはよう、モニカ」


 モニカは〈識守の鍵〉を手の中にギュッと握り込んで隠し、シリルの方を向いた。


「おはようございます、シリルさ……」


 言いかけてモニカは口と目を見開く。

 階段を降りてきたシリルは、髪を結んでいなかった。

 背中に届くぐらいの長さの銀色の髪は、窓から差し込む朝日を受けて輝いている。

 その光景に、モニカは小さな驚きと感動を覚えた。


(いつもと、ちょっと違うシリル様)


 それは喩えるなら、いつもより早起きをした日の朝、花弁の上で朝露がきらめているのを見つけた時のような。そういう素朴でささやかな感動だ。


「……モニカ?」


 ポカンとしているモニカに、シリルが不思議そうに首を傾げた。

 モニカは、いつもと違う朝に素敵な物を見つけた子どもの気持ちでボソリと呟く。


「キラキラして、きれい」


 シリルの顔から表情が消えた。

 真顔で硬直したシリルを前に、モニカは青ざめる。


(シリル様は容姿に言及されると困るって、昨日教えてもらったばかりなのに!)


 自分はなんてことを口にしてしまったのだろう。きっとシリルも困ってる。

 モニカは〈識守の鍵〉を持つのと反対の手をワタワタと上下に動かしながら口を開いた。


「ごっ、ごめんなさいっ、今のはシリル様の髪の毛が朝日でキラキラしてたのを見て、繊維状の物質の分光反射率について考えていてですね、分光反射率は物体の表面に光が入射して反射した際の分光密度の比のことでこれは反射結界にも適用されるのですが……ま、魔術式っ、魔術式で書きますっ!」

「あれ、シリル起きたんだ。おはよう」


 台所からアイザックが顔を覗かせると、硬直していたシリルはすぐさま姿勢を正して、ハキハキと挨拶をした。


「おはようございます、殿下!」

「珍しいね、今日は髪を結んでいないのかい?」

「見苦しくて申し訳ありません。髪紐が見当たらなくて……」


 シリルは眉を下げて、頬にかかる髪を耳にかける。

 アイザックは思案するように少しだけ首を傾げて言った。


「ベッドの下は見たかい? あの二匹にも一緒に見てもらうといい。君、あまり視力が良くないだろう?」

「え」

「え」


 アイザックがサラリと言った最後の一言に、シリルとモニカは同時に声を上げる。

 モニカはシリルの視力が良くないなんて、一度も聞いたことがない。

 シリルも困惑顔でアイザックを見ている。


「殿下、何故、そのことを……?」

「見れば分かるじゃないか。君、遠くを見る時、いつも眉間に皺寄せてるし」


 モニカはおずおずとシリルを見上げ、訊ねた。


「シリル様、視力悪いんですか?」

「眼鏡を必要とするほどではない。この距離で、殿下とモニカの顔は見える……」


 見えると言いつつ、少し離れたアイザックを見る時、シリルはほんの少し目を細めていた。

 シリルといえば眉間に皺を寄せた厳しい顔のイメージがあるが、その何割かは単に見えづらかっただけなのかもしれない。

 モニカがちょっとした衝撃を受けていると、アイザックはなんでもないような口調で言う。


「生徒会役員の中だとシリルが一番目が悪かったね。ちなみにモニカは割と目が良い」

「あ、はい、良いです」


 アイザックの言う通り、モニカは暗い所で本を読むような生活をしていた割に目が良いのだ。

 そんなところまで見ていたなんて、とモニカがしみじみ感心していると、階段の上から二匹のイタチが駆け降りてきた。

 トゥーレの方は髪紐を口に咥えている。


「シリル、髪紐、枕の下に隠れてた」


 髪紐を咥えているトゥーレの代わりにピケが言った。

 トゥーレはシリルの肩の上に飛び乗ると、咥えていた髪紐を小さい手でどうぞと差し出す。

 シリルが慣れた手つきで髪を括るのを眺めながら、モニカは自分がシリルのこともアイザックのことも、全然知らないのだと改めて実感した。



 * * *



 朝食を食べ終えたところで、宿に泊まっていたクローディアが訪ねてきた。


「……ものすごく馬鹿馬鹿しいけれど、一応結末は見届ける」


 そう言ってクローディアはテーブルの上に置かれた〈識守の鍵〉をジトリと睨む。

 シリルは膝の上に拳を置き、強張った顔で〈識守の鍵〉をジッと見ていた。

 モニカもシリルとは別の意味で緊張して、〈識守の鍵〉とアイザックを交互にチラチラ見る。

 唯一にこやかに微笑んでいるアイザックは、まだエプロンをつけていた。これは、〈識守の鍵〉の発言次第ではパイ作りを開始するという意思表示である。

 なお、イタチ達はソファをコロコロと転がっていた。この家のソファが気に入ったらしい。平和である。


『あー、あー、ゴホン。吾輩、一晩思案したのである。シリル・アシュリー。貴様のことは気に入らんが、頭ごなしに否定するのもあまりに狭量。そこで吾輩は貴様に試練を与えるのである』

「……試練、とは?」


 固い顔で返すシリルに、〈識守の鍵ソフォクレス〉はたっぷりと勿体をつけて言った。


『シリル・アシュリーよ。吾輩に認められたくば、かつてこのリディル王国を牛耳った悪女の末裔と戦い、勝利するのである!』

「悪女の末裔?」


 シリルが腕組みをして首を捻る。

 そして、何かを思いついたような顔で、ハッと息を呑んだ。


『さようである。かつて、人喰い薔薇要塞を操った最凶の魔女──〈茨の魔女〉の末裔がこの国の七賢人に名を連ねているのであろう! かの邪知暴虐なる魔女の末裔と戦い、見事勝利を収めたあかつきには、貴様を主と認めてやるのである!』





 この時、〈識守の鍵ソフォクレス〉はこう考えていた。

 自分は当代の〈茨の魔女〉を知らないが、きっと気に入らない人間を花壇の肥料にしたり、血を搾り取って薔薇に吸わせるようなすごい悪女なのだろう。そうに決まっている。

 そんな恐ろしい魔女の末裔と戦えなんて、無理難題も良いところだ。まして七賢人なんて、会おうと思っても簡単に会えるような存在じゃない。

 だがきっと、負けん気の強いシリルは、〈識守の鍵〉の条件に頷くだろう。

 そうしてシリルが当代の〈茨の魔女〉に会うべく動きだしたら、適当なタイミングで、


『たとえ叶わぬと言えど、あの恐ろしい魔女の末裔に挑もうとした、その気概を認めてやらんでもない』


 とかなんとか言って、シリルを認めてやればいいのだ。


 ……ところが、どういうわけか場の空気がおかしい。

 四人とも、なんとも言い難い微妙な顔をしているのである。

 ここは突きつけられた無理難題に「な、なんだってー!?」「そんな、あの恐ろしい魔女の末裔と!?」と恐れ慄くところではないだろうか。

 それなのにクローディアは「……やってられないわ」と心底馬鹿馬鹿しげな顔で椅子にもたれているし、パイ職人は「あの家に行くなら変装は念入りにしないと」とブツブツ言っているし、その師匠とかいう小娘はもじもじと指をこねながらシリルを見ている。

 そして肝心のシリル・アシュリーはと言うと、怯えるでも焦るでもなく、戸惑った顔をしていた。

 気まずくなった〈識守の鍵〉は、喉も無いのに咳払いをする。


『あー、オホン。まぁ、七賢人なんて国の魔術師の頂点。会おうと思っても簡単には会えんだろうし、貴様らが戸惑うのは分からんでもない……』


 どういうわけか、その場にいる全員が一斉に小娘を凝視した。

 貧相な小娘は、いよいよ居た堪れないような顔で背中を丸めて「あのぅ、あのぅ……」とボソボソ呟く。

 そんな中、シリルが腹を括ったような顔で言った。


「モニカ、すまないが紙とペンを貸してくれ」



シリルは軽い近視です。

本編【9−15】の人探しの時、実は結構苦労していたようです。

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