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サイレント・ウィッチ(外伝)  作者: 依空 まつり
外伝:天高く豆肥ゆる秋
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【おまけ】ワクワクお泊まり会

 その晩、帰宅したハイオーン侯爵は玄関ホールで執事から報告を受けた。

 なんでも今日は宿泊客が二人いるらしい。その客とは、この国の魔術師の頂点に立つ七賢人〈茨の魔女〉と〈沈黙の魔女〉。

 ハイオーン侯爵は、この二人の共同研究に出資をしており、研究のために必要な土地や資材なども提供していた。それらの管理と調整役は、基本的に息子のシリルに任せている。

 シリルは、あの二人と面識があるようだった。

 なんでも二年ほど前、新年の儀に連れて行った際に城で知り合ったらしい。きっと年が近いから話しやすかったのだろう。


(それにしても……息子が初めて友人を連れてきた時の親の心境とは、このようなことを言うのだろうか)


 無論、相手は七賢人で仕事の関係者である。遊びに来たわけではないし、泊まることになったのも、共同研究の打ち合わせが長引いたからだろう。

 ならば自分が浮かれるわけにはいかない……が、ちょっと顔を出してお茶をしながら、息子がいつも世話になっているね、ところでうちの息子はいつもどんな感じかね? と訊いたりするぐらいは許されるだろうか。

 そんなことを考えつつ玄関ホールを進んでいると、二階から息子の声がキンキンと響いた。


「食事の時間だと言っているだろう、モニカ・エヴァレット! いつまで本にかじりついている! それと読んだ本は元の位置に戻せっ! 何をどうすればこの短時間で、ここまで本棚の並びが出鱈目になるんだ!」

「ひぃん、ご、ごめんなさい……取り扱ってる魔術式がこっちの本は第十一節から展開方法が異なっていて……」

「本は著者名順に並べろ! 謎の法則を持ち込むな! それとラウル・ローズバーグ! 花壇に入ったら土を落としてから室内に入れっ! そもそも貴様は、何故湯浴みをした後にまた花壇に入るんだ!」

「そこに花壇があるからさ!」

「また訳の分からん言い訳を……父上が帰ってくる前に、その泥をなんとかしろ!」


 しばらく黙って階段を見上げていると、二階から息子が降りてきた。

 右手に本を抱いた〈沈黙の魔女〉、左手に泥だらけの〈茨の魔女〉を引きずっていたシリルは、ハイオーン侯爵が帰宅していたことに気づくと、踊り場で慌てて姿勢を正す。


「お帰りなさいませ、父上。えぇと、事情がありまして、その……」


 言い淀む息子を見上げながら、ハイオーン侯爵は思った。

 これなら自分が少しばかり浮かれても許されそうだ、と。



 * * *



 エンドウマメとの熾烈な戦いの後、アシュリー邸に宿泊することになったモニカは、使用人達に湯船に沈められ、泥を落とされ、クローディアのお古のドレスに着替えさせられた。

 アシュリー家は早くに夫人が亡くなり、クローディアも他家に嫁いでしまったため、女主人がいない。そのためか、使用人達は久しぶりの女性の世話ができるとやけに張り切っていた。

 モニカが着せられたドレスは上品な青い天鵞絨で、飾りボタンは大粒の真珠だ。

 その高級感もさることながら、あのクローディアの服を借りているという事実だけで、モニカは酷く緊張した。これは絶対に汚せない。

 夕食の席でハイオーン侯爵は「よかったら、そのまま着て帰るかね?」と、どこまで本気か分からない口調で言ったが、モニカは丁重にお断りした。



 夕食を終えた後、モニカはシリル、ラウルと共に、いつも会議に使っている部屋で今日の反省会をした。

 今日の反省点は言わずもがな。


「次からは、小数点を見間違えないようにするぜ!」


 肥料の配合を間違えた男は、微塵も反省しているとは思えないような陽気さであった。

 シリルが眉間に皺を寄せて、ため息をつく。


「……そうしてくれ。それと、あのエンドウマメと薔薇の残骸の処分についてだが……」


 シリルが資料を広げようとすると、ラウルはキリリとした顔でシリルの手を押さえた。


「なぁ、シリル。今はそれよりも大事なことがあると思うんだ」


 シリルはしばし考え、「なるほど」と頷く。


「魔力汚染された土地の処置についてだな」

「いや、折角のお泊まり会なんだからさ、何して遊ぶか決めようぜ!」


 シリルの方から刺すような冷気が漂ってきた。

 モニカはアワアワと無意味に手を動かしてラウルを見る。

 シリル様がヒンヤリして怒ってますよ、というモニカのジェスチャーに、ラウルは全てを分かっているような顔でウィンクをした。


「勿論、モニカもやるよな!」


 何も伝わっていなかった。

 シリルが冷気を漂わせ、モニカがオロオロしている間に、行動の早い男ラウル・ローズバーグはさっさと立ち上がり、廊下に繋がる扉を開けて使用人に声をかける。


「おーい、すみませーん! ボードゲームとか、カードとかありますかー!」

「人の話を聞け! そんな物、この屋敷にあるわけ……」

「あるとも」


 扉の陰から音もなく現れたのは、この屋敷の主人ハイオーン侯爵その人であった。

 なんとも心臓に悪い登場の仕方は、娘のクローディアにそっくりだ。

 モニカとシリルがギョッとしていると、ハイオーン侯爵は順番にモニカ達を見る。全てを見透かしているような、理知的な眼差しだった。


「何か希望はあるかね?」


 重々しい口調で問うハイオーン侯爵に、ラウルが頭をかきながら、いつもと変わらぬ態度で言った。


「うーん、実はオレ、そういう遊びに詳しくなくって……あっ、シリルはいつも何で遊んでるんだ? お勧めがあったら教えてくれよ!」


 自分から遊びを提案しておきながら、詳しくないなどと言い放ち、ラウルはシリルを見る。

 いつものシリルならそんなラウルに噛みつきそうなところだが、今の彼はなんだか酷く困ったような顔をしていた。


「……いや、私は……」


 勝気に吊り上がっていた眉が下がり、視線が足元を彷徨っている。

 そうしてシリルは口の中でボソボソと言葉を転がした。


「……そういう低俗な物で遊んではいけないと…………お父様が……」


 自分に言い聞かせているような独り言じみた呟きは、途切れ途切れでよく聞こえない。

 ハイオーン侯爵はそんなシリルを見て、無表情のまま口を開く。


「ボードゲームは歴史ある人類の財産だ。ところで、私は学生時代ボードゲーム倶楽部の会長でね。実は色々とコレクションがあるのだが、興味はないかね?」


 ハイオーン侯爵の言葉に、シリルがハッと顔を上げる。


「是非、拝見させてください、父上!」


 かしこまるシリルの顔は、何故か救いの手を差し伸べられたかのようにホッとしていた。



 * * *



 ハイオーン侯爵も交えてゲームをすることになり、一番困ったのがモニカだった。

 並外れて計算が得意なモニカは、数字を記憶するようなゲームや確率計算ができるゲームは、大抵簡単に勝ってしまう。

 モニカが申し訳なく思いながら、そのことを申告すると、ハイオーン侯爵は一つ頷き、ボードゲームを卓上に広げた。


「それならば、運の要素が絡む物が良い。まずは簡単なゲームで進行に慣れよう」


 ハイオーン侯爵が勧めたゲームは、サイコロの出目だけ駒を進め、最初にゴールに辿り着いた者が勝ち、という戦略性の無いゲームだった。これなら、モニカの計算能力が介入する余地は、ほぼ無い。

 子どもでもできる簡単なゲームだが、盤面のマスに細かな文字で小さな物語が書き込まれているのが、モニカには興味深かった。

 馬を買ったので二マス進むとか、病気になったので一回休みとか。

 ゲームの駒は自分の分身で、ボードの上でちょっとした物語と出会うのだ。新鮮な感覚である。


「オレ、この駒にしよっと。ほい、シリルはこっちの青い駒な」

「だから勝手に進めるな! まずは父上の説明を聞いて……」


 マイペースなラウルにぶつくさと文句を言いながら、シリルは受け取った駒をやけに真剣に見ている。

 モニカはラウルからオレンジ色の駒を受け取ると、ぎこちない手つきで最初のマスに置いた。


「楽しみ、です」


 モニカが小声で言うと、ハイオーン侯爵は威厳のある顔で頷き、黒い駒を盤面に置く。


「自分とは違う人生を擬似体験するという意味では、このゲームは読書に似ているかもしれない」


 ハイオーン侯爵の声は、聞く者の心に「なるほど」と思わせる深みがあった。

 モニカの隣ではシリルが感銘を受けたような顔で、「なるほど、流石父上」と頷いている。


「時にままならない結果になることもあるだろう。だが、それもまた人生だ」

「はい、父上のお言葉を胸に刻み、全力でゲームに挑みます」


 どこまでも真面目一辺倒なシリルの言葉に、ハイオーン侯爵が少しだけ優しい目をした。


「あぁ、本気で挑むゲームというのは、とても楽しいものだよ」



 * * *



 かくして始まった、モニカの擬似人生は……。


「えっと、出目が三……『財布を忘れたので、四マス戻る』……な、なんでぇぇぇ。さっきもお財布忘れたのにぃぃぃ」


 財布を忘れては戻り、また財布を忘れては戻るということを延々と繰り返していた。これで三回目である。

 既に一着でゴールしたラウルが、七賢人会議中でもなかなか見せない真剣な顔で言った。


「きっとこのモニカは財布を忘れて家に取りに戻ったら、別のことに夢中になって、また財布を持たずに出かけちゃったんだな」

「うぅっ……わたし、やりそう……」


 モニカが頭を抱えている横で、シリルがサイコロを転がす。

 出目は一だった。彼はさっきから、やたらと出目が小さい。


「『馬から落ちて一回休み』……さっきも馬に蹴られて一回休んだばかりではないか! 何故、馬に乗った……っ!」


 ゲームはラウルが一位、ハイオーン侯爵が二位で既にゴールしており、モニカとシリルが最下位を競い合っていた。

 ところがこの二人、呆れるほど出目が悪く、まだ盤面の半分も進めていないのだ。

 モニカは延々と財布を忘れ続けており、シリルは馬絡みの受難に振り回されている。

 シリルが一回休みになったので、次はモニカの番だ。

 そろそろ財布を持ってお出かけがしたいモニカは、サイコロを持つ手に力を込め、「やぁっ!」と気合を入れて転がした。出目は二。


「えっと、『友達とおでかけ。一マス進む』…………えへ」


 ラナと出かける自分を想像し、ちょっとだけ幸せな気持ちになりながら、モニカは一回休みのシリルを飛ばしてもう一度サイコロを振る。

 出目は一。

 止まったマスには『財布を忘れたので、四マス戻る』の文字。

 ラウルがモニカの肩をポンと叩いた。


「友達と出かけたけど、また財布を忘れたんだな!」

「お財布持って! わたしぃぃぃ……っ!」


 頭の中では、一緒にお出かけ中のラナが「もう!」と呆れたように腰に手を当ててモニカを睨んでいる。

 うっうっ、と両手で顔を覆うモニカの横で、シリルがサイコロをつまみ上げた。


「次こそは……次こそは……」


 若干血走った目でシリルがサイコロを転がす。

 出目は六だった。初めて四以上の数字を出したシリルは、「やった!」とはしゃいだ声をあげ、モニカを追い抜かして駒を進め……。


「『落とし穴に落ちて、一回休み』だと……?」

「シリル、災難多すぎないか?」

「何故だ……私が何をした……」


 ブツブツ呟くシリルの横で、モニカはサイコロを強く握る。

 今度こそ、財布を持ってラナとお出かけをするのだ。


(お財布、お財布、お財布、ちゃんと持ってお出かけ……!)


 頭の中で財布を鞄に入れる自分をイメージし、モニカはサイコロを転がす。

 出目は五だ。これで、延々と財布を取りに戻ることの繰り返しから脱出できた……が、止まったのはシリルと同じマスである。

 即ち『落とし穴に落ちて、一回休み』


「大変だ、モニカがシリルの上に落ちた! これ、絶対シリル潰れた!」

「シリル様ごめんなさいぃぃぃぃ!」

「潰れてない! モニカぐらい受け止められる!」


 シリルが顔を赤くして怒鳴ると、ラウルはゴールに到着した自身の駒をシリルとモニカの駒のそばに動かした。


「待ってろよ二人とも! オレが今、助けに行くぜ!」

「えぇい、妙な小芝居を始めるな! 貴様はゴールで大人しくしてろっ! 次こそゴールして……ぐっ、また一か」


 駒を一マス進めたシリルは、盤面の文字に目を剥く。その顔が絶望に青ざめた。


「『乗っていた馬車が暴走した。スタートに戻る』……ここまできて、スタートに戻る、だと……」


 シリルは両手で顔を覆い、人生に苦悩する哲学者のような顔で項垂れる。


「……私の人生の終着点が見えない」


 ラウルがブハッとふきだした。



 * * *



 壮絶な最下位争いを眺めながら、ハイオーン侯爵は無言で口髭をいじる。

 どうやら、うちの息子はどうだね? などとわざわざ訊く必要は無いらしい。この楽しそうなやりとりを見ていれば一目瞭然だ。


(良い友達ができたのだな)


 うんうんと頷くハイオーン侯爵の視線の先では〈沈黙の魔女〉が三位でゴールを決め、それでもシリルがゴールを目指して黙々とサイコロを振り続けていた。


この後、シリルがゴールするまで、みんなで応援しました。


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