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サイレント・ウィッチ(外伝)  作者: 依空 まつり
外伝8:識者の証明
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【5】最強師弟を撃沈した一言

 数学の世界から現実に戻ってきたモニカは、まだ幾らかクラクラする頭を持ち上げ周囲を見回す。

 水竜の接近に船員達は強張った顔をしているが、パニックになっている者はいなかった。各々が持ち場について、己がすべき仕事をしている。

 望遠鏡で前方を確認していた浅黒い肌の男──周囲に副船長と呼ばれていた──が、望遠鏡を覗き込んで怒鳴る。


「おい、なんだアレは!? あんなデカいやつ、見たことがない!」


 水中にいる水竜の、魚影ならぬ竜影に副船長は青ざめていた。アイザックに抱えられているモニカには見えないが、おそらく桁違いに大きいのだろう。


「アイク」


 モニカが短く声をかけるより早く、アイザックは詠唱を始めていた。

 アイザックは右目だけ閉じている。索敵術式は閉じた視界に情報を映し出す術式だ。

 モニカは肉眼に映る景色と、索敵術式の情報を同時に見るのが苦手だが、アイザックはなんなくそれをこなしてみせた。

 索敵術式で敵の動きを把握したアイザックは「なるほど」と小さく呟く。


「アイク、何か気づいたことが?」

「直接見てもらった方が早いと思う。お手を失礼、マイマスター」


 アイザックは右手でモニカを抱き上げたまま、左手でモニカの手を取った。

 共有術式の接続だ。重なった指先に魔法陣が浮かび上がる。共有術式──索敵術式の結果を、モニカに共有しているのだ。

 モニカは両眼を閉じる。そうすると、真っ暗になった視界に光の点が見えた。

 アイザックが開発した水中専用索敵術式の秀逸な点は、水中の敵とそれ以外とで光の色が分けられていることだ。水中の敵は水色がかった光をしている。

 通常の感知術式なら、それは大きな光の塊に見えただろう。だが精度の高い索敵術式は、それがただの大きな光ではないと教えてくれた。

 これは群れだ。

 中心にやや大きめの光が一つ。そして、その周囲に小さな光の群れが三十弱。

 それを見た瞬間、モニカは水竜の目撃情報がバラバラだった理由を理解した。


(大型種を中心に、小型種が群れを成してたんだ)


 その結果、この群れは異様に大きい一匹の水竜に見えていたのだ。

 目撃情報がバラバラだったのは、群れが形を変えることで、首が長く見えたり、ヒレが大きく見えたりしていたからだろう。


「アイク、索敵術式の精度を上げてください」

「了解、マイマスター」


 これが、アイザックが開発した水中専用索敵術式の優れた点の二つ目だ。

 水竜の群れを示す光の点が、精度を上げることで水色に光る竜の形に変化していく。

 水流に干渉することで、水中の竜のシルエットをより明確にしているのだ。大まかにでも形が分かれば、竜の種類を絞ることができるし、弱点である眉間の位置を特定しやすくなる。

 対水竜戦は、大砲で水竜を追い払うか、銛で水面に引きずり出すのが一般的だ。水中の竜の眉間を狙おうなどと考える者はまずいない。だから、そこまで正確な情報を必要としていなかった。

 だが術の威力より精度が売りのモニカにとって、敵の仔細な情報が分かるアイザックの水中索敵術式は非常に相性が良い。


(このシルエット……中央にいるのは甲殻種だ。背中に硬い鱗と角があるけれど、お腹側の鱗は比較的薄い。その周囲を囲う小型種は小さいけれど生命力が強いから、眉間を貫かないと倒せない)


 群れのボスである大型種を討てば、小型竜の群れは散り散りになるだろう。だが、大型種だけを狙うには周りの小型種が邪魔だった。


「まずは、散らします」


 モニカがボソリと言うと、アイザックはすぐにその意を汲み、船員達に向かって声を張り上げる。


「揺れるぞ、全員掴まれ!」


 叫びながら、アイザックはマストに背を預け、揺れに耐える。

 モニカは目を閉じて索敵結果を確認し、竜の群れに狙いを定めた。

 無詠唱で編み上げるのは火の魔術。

 火属性の魔術をそのまま水中に向かって撃てば、よほどの威力でない限り、ほぼ無力化してしまう。

 だからモニカは、炎を極々薄い結界で包んで水竜の群れに放った。

 言うなればそれは泡で包まれた炎の塊だ。炎を内包した泡は、竜の群れの先頭に触れると同時に弾け、衝撃と炎を撒き散らす。

 大砲が炸裂したかのようにドォンと大きな音がして、波が立ち、船が揺れた。

 小型竜の群れは散り散りになって逃げ惑う。その一部が船目掛けて突進してきたので、モニカは船底を防御結界で覆った。小型竜の突撃は時に、船底に穴を空けることがあるからだ。

 防御結界を維持しつつ、モニカは水中に氷の魔術を展開。船の周囲に近づいてきた小型竜の眉間を氷の槍で貫く。

 流石に水中だと勝手が違うので百発百中とはいかなかったが、それでも五匹ほど眉間を射抜かれ、水中に沈んだ。


(補正、再計算…………完了)


 モニカは一発目の攻撃で生じたズレを再計算し、再び氷の槍を放つ。また何匹か、小型種の竜が槍に射抜かれ沈んだ。

 最初の派手な火の魔術に比べて、その後の攻撃は静かなものだった。モニカは船を防御しつつ、淡々と小型種の水竜を撃墜していく。

 モニカが何をしているかを理解しているのは、この場では索敵術式を共有しているアイザックだけだろう。

 アイザックは索敵範囲の光が減っていく光景に、ほぅっと感嘆の吐息を溢す。


「……すごい」


 そんな弟子の呟きも届かぬほど、モニカは意識を集中し、黙々と竜を撃ち続けた。

 小型種の竜が減ってきたところで、大型の甲殻種の動きが変わる──船に尾を向けた。逃げようとしているのだ。

 モニカは閉じていた目を開き、己の弟子を見る。


「アイクがいてくれて、良かった、です」

「……うん?」

「おかげで、いつもよりできることが、多い」


 モニカは再び目を閉じて索敵術式を確認。同時に船を守っていた防御結界を解除する。

 これで、モニカは一度に二つの魔術を使えるのだ。

 モニカの手元で杖の装飾がシャラシャラと軽やかに鳴る。編み上げるのは多重強化術式で強化した炎の槍だ。それを薄い結界で包んで、大型水竜の真下に生み出した。

 甲殻種の竜は背中の装甲が硬いが、腹が弱いという弱点がある。そして、さっきまで腹部を守ってくれていた小型種の竜はもういない。

 急上昇した炎の槍は、大型竜の腹を貫き、その勢いのまま水面に上昇した。

 炎を撒き散らしながら水面に浮かび上がったのは、ゴツゴツとした岩のような鱗と棘を持つ巨体だ。

 その巨体に船員達がざわつくが、モニカは冷静だった。

 チェスで言うならチェックメイト──水竜は水面に出た時点で詰んでいる。


「開け、門」


 モニカが小さく呟く。それと同時に、空に門が開いた。

 白い光の粒子で出来た門。その奥から煌めく風が渦を成し、槍の形になる。


「静寂の縁より来たれ、風の精霊王シェフィールド」


 精霊王の力の一端が具現化した風の槍は、通常の魔術とは比べ物にならない威力を秘めていた。

 光の粒子を撒き散らしながら、白く輝く槍が大型水竜の眉間を貫く。


「討ち取った! 〈沈黙の魔女〉が水竜を討ち取ったぞ!」


 船員達が歓声をあげる。

 アイザックも隠しきれない喜びを口元ににじませて、モニカを見つめた。


「やっぱり、僕のお師匠様は一番すごい」

「……まだ」

「うん?」

「索敵範囲、広げてください。多分、近づいてます」


 この言葉だけで、アイザックはすぐにモニカが言いたいことを察してくれた。やはり彼は頭の回転が速い。

 そういうことか、と小さく呟き、アイザックは索敵術式の範囲を広げる。

 索敵範囲のギリギリのところに、大きな光の点が見えた。それは凄まじい速さで近づいてくる。

 アイザックが船員に注意を促した。


「まだ終わっていない! もう一匹来るぞ!」


 先程討ち取った甲殻種が群れを率いていたのは、己の体を大きく見せて敵を威嚇するため──つまり、この大型種より体の大きい水竜が近くにいるのだ。

 モニカの予想通り、その水竜は凄まじい速さで接近してくる。二匹目の大型水竜は、索敵術式の精度を上げずとも、すぐにその正体が分かった。その水竜は水面に顔を上げ、船を威嚇してきたからだ。

 望遠鏡を覗いていた船員が、悲鳴じみた声をあげる。


「首長種だ! それも、超大型の!」


 首長種は非常に好戦的だ。自分より体の大きい相手を見ると、執拗に攻撃を仕掛けることもあるという。

 好戦的な首長種は船乗り達にとって、分かりやすく目に見える脅威であった。

 アイザックがモニカに声をかける。


「……だそうだけど、マイマスター?」


 返事の代わりに、モニカは空を仰いだ。上空にはまだ精霊王召喚の門を残している。

 水面に顔を出した水竜など、モニカにとってただの的でしかない。


「これで終わり、です」


 モニカが杖を掲げる。

 シャラン、シャランと澄んだ音が響き、輝く槍が二匹目の大型水竜の眉間を貫いた。



 * * *



 早朝に始まった水竜討伐はあっさりと終わったが、その後の諸々の処理に時間がかかった。

 討伐した水竜の死骸は、なるべく持ち帰るよう言われているが、大型水竜二匹を船で引いて帰るのは流石に難しい。

 そこで、より大型である首長種の死骸と、甲殻種の鱗と角の一部を持ち帰ることとなった。

 この首長種の死骸を縄で繋ぐ作業や、甲殻種の鱗や角を剥ぐ作業の方が、戦闘よりも遥かに時間がかかったのだ。

 その間、船酔いのモニカは船室で死んだように寝ていたし、アイザックは船長と諸々の交渉に忙しかった。交渉内容は主に、今回の水竜討伐に〈沈黙の魔女〉が動いたことに対する口止めだ。

 サザンドールの水竜を〈沈黙の魔女〉が倒した──なんて噂が広がったら、どこぞのチェス馬鹿男ロベルト・ヴィンケルや、魔法戦馬鹿のヒューバード・ディーが押しかけてきかねない。

 サザンドール港に戻り、魔術師組合への報告など諸々の事務手続きも終えて、帰宅する頃にはすっかり夕方になっていた。

 船の中で死んだように寝ていたモニカは、陸に降りてからも「まだ、地面が揺れてる……」とフラフラしていたので、アイザックは有無を言わさずモニカを背負う。


「わたし、自分で歩けます……」

「顔色がまだ良くない。ここは素直に甘えておくれ?」

「うぅ、今日のわたし、かっこよくない……」


 格好良いお師匠様を目標に掲げているモニカは不服そうだが、アイザックは「とんでもない」と首を横に振る。

 静かに竜を撃ち落とす、恐ろしく緻密な魔術式の元に編み上げられた、美しい魔術。

 それを無詠唱で行う奇跡を、こんなにも近くで見ることができて、アイザックは胸がいっぱいだった。

 炎の魔術を結界で包む──二つの魔術を組み合わせた複合魔術も、水中の水竜の眉間を射抜くのも、風の精霊王の召喚も、その一つ一つが上級魔術師でも一握りしかできないような技だ。

 それを全て無詠唱でこなすなんて、これを奇跡と言わずしてなんと言おう。


「君が最初に小型水竜を散らした火と結界の複合魔術──複合魔術なんて、維持するだけで難しいのに、遠隔であそこまで正確に撃ち込むなんて、やっぱり僕のお師匠様はすごい……」

「アイク、アイク」


 敬愛するお師匠様を讃え始めたアイザックの肩を、モニカがペチペチと控えめに叩いた。

 アイザックが首を捻って背負ったモニカを見ると、モニカは彼女にできる最大限にキリリとした顔で、もっともらしく言う。


「今日はですね、わたしがアイクを褒めるから、聞いてください」

「……え?」

「まず、索敵術式、完璧でした。共有術式も共有者に負担のない術式接続で、百点です」


 言葉を失うアイザックに、モニカは続ける。


「船が揺れる時とか、船員さんにこまめに声をかけてくれたのも、助かりました。わたし、そういうの、全然気が利かないから」

「うん」

「あと、アイクが水竜のことをしっかり調べておいてくれたおかげで、すぐに種を特定できました」

「うん」

「それと、あ、そうだ。一匹目の大型水竜を倒した後、すぐに索敵術式を解除しないで、ちゃんと維持してたの、すごく偉いです。おかげで二匹目もすぐに見つけられたし……」


 どんな時でも王子様の笑顔を維持できるアイザックの口角が、自然とムズムズ持ち上がる。

 アイザックは緩んだ顔をモニカには見せぬよう前を向き、せめて声音だけは取り繕って応えた。


「貴女のお役に立てたなら、光栄です。マイマスター」


 日は次第に傾き、薄紅混じりの夕焼けに、夜の色が広がっていた。

 群青に染まった遠くの空では、既に白い星が瞬き始めている。

 最近は日が出ている時間が長くなってきた。頬を撫でる風も、すっかり春めいている。

 春の夕焼けを見上げ、ゆっくりと歩く幸せな時間を噛み締めながら最後の角を曲がったアイザックは、モニカの家の前に人影を見つけて目を丸くした。

 背中のモニカも「あっ」と小さく声を上げる。

 モニカの家の前に佇んでいた客人は、夕焼けに照らされる黒髪をサラリと揺らし、白い顔を傾けてこちらを見た。

 かつてセレンディア学園で三大美人の一人に数えられた美しい顔、瑠璃色の目。


「クローディア様」


 アイザックの背中でモニカが呟く。

 旅行鞄を携えたクローディア・メイウッドは、アイザックと背負われているモニカを交互に見た。

 そしてその美しい顔にニタァとしか形容しようのない、無意味に人の不安を煽る笑みを浮かべる。


「……師弟っていうより…………親子ね」


 幼く見えることを気にしているモニカと、モニカに意識されたいアイザック、そんな二人の心を的確に抉る一言だった。



 * * *



 サザンドールに向かうその馬車は、御者を除けば乗っている人間は一人だけだった。

 それなのにどういうわけか、中からは四人分の声が聞こえる。

 唯一の人間、シリル・アシュリーは鬼気迫る表情でブツブツと旧図書館法を呟いていた。その顔色はいつもより青白く、目の下にはクッキリと隈が浮いている。

 そんな目に見えてやつれているシリルの膝や肩に、二匹のイタチが乗ったり降りたりしながら、お喋りをしていた。


「シリル、大丈夫? すごい顔だよ」

「トゥーレ、こういう顔を人間は『死相が出てる』と言う」

「シリル死にそうなの?」

「人間は寝ないと死ぬ」

「大変、大変。シリル、寝よう?」


 白いイタチ──トゥーレが肩に飛び乗り、もっふりふんわりした尻尾でシリルの頬を撫でる。

 剣呑な目で旧図書館法を呟いていたシリルは、頬を撫でる柔らかな感触に少しだけ表情を緩めると、目頭を左手で揉んだ。


「いや、大丈夫だ。仮眠はとっている。問題ない」

「あれは仮眠じゃない。気絶」


 金色のイタチ──ピケの指摘にシリルは言葉を詰まらせ、気まずそうに咳払いをした。


「仮眠だ。問題ない……すまないが復習をしたいから、少し静かに……」


 シリルの言葉に、トゥーレとピケが全く同じ仕草でシリルの右手を見た。


「静かに?」

「こんなにうるさいのがいるのに?」


 トゥーレとピケの言う通り、黒い革手袋をしたシリルの右手の下からは、耐えず声が響き続けていた。

 中高年の紳士を思わせるハリのある声は、もう何日もシリルの手元で騒ぎ続けている。シリルが寝不足なのも、この声のせいだった。


『クローディアはどこだ! クローディアを出せ!』


 シリルは忌々しげに己の右手を睨むと、荷物袋から厚手の布を取り出し、それで右手をグルグルと覆う。そうすると幾らか声はくぐもり、小さくなった。

 シリルは限界まで右手を遠ざけ、左手でこめかみを押さえながら、またブツブツと旧図書館法を呟き始める。


『さぁ! さぁ! 早く、吾輩をクローディアのところに連れて行くのである! おぉ、待っていろ、麗しのクローディア! クローディア!』


 二匹のイタチは「うるさいね」「すごくうるさい」と頷きあいながら、シリルの右手をテシテシと叩いた。


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