【おまけ】悪友達の宴
リディル王国七賢人が一人〈結界の魔術師〉ルイス・ミラーは限界まで目を見開き、心の底から納得いかないという顔で低く呻いた。
「何故だ……」
ルイスの視線の先、ソファの上では愛娘のレオノーラが、不良騎士アインハルトと戯れている。
もうすぐ二歳になるレオノーラは、両手でアインハルトの服や髪を弄ったりしながら、キャッキャとはしゃいでいた。
「レオノーラちゃんは良い子だなー。ほーら、アインハルトお兄さんが高い高いをしてやろう」
「ぶー、わうぶぶー。きゃー!」
「おぉ、そうかそうかー。将来はアインハルトお兄さんの、お嫁さんになりたいかー」
「ぐえー、ぐえーえ!」
アインハルトが好き勝手なことを言い出すと、レオノーラは「ぐえー」という言葉を繰り返した。
なお、レオノーラにとって「ぐえー」とは、ルイスの弟子グレン・ダドリーを意味する言葉である。
お嫁さんというものをレオノーラがどう理解しているかは分からないが、「お嫁さん」という単語が出るたびに、愛娘は弟子の名前を連呼するのだ。
ちなみにレオノーラにとって、母親は「まー」、祖父は「じー」、リンは「りーりー」である。
父親を意味する単語は、まだない。
「レオノーラは人懐こいな。私にもすぐに懐いてくれた」
ライオネルがレオノーラを抱き上げると、レオノーラはキャアキャアはしゃぎながら、ライオネルの体をよじ登り始めた。レオノーラは大人の体をよじ登るのが好きだ。
なお、父親であるルイスは、よじ登ってもらった記憶はおろか、抱きついてもらった記憶もない。何故かルイスが抱き上げると、レオノーラは大泣きをして海老反りになるのだ。
「レオノーラはルイス似なのだな。髪色も目の色もよく似ている」
「あぁ、そうだな。顔立ちも、なんとなくルイスに似てるよな」
ライオネルとアインハルトの言葉に、ルイスは唇を尖らせて異議を申し立てた。
「何を言ってるんです、二人とも。よく見なさい。レオノーラは妻似でしょう? ほらほら、目元とか」
ルイスが身を乗り出してレオノーラに手を伸ばすと、途端にレオノーラは顔をクシャクシャにして泣きだした。
ライオネルの体から転がり落ちそうになったレオノーラを、アインハルトがサッと抱き上げて、背中をトントンと叩く。
レオノーラはしゃくりあげていたが、背中を叩かれている内に泣き止み、アインハルトの服をしゃぶり始めた。頑として、父親を視界に入れようとしない態度である。
アインハルトは真顔でルイスを見た。
「喜べ、ルイス。お前の娘は、男を見る目がある」
「誰がどう見ても、このボンクラより、お父様の方が素敵ではありませんか」
そういうところだよ、とアインハルトは肩をすくめた。
* * *
ツェツィーリア姫の滞在延長が決まり、しばらく慌ただしい日が続いたが、諸々が一段落した頃合いを見計らって、ミラー邸で悪友三人によるささやかな飲み会が行われた。
時刻はまだ夕食には早い中途半端な時間だが、多忙な三人が顔を合わせられる時間は限られている。
その僅かな時間で三人は酒を飲みながら、長年の付き合い特有の、遠慮の無いやりとりをしていた。
「俺はずっと突っ込みたくて仕方なかったんだがな。お前、なんでそんな髪長いの? 願掛けでもしてんの?」
「手入れの行き届いた長い髪は、裕福さの象徴でしょう」
ルイスがフフンと鼻を鳴らして、長い三つ編みを手ですくうと、アインハルトが呆れたように目を細めた。
「そこまでいくと、髪の長さが、そのままお前の見栄のデカさに見えてくるわ。つーか、その髪のせいで、あの格好をせざるをえなかったんだろ……んごふっ!?」
ルイスは無言で、アインハルトの脇腹に拳をねじ込む。
幸い、ライオネルはレオノーラをあやしていて、こちらの会話を聞いていない。
アインハルトの言う通り、ルイスが侍女の格好をしていた理由の一つが、髪を誤魔化すためだった。この長さだとまぁまぁ目を引くので、まとめてシニョンキャップに入れるしかなかったのである。
「七賢人ってのは自由なんだな。羨ましい限りだ。俺んとこなんて、すっげーうるせーんだぜ。寝癖が一つついてるだけで、隊長殿の拳骨だ」
アインハルトは唇を尖らせて、近衛騎士団の苦労を語り続けた。
ルイスがそれを聞き流してワイングラスを傾ければ、アインハルトはルイスの三つ編みをグイグイ引っ張る。
「そうそう、羨ましいと言えば女の子! 七賢人って、確か魔女が三人いるだろ? 七人中三人が女の子! ずるい! 潤いの無い俺の職場に一人くれ!」
「美少年好きと、野郎と、小娘ですからね?」
「〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレットちゃんって、お前の同期なんだって? 同期が十歳年下の女の子とか、正直うらやましい」
「アレは、結構なバケモノですよ。七賢人選抜試験で、私がどんな目に遭ったか聞きたいですか?」
ルイスが三つ編みを取り返そうと奮闘していると、ライオネルと遊んでいたレオノーラが「りーりー!」と声をあげる。
目を向ければ、リンが新しいつまみを運んできたところだった。
すると、ルイスの三つ編みを引っ張っていたアインハルトがサッと立ち上がり、姿勢を正す。
さっきまでのダラシないニヤケ面はどこに行った、と言いたくなるぐらい、その顔はキリリと引き締まっていた。
「お嬢さん、貴女との出会いは運命だ。名前を教えてくれないか?」
「リィンズベルフィードと申します」
「詩的な響きの名前だな。どうだろう? 今夜、君の時間を俺にくれないかい?」
そう言ってアインハルトはリンの肩を抱く。
リンはあいも変わらず首のもげた人形じみた仕草で、首を傾けた。
「アインハルト・ベルガー様にお訊ねいたします。これは求愛行為なのでしょうか?」
「そうさ、君を口説いてるんだ」
「そういうことでしたら、お断りいたします。わたくし、すでに心に決めた方がおります故」
「へぇ、燃えるな。そいつよりも、俺を好きだと言わせてみせるぜ。自信がある」
リンの微妙にズレた回答にも、アインハルトは動じない。その神経の図太さは、なかなかどうして大したものであった。
ルイスは傾いた片眼鏡を指先で押さえ、呆れの目を向ける。
「アインハルト。リンは私の契約精霊です」
アインハルトはパチパチと瞬きをして、美貌のメイドを凝視した。
リンが人間ではないことに余程驚いたのかと思いきや、アインハルトは大真面目な顔でルイスに問う。
「……お前、奥さんいるくせに、精霊に可愛いメイドの格好させて、はべらせてんの? 良い趣味だな?」
あろうことか、このチャランポランなボンクラ男に軽蔑の目で見られるなんて、不本意にも程がある。
ルイスは頬をひきつらせた。
「その格好は、私がやらせているわけではありません。リンの趣味です」
「いいえ、趣味ではありません」
ルイスの言葉をリンがサッと遮る。
リンは姿勢を正し、真っ直ぐな目でアインハルトを見た。
そして、どこか力のこもった口調で宣言する。
「信念です」
「お、おぅ」
どういう信念があれば、精霊がメイドの格好をするようになるのか。アインハルトには理解できないことだろう。
ルイスはその事情を知っているが、説明するのが非常に馬鹿馬鹿しかったので、何も言わずにワイングラスを傾けた。
そう、とても馬鹿馬鹿しい事情なのだ。この上位精霊がメイド服を着ている理由も、自分と契約をした経緯も。
そういう馬鹿馬鹿しい事情というのは、黙っているに限る。こんなものは、周囲に勝手に誤解させておけばいいのだ。
そんなことを考えつつ、ルイスはワイングラスにドライフルーツをボトボト落とす。
ワインでふやけたドライフルーツがルイスは割と好きだ。ワインは辛口のワインなので、できれば少し甘味が欲しい。
「リン、木苺のジャムを持ってきなさい。ロザリーには内緒で」
「ルイス殿が必要以上に糖分を摂取しようとした時は、ロザリー様に告げ口をするよう、各方面より推奨されております」
リンは主人の言葉をサラリと無視し、あろうことか台所で作業しているルイスの妻に声をかける。
「ロザリー様、ルイス殿がジャムをご所望です」
「今日はもう駄目よ。一日一瓶はどう考えてもおかしいでしょう」
台所で作業をしていたロザリーが早足で部屋にやってきて、ルイスがたじろぐほど冷ややかな目で睨む。
ところで、ボンクラことアインハルト・ベルガーは、目力の強い女が好きと明言している男である。
目力というか、ようは女に冷たい目で睨まれるのが好きなのだ。
夫を睨むロザリー・ミラー夫人の冷ややかな目は、アインハルトにとって、非常に魅力的に映ったらしい。
「奥さん、貴女とはもっと早くに出会いたかった」
アインハルトがロザリーの手を取り、その手の甲に口付ける。
リンがレオノーラの目を塞ぎ、酒瓶を振り上げたルイスをライオネルが羽交い締めにした。




