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サイレント・ウィッチ(外伝)  作者: 依空 まつり
外伝7:帝国の銀月姫
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【25】〈神眼〉

 ツェツィーリア姫がリディル王国を訪れる一ヶ月前のある晴れた日、カリーナ・バールがヘルムフリート・コルヴィッツの工房を訪れると、そこでは工房の主が無表情で踊っていた。

 握った拳を交互に天に突き出し、足踏みをするその動きを踊りと言って良いのかは分からないが、カリーナの目にはそれが踊りに見えたし、事実、コルヴィッツは全身で喜びを表現していた。

 コルヴィッツは今年で四十歳の、細身で長身の男だ。

 鋼色の髪を背中に届くぐらいに伸ばして緩く束ねており、神経質そうな顔には丸眼鏡をかけている。

 身につけているのは、袖の細い作業着で、至るところに糸屑がついていた。きっと今の今まで、作業をしていたのだろう。

 コルヴィッツの目の前の作業机には、純白の雪のようなレースが広がっていた。繊細で美しい花模様はよくよく見ると、その一つ一つに魔術式が織り込まれている。


「わっはー! もしかして、新作レース完成したの? 見せて見せて見ーせーてー!」


 カリーナが無邪気に作業机に近寄ると、喜びの踊りをしていたコルヴィッツはクワッと目を剥いて怒鳴り散らした。


「俺の〈アーデルハイト〉に汚い手で触るなぁッ!」


 カリーナは叱られた猫がするみたいに体を震わせ、パッと両手を上に挙げた。


「触らないよー。見るだけ見るだけ。ていうかコルヴィッツさん、また作品に名前つけたの?」

「俺が精魂尽くして生み出した娘に、名前をつけて何が悪い」


 コルヴィッツはレースと刺繍の分野において、帝国でも並ぶ者無しと言われる天才職人だが、自分が作った作品を娘のように愛でる癖があった。

 作り上げたレースを愛しすぎたあまり、人の手に渡るのを嫌がるし、少しでも粗末に扱えば、相手の心が折れるまで罵倒する。

 先帝の愛人がコルヴィッツのレースを雑に扱った時など、激怒したコルヴィッツはその愛人の元に乗り込み、滅茶苦茶に罵ったらしい。

 結果、先帝の怒りに触れて投獄されたという、とんでもない経歴の持ち主だ。

 分野こそ違うが、カリーナも職人である。だが、カリーナは自分が作った物に対し、愛着も執着もさほど覚えない。

 端的に言ってしまえば、自分が作った物がどう使われるかに、あまり関心が無いのだ。勿論、大事にしてもらえれば嬉しいなぁとは思うけれど。

 この辺りは、コルヴィッツとは、なかなか分かり合えない部分である。


「この〈アーデルハイト〉ちゃんは、リディル王国へのお土産にするやつ?」

「いいや、〈ヴァージニア〉は既に納品済みだ。〈アーデルハイト〉は、ツェツィーリア様のストールにする」


 コルヴィッツは作業机のレース──〈アーデルハイト〉ちゃんを見つめ、陶酔のため息をついた。


「この国にツェツィーリア様ほどレースの似合う女性はいない。この繊細で可憐な〈アーデルハイト〉は、心の清らかな銀月姫にこそ相応しい。〈アーデルハイト〉もツェツィーリア様の元に嫁げることを、幸福に思うだろう」


 自分の作ったレースを進呈することを「嫁ぐ」と表現するのだから、コルヴィッツのレース愛は筋金入りだ。

 そんな彼は、ツェツィーリア姫の大ファンでもあった。なんでも彼女を見ていると、新作レースのアイデアがどんどん湧いてくるらしい。

 なにより、ツェツィーリアはコルヴィッツのレースをとても大切に扱うのだ。それが、コルヴィッツには嬉しいのだろう。


「たしかに、ツェツィーリア様に似合いそう〜。うっひゃー、かっわいいー!」

「ほぅ、よく見ると花弁が妖精の羽になっているのか。よい出来だ。褒めてつかわす」


 真後ろから聞こえた呟きは、独り言じみていたが、よく響く声だった。

 カリーナが驚いた猫のように振り向けば、背後に佇んでいた黒髪の男が腕組みをして、ニヤリと笑う。

 男はお忍びらしく簡素な服を着ているが、全身から迸る覇気を隠せていなかった。黒獅子皇レオンハルトである。

 その姿を確認した瞬間、カリーナは素早くコルヴィッツに目配せをした。今こそ、コツコツと練習してきたアレを披露する時だ。

 コルヴィッツが小さく頷き返したのを確認し、カリーナは素早くコルヴィッツの前に立った。

 そうして、カリーナは肩幅よりやや広めに足を開き、右手をバッと天井に掲げて叫ぶ。


「天に赤き炉を掲げ、技術の粋を刻みし匠!」


 カリーナの背後に立つコルヴィッツもまた、右手を眼鏡に添え、左手を大きく真横に伸ばし、声を張り上げる。


「帝国の未来を照らす、赤き四ツ星!」


 カリーナは天に掲げていた手を開いたまま目元に添え、指の隙間から己の目を覗かせた。

 同じタイミングでコルヴィッツも両腕を体の前で交差させる。


「〈神眼〉バール!」

「〈妖精の指〉コルヴィッツ!」


 最後に、二人は声を合わせて名乗った。


『──我ら、帝国(ていこく)魔導十字(まどうじゅうじ)炎天四魔匠(えんてんよんましょう)!』


 たまたまゴミを集めに来ていたコルヴィッツの弟子が、見てはいけないものを見てしまったような顔で、そっと部屋の前を通り過ぎた。

 だが、黒獅子皇は心の底から満足そうに「うむ」と頷く。


「力強く、良い名乗りだ。動きにもキレがある。だが、そのポーズは四人が揃っていることを前提としたものであろう? 二人だと、少々バランスが悪い」


 黒獅子皇の指摘に、コルヴィッツは大真面目に頭を垂れた。


「申し訳ありません、陛下。人数に合わせた演出を検討いたします」

「ねぇねぇ、コルヴィッツさん。途中でさ、あたしが上じゃなくて右に手を伸ばしたら、左右対称で良い感じじゃないかな?」

「いや、俺とカリーナでは腕の長さが違いすぎてバランスが悪い。美しくない。ここはあえて身長差を活かし、俺が上、カリーナが下で縦長のシルエットにするのはどうだ?」

「あとね、あとね、小道具! いまだに、帝国魔導十字炎天四魔匠って何? っていう人多いからさ。こう、技術者集団だぞ〜ってのが分かるように、工具とか糸巻きとか持ったら、それっぽくないかな?」

「名案だ。早速、小道具の選出にとりかかろう」

「あたし、ノミ持つ〜! 何本か指に挟んだら、かっこいーよね?」

「くれぐれも俺の足に落とすなよ」


 帝国魔導十字炎天四魔匠。非常に猛々しい名前であるが、つまりは皇帝直属の技術者集団である。

 とても技術者に思えない名称については、黒獅子皇と側近の間で一悶着あったそうだが、最終的に黒獅子皇の「強そうで良いだろう!」という一言で可決された。

 何故、技術者に強さを求めてしまったのかについては、誰もが首を捻るところだが、カリーナは「なんかカッコいいよね!」と大変満足している。

 ついでに登場の際の決め台詞とポーズについても、黒獅子皇から「相応しい演出を用意せよ」と命じられたものだが、これもやっぱり「なんかカッコいいよね!」とカリーナは大変楽しみながら取り組んでいた。

 ちなみに帝国魔導十字炎天四魔匠は、カリーナとコルヴィッツの他に二人いる。

 コルヴィッツは案外ノリの良いおじさんなので、演出のポーズに全力で取り組んでくれるが、残りの二人はどちらかというとこの手の演出には消極的だ。


「ときに、コルヴィッツよ。貴様が作り上げた〈ヴァージニア〉、実に素晴らしい出来栄えであった。褒めてつかわす」

「ありがたきお言葉、恐悦至極でございます、陛下」


 先帝時代に投獄されていたコルヴィッツは、自身を釈放し、直属の技術者としての名誉を与えてくれた黒獅子皇に心酔している。


「〈ヴァージニア〉は、ツェツィーリア様の婚礼に使うことを想定して編み上げました。花嫁の清楚な美しさを際立たせると同時に、悪漢がツェツィーリア様に魔の手を伸ばしても対処できるよう、私にできる最上位の防御結界を編み込んであります。暑さ寒さにも強く、婚姻の儀が炎天下、あるいは真冬でも快適に過ごしていただけるという花嫁の幸福と快適さを最優先に考えた逸品にございます」


 最上位の防御結界が編み込まれた花嫁のベールというのも、なかなかに訳のわからない代物だとカリーナは思ったが、技術者とは往々にして、人には理解できない謎のこだわりを発揮するものである。

 

「うむ、リディル王国への手土産にするのが惜しいほどの出来栄えよ」

「それについてですが、陛下。搬入にあたって、レースの管理のために、私を〈ヴァージニア〉に同行させていただきたいのです。私の娘をどこぞの馬の骨とも分からぬ輩に雑に扱われたら、私は間違いなくその馬の骨を絞め殺してしまう」


 コルヴィッツの請願に、黒獅子皇は唇を曲げて眉根を寄せた。


「ふむ、確かにお前自身が行くのが一番だが……納期は良いのか? 次の仕事が入っているのであろう」

「それは……」


 コルヴィッツは抱えている弟子が多く、弟子の仕事を監修しなくてはいけない立場だ。数週間単位で国を出るのは難しい。

 ならば、コルヴィッツの信用できる弟子を同行させるのが、無難なところか。カリーナが密かにそんなことを考えていると、黒獅子皇は何かを思いついたような顔でニィと笑った。

 獰猛さに茶目っ気をひと匙混ぜたような、そんな笑顔で、黒獅子皇はコルヴィッツではなく、カリーナを見る。


「カリーナよ。お前は今、手すきであったな?」


 黒獅子皇の言う通り、〈ベルンの鏡〉の複製品作りを終えたカリーナは今、次の仕事を待ちながら、趣味の木彫りをしているところだった。

 薄い木彫りの側面に極々小さい魔術式を刻むのが、最近のカリーナのお気に入りの遊びである。

 カリーナがなんとなく背筋を伸ばすと、黒獅子皇はよく通る声で告げた。


「〈神眼〉カリーナ・バールよ。黒獅子の名において命じる。コルヴィッツレースの搬入作業員として、リディル王国の宝物庫に入りこみ……その目でリディル王国の至宝を見て、再現せよ!」



 * * *



 カリーナ・バールは帝国魔導十字炎天四魔匠として引き抜かれる前は、帝国のとある工房で、贋作職人をしていた。

 工房長はカリーナを女と知りながら工房に置いてくれた恩人だったし、仕事をもらえるだけでカリーナとしては恩の字だった。だから、工房長に言われるままに、なんでも作った。

 依頼人は、国内の見るからにお偉いさん風の人もいれば、外国の人間もいた。

 カリーナが依頼されて作った物は様々だ。装飾品、芸術品、彫刻──それが何に使われるかなんて、考えもしなかった。

 カリーナは自分が納得できる物を作ることができれば、それで満足だ。作った物の使い道には、あまり興味がない。

 そうして何年か経ったある日、カリーナは贋作を本物と偽って売り捌いた罪で逮捕された。

 カリーナは頼まれた物を頼まれた通りに作っただけで、売り捌いていたのは工房長だ。だが、犯行は全てカリーナが一人でやったことにされていた。

 そっかー、あたし、騙されてたんだー。と思ったが、工房長に対する怒りは湧いてこなかった。

 カリーナは満足がいくまで、自分が作りたい物を作ることができたのだ。それだけで、自分は恵まれているとすら思った。


「これを作ったのは、貴様だそうだな?」


 取調べの場に突然現れ、カリーナにルビーのブローチを突きつけたのは、若い男だった。

 着ている服は、大層立派な物で、一目で貴族と分かる佇まいをしている。

 取調べ室の椅子にちんまりと座って、足をブラブラさせていたカリーナは、突きつけられたブローチを見て、コクンと頷いた。


「うん、そう、あたしが作ったやつ」

「実によくできている。この目立たぬ部分の傷まで再現しているとは思わなんだ」

「わっはー、そこに気づいてくれたの? そこね、傷の古さを再現するのに苦労したんだー!」


 立ち合いをしていた兵士が、ギョッとした顔でカリーナを黙らせようとしたが、それを若い男は片手を振って制した。


「よい」

「ですが……」

「くどい。よいと言っている」


 男は兵士を黙らせると、カリーナを見据える。

 なんとなく目の離せない、力のある強い目だった。


「贋作職人、カリーナ・バール。取調べによると、貴様は一度見ただけで、殆どの品を正確に再現してみせたそうだな」

「うん、あたし、一度見た模様とか色とか形とかは、大抵忘れないんだ。わっはー、でも、人に言われたことはよく忘れちゃうんだけどね。納期を忘れて工房長に何度怒られたか……」


 カリーナのお喋りを、男は黙って聞いていた。その表情はどこか楽しげですらあった。


「ところで、カリーナ・バールよ。貴様はこのブローチがどういう物かは知っているか?」

「ううん、知らない。興味ないし」


 カリーナの関心があるのは、ブローチの色だとか形だとか意匠だとか、そういったものである。

 由来だの、金銭的価値だのには、あまり興味が無い。

 カリーナのあっさりした答えに、男はククッと喉を鳴らして笑った。


「これは、先帝の時代に売り払われたクレヴィングの宝の一つだ。この傷は余が幼少期に悪戯でつけたものよ」


 クレヴィング。それは、世情に疎いカリーナでも知っている家名だ。

 なにより、自分のことを「余」という人間なんて、多分この帝国で一人しかいない。


「カリーナ・バール。貴様に〈神眼〉の称号を与える。その目と腕を、この黒獅子のために使うがいい」



 * * *



 リディル王国の宝物庫の中で、コルヴィッツレース展示用のガラスケースを設置しながら、カリーナは目を輝かせていた。


(わっはー、すごいすごいすごい、すーごーいー!)


 薄暗い展示室の中に並べられているのは、どれもこの国の秘宝ばかりだ。

 さすがに刻まれた魔術式は近づかないと見えないが、せめて意匠だけでもと、カリーナはしっかりその目に焼きつける。

 贋作を作るのなら、本当は裏面や内面も観察したいところだが、流石にそれは贅沢というものだろう。


(でも、もっと見たいなー。見たい見たい見たい見ーたーいー)


 幸いにも、ソワソワと辺りを見回しているカリーナを、宝物庫の管理人や同行した兵士は、咎めたりはせず、寧ろ優しい目で見守っていた。

 そういう意味でも、黒獅子皇の人選は正しかったと言える。

 カリーナ・バールは技術者としては超一流だが、お人好しで騙されやすく、なにより色々と抜けていた。

 黒獅子皇には「我が国のポンコツ天才娘代表は貴様だ」などと言われたことがある。

 それにしても、他国にも「ポンコツ天才娘」とやらがいるのだろうか。いるのなら、是非ともお友達になりたいところである。

 カリーナは技術者だらけの環境で育ったので、あまり同年代の女の子と仲良くなる機会がなかったのだ。


(陛下は、あたしがポンコツだから、余計なことは喋るなーとか、普段は目立たないように侍女の振りしてろー、とか言ってたけど、今のところ任務は順調だよね? うんうん)


 なんでもリディル王国には、七賢人というすごい魔術師がいるらしい。

 黒獅子皇が用心しろと言っていた相手だ。

 曰く。


『頭の切れる〈結界の魔術師〉は警備から外し、はかりごとに疎そうな者をツェツィーリアの警備にあてるよう命じておいた。それでも、念には念を。七賢人には近づくな』


 ……とのことである。


(えーっと、なんだっけ……静寂? 沈黙? の魔女さん? 全然見かけなかったし、陛下の杞憂だったんだね、きっと)


 ガラスケースにコルヴィッツレースを丁寧に広げて置き、カリーナはガラスケースに刻んだ魔術式を再確認する。


「うん、よし、バッチリ。あとは、このケースが近くにある他の魔導具に干渉してないか、確認しまーす」


 そう宣言して、カリーナは近くに展示されている魔導具をじっくりと眺める。

 これが、この宝物庫の至宝を目に焼き付ける最後のチャンスなのだ。

 コルヴィッツレースのケースとは反対側に並ぶケースにも目を向けたカリーナは、そこに展示されている品に目を輝かせる。


(こ、これって、古代魔導具ー! すごいすごいすごい!)


 リディル王国に現存する古代魔導具は、全部で七つ。その内の二つがこの宝物庫に収蔵されていた。

 即ち、〈陽光の宝剣アトラス〉と、〈暴食のゾーイ〉。

 〈陽光の宝剣アトラス〉は、宝剣という名前とは裏腹に、案外武骨で質素な剣だった。それでも、歴史の重みを感じさせる重厚感がある。

 柄には一つだけ、ダイヤモンドが嵌め込まれていた。その中に、現代魔術では再現できない複雑な魔術式が刻まれているのだ。拡大して見たいなー、と残念に思いつつ、カリーナは隣のケースにも目を向ける。

 もう一つの古代魔導具〈暴食のゾーイ〉は、宝石箱だ。

 手のひらに乗るぐらいの大きさの漆黒の箱に、様々な宝石が散りばめられている。


(……あれぇ?)


 カリーナは違和感に眉をひそめる。

 〈陽光の宝剣アトラス〉は、地味で武骨な作りだが、間違いなく本物の古代魔導具だ。

 それなのに……。


(なんで、〈暴食のゾーイ〉は、本物じゃないんだろー?)


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